会長うたかた記

日々の子育てを楽しく、日々の生活を快適に

文化・伝統工芸

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いよいよ晦日。
今日の午後からお節づくりに取り掛かる予定であったが“鬼巻き簾”を買い忘れていたことを思い出し、
仕事帰りに何件かホームセンターなどを回ってみる。
巻きずし用の巻き簾はあるのだが、どこも鬼巻き簾は在庫していない。
鬼巻き簾とは、断面が三角形の竹を編んで簾にしてあるもので、出し巻き卵を作るときに用いる。

なるほど、ご自宅で巻きずしを作る機会はままあっても、大巻き卵など年に1回のこと、
市販品で済ませるか、あるいは巻きずし用で代用して作るかで間に合わせているご家庭が多いのかもしれない。
僕も去年は出し巻き卵のみ、OH自然食で買って済ませたのだったが、今年はオーブンが手に入ったので
作ることにした。もちろん卵は使わないからオーブンなのである。
かぼちゃと豆腐、小麦粉でペーストを作ってオーブンで焼けば、卵焼き用のフライパンで焼いた卵焼きに
そっくりなものが出来上がる。これを鬼巻き簾で巻いて固める。
鬼巻き簾はすし用の巻き簾にくらべて三角形のギザギザが激しいので、出し巻き卵にギザギザがつくのである。

う〜ん、何としても鬼巻き簾が欲しい。
確か、カインズホームかスーパービバにはあったはずだが(この2軒は厨房用品に力を入れている)、
この暮れも押し迫って混んでいるところに行くのは嫌だ。
と、ふと思い当って朝彦商店に行ってみることにした。
朝彦さんはせいろ職人だが、竹のかごや厨房用品もかなり品ぞろえしている。
せいろはもちろんのこと、馬の毛の裏ごしや越前刃物の包丁など、朝彦さんで買って愛用しているものも多いのだ。
しかも扱っている商品に関して豊富に知識をお持ちなのでいろんな知恵を授けていただける。
ただ一度買うと当分持つので、残念ながら頻繁に行くところではない。

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はたして鬼巻き簾は見つかった。
30センチ角のものと27センチ角のものをそれぞれ2種類在庫されていて、
大は小を兼ねるということで30センチ角のものを購入することにした。
せっかく久々に訪れたのでしばし雑談。包丁についていろいろと教えていただく。
今度は片歯の包丁を使ってみたいと思っていたのだが、やはり素人には扱いづらいらしく、
朝彦さんでは置いていないとのことである。
その代り麺切り包丁のずいぶん立派なのが置かれていてチョット心が動く。
いずれ蕎麦が上手に打てるようになった暁には、ってところだが。

店を出てふと「つばさ」のポスターが目に留まる。
ん?真正面に写ってるの、朝彦さんじゃないか!
もう何度も見ているポスターなのに全然気がつかなかった。
潜在意識の中で、こういうポスターに写ってるのは芸能人なんだという思い込みがあるのだ。

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いけないいけない。
物事は予断を排して見なければな。
そう心がけているつもりでも、いつの間にか余談に支配されているのが人間の意識だ。
改めてそういうことに気づかされた。

そんなわけで今日はあまり進まず。
明日は朝から料理三昧。




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今日は夕方、先週の委員会を欠席した保育園に配布物を届けに。
やはりインフルエンザが流行っていて、もらってもいけないしばらまいてもいけないしで
参加を見合わせたということであった。

インフルエンザ騒ぎは早晩落ち着くだろうが
(流行が収まるというよりは、特別扱いしていられないくらい普通になるだろう)、
これからどんどん未知の菌やウイルスがやってくるだろう。
なにしろ人間が解明できていることなんて、大自然のほんの一部にすぎないのだから。
自然破壊とグローバル化は未知の生物を掘り起こして世界中にばらまくことになるだろう。
仮に強力な抗生物質を開発したとしても、すぐに彼らは姿を変え、すらりとかわしていくだろう。

こちらはそんな高尚な病ではなく、なんとも古典的な腰痛で苦しんでいた。
もともと腰は強いのだが、火曜に仕事中、無理な姿勢でたくさんの重量物を上げ下げした。
それで水曜の朝に痛みで起きられなくなってしまったのだ。
もちろん、無理に起きて出勤した。ぎっくり腰などではなく筋の炎症だろうから、
さほど心配することはない。
昨夜は風呂に入ってゆっくり暖めてビワの葉を貼っておいた。

さて、忙しかったり腰痛だったりで日記の更新がおろそかになってしまった。
何から書こうか。

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委員会から明けて翌日の土曜、日本民芸館主催のシンポジウム「柳宗悦と現代−手仕事の現場から」に参加。
これは先々週の土曜に行われた「柳宗悦と現代−思想の現場から」とセットで開催されたもので、
今年が柳宗悦生誕120年に当たることから特別にセッティングされたのである。

どちらも内容の濃い、素晴らしいものだったが、特に先々週のシンポは学究肌が強かったために
もっと勉強してから聴きたかったな、という感じだった。
そんな中でも強く感じさせられたのは、柳が「もの」を通じて人や社会、自然を観察する視座の根底に
自然への限りない賞賛と畏敬があり、それが少数民族差別に対する批判や平和思想、文明批判にまで
連なっているということだ。
もっといえば、そんな柳の根本の思想と僕が常日頃思っていることとの共通項を、
強く認識させられたことに対する驚きがあったといえばいいだろうか。
平たく言えば、「根底で共通するものがあったから柳の民芸理論に共鳴したのかな」ということである。

柳宗悦という人は民衆が日常の用途に使う雑器(茶碗とかすり鉢とか)に「美」を見出し、
その「美」がどこから来るのかを探求して理論化した人である。
無名の工人が「美」に無意識に、繰り返し繰り返し同じものを作る「手だれ」から「美」が生まれる、
いわば人が自然(神?)にすべてをゆだねるところに「美」の根源があるとし、
そのような民衆による手仕事・工芸を「民芸」とよんで高く評価した。
大正から昭和にかけて、折しも職人集団による手仕事から機械的大量生産に生産様式が変わろうとしている頃で、手仕事が何か古臭いもののように価値観が変わっている時期であり、たとえば小さな窯場は廃業の危機に瀕していた。
柳は単に美的な観点から鑑賞の対象とするのではなく、手仕事を手仕事として実生活に生かすとともに
後世に末長く伝えていくものとして「民芸運動」を提唱・実践したのである。

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 煮物にスープにと応用範囲の広い小代焼(熊本)の片口

僕は実用美の観点から柳の民芸理論に関心を持ち、そのような側面からのみ柳の著作を読んでいたから、
このたび「思想」という側面から柳の理論・実践を評価する研究者たちの業績に、いわば初めて触れたといっていい。
もちろん、著作の一端には「美の王国の樹立」とか「協団方式」とか、思想面を表す表現もないではないのだが、普通に読んでいると、とても今日的には妥当するような思想に思えないでいたのである。

そんなわけで、ほとんど実用の美としてのみ共感していた柳の業績だが、研究者たちの研究の成果を提示され、
思いのほか思想面でも共感できる点を発見できてうれしい思いもしたのである。

と同時に、当日は「柳がもし現代に生きていたら」ということもテーマとされた。
柳が生きていた当時、軍部の大陸進出や朝鮮併合(朝鮮文化の卑下と日本文化の押し付けを伴う)が進められる中で、柳は例えば朝鮮民族の文化を高く評価し、朝鮮に「朝鮮民族美術館」を開設している。
他方、現代ではグローバリズムのなかで文化や民族の独自性が相対化され、また、チベットやチェチェンなどの少数民族への武力介入が依然として続いている。
柳は政治面からではなく、文化面からの行動をしたのだが、さて現代に生きる僕たちは今何をすべきか。

このテーマは、僕が携わっているマクロビオティックの世界にも妥当するように思えた。
創始者の桜沢如一なき今、そして桜沢から直接に教えを受けた人たちもどんどん高齢化している今、
次に続く世代の人たちもやはり「桜沢先生が生きていたら」ということは常に念頭に置くことだろうし、
偉大な功績を発展させることは当然として、そこからの逸脱には細心の注意を払っているのではないかと思う。
大正から昭和にかけてという時代は、全く偉大な人をたくさん生みだしている。
それを引き継いで発展させるということは並大抵なことではない。

この土曜のシンポジウム「手仕事の現場から」では、前の週と打って変わって、
実際に漆や陶器やの製作にかかわっている人、その流通にかかわっている人を中心に話が展開されたが、
やはり民芸品(いわゆるお土産としての民芸品ではなく、手仕事の伝統工芸品)を鑑賞の対象としてではなく、
いかに実用の対象としてのファンを増やしていくか、そのために日本民芸館の役割は?ということがテーマになった。
柳は日本民芸館を民芸品の美術館としてだけではなく、明確に民芸運動の拠点として開設し、
本来的には実用品である民芸品をあえてショーケースに収めたのだ。
その柳のメッセージをどう受け取り、どう行動していくのかが、やはり問われているのだろう。

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 一年中出番の多い壺屋焼(沖縄)の銘々皿と小鉢

というわけで、2週にわたり、大好きな世界でどっぷりと思索に暮れる機会を与えられた。
いつも、日本民芸館は自分にとってリセットの場であり、エネルギーの補給所でもあるのだが、
また一段階、自分が強くなった気がしている。


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遅い朝、コインランドリーに洗濯物を乾かしに行き、合間にアイスコーヒーを買いにロヂャース(ディスカウントストア)へ。
すごい人。開店と同時にどっと人がなだれ込み、レジカゴを取るので人がわだかまっている。
日曜朝市でもないのにこんなに混むということはないと、常連らしき人たちが話している。
そうか、そうすると投票帰りの人たちか。そう直感する。

洗濯物を回収して帰宅、投票所である小学校に向かう。
うわっ、何だこれ。学校の周りにたくさんの路上駐車。
会場である体育館の入口には人の列ができている。
こんな経験は初めてだ。時間のタイミングということもあるかもしれないが、
やはり投票所に足を運んでいる人が確実に多いという実感。

今にも雨が降り出しそうな、というか、時折霧雨がさわるような天候でどうなるかと思っていたが、
本降りになる前に行ってしまおう、ということだったのだろうか。

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投票後は子どもたちを連れて埼玉県立川の博物館へ向かう。
夏休みも最後だし、一応、宿題もけりがついたので近場で遊ぼうというわけだ。
晴れなら高坂の動物公園に行こうと思っていたが、雨の動物園は辛い。

川の博物館は初めての訪問になる。
淡水魚の水族館のようなところかな、と思っていたが全然違う。
川の自然科学的側面よりむしろ、川と人間のかかわりの歴史展示が中心で、小規模ながらもなかなか見ごたえあり。

展示のなかに「鉄砲堰(てっぽうぜき)」の実物模型があり、模型といっても作りは実物そのもの、
大きさが実物の5分の1とか10分の1とかになっているものだ。
これは、山で切り出した材木を川から河口まで流すにあたり、川の上流(木を切りだしてすぐの山肌)は
水量が少なく、むしろ岩肌や川底が荒れていて材木が流れないので、川を小窓のついたダムを造ってせき止め、
その小窓を一気に開いて水を鉄砲のように勢いよく流すことで、水圧で材木を下流方向へ押し流そうという
先人の知恵だ。

一日に何度か、鉄砲水の放流が行われるというので時間に待っていたら、
「手伝ってくれるお友達を募集しま〜す。」とスタッフのお姉さん。
うちの子どもたちも手を挙げ、じゃんけんで勝ちぬきの結果、2人とも勝ち抜いてしまった。
宝くじは当たらないのに珍しいこともあるものだ。
合図とともに縄を引っ張って、轟音とともに水が噴き出した。

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そのほかにも県内の水にちなんだお祭りの紹介や船車という水車小屋を船に取り付けたような、
移動式水車の模型の展示、水塚(みづか)という、大水の時に避難するため、あらかじめ母屋のそばに
盛り土をして土蔵を建て、食料や衣服、布団などを常備して水害に備えた県内各所の家屋の写真や模型の展示
など、知らなかったたくさんの人間の歴史が紹介されていた。

まさに、人間は川の恵みに感謝し、あるいは川の神の怒りを恐れ、川を利用し、川と闘いながら生きてきた。
便利な世の中になってそのほとんどが自分達の身の回りから忘れ去られようとしているが、
展示を見ていると自然の偉大さとともに人の営みの尊さをひしひしと感じてしまった。

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さて、選挙の結果は下馬評通り、民主の大勝と自民の惨敗で終わったようだ。
加えて公明党も小選挙区で全滅、太田代表も落選という、近年にない痛手を被ったようだ。

選挙の結果について思うことはまた、改めて書いていこうと思う。



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地元の夏祭りで思う

昨夜は地域協議会推進部会のあと、委員有志で暑気払い。
市役所から駅周辺まで歩くのに、いや、濡れた、濡れた。
小ぶりになったと思って出発したところ、途中から雨脚が激しくなり、
傘をさしていたのに背中から濡れた感覚。

それでも冷たい雨ではないというのが夏を感じさせる。

久しぶりのメンバーもいたということで家路に就いたのが2時をとうに回っており、
帰宅してとにかく2時間仮眠をとって仕事に出かけた。
楽しいことと辛いことはいつも隣合わせなのだ。

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仕事から帰ってからは地元自治会の夏祭り。
ほんとうはみんなで昼間から準備をしていたはずだが、いつでも好きな時に休めるわけではない。
すぐに焼き鳥のブースに入る。
備長炭の煙にいぶされながらひたすら出来上がった焼き鳥を対面販売。

日が暮れるころ、太鼓の演奏が始まる。
僕は特に太鼓に思い入れがあるわけではないのだが、村祭に太鼓の音色はいいものだなあと思う。
ちなみに、このまつりの会場は神社の裏手の自治会館のある広場だ。
神社に太鼓に村祭って、もう何百年も日本のありとあらゆる場所でおなじみだった組み合わせだろう。
さすがに音響装置や電燈の入った提灯や人々の洋服と現代的にはなっているが、
鎮守の森に響く太鼓の音色には必然性のようなものを感じる。
焼き鳥販売がまだ続いていたのでじっくり鑑賞できなかったのは残念だったが。

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プログラムは進んで伝統芸能?の見世物になる頃に焼き鳥完売し、とりあえず役割から解放される。
市内のグループによる玉すだれの芸やマジックショー、どじょうすくいなど。
素人ならではのたどたどしい手つきと、どうやって探してくるのだろう、ぴったりな雰囲気の昭和なメロディを楽しんでいると、ある人(まあ、仮に立山さんとしておこうか)に声をかけられる。

「ブログみましたよ。」
今年の春ごろだったか、立山さんの奥さんと話をする機会があり、ブログの話もしたのであったが、
こういうのはその場の話で終わる相場であるところ、本当に見てくれたらしい。とうか、
以来、折りにふれて見てくれているらしい。
立山さんにしてみると、自分の生まれ育った身近な風景が写真となって公開されていて、
また違った感慨があるらしい。

この地域はもともと川越でも辺境の農村地帯であり、宅地の造成が制限されてきたから、
本当に最近までよそ者が入ってくることにとても抵抗があったらしい。
それが法的な規制が緩やかになって宅地も増え、新しい住人もどんどん増えている。
僕などは周囲に休耕地の広がる借家に魅力を感じて移り住んできたわけだが、
知らず知らずのうちに元からの住人の領域に踏み込んでいたことになる。
そんなことも含め、この地域で暮らしていくことや祭りを運営していくこと、子どもたちを見守っていくことなど、
いろいろと話した。

「来年は子どもたちのためにお化け大会やりましょうか。」
鎮守の森での肝試しが実現すれば子どもにとっても大人にとってもワクワクの体験となるだろう。
一緒に実現できればと心から思う。

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プログラムのハイライトはカラオケ大会。
なかでも今年の目玉は子どもたちの出場だろう。
たまたまお祭に集った1年生から6年生までが、その場で「歌おうよ」と話をまとめたらしい。
うちの小学生二人もお姉さんたちに混じって、一人前の顔で登壇した。

学年や性別を超えて子どもたちの輪ができること、一つのことに力を合わせて達成すること、
どちらかというと大人向けの渋めのプログラムに若いエネルギーが発現したこと、
そういう目で見て十二分にトピカルな出来事であったが、
わが子、という目で見るとまた違った見方ができるものである。
つまり、親の手を少しだけ離れ、子どもたちのつくる社会に帰属していくことを実感したこと、
こうやって社会の一員となっていくんだということを、確かに実感した出来事だった。



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魯山人に学ぶ

う〜む、大上段なタイトルを付けてはみたものの、それはありえないだろう・・・。

と、昨日の日曜日は川越美術館・博物館に「北大路魯山人」という展示を見に行ってきた。
ずいぶん前に始まっていて昨日が最終日だったから、滑り込みセーフで行ってきたのだ。
僕はこう見えても焼き物なども好きなので、こういう展示が身近にあるとなるとやはりはずせないのだ。

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魯山人というとグルメマンガ「美味しんぼ」の海原雄山のモデルになった人物ということがすぐに思い浮かぶ。
というか、そういう説明の仕方の方がわかりやすい人も多いだろう。
僕だって実のところ、この人物が何者であるのか、あまりよくわかっていない。
とりあえず「美味しんぼ」の知識と、若い頃に千葉だったか茨木だったかにドライブして確か魯山人にゆかりのある屋敷を見学したのと、器関係の本を読んでいると出てくる「総合芸術家」みたいな説明と、そういうものが断片的に入っていて、食だけに飽きたらず、器や食べる雰囲気や、なんだか「場」そのものをプロデュースするというような天才肌に、とうてい縁遠いものを感じていたのだった。

今回会場で作品や略年表をみていていくつもの発見があった。
魯山人はそもそも書家だったのだ。それも、出身は立派な家柄なのかもしれないが悲惨な幼年期を送り、
芸術学校進学をあきらめて雑用などを手伝いながら独学で書を極めたものらしい。
人間、できないことはないっていうけどホントなんだな〜と妙に親近感を覚える。
天才であった事は間違いないが、やはり不屈の努力があったのだ。
これから先、どんな格差社会が訪れようと決してあきらめまいと心に誓うのであった。

それから、会場に展示されている器の数々、その種類の多さにはビックリであった。
織部、黄瀬戸、志野、京焼風色絵、備前、染付、赤絵・・・しかも漆器まである。
魯山人ともなればその界の一流どころに師事したことは当然としても、
それぞれの技法を全く己のものにしてしまっていると見えた。
だから展示会場を見て回っていると「ああ、いろんな器があるね」と違和感なく前に進めるのだが、
一人の人間の作品であるということにハタと気づいてあらためて驚くのであった。
なぜなら、それらは本来なら別々の地方の別々の窯場で、別々の陶工によって生み出されるはずのものであるからである。

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僕の感想としては魯山人は織部に素晴らしいものがあると見た。
織部の難しいのはなんといってもあの中途半端に抽象的な鉄絵である。
サラサラと何気なく描かれているのだが、桃山期の優品(本当に桃山期のものかどうかは異論もあるが、一般的に桃山期とされるもの)に見られるような手練れは後世影を潜め、
江戸期のものになると説明調のぎこちないものになる。
さらに今出来のものとなると醜悪の極みとしかいいようのないものが溢れる状況である。

これは結局、桃山期の茶陶を生み出した精神性は桃山期にしか存在し得ず、
現在に至っては作陶の必然性のないものを無理矢理でっちあげるの境地に至っているのではないかと思われる。
まあ、これは勝手な思いこみかもしれないが、そういう状況だからこその魯山人の織部なのである。

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僕も比較的最近、瀬戸のとある窯で焼かれた織部を何点か持っている。
これに盛るような料理は作らないから猫に小判、ブタに真珠、馬の耳に念仏なのだが、
何しろこういうものは手で触れてさわってなんぼのものである。
美術館では当然のことながらお手を触れてはならないので、手取りとか器肌とかわからないのである。
もとより、この手はもう古美術として最高峰の部類だから、あらかたのものは収まるべきところに収まっているとの話でもある。
僕のような庶民が親しむには、それなりによくできた今出来のものを「こんな感じだろうな」と想像しながら購入する以外、方法がないのである。

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今回も美術館から帰ってきて、さっそく久方ぶりに取り出してみた。
魯山人のものはもう少し土が赤かったようだが、これはこれで・・・と悦にいるところ、やはり庶民である。

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