会長うたかた記

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自然とのかかわり

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昨夜は学保の会(川越学童保育の会)の役員会があった。
都合により遅れて出席したところ、ちょうど先日のプロジェクト会議の内容について話し合われていた。
そのプロジェクト会議も仕事上の都合により出席できなかったため、
ほとんどもう、浦島太郎状態だった。

どうやら市のほうで(というか担当課である教育財務課のほうで)保育料の値上げを画策しているのではないか、
ということであった。「プロジェクト会議も何回もやったし、保護者向けにアンケートもやったし」
ということで、内容のない既成事実は積み重ねたので、もういいだろうというわけである。
次のプロジェクト会議でいきなり言い出しかねない勢いらしいのだが、
まあ、今年度は無理だろうね。

だって、未だに一度も公式な提案はないのである。
あんなにもめた昨年度だって7月に値上げの提案があって、それからもめたのだから、
本当に値上げしたいのなら早くからきちんとした提案をしないと無理だろう。
しかも、こちらも値上げそのものに反対だと言っている訳ではなく、
保育条件を不断に整える過程の中で、必要な値上げなら考えて行きましょうと言っているのである。
全く、話のわからない連中である。

しかし、プロジェクト会議もうかうか休めないなあ。

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ところで、放射能の問題について不勉強である点はこのブログでも何度か話してきたが、
とりあえず何か本を読み始めようと思い、ふらりと本屋に寄ってみた。
そこで、この「つなみ」という本に対面してしまった。

この本は実際に3月11日の震災に遭った子どもたちの手記を集めたものである。
ひと月かふた月か前、ラジオにこの本を企画したジャーナリスト森健さんが出演して、
この本のことを話していた。森さんについては僕は何も知らないが、
のみならずラジオで聞いてもお名前などはすぐに忘れてしまったのだが、
とにかく凄いことをする人がいるもんだなと、感じたのであった。

詳しくはこの本を実際に手に取ってもらうしかないと思うが、
簡単に言うと趣旨に賛同してくれる子どもたちとその保護者たちの了解を得て、
あの日の体験を書いてもらったのだ。
もちろん、「もう思い出したくない」「子どもに思い出させたくない」という人もいたそうだが、
自分から「書きたい」「伝えたい」といってくれる人にのみ協力してもらったのである。

そしてその文章を、すべてではないが、原稿用紙そのまま掲載してある。
子ども達の生々しい筆跡が、活字以上に物語る。
よくある先生が手直しした作文ではない。
全く推敲なしに、たどたどしくても意味が不明でも、そのまま実名で載せてあるのだ。

そんな本だから、歴史上も希有な一冊であることは間違いないし、
子ども達から見た震災ということで、是非読んでみたいと思いながらも、
これまで手にする機会を得ずにいた。

体験そのものは個人的なもので、ここからすべてを語ることはできないとしても、
その個人体験の集積こそがまぎれもない真実なのだろう。
僕はあまりテレビを見ないから、よく語られるような津波の映像も見ていないけれども、
子ども達の文章を、やっぱり涙なくして読み進めることはできない。
恐い体験、嫌な体験もさることながら、人の優しさに触れるような記述にはなおさらである。

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そういえば街頭署名イベントの後の打ち上げでも、震災のことを少し話題にした。
保育士のカッチャンが街頭署名の日直前まで、休みを取って東北を回って、
少しボランティアをしたり、知人を訪ねたりしながら現地を自分の目で見てきたというので、
その体験も語ってもらいながらいろいろと意見交換したのだった。

様々考え方はあるだろうが、可能ならやはり自分の目で見て、肌で感じてくることは大切なのではないかと
その場に居合わせた者は賛同した。そして、今、僕たちにできること、
募金以外に自分たちができることも、現地に行けばよりよく知りうるだろうとも考えた。
もちろん、興味本位で無責任な人がたくさん押し寄せたら現地の人は当惑するだろうが、
そういうことではなく、まじめに何かするつもりで、ということである。

「よくする会でもそういう企画をしてみたらどうか」
そういう意見も出て、それもとてもいいことに思えたが、
実際にはなかなか、現地に行くというのもすぐには実現しそうもない。

くだんの放射能の件だって、仮にこれをそれなりに勉強したとしても、
この問題は震災に起因して発生した事象のごく一部であるし、
現地の人のためになるというよりも、こちらの、もしかしたら過度にエゴイスティックな不安に応える
側面が強いともいえるかもしれないのである。
もちろん、僕自身は国のエネルギー政策(ひいてはライフスタイルとか自然との共存とか)も含めて、
公共的な視点からの、自らの知識獲得や意見形成を目的としているのではあるが。

まあ、とにかく、今できることを地道にやっていこう。
そしてこの「つなみ」の本は、うちの子どもたちにも読ませて、
いろんな話をしていこうと思う。







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平安への願い

ようやく、震災がらみの混乱も落ち着きを取り戻しつつあるように感じる。
日曜、月曜と連休中はガソリンスタンドも大変な賑わいだった。
それは平日に給油できない人(なにしろ大半のスタンドは日の暮れないうちに営業を終えてしまうのだから)
にとってはまたとない機会だったからでもあろう。
それで、ガソリンを必要と考えるかなりの人の車のガソリンタンクに、ガソリンが満たされたのではないか。

ガソリンスタンドの営業時間が延びてきて(タンクローリーが入る頻度が増したこともあるだろうし、
一台あたりの給油量が減って売り切れるまでの時間が長くなってきたということもあるだろう)、
給油の自由度がいくらか増した気がする。
土曜に並んで3000円分(18リッター位)給油できたが、それでは足りないのでもう一軒並んだものの、
2時間くらいでタイムアウト、次の仕事の時間に間に合わないので断念し、日曜にもう一回並んで満タンにした。
火曜にはもうタンクが半分以下になって給油の機会をうかがっていたところ、
夜中、バイトの帰りに10分待ち程度で満タンにできた。

昨夜はバイトに出かけたところ、注文量が半減していて、しかも会社としては派遣社員を雇ったり、
ほかの事業所からアルバイト社員を回したりと折からの仕事量急増に対処していたので、
拍子抜けするほど早く仕事が終わった。
これは、品ぞろえがシンプルになっている(商品の種類やグラム違いを減らして増産や流通促進に動いている)
事もあり、平常時と同じ物量でも作業が単純化されるから時間も短縮できているということであって、
今後また品ぞろえが戻るにつれて作業時間は延びていくだろう。
だが、連日連夜の無理から解放されて気分も解放されたのも事実だ。

(解放されついでに夜中にパソコンの前に座ったのだが、なぜかインタネットには接続できず、
ブログ更新は断念した。最近、つながらないことが多いのはやはり震災の影響なのだろうか?)

いずれにしても風呂桶やドライビングシートではなく、布団でゆっくり寝たのは久しぶりだった。

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まあ、そうやって社会が日常を取り戻していくことが何よりだ。
被災地でないところが平常を取り戻せば、
また被災地に対する復興支援にも余裕を持って当たることができる。

ただ心配なのは、またも被災地でない人々の呑気なエゴイズムで
農産物に対する風評被害とか、水の買い占めとか、あいかわらず混乱の方向へのベクトルが
後から後から出てくることである。

なにしろ、正確な情報に基づいて冷静に分析して冷静に行動する、これに尽きるのだ。
もちろん、情報の出所とか正確性とか、そういうことについても留意する必要はあるが、
手当たり次第に受け取った情報から場当たり的に行動していては、いつまでも混乱は収まらない。
混乱が収まらなければより混乱に拍車をかけることにもなりかねない。

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被災地では、亡くなった方の土葬が始まったという。
新聞で少し読んだ程度で、あまり詳しいことはわからないが、
遺族の方がいらしても今の状況では引き取って葬儀などとてもしてあげられないし、
火葬場も一杯で物理的に無理だし、ということで「やむなし」との思いの方が多いようだ。

また、一般的に考えても、町ごと流されて身元確認もままならない状況も多いのだろうし、
遺体を放置していては腐敗したり、伝染病の発生など、あらたな困難も生じかねないし、
もはや火葬が出来るような数でもないのだろう。

こんなことを言っても慰めにも何もならないかもしれないが、
土葬自体は決して悪いことでははい。むしろ自然の理にかなっている。
人間であれ動物であれ植物であれ、みんな生きものは繋がっている。
死んだあとだって、他の動物に食べられたり、バクテリアで分解されたり、結果として土に帰る。
死骸を食べた微生物なり動物なりも、また他の生物の食物となって生をつないでいく。
あるいは土は植物を育み、その植物がまた動物の生命の源となる。
そうやって生命は連続していくのだ。

確かに、白装束を着せてあげたりお経をあげてもらったり、
きちんとした形での葬儀が出来ないということでの残念さはあるだろう。
しかし、亡くなった方がきっとまた、次の命につながって生きながらえている、
そう思って気持ちを静めていただけたら、と切に願っている。




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暗黒の街

震災からどれくらい経ったのか・・・依然として混乱が続き、
あるいは混乱に慣れてしまったかのような感覚もある。

まず、計画停電が始まって、最初はかなり新鮮な印象だった。
夜の街、信号機が止まって警察官のホイッスルの音が鳴り響く。
街頭も消えてしまっているから街がやけに暗く、
車のヘッドライトだけでは心もとなく感じてしまう。

企業の建物の中はさながら「お化け屋敷」で、
灯りなしで歩くことはおよそ困難な状況となる。

が、ほとんどもう慣れてしまって、それほどの不自由も感じない。

ガソリンスタンド渋滞もおなじみとなった。
列の最後尾を見つけて並んでハザードランプを点ける。
エンジンを切って本を読みながら、前が動くのをひたすら待つ。

ただこちらは時間の浪費でもあり、また仕事の関係上死活問題であり、
一日も早い正常化を渇望している。

ともかく・・・余りに便利に、あまりに明るくなりすぎた現代社会にあって、
もう少し不便でもう少しほの暗い世界であってもいいのでは、と本気に思っている。

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夜のバイトのほうは本当に大変で、スーパーの買い占めの影響で注文が相次ぎ、
毎日、莫大な量の食品をさばいている。
いつもなら20時ころからせいぜい12時ころには終わるような曜日であっても、
19時に始めて翌朝の8時ころまで作業をしないと終わらない。

僕はヒマな日は出勤しないことにしていたのだが、
あの日以来、毎日駆り出され、それでも朝6時からは朝の仕事があるから2時や3時で切り上げ、
ということにしているが、まあ、帰宅してもう布団で寝るなどほとんど不可能。
まず、風呂桶の中で1時間くらいうとうとして、残りの30分くらいを布団で、という悲惨な日々が続いている。
おとついは3時ころから5時半まで風呂桶に浸かって寝ていたらしく、
家人に「仕事に遅れるのではないか」と起こされたのだ。
もちろん、この日は遅刻したが。
遅刻だけでなく、体が冷えて仕方がなかった。

こんな境遇で仕事していると、なにか、災害復興に協力しているような気がしてくるのだが、
もちろんそれは単なる勘違いで、単に災害とは直接は無縁の首都圏の買い物客の、
買い占めというエゴにつき合っているだけのことだ。
しかも、一段落すればガクッと仕事量が減り、出勤するはずの日も自宅待機となるに違いないのだ。
つまり、トータルの実入りは変わらないのに、今が無駄に忙しい、という事態になるに違いないのだ。

今夜もまた、もうじき呼び出しの電話がかかってくるはずだ。

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それはそうと、先日、出勤前のくつろぎのひととき、
所沢のユキさんから電話がかかってきた。
何事かと思ったら、保育園給食の件だった。
所沢では市役所が「保育園給食の材料の供給が不安定なので給食を休止し、お弁当にする」と
突然言い出したそうなのだ。

もちろんユキさんたちは大反対し、「メニュー通り出なくても工夫できる」と、
とりあえずは園対応を勝ち取ったそうだ。
「川越はどんな様子?」ってことで、こちらは変わりなし。
もっとも小学校は弁当になったけど。

いや、何ともお粗末。
カロリー計算が整ってないと保育園給食にならないの?
買い占めの影響で夕方にはすっからかんのスーパーの店頭、みたことあるの?
仕事終わって親が買い物行くころにはめぼしいものはなくなってるんだよ。
それで毎日弁当作るのってどうなのかな?

僕は塩むすびと具のないみそ汁でも充分だと思う。
こんな状況がいつまでも続く訳じゃないから、その間で子どもたちが栄養失調になったりしないよ。
お役人って、本当に保育のことわかってないよな。

というわけで続きはまた時間のあるときに。






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こちらは無事だけど…

大変なことになってしまった。
今回の地震の端緒、僕は「あと少しで勤務終了」という和やかな時間を、職場の休憩室で過ごしていた。
建物の3階でものすごい揺れだったが、まあ、揺れた以外に被害はなかったので
それほどすごいものだとは思わずに次の仕事へと車を走らせたのだった。

カーラジオから次々と情報が繰り出されてくる一方、自分の周りも車が動かなくなってきたり、
踏切は下がりっぱなしで通れなかったり(駅のすぐそばで電車がホームに止まりっぱなしだったので)。
それから、携帯で会社に連絡をとろうにも通じなくなったりで、事の重大性を認識するにいたったのだった。

こちら近辺でも、徐々に影響は広がると思われ、例えば多くの人が食料やガソリンの備蓄へとスーパーや
スタンドに押し寄せているが、その供給体制(生産現場、集荷体制、流通システム、交通機関)は
一部で大きな打撃を受けている。
また原発の事故の影響は、今後どの範囲でどんなことになるのか、想像もつかないほどである。
だが現在は、僕の周りではまだまだ限定的な影響にとどまっている。

現地で大変な思いをされている方々には心からお見舞い申し上げたい。

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今日は久々に夜まで休み。
買い物に行こうと思って休みをとっておいたのだ。
のんびり買い物を楽しむというよりも、シャツとかエンジンオイルとか、
日頃酷使しているものの代替えを準備しておかなければ日常が回っていかないという類のものだ。

夜は夜でまたバイトがあるのだが、こちらは地震の影響で仕事量が増えているらしい。
とりあえず、しばしの骨休みだ。





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やっと秋の訪れを感じられるまでになったというべきか。
それでもまだ昼間は暑くて、汗が目に入って染みること。

今日は神社の掃除当番で朝から子どもたちと出動。
周りの田んぼでは稲刈りが始まっていて今年一番の曼珠沙華を見つける。
神社の境内は落ち葉の季節には程遠く、竹箒でサッサと掻いているうちに終了となった。
マァ、こういうものも参加することに意義がある。

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帰り道、近所の子とおじいちゃんに出会う。
自転車で散歩の途中だったらしい。
わりと最近引っ越してきたのだが、この近辺では僕だって新参者だ。
しばし立ち話。そのうち、子どもたちが落ちている栗を拾い始め、
みんなで栗拾い大会となった。

田んぼのへりの畑の中だから厳密には持ち主がいるのだろうが、
もう手入れをしたり栗の実を収穫したりといった手をかけていないようだ。
「昔はよく栗の実をとって、頭の上にイガが落ちてきましたよ。痛かった痛かった…。」おじいちゃんが言う。
「僕の思い出はやっぱり渋柿ですね。一口ほおばって渋いこと渋いこと。もう、二・三年柿を食べたくなくなるほどで。」
「ああ、なってるのはうまそうに見えるんだよね、真っ赤で。」

世代はずいぶん違うが、まだギリギリ共有するものもある感じであり、
また子ども達にもそういう体験をさせてやりたいということでも話が一致した。
そういう意味でもこの近辺は、まだなんとかその程度の環境が残っている。
それでもちょっと離れたハローワークのあたりでは地下深く掘って温泉を汲みだして日帰り入浴施設が出来たし、
近々ショッピングモールが出来る計画もあるらしい。
また市場のあたりもどんどん農地が宅地に転換されて建売住宅が建っている。
いつまでものんびりと散歩を楽しめるようなところではありえないだろう。

開発が進んで残念なことの一つは、理由のあった土地割りや道づくりが跡形もなくなってしまうことだ。
要するに土地は四角四面に切り売りされ、蛇行していた道路も拡張されて極力まっすぐにされる。
その合理主義が情け容赦なく思え、街がのっぺらぼうにされる気がするのである。

また旅に出たいな。





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