会長うたかた記

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旅の狭間で 番外編

乗り出してしまうとついつい肩入れしてしまい、
予定の時刻を過ぎてしまう。その結果自分の持ち時間がなくなって、
後のことが押せ押せになってしまう。

先日、病院を後にした際もまた、そんな感じだった。
本来ならバスの出る新山口駅に早めに着いて、夕食をとるなりコーヒーを飲むなり、
時間のゆとりが欲しかった。
が、結果としては一本遅い列車で新山口に向かうこととなったのだ。

それも、あえて懐かしい山口線に乗って行こうという趣向であったし、
病院から湯田温泉の駅まで、タクシーに乗れば間に合ったのかもしれないが、
あえて懐かしい旧道を歩いてみたかったのでもあった。
父が存命の頃も久々に帰郷してこの道を通るたび、
「ここはこんなに狭かったのかな?」
と不思議な感覚に襲われた、高校生の頃ならギターケースを担いで自転車で通った、
そんな旧道なのであった。

イメージ 1

歩きながらも、変わったところ、変わらないところ、記憶をたどりながらの道のりであった。
この旧道に限らず、概して町は道が拡大され、あるいは大きな道が路地を切断し、
従来の面影をとどめがたくしている。
今回、旅行者のようにホテルに泊まり、旅行者のように観光パンフレットを手に取り、
随分と観光に力を入れて街並みを整備している様子を見るにつけ、
「もし古い街並みを大切にして観光資源にと考えるのなら、本当はもっとやることがある」
と考えさせられる。それはこと山口に限ったことではなく、川越でも同じことである。

大資本が個人を圧迫し、強者が弱者を圧迫し、街は変わっていく。
また、何を保存し、何を取り壊すかを決めるのもにも強者の理屈がまかり通る。
だから僕などがどうのこうのと口を挟む余地はなく、大体のところはなるようにしかならないのである。
だからこそ、住民が主体となって街づくり、町おこしをしているところはうらやましい。
旅に出て、そんな街、そんな人たちに出会ったときは心が休まるのである。

切り口は違えど、先日山口で出会った月光荘の田中さんも、そんな一人であることは間違いない。
街づくりそのものに携わっている訳ではないが、街に住む人の生活づくりをしているのである。
地元で農薬や化学肥料をなるべく使わない農業をする、伝統的なモノづくりをする、
人間の体にそぐう食べ方の提案をする、地球環境まで含めた提案をする、
そういうやり方で人が住む器ではなく、住む人の生活に訴えをしているのである。

とにもかくにも夕暮れの街を歩く。
何枚か写真を撮ったのだが、二日間の連投で疲弊していたのかISO感度の設定を変えておらず、
なおかつ肩に背負った重い荷物の影響もあってか、ほとんどが手ブレ写真でキレがない。
次にまた訪れる機会があれば、少し散歩の時間を取りたいものである。
ほとんど陽が落ちきったころに湯田温泉の駅に着く。

イメージ 2

「この分では夕食にありつけそうもないな」
成り行き上、新山口(合併前は小郡といったが)への列車を一本遅らせた分、
バスに乗るまでの時間が減り、新山口で店を探している時間がないのでここで簡単に済ませることに。
幸い、駅前に小さなうどん屋が出来ている。以前はこんな店はなかったのだし、
逆にアイスクリームや駄菓子を商っていた商店がなくなって、居酒屋が出来ていたりする。
無類のそば好きの僕も、こちらでは当然うどんである。
つゆも含めてうどんとして完結している。
おにぎりが海苔ではなくわかめなのも山口らしい。
そう、関東の味からするとずいぶんとやわらかい。
店内では男たちが酒を飲みながら上機嫌に語らっていたが、
手早くかき込んで駅に戻る。

楽しみにしていた山口線だが、外も真っ暗だし、特に面白いことはなかった。

イメージ 3

今回、叔父のために作った料理の数々は、自己採点すれば50点くらいだった。
キッチンも鍋も食材も勝手が違い、時間も限られ、なかなか思ったような味が出せなかった訳だが、
本来ならどんな環境でもそこそこの味を出すのがプロというものだ。
その点からすると、まだまだアマチュアだなと反省しかりであり、
日々研鑽してレベルアップをはからないといけない。
と同時に、叔父との関係でも、おいしい料理を食べてもらって、
自分から進んで食養の道を歩んでもらいたいというのが希望である。
近いうちにまた、リベンジの機会を持ちたいとも思う。

これまで、忌のきわへとむかう人を望みもしないのに何人も見てきたが、
そうなるともう、人間は無力である。自分しかり、患者しかり。
僕はいつも「生きているうちが花だな」と、自分にいい聞かせるのである。
その一歩手前でも気づいてくれれば、まだ選択肢はないわけではない。

バスは途中、広島で結構長い休憩をとった。
多分、広島から乗車する人への案内(出発時間)を、余裕をもったものにしているのだろう。
広島駅は新山口などと比べるとはるかに活気があり、遅い夕食をとる人のためにまだ開いている店もあった。
おなかにうどんが入っていなければお好み焼きでも食べたいところだったが、
まあ、これも次の機会の楽しみかな。






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旅の狭間で その2

明けて雨。
午前中に祖父母の墓参りを済ます。
なかなか帰郷の機会もなくなっている上、ここは中心街からかなり奥まった場所にあるゆえ、
そうそう来ることができない。が、墓地としてはかなり雰囲気のあるところで、
先祖と向き合い、また自分と向き合うにはまたとない場所でもあるのである。

それから病院で叔父の奥さんと落ち合い、叔父の家へ向かう。
今日も多少、料理をして食べさせる趣向である。
ちょうど昼食時で、家で作って食べるか、それともあるレストランに行くかと話になる。
あるレストランというのは僕の話で思い出したらしいのだが、
彼女が2年位前に自然食のレストランに行ったことがあり、
まだやっているかどうかはわからないが、やっているのならどうか、というのである。

僕はまさか山口市内にそんな店があるとは思いもしなかったので、
二つ返事でその店に行くことを希望した。
すぐに電話をかけてくれたらまだ営業しているという。
「まだ営業している」とは失礼な話だが、この業界(飲食、ましてや自然食)は厳しい。
2年前にあった店が今もあるという保証はないし、
逆に言うと、この街で少なくとも2年間営業を続けているというのはそれだけで拍手ものである。
そんなことを話題にしながら店に向かう。

イメージ 1

その店は「月光荘」という。
大学の通りのビルの2階にあり、通りすがりにひょいと人が入るような立地ではない。
口コミや大学が近いということで、常連の若者が多いのかもしれない。

メニューはランチが三種、それにカフェメニュー。
夜はバラエティが広がり、肉料理も多少出て酒、そして時々はライブもあるらしい。
マクロビオティックではないが、方向性としてはそれと近い自然食料理だ。
素材や調味料は相当にいい物を使っている。
近隣の生産者さんともいい連携ができているようだ。

玉ねぎのフライのプレートをオーダーして叔父の奥さんと話しこむ。
彼女も僕の作った玄米粥を食べてみて違いを感じたからかもしれない。
芳ばしく甘みが強い。そばで僕が作るところを見ていたのだが
「あんなに強火で圧をあげたことはない」というのだ。
つまり、デンプンを完全にアルファ化するような炊き方ではなかったのだろうし、
塩を入れないから玄米の甘みを引き出し切れなかったのだろう。

多少なりともやってみようという方向になったのはよかった。
それならそれで応援のしようもあるというものだ。
医者から言われていることもいろいろあって、それと整合性を図って行くことは難しいが
(つまり、たくさんの情報を、彼女が今の境遇で、整理して理解して行くことは荷が重いと思うのだ)、
できることからでよいではないか。
話をしながら訂正したり補足したりしたいことはたくさんありながら、
僕もそれをぐっとこらえて、今彼女にできる最低限のこと、それでいて大切なことを絞って、
彼女に伝えていこうと思うのだ。

プレートを平らげたところでコーヒーもオーダーしようかということになり、
忙しく一人で切り盛りしているオーナーの田中さんを呼ぶ。

イメージ 2

ちょうど、ランチタイムの終わりの時間で調理のほうは一息ついたとみはからって、
少し話をしてみる。
店を始めるきっかけとか、山口での農とタイアップした取り組みとか、お酒の話とか。
ここでも地道にいろんな人がいろんなことをやっていて、彼がそれをつないで情報発信しているようだ。
それにしてもケーキまで手作りで、営業時間を考えると一日中、厨房に立ちっぱなしではないか、
と尋ねると、一日中どころか倒れる寸前までヘロヘロになっているそうだ。

同好の士というか、彼のやっていることもよくわかるし、この料理がいかに手間がかかるかということも
十分にわかるし、なによりもこの保守的な(政治的にはもちろん、出る釘は打たれる風土の)山口で、
踏ん張って横のつながりを作って情報発信して、ということで、
僕としても大いに共感したのであった。

それで話の成り行き上、真昼間からではあるが山口の地酒を飲むことにして、
彼お勧めの「身土不二」を冷でいただく。それも、今の時期限定、数量限定の生絞りだ。
強烈に甘くてコクがある。甘露美味。
そもそも山口の酒は甘いらしい。それは日本酒新参者の僕は知らなかったのだが、
もうひとつメニューにあった「金雀」の山廃というのがさらに甘露らしく、
次に帰郷の折はぜひと誓いつつ田中さんに挨拶して店を後にする。

叔父の家で簡単なものをぱぱっと四品。
それを持ってまた病院に向かう。

イメージ 3

実は叔父は前日僕が初めて見たときよりかなりよくなっている。
顔に血の気が戻り、ヨボヨボだった手の甲に少しだが張りが出ている。
それは、日ごろ来ないような人が入れ替わり訪れて興奮したり気をよくしたということもあるだろう。
しかし、一番は体に塩が入ったことだろうと思う。
海から来た人間の細胞は塩で動かされている。
ところが病院の方針は減塩、減塩だ。
ただでさえ一日1リットルも補液(点滴)され体液の塩分濃度が薄まっているところに、
塩気も何も感じられない食事だ。おいしく感じるわけがないし、なかなか元気にはなり難い。

今回、たった2回(夜と昼)とはいえ穀物(玄米粥)が入り、塩辛い料理で食が進み、
鉄火味噌(これは取り急ぎ自然食品店で購入したものだが)が入って体が温まったのだと思うのだ。

夕食の一品には「ごま塩」も作ってきた。
本来なら真っ先に作らなければならないのだが、叔父の家にすり鉢がなかったので調達してきたのだ。
6時になり病院の夕食が運ばれてきて、僕の作ってきた料理とあわせて食べ始めたのを見届けて、
病院を後にした。



追伸
バスは朝9時過ぎに新宿に着いた。
今日まで休みを取っていたので午後からニュース「こそこその森」の印刷をした。
ちょっとした手違いにより手書き部分が発生してしまった。
きれいな字なら手書きも味があるのだが、まあ、会員の皆さんにはご容赦願いたい。




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旅の狭間で

今日は川越の地を遠くはなれ、生まれ故郷である山口に来ている。
といっても、もはや存在基盤を失っているので湯田温泉の地に逗留しているのである。

こちらへは昨日の夜、夜行バスに乗り、今朝到着した。
バスを選んだのは旅費を圧縮したかったということもあるが、
バスに乗ってみたかったというのもある。
アメリカのテレビドラマ「逃亡者」でリチャード=キンブルが、
しばしば長距離バスで街を離れるシーンがみられる。
そういうのにすぐに影響されてしまうのだ。

もとより僕は旅好きなのだから、以前は帰省の折には夜行寝台特急を利用したりもしていた。
しかし月日は流れ、東海道・山陽路の寝台列車はなくなってしまった。
それどころか交通機関であれ街であれ、今の世の中変わらずにいるものはほとんどないのである。
それならそれで時代に応じた旅情を発見して行くしかないのである。

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今回の旅の目的は叔父の見舞い。
病に倒れ、何度となく医者に「覚悟」を求められたということなので、
せめて意識のはっきりしているうちにとの思いもあってやってきたのだ。

二十数キロやせて骨と皮ばかりになっていたが、幸いなことにかなり回復していて、
会話もできるし、おかゆ程度の固形物も食べられるまでになっていた。
が、病院の飯がまずいといってほとんど手をつけないらしい。
確かに、まったくおいしくなさそうだったし、なにより叔父の病気にしては相当に陰性な食事で、
もっと濃いもの食べないと元気でないでしょ?って感じだったのだ。

それで急遽食材を調達し、叔父の家のキッチンを借り、
何品か料理をして病院へ持っていった。
本当は玄米粥とごま塩くらいで十分なのだが、一般の食事をしている人にそれも酷なので
おかずや味噌汁も作ったのだ。

これで「おいしい」となって本気で取り組む気になってくれればしめたものだが、
元来わがままな人なのでそうはなりそうもない。
今日のところはそれなりに食べていたが、それは僕の料理などものめずらしいのと、
なにより作った張本人が目の前にいるからで、そう長続きするはずはないのだ。
まあ、自分の寿命は自分で決めることだから、僕のできることには限りがある。

イメージ 2

不器用だが自由奔放に生きてきた叔父であるが器用なところもあって、
僕が小さい頃、うちに来て、その場の思いつきで麻婆豆腐をササッと作ってくれた覚えがある。

そういう記憶をたどって行くと、まったく違うタイプの人生を歩んでいるようでありながら、
どこか重なり合うところがあるように感じられるのも不思議である。

それから叔母と叔母の娘(僕からするといとこになるのだが)とその子どもたちが病室にやってきたが、
その子どもたちがうちと同じ四人姉妹だったのもちょっとびっくりだった。
いとこといっても日頃、これといった付き合いがあるわけではないから、
子どもが何人いるかなんてまったく知らなかったのだ。
詳しくは聞かないが、幸せな人生を送っているようだ。

イメージ 3

久々の故郷の町だがゆっくり歩いている暇もない。
またゆっくり訪れる機会を待つとしよう。
明日は再びバスでこの街を離れるのだ。



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今日は夕方から市役所へ。
先日取りまとめて署名活動も開始した今年の対市要請項目を、担当課へ持って行ったのだ。
保育課からは課長と副課長が、こちらからは僕を含め計4名が参加し、
要望書を手渡すとともに趣旨説明を行った。

今後、庁内各課で関係する項目について検討が行われ、決裁の必要なものは決裁を経て回答がなされる。
対市交渉は11月16日からの週になりそうである。

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市役所には少し早く着いたので、玄関のあたりをうろついた(怪しいなあ)。
NHK朝の連ドラ「つばさ」は放送を終了し、今日から新しいドラマにバトンタッチしているところであるが、
市役所の玄関に貼り出された「つばさ」のポスターもすっかり日焼けして色が醒めてしまっている。

それから玄関の脇に太田道灌の銅像があるのだが、眺めていると結構、見物している人がいる。
銅像とみると見物する習癖なのか、それとも太田道灌がエライのか。

考えてみると僕はこの太田道灌なる人物の誰であるかを全く知らない。
名前だけはいたるところで聞くのだが、はて、いつ、何をした人なのか、武士なのか学者なのか…。
これほど名を知られていながら功績を知られていない人もまた珍しいのではないか。
(って、知らないのは僕だけか。確か江戸城がどうのって…)
銅像は弓矢を所持しているから、うがった見方をすれば狩人のようでもある。
また、腰の刀は「名刀」というには野太く、菅笠の風情ともあいまって埴輪(ハニワ)のようでもある…。
身につけているボトムスはなんと、バギーではないか。

イメージ 2

太田道灌といって思い出すのは、若い頃に訪れた「道灌の湯」だ。
学生だったのだろうか、暇にまかせて夜中に車を転がしていたが、
営業時間終了後から次の日の営業時間まで、一番安いファミリアを格安で貸してくれるレンタカー屋があった。
仲間とワリカンにすればいくらでもないような額だったと思う。

あれは記憶に間違いがなければ伊豆の熱川(あたがわ)だ。
熱川は僕たちが訪れるより数年前にホテル火災があって、まだその一角が更地だったように記憶しているし、
そのほかにも営業をやめてしまったホテルがあったりと、
お世辞にもはやっているとは言えない雰囲気だった。
訪れたのが夜更けだったからかもしれないが温泉場にしては人影がない。

その、国道より海側に少し下がった温泉街の中心の広場に、「道灌の湯」という無人の公衆浴場があったのだ。
四角いコンクリートの建物で、外観からは浴場というよりは公衆便所に近いかもしれない。
入口にヌリカベのような扉?か壁かがあって、そこに横長の四角い穴が開いている。
もしかしたらそこから利用料を入れることになっていたかもしれなかった。

中に入るとすぐ、右の壁に沿って下へ階段があり、踊り場を180度折れ曲がって下ったところがすぐに浴槽。
つまりコンクリートの壁がそのまま浴槽になっていて、右手に猫の額ほどの長細い脱衣場があるほかは洗い場すらない。
その脱衣場のさらに奥手に木の扉があって、その向こうが女湯になっていた。
その扉を「バタン!」と開けたように記憶しているのだが、それは一緒に行ったグループのなかに
一人か二人か女性がいて、その子が「誰もいない」と言ったから開けたのかもしれなかった。

「コエーッツ!!!」叫び声をあげながら僕たちは逃げた。
何が怖いって、そのたたずまいが尋常ではない。
霊が漂ってる?そういうこともあるかもしれない。しかしそれ以上にその建物の構造だ。
何が悲しくてこのような恐ろしい構造になっていたのだか。
以上の記述はもう20年も前の記憶だから間違っているかもしれないが、
そのような光景として目に焼き付いているのだからそれほど大きくは違っていないと思う。

最近、廃墟探訪がブームになっているようだが、言ってみればその走りといえる。
まだ営業していたし、何人か男湯には人がいたのだから廃墟ではないのだが、
そのしびれ加減たるや、間違いなく廃墟探訪のものだろうと推測している。
まだあるのだろうか。

イメージ 3

と、太田道灌からとんでもない思い出話になってしまったが、
この温泉とて何故「道灌の湯」なのか、ウンチクは入口に掲げられていたようにも思われるが、
そんな理屈を超えた何かがある。


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昨日までの雨がうそのように晴れ、気持ちよく百万灯まつりに行ってきた。
いやなに、夕方になってから涼みに出かけた程度のことで、お祭りを楽しむというほどのことではない。

個人的にはこの百万灯まつり、あまり乗り気ではない。
色とりどりの提灯を照らし出すのは電球の灯り。
なんとも安っぽい。
尤もこのまつりの主役は提灯ではなくダンスのようだが。
だとしたら百万は大げさだろう。

なにしろ故郷の山口には「提灯まつり」というのがある。
赤地に白抜きの提灯はすべて、本物のろうそくが灯されている。
竹の高木に鈴なりとなった提灯、街じゅうが提灯に埋め尽くされる。
闇夜に浮かび上がる無数の赤い提灯。最高に幻想的だ。
まつりが終わるころになるとろうそくの火がついて燃え落ちる提灯もあらわれる。
意味もなく友達と夜道をうろつきまわったっけ。

いつか子どもたちを連れて行ってやれる日が来るだろうか。

イメージ 1

さて、会津行の完結編。
二日目は7時から朝の体操。これをすべて朝っぱらからやるのはキツいなあ、という程度。
全部でなくとも、ということらしい。

朝食もお膳、カボチャ入り玄米がおいしかったが、一般のお客さんたちは畑で採れた野菜も使った
バイキングらしい。
忙しいがすぐにチェックアウト。3連休最終日ということで復路の混雑が予想され、急いで帰りたい人もいる。
ホテルのバスですぐ近くの土津(はにつ)神社を案内していただく。
会津藩主松平家墓所ということで、宮家の植樹などもあり気の高いところと見える。

それから猪苗代駅へ。ほとんどの人が郡山から新幹線で帰京するというので快速会津ライナーに乗車。
なんと、国鉄色そのままの電車寝台特急(583系といったか?)の車両を使用しているではないか。
こんなところで最後のお勤めとは嬉しいような悲しいような。
学生時代、あえて寝台の3段の最上段に席を取ってみた。
狭いよ。いまでいうところのエコノミー症候群になりそうな感じ。
でも、もう寝台がセットされることもないんだろうな。

イメージ 2

最後に残ったのは小野さんと僕と女性が一人。
僕は夕方の特急会津を予約しているし、小野さんたちは車で帰るというので、少しばかり案内してくれるという。
一人で放っておいてもらって一向に構わないのだが、小野さんのホスピタリティをありがたく受け入れることとした。

野口英世記念館などはすべてパス。
アメリカ行きの渡航費用をすべて芸者遊びに使いこんだなど、人間的な魅力は感じるが、
さりとて彼が使った顕微鏡などを眺めるような酔狂は持ち合わせていない。

天鏡閣という、いわゆる和洋折衷建築を訪れることに。
僕はこの手の歴史的建築物や産業遺産なども結構好きだ。
で、この天鏡閣は有栖川殿下の別荘として作られ、昭和天皇が新婚旅行の途中28日間、ここで過ごされたという。
天皇が現人神だった時代、若かった両陛下のハネムーンはいかがだっただろうと想像してみる。
ほとんど初対面でひと月をここで過ごしたのだろうか。
現代の僕たちとは身分も暮らしも世界観も全く違う遠い世界の出来事だ。

猪苗代湖畔を少し見学して会津若松に向かう。
猪苗代湖は・・・水が赤っぽかったよ・・・。栄養が豊富なのかな。
会津若松では御薬園(おやくえん)という、庭園兼薬草園を見学。
由緒ある藩には必ずこのような庭園があるな。

小野さんたちと別れたのは2時を回っていたから、特急の時間まで2時間を切っている。
残念ながら放浪というほどの放浪は無理だな、残念ながら。
とりあえずうろつく。会津塗の問屋を何件か。日本酒の蔵元もあったがタイムオーバー。
車じゃないのにな。試飲して買えるチャンスはこの次のお楽しみとしよう。

かなりギリギリで駅に着くと、切符には38分発と印刷されているのに37分発の電光掲示板。
乗ったらドアが閉まる勢いのタイミングだったから、制限時間いっぱい会津を満喫したともいえる。

イメージ 3

観光スポットを回るのもよいのだが、
人が生活している街に潜行するのが僕の好みだ。
そういうところでこそコンパクトカメラが威力を発揮する。


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