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安倍首相が参院選を念頭に「憲法改正」に前向きな発言をし始めた。 過去、特定秘密保護法や安全保障関連法など、選挙前にはほとんど触れなかったことを、 選挙が終わったとたんに国会の最大課題としてゴリ押ししてきたこと思えば、 選挙前に口にするだけマシとする向きもある。 しかし、これをもって姑息さが減少したと考えることはできないと思う。 むしろ図々しさが増したと見るべきではないか。 つまり国民をバカにしているのだ。 「これくらい言っても大丈夫だろう」と。 選挙で勝つことを見込んで、そのうち、 「俺、ちゃんと選挙前に言ったもんね」 と開き直ってやりたい放題をやる。 「国民の承認を受けている」という訳だ。 だが、憲法というのは国のあり方を定める根本法だ。 「憲法改正」という枠だけ示して選挙をやって、 数か月くらいで行け行けドンドンで進めていいものではない。 国のリーダーが「この国をこういう国にしたい。そのために憲法のこの部分をこう変えたい」 としっかり示したうえで、国会は元より国民間でしっかり議論をし、 数年かけて成案を得ていく、というくらいの課題といっていいだろう。 もっとも、安倍首相という人は、 従来の政府の憲法解釈を周囲の専門家のいうこともきかずに閣議決定だけで変更したり、 憲法学会で圧倒的に違憲論の強い「安全保障関連法」をゴリ押しして制定したり、 参議院議員からの臨時国会の召集要求を踏み倒したりと、 立憲主義、議会制民主主義をことごとく蔑ろにしてきた人だ。 政治家として「憲法改正」を口にする資格はないというべきではないか。 さらに大前提として、今の国会は「違憲状態」の選挙で当選した議員で構成されている。 最高裁が重ね重ね「違憲状態」と表現しているのは、「違憲」と言ってしまえば選挙が無効となり、 国政に様々な混乱が生じるであろうことを慮って、国会に自ら違憲状態解消のための立法を行ってほしい、 との趣旨であって、要するに「違憲」=憲法違反なのである。 とするなら、本来的に憲法違反の選挙で選ばれた国会議員が憲法改正に携わることは 背理ではないかと思える。 もし本当に自民党が憲法を改正したいのなら、 まずは選挙制度改革を行うべきであろう。 憲法の要請する投票価値の平等というのは、 格差が「1:2」以内に収まればいいというものではない。 国民一人一人の持っている選挙権の価値が等しい状態、 つまりは、なるべく「1:1」に近づける努力が必要である。 そして投票価値の平等だけでなく、 国民の意見がなるべく反映されるような選挙制度が望ましいのではないか。 小選挙区制のような死票の多い制度ではなく、 世論動向が議会構成に反映されるような制度が望ましいと僕は思う。 いずれにしろ、自民党は選挙制度改革を行った後に、 もしまだ政権党にとどまっていることができているとしたら、 “人物”を総裁に選び、首相に指名すべきだ。 その人がしっかりと憲法改正のビジョンを示し、 国民の声を反映した国会できっちりと議論をして発議し、 並行して国民間でも議論を積み重ねたうえでようやく国民投票ということだろう。 安倍首相が在任中に憲法改正というのは無謀だ。 |
政治や経済、平和の問題
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北方・沖縄担当島尻大臣が「翁長知事の姿勢が振興予算の額に影響を与えないとはいえない」旨発言した。 下品だ。下品のきわみだ。 沖縄振興予算は何のために出しているのだろうか? 振興の必要があってそれに足りるだけの予算を付けようということだろう。 知事が「沖縄を振興しない」といっているのならともかく、 その逆であり、そのやり方が政府と違うというだけのことだろう。 それでなぜ額を減らすのか。 知事の後ろには国民(自民党支持者も含め)がいることを忘れているのではないか。 それとも、脅して県民感情を知事から引き剥がそうというのか。 いずれにしろ、一国の大臣が言うことではないだろう。 しかも、自分の中の「空気感」って何だ? 個人の気分が公務である予算の配分に影響するのではたまらない。 何様だと思っているのだろうか。 「あんたの金じゃないだろう」といいたい。 皆さんも考えてみてほしい。 沖縄の予算だから縁遠く感じるかもしれないが、 例えば大臣の気分しだいで子ども手当ての額や健康保険料を増減されたらかなわないだろう。 極論すればそういうことと変わらないことを言っているのだ、この人は。 自分たちが上から目線で金を分配してやろうという気分でいるからいけないのだ。 「国民の負託を受けている」という立場など、最初から認識にないのだろう。 石原氏だったかな、放射線汚染物質の埋め立て場候補地に関して 「最後は金目でしょ」みたいな発言したの。 要するに国民との関係をそういうレベルで見ているということだ。 国民一人ひとりの感情や暮らしのことなど眼中にないのだ。 政権はどんどん横柄で傲慢になっている。 島尻大臣の発言をささいなことと許してはならないと思う。 |
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昨日の講演会の後に事務局の何人かと夕食がてら話しをしにいった。 あるお母さんが「乗せていって」といった。 これは僕はとてもいいことだと思う。 最近は人間関係が難しくなってしまって、 プライバシーやらセクハラやら、いろんな配慮をしていると、 うかつに何かを訪ねたりしがたいものがある。 また、保護者会なり何なり、団体的な活動もすんなりとはいかなくなっている嫌いがある。 「密な人間関係」に対して抵抗感を持つ人が増えたのではないかと、 僕などは一応疑って、おそるおそる呼びかけている次第だ。 それでいて、メールやSNSという人を結び付けるツールは発達しているから、 その中での人間関係の悲喜こもごもも語られる。 昨日の松居先生のお話の中でも 「相談できる友達を作りましょう」 と呼びかけがあったが、本当にその通りだと思う。 特に子育ては一人では難しいから、助け合える仲間が必要だ。 気軽に「乗せていって」といえるような、 リアルな人間関係を大切にしたい。 ところで、今一番の政治問題といえば「軽減税率」だろう。 消費税を10%に上げたときに低所得者層への手当てとして「軽減税率」を導入するのか、 導入するとしてその対象品目をどうするのか、自民党と公明党の駆け引きが続いていた。 公明党は前々から「10%に上げたときには軽減税率導入」と掲げていたから、 これに関しては一歩も引かない構えだ。 そんなさなか、先日「荻上チキのセッション22」というラジオ番組を聴いていたら、 100人くらいの経済学者に軽減税率導入に賛成か反対かのアンケートを行い、 それを元にその日のセッションを組んで放送していた。 大半の学者が導入に反対、正面切って賛成という学者はかなり少なかった。 それぞれ、理由は様々だし、そのニュアンスも、単純に賛成反対ということではないようだ。 例えば、「そもそも消費増税には反対だが、やるんなら軽減税率導入に賛成」とか。 ただ大切なことは、こういう専門家の意見も聞きながらもう少し慎重に議論すべきではないか、ということだ。 僕も、先の賛成論と同じで、10%に上げるなら何とかしないと、 実質賃金が目減りしてかなわないなと思っていた。 何しろ、安倍労働組合委員長がいくら経団連会長に賃上げを要請しても、 それで賃上げになるのは一部の上場企業の正社員だけなのだ。 中小零細とかハケンとか非正規とかイタクとか、そういう者には何の恩恵もないし、 トリクルダウンなんていつまで待っても起きやしない。 しかし、番組に電話出演した学者は違う処方箋を示していた。 「軽減税率を導入しても、逆進性の解消の効果は乏しく、税収が減る上に莫大なコストがかかる。 それよりも所得税で調整し、場合によってはマイナスの課税、つまり税制に載せた形での給付をするほうがいい」 大体そんな話だったと思う。 確かにその方法なら、低所得層には厚く手当てし、高所得層には課税を強めることができそうだ。 つまり、この方法に限らず、いろいろな方法がありうるということだ。 どうしてそういう議論をきちんとやらないのだろうか。 大体、選挙で創価学会の応援がないと困るという理由で国家の施策が左右されていいのか。 (もちろん、政治ってそういうものだが。) そして、テレビや新聞も、ことこの話題に限っては自公の確執ばかり取り上げているではないか。 国民が本当に知るべきことはそういうことではないのではないかと思う。 当然、そういうことも投票の際の判断材料として知っておくに越したことはないが、 「税制のあり方」とか、もっといえば「税と社会保障の一体改革における制度の方向性」とか、 根源的な問題提起が必要だったのではないかと思う。 戦後からこれまで、つまり日本の政治に民主主義という制度が導入してからずっと、 よくないことはたくさんあったにしても「おまかせ民主主義」でも何とかなってきた。 それなりに野党も力を持ち、政権党の中でも力の駆け引きがあって、 誰か一人が圧倒的に権力を持つということが少なかったからだろう。 また、前後の「国力ゼロ」というようなところからのスタートで、 経済を発展させればそれなにり恩恵が国民のかなりの部分に及ぶということもあっただろう。 しかし、小選挙区制の悪弊で自民党の中での力のバランスが崩れているといわれる。 また、経済発展など、本当はもう、それほどは期待できないはずだし、 仮に富が増えていくとしても、再分配機能が効率的には働かないので、 強いものがより強く、弱いものはより弱くなっていくのが大まかな傾向のようだ。 「おまかせ民主主義」はやめよう。 いやなことはいやだと言おう。 |
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今日は午前中仕事がなかったので子どもたちを連れて、 先日紹介した埼玉県平和資料館に行ってきた。 長女はサンバで忙しくてパス、 小学1年生にはちょっと難しいかなと思ったが、 「父親と行った」という記憶がメッセージとなることもあるだろう。 この資料館は高坂というところの緑豊かな高台の上にある。 記録的な猛暑日が続いているといわれるが、 ここでは日本の夏らしい空気が漂っていた。 すぐ近くに子ども動物自然公園があるので、 家族連れなら一年中楽しめる。 「晴れなら動物公園、雨なら平和資料館」という組み立てもありだろう。 (夏はその逆?) さて、平和資料館の展示は大きく分けて常設展、企画展、展望台の三つだ。 展望台は本来の筋から言えば余禄だが、関東平野一円が望めてなかなか気分がいい。 常設展はタイムトンネルをくぐって昭和の生活にタイムトリップするという趣向だ。 戦前の穏やかな生活からだんだんと軍靴の足音が大きくなり、 初期の戦勝ムードから戦時統制、本土空襲、沖縄戦、原爆投下、終戦と 一連の流れがたくさんの資料とともに示されている。 会場の一角には小学校(国民学校)の教室が再現され、 ビデオスクリーンで当時の授業を模擬体験することができる。 そして空襲警報が鳴ったら防空壕に避難するという徹底ぶりだ。 僕も防空壕の中の土嚢の上に身を丸めてみた。 スピーカーからではあるが、上方では米軍の爆撃機の音、 爆弾が空気を鳴らして落ちてくる音や振動、 どれだけ不安な思いで時をやり過ごしただろうか。 また、戦前の民家の居間の様子と戦中の居間がセットで再現されている。 戦中は暗い。管制灯火だ。 そして丸いちゃぶ台にのっているのはすいとんである。 このように、徹底的にリアルに疑似体験できるように作られているのだ。 もちろん。今戦争が起きたとすると当時とは全く違った形になるだろう。 しかし、戦争の悲惨さは昔も今も微塵も変わるものではない。 一応、館内は撮影制限が設けられており、 常設展は許可を得ればスナップ程度には撮ることができる。 企画展は撮影禁止だ。 今回の企画展「祈り―受け継ぐ思い―」、 これは本当に胸に響いた。 千人針や日の丸への寄せ書き、当時、出征する兵士へどこでも行われた。 それは当時の「日常」生活のほんの一端であった。 出征前に万歳で見送り写真撮影、 その写真の裏には「戦死」の文字。黒髪を切りお守りとともに二首の歌を添えて恋人に送ったお守り袋。 二人の若者の写真、それぞれの写真の周りには本名、戦地と内地とでやり取りした手紙、 千人針の弾除け、日の丸の寄せ書き、死亡通知書など、 短かった彼らの生涯の最後の一年間がしのばれる展示がなされている。 語り掛けてくる70年前の真実を前に考えなければならない。 安倍首相を筆頭に自公の議員の多くが「平和を守るために」「国民を守るために」 安保法制が必要なのだという。 しかし、本当にそうなのか。 現状で日本が中国に侵略される危険性と、米軍どっぷりになってイスラム国などのテロ攻撃を受ける 危険性はどちらが高いのか。 冷静に考えて今回の安保法案で日本を守ることができるのか、 体よく利用されて出すものだけ出さされるのではないか、 そういうことを突っ込んで議論すべきだ。 僕は自公の議員の「戯言」であって、 言葉をもてあそんでいるだけのように思えてならない。 ちなみにこの施設は県の施設である。 今回はひととおり概観した程度で、 まだまだ、説明ビデオあり、戦争体験者の体験談や未来へのメッセージビデオあり、 オリジナルのアニメ映画の上映会ありと盛りだくさんで、 さらには資料コーナーもあったりするから何度でも通って子どもたちと勉強したいところだ。 ところで、こんな素晴らしい県の施設、今度の知事選で誰が知事になるかにより、 何か影響を受けないとも限らない。 なにしろ『はだしのゲン』ですら問題とされて図書館から放逐されかねないご時世だ。 県知事選にもおおいに関心を持っていこう。 |

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今年は戦後70年という節目の年であり、 また、8月6日、9日、15日と 節目になる日が続くとあって、 テレビやラジオでも様々な特番が企画されている。 また東松山の埼玉県平和資料館でも 「戦後70年 祈り―受け継ぐ思い―」 という企画展を開催中らしい。 厳しい言論統制の戦時下で、 戦地へ肉親を送り出す家族たち。 「生きて帰って」とは口が裂けても言えないその思いを、 千人針や弾除けのお守りに託した。 そんな遺品を題材に人々の祈りと思いを考察する企画だそうだ。 参議院の質疑で自民党の森議員から 「お母さんから徴兵制が敷かれるのではないかと不安の声がある」 と問われ、安倍総理は 「徴兵制が敷かれることは絶対にない。徴兵制が本人の意思に反する以上は、 どんなに情勢が変わっても合憲となることはない」旨答弁したようだ。 僕は例によってニュースでチラリと聴いただけなので全体がどんなものだったのかはわからない。 が、安倍総理は憲法18条(意に反する苦役の禁止)を念頭に置いているようだ。 徴兵制というのはいやおうなく国民に兵役を課すものであるから、 憲法学会の圧倒的多数は18条違反との解釈だろう。 安倍総理もこの点ではこの通説に従うということだ。 しかし面白いのは、「どんなに情勢が変化しようとも」などと条件を付けていることだ。 これは従来、憲法9条の解釈として集団的自衛権は認められないと政府自身が繰り返し述べてきたものを、 「情勢が変わった」として解釈変更したこととの比較であげつらわれるのを、 先回りして予防線を張ったものとも考えられる。 しかし、この人のいうことを信じてはならない。 側近中の側近が「法的安定性は関係ない」というくらいだ。 何かのくだりでもっともらしい理屈をつけて 「憲法18条は必ずしも徴兵制を排除していない」 などといい出しかねない。 いや、もっと恐ろしくて現実味があるのは、 憲法18条のもとでは認められない→憲法18条を変えちゃえ! といって9条ともども葬り去ることである。 何しろこの人は戦後レジュームを脱却して「一人前の国」にしたいと願っている人だ。 国防軍を組織し、必要とあれば国民に兵役を課すことなどは 「一人前の国」として当たり前だと思っているかもしれない。 そこに至るまでに、というかそれを容易にやり遂げるために、 マスコミを叩いて騒がせないようにし、 特定秘密保護法でいつでも反対者を逮捕できるようにし、 「教育改革」で道徳教育を一般教科化しようとしているのだ。 いずれ道徳の時間に「国を守ることの美徳」なども説かれることになるだろう。 その頃には教師の政治的自由を奪い、なおかつ反対する教師には免許を更新しない、 ということにもなっているかもしれない。 尤も、徴兵制採用以前に、アメリカ式に貧乏人の子弟を軍隊(わが軍)に送りこむ算段が先行するだろう。 つまり、誰も戦場に行くことになるかもしれない自衛隊に志願はしたくないのだが、 安定した待遇や何らかのインセンティブ(奨学金とか大学院での研究の保証とか)をちらつかせて お金のない若者の有力な進路選択とするのだ。 もちろん、お金持ちの議員様様の子弟さまは軍隊など行く必要はない。 もし軍隊に関わるとしても幹部候補生として戦場には行かない側だ。 自衛隊が海外展開することとなれば、 こういうことが起こるのは時間の問題だ。 例えばアメリカ軍の若者にどれだけ戦死者が出ていて、 戦地から帰還した膨大な数の若者が自殺をしたり精神的に苦しんだりしているということを、 数年後の日本の現実として想像してみるべきだ。 (徴兵制が敷かれることは)断じてない、絶対にない、 このように断定する時ほど根拠らしい根拠は持ち合わせないものなのだ。 皆さん、戦争法案は国民を守るためのものでもなんでもない。 この国会限りで息の根を止めよう。 |

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