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今日は“川口たたら祭り”で、 自由の森中学3年生の長女もサンバ音楽隊の一員として参加してきた。 何とか仕事の都合が付けば応援にと思ったが、 残念ながら時間的に間に合わない感じで断念した。 サンバをやるにも合宿があったり衣装を作ったりとお金がかかる。 働ける限りで働いて資金を捻出しないと、と思っている。 どちらも大切な応援に違いないが、 実入りの少ない僕としてはなかなか両立しがたいものがある。 また、浅草サンバカーニバルのときは休みを取って応援に行こうか。 さて、先日、公明党の参議院議員若松謙維氏の発言 「政府の努力を覆すような報道はフェアでない」 について、このブログで批判した。 また、自民党の若手議員の勉強会でも 「マスコミを懲らしめる」「広告収入が入らないのが一番堪える」 などの発言があった。 若手議員といっても、その急先鋒は分別を持つべきいい歳をしたオッサンで、 当選回数が少ないというだけで若いわけではない大西という議員だった。 こういう発言をどう考えるべきであろうか? 僕は議員の根本的な資質に関わる重大な問題だと思っている。 民主主義の制度の下では、あらゆる政治的な事項は最終的には多数決で決まる。 その結論も重要だが、そこにいたる課程(プロセス)こそ民主主義の命である。 決を採るまでに、賛成の人も反対の人も条件付賛成・反対の人も、 自由に意見を述べ、自由に討論できるのでなければならない。 その討論により、あるいは自分の意見を修正することもあるだろうし、 あるいは全体としての意見がよりよいものに収斂していくかもしれない。 他人の意見に耳を傾けて結論が修正される可能性があるということだ。 そして自由な討論の前提として、様々な情報が公開されて、 意見形成のため、判断のために必要な基礎資料を自由に入手できるのでなければならない。 その「基礎資料」とは、他人の言論(文書、録音テープなど)、映像、国や自治体の統計資料、 行政文書などありとあらゆるものが含まれ、例えば「特定秘密」のようなタブー領域を作ることには 極度に慎重でなければならない。 さらに、これら、オープンな情報に基づく多角的な検討、自由な討論は、 議会の中だけで保障されているのでは意味がない。 議員には「免責特権」のような形で大幅に自由が保障されていることはその通りであるが、 市民社会のありとあらゆる場所で、つまり国民の誰もがどこででも、 自由に意見交換して世論を形成しうる、そのために情報を得ることができる、 そしてそのような国民の意見が議員の意見と交感しあい 議会の議決へとつながっていくのでなければならない。 それが本来の民主主義であろう。 では、そこにマスコミがどうかかわるだろうか。 マスコミは、その社会的影響力が大きいがゆえに、 「虚偽の情報を流さない」「個人のプライバシー保護に配慮する」 などの制約はあると思われるが、それをも含め「言論の自由市場」で解決されることが予定され、 基本的には国民の「知る権利」(国民が情報を受け取る権利)に奉仕することが期待されている。 「事実を表に出す」という機能である。 また、そんなに素晴らしい国家の政策であれ個人の意見であれ、 ほとんどのことにはマイナス面や裏の面があるものだ。 そんな問題点を掘り下げ、国民の議論へと結び付けていくのも ジャーナリズムの重要な役割ではないだろうか。 だとすると、「マスコミはフェアでない」とか「マスコミを懲らしめる」とか、 民主主義の成り立ちからいって全くもってピント外れな恥ずかしい発言であるし、 政権の側にいる者からこのような発言が出ることがより深刻であるといえる。 そもそも、政権に対しては常に批判があるのが当然である。 政府がやることには必ず、どこかから批判が出る。 それを受け入れるかどうかはともかく、 まずはどっしりと受け止めるという態度が為政者に求められる姿であり、 反対意見を力で封じ込めようというのはファシズムと変わりはない。 実は似たようなことが川越でも起こったことがあった。 もう何年前になるだろうか、学童保育料の値上げがいきなり教育財務課から提起された時のことだ。 この時は「値上げそのもの」よりも、保護者側(その代表である学童保育の会)を半ばだまし討ちにして、 年度が半分終わろうという12月議会の直前になっていきなり持ち出されたことが問題であった。 で、「似たようなこと」というのはこういうことだ。 僕たちが学童保育料の問題についてチラシをまいたりポスターを掲示したところ、 ある議員(誰であるかはほぼ突き止めているがここでは公開しないでおこう)が保育課にねじ込んだのだ。 「市で決まったことを公の建物の中で反対したりチラシをまいたりするとは何事か」 というわけである。 市で決まったことであれ決まる前であれ、それに反対することは自由であるし、 かつてそういうことで僕たちの活動が掣肘されたことはなかった。 市の側との長年の不文律に従って、基本的には保育をよくするための活動をしているし、 学童の問題というのは保育園に通う保護者にとっては重大な問題なのだ。 何しろ、保育園に通わせている親のほとんどが学童にも通わせるのだから。 この議員は自民党でも公明党でもない。 僕が推測するに、この時は市の執行部が前もって筋書きを作り、 各会派(この12月議会で賛成に回った主だった会派)に協力を要請したのだ。 それでこの議員も、すっかり意識の上では権力側に回ってしまったのだ。 それで“権力の犬”よろしく保育課にかみついたというわけだ。 本来ならお役人の側からこういう無知無教養な議員にちゃんと教えてやればいいのだ。 教えてやらないからいつまでも不勉強が続き、なおかつつけあがる。 しかし、お役人の議員の関係もそう簡単ではないらしい。 ま、それはともかく、このように、民主主義の何たるかがわからず、 かりそめに得た力を振り回す、そんな議員がいかに多いことか。 「表現の自由」という意味ではこれらの議員がこれらの発言をするのも自由である。 しかし、それとは別に「議員の資質」が問われることになる。 民主主義の何たるかがわからない、ということは、 議場で討論をしたり採決に加わったりする資質がないということだ。 僕たち有権者は、議員に市政や国政を付託はしたが、 全権委任状を渡しているわけではない。 しっかり監視していこう。そして投票箱でふるいにかけよう。 資質がないものは議場から去れ! |

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