会長うたかた記

日々の子育てを楽しく、日々の生活を快適に

政治や経済、平和の問題

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政治家のお粗末

「朱に交われば赤くなる」という諺がある。
法律家も政治家になるとリーガルマインドを忘れてしまうのだろうか。
自民党 谷垣幹事長
公明党 山口代表
維新の党 橋下最高顧問
みんな弁護士出身ではなかったか。

一度でも法を学んだ者なら、ましてや難しい試験を突破して弁護士資格を得た者なら、
憲法と法律の関係や、憲法の予定する権力分立のバランスの仕組み、
民主制の成り立ちなど知らないわけがないだろう。

ところがどうだ。
まず、憲法が為政者を縛る規範であることをすっかり忘れている。
仮に現実の必要性がどんなに高くても、憲法を超えて立法を行うことはできない。
硬性憲法である日本国憲法を解釈で変更することはできない。

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安倍首相は先の訪米中、上下両院での演説の中で
「日本は米国から法の支配と民主主義を学んだ」
というような発言をしていた。
まあ、多少異論はあるものの、これを正しいと仮定しよう。

しかし、安倍首相は法の支配と民主主義をまったく学んでいないようだ。
この人も法学部政治学科出身。
政治学科だから法を学んでいないかというとそんなことはないはずだ。
政治の根本である憲法の定める統治機構について、
触れないで卒業できる政治学科はないのではないか。

「法の支配」とは自然法の存在を認め、
人権確保のために憲法を位置付けるという英米法系の考え方ではなかったか。
安倍首相のやろうとしていることは「国民を守るためなら憲法を無視しても構わない」
という独善的な独裁だ。法の支配の否定に他ならない。

国政の中枢にいる人たちがこのザマだ。
国民にとってこれほどの不幸があるだろうか。
もちろん、「民主主義」を体現する選挙の結果こうなっているのではある。

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安全保障法制に最もかかわりのある所管大臣と思われる中谷防衛大臣。
「この法律に合致するように憲法を解釈する」
とは、いや恐れ入った。
今年当選したばかりの1年生議員ならともかくとして…。
こういう発言は小林節名誉教授や長谷部教授からすると、
もうハナクソのようなものだろう。

かわいそうに。
この人は一生、生き恥をさらしながら暮らすのだな。

僕たちはもう少しマシな人に、
欲を言えばちゃんとした人に、
国政を託していくべきなのではないだろうか。










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砂糖に税金???

砂糖に税金をかけようという目論見があるようだ。
といってラジオでチラリと聞いただけなので詳しいことはわからない。
議論としてどこまで進んでいるのか、どんなものが対象となっているのか。

主たる論拠としては砂糖が生活習慣病の原因となるので摂取量を減らしたい
(国民全体の医療費を減らしていきたい)
ということと、税収を確保して健康増進のための原資としたいということがあるらしい。

まあ、僕などに言わせれば「何を今さら」というところだ。
自然医学やマクロビオティックでは白砂糖の害についてはすでに言い尽くされている。

ただ、だからといって“税金”をかけるか、ということだが…。
実は健康によろしくないものは砂糖に限ったものではない。
むしろ、砂糖より構造の複雑な添加物の類は食品にとどまらず、
洗剤、コスメ、建築材料、文房具、様々なものに含まれている。
我々の生活は“生活習慣病”の原因物質で埋もれているといっても過言ではない。
砂糖だけとりだしてあげつらってもね…。

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実は目的は他にあるのではないか、と疑っている。
今、政府は金が欲しくてたまらないはずだ。
「今」というより「今後、恒久的に」といった方がいいかもしれない。
つまり、海外で「わが軍」を展開するには膨大なお金がかかるのだ。

消費税であれ砂糖税であれ、今後の増税はあまねく戦費調達のためと
疑ってかからなければならない。
増税だけでなく、ジェネリック医薬品の利用促進による医療費抑制などもそうだ。

もちろん、増税分は福祉や子育てや健康増進にも一部は使うだろう。
しかし、一般予算から支出していたものを減らすとか、
とにかく何らかのトリックを使って戦費を調達しなければならない。
オスプレイもたくさん購入することにしているのだし。

他方で法人税はどんどん下げようということだから、
国民から巻き上げるしかないのだ。

戦時中、「お国を守ってくれている兵隊さんのため」と国民に我慢を強い、
鍋から釜から、家じゅうの金物を供出させたようなことが、
形を変えてじわじわと進行しているかもしれない。


みなさん、よーく注目して騙されないようにしよう。








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子どもたちが「チョーセン グーカン ハワイ」と、
ジャンケンのようなことをして遊んでいた。
あまりにも長々とやっているので訊ねてみると、
次女が学童に通っている頃(4〜5年前?)流行っていて、
覚えたのだという。

たわいのない子どもの遊びではあるが、
聞いていてあまりいい気持ちがしないことを伝えた。
つまり、正確にはわからないが、チョーセン=朝鮮、グーカン=軍艦だとすると、
まるで戦前戦中の子どもの遊び歌のようだ。
朝鮮やハワイを“国盗り”の対象としているように聞こえる。

あるいは『はだしのゲン』の中の光景だ。
記憶が定かではないが、確か朴さんという朝鮮人を
「同じクソしてどこが違う 靴の先がちょっと違う」と
子どもたちがバカにする。
その歌を思い起こさせるような遊び歌だ。

本当の背景はわからない。
しかし、特に最近のようにヘイトスピーチが横行したり、
なにかと排外的な言動が耳につく状況のもとでは余計に気になる。
子どもたちに僕の考えを伝えたうえで、
「こういう歌は安倍首相が似合う」
とコメントしておいた。

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いや、もちろん、安倍首相といえども国盗り合戦に乗り出すつもりはないだろう。
しかし、この間の瞬く間の有事体制づくりはどうであろうか。
それも、「有事が起こったらこうしよう」と備えるものではなく、
有事が起こる場面を積極的に作りだすような行為だ。
アメリカがなにかやらかしたら、自衛隊が出ていって後方支援を行うような話だ。

そして「一緒ならできる!」とアメリカ議会での大風呂敷。

本当に大丈夫なのか。
国民はどういうことが起ころうとしているかわかっているのか。
これからの戦費(自衛隊の活動費)をどうやってまかなうつもりなのか。

一説には中国の脅威に対抗する措置としての日米ガイドライン見直しだといわれている。
しかし、本当に実効性が期待できるのか、金勘定が合うものなのか、まったく検証不足のように思われる。

この間の一連の安倍首相の演説には謝罪はお詫びが足りないと一部で批判されている。
僕は、本来ならもうお詫びはいらないんじゃないかなと思っている。
というのは、50年談話で村山首相が謝罪してそれが日本の公式見解ということになっているのだから、
さらにまた10年ごとに謝罪する必要はないと思うのだ。

そのかわり、その謝罪や反省の気持ちを形に表す努力を積み重ね、
「ああ、もう日本は軍事的に他国や他民族を圧迫する国ではないんだな」
という信頼を、国際社会、とりわけ周辺諸国の間で勝ち得なければならないのだと思う。

その意味で、平和外交とか、経済援助とか、かなりやってきたのだから
国際社会でも認められてもよさそうなものだが、
いや、相当には認められてきてはいたのだと思うが、
最近、国内の一部の発言力が高まっていることで警戒感が高まっているのだと思う。
一部の発言力とは、いわゆる「歴史修正主義」といわれる傾向や、
下世話なレベルではヘイトスピーチのような排外主義的な傾向のことである。

当の安倍首相が歴史修正主義の急先鋒と目されているわけだから、
公式な発言の場で「おわびをしない」ことが、単に「おわびをしない」以上の意味に取られてしまうのではないか。
つまり、「おわびを繰り返さなくてもおわびの気持ちは変わらない」というだけではなくて、
「過去のおわびを本音では撤回したいと思っているのではないか」と。

実のところ、公式見解の中で「おわびの言葉があったかなかったか」という形式的なことにこだわるのではなく、
「未来志向で周辺諸国といい関係を作っていけるか」ということろに焦点が当たるべきだと思う。

そういう目で見ていくと、国粋主義的で軍国主義的な安倍首相の従来の路線
(「戦後レジームからの脱却」を掲げて突き進む姿勢)
も全くよくなかったが、今回、アメリカ訪問で見せた対米従属的で軍国主義的な路線も、
あまりにアメリカ寄りで、アメリカに加担することで軍事的突出をアメリカに承認してもらうものであり、
やはり全くよろしくないのではないかと思う。








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選挙・候補者論評その5

選挙・候補者論評の最後は「あけど亮太」候補。
議会では明ケ戸亮太と表記されていると思うので明ケ戸候補と呼ばせていただく。

僕は個人的に明ケ戸候補を存じあげている訳ではない。
選挙戦のわりと早い時期に新聞の折り込みでチラシが入ったから話題にしているのだ。
まず、有権者に「届ける」という意味ではOKということでもある。

それから、このチラシを見る限りは新しいタイプの議員だなという印象を受ける。
尤もこのチラシは選挙の法定ビラではなく、「川越市議会三月定例会市政報告レポート」
という体裁を取っているが、この時期に撒かれたのだから実質的な政策チラシとみていいだろう。
「新しいタイプ」という意味は、旧来型の、いかにも「地元の皆さんのために働きます」
みたいな泥臭さが感じられないということだ。
むしろ淡々と「市政のあり方」を問うていて、これはこれで好ましくはある。

旧来型というのは、これはもう自民党から共産党までそうなのだが、
どこか地元利益誘導型みたいな匂いが感じられるのだ。
もちろん、それが一つの議員の仕事だからそれでいいのだけれども、
そうでない議員がいてもいいと思う。
僕などはよそ者だから古くから住んでいる人ほどには地域に愛着があるわけではなく、
「議員になった以上は地域のためだけでなく、市民全体のために働けよ」
と思ってしまうところがあるのだ。

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明ケ戸候補は一期目は「みんなの党」だった。
党が消滅したから無所属+無会派となっているのだろうが、
やはり表現や打ち出し方にみんなの党的な残香が感じられる。

今回のチラシで一番目を引くのは3月議会での質問。
ゴミ収集事業を直営でやる場合と民間委託でやる場合で、
一世帯当たり2倍の経費の差が出るという。
100%民間委託にすると3億円の経費が削減できるそうだ。

膨らむ一方の行政需要、少ない予算は効率的に使いたいから、
無駄があれば削減したいという問題意識は僕も共有できる。
しかし、民間委託の問題は、いくつか考えなければならないハードルがあるとも思っている。

例えば、市のある事業を経費削減のために民間委託するとしよう。
この場合、安く委託すればするほど、つまり予算削減に成功すればするほど、
同じ仕事をほかの労働者に安い労賃で働かせることになる。
今回は総額が紹介されていないのだけれども、委託費の何割かは会社の経費や利益となり、
その残りが労働者に給与として分配されると考えてあながち間違いはないだろう。

そうすると、受託会社の労働者は市の職員の半分以下の賃金で同じ仕事をしていることになる。
これを、市の職員の賃金が高すぎると見るのか、
それとも低廉な労働条件を拡大させていると見るかは見解の分かれるところだろう。

次に、民間委託される事業は全国的に見るとに現業職が多いわけであるが、
そうすると、「現業職は一般職と同じだけ賃金をもらってはいけないのか」という疑問が生じる。
例えば「公務員の給料が高い」といって民間委託するゴミ収集事業につく職員は、
市民課や保育課で働く職員と同じ給料をもらっているのが「もらいすぎ」といわれていることにならないか。
これがいいのかわるいのか。

さらには、民間委託して本当に財政削減になっているのか、という疑問は、
単純にその事業の経費を比較しても解消されない。
例えばゴミ収集事業を来年度からすべて民間委託するとしよう。
その場合でも、「ゴミ収集事業の決算」という形で比較すれば確かに金額は減るだろうが、
経費の大半を占める人件費が市の総予算から削減できていないことは明らかだろう。
なぜなら、ゴミ収集事業に当たっていた職員を解雇するわけではないからだ。

なんらかの名目で、他の部署に転属させられたり(よくあるのがごみ収集⇔給食調理)、
定年退職までは人件費がかかるはずなのだ。
仮に、それがゆえに本来外部から雇うはずだった給食調理員を募集せずに済んだとしたら、
帳簿の上ではその分は経費削減になっているかもしれない。
ただ、そううまくつじつまが合うわけはないから、
「緩やかな民間委託」(定年退職者の数がある程度まとまるごとに民間委託の%を上げていく)
というような手法が取られるのだろう。

だから民間委託の問題は、たんに「合理化」だけでは割り切れない問題を含んでいるなと僕は考えている。

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加えて、いま全国で問題になっている保育の民間委託においては、
子どもにとっての保育条件が急激に変化する問題や、
保育の質が著しく低下する問題を引き起こしていて、
市民生活にゴミ収集事業どころではない影響が出ている。

だから、予算削減のためになんでも民間委託したり、なんでも切り捨てたり、
という一種の「拝金主義」には十分に注意しなければならないのではないかと思う。
大阪の橋下市長なんかも、公務員の意識改革と予算削減と、
なにもかもごちゃ混ぜにやっているような印象があるが、
お金のためにいろんなものを切り捨てていると、子どもの育ちに悪影響が出たり、
市民に心のゆとりが失われたり、あるいは文化も何もない薄っぺらい行政になってしまいかねない。
それはあまりにもさもしい考えだといわざるを得ない。

念のために言っておくと、僕は明ケ戸候補に恨みがあるわけでもなんでもない。
というか、明ケ戸候補がここまでのことを想定しているかどうかすらわからない。
だからこそ、本当は選挙期間を通じて、候補者ともそういうやり取りをすべきなのだと思う。
選挙カーに乗ってぐるぐる回っているばかりではそういう時間も取れない。

それともう一つ、明ケ戸候補のように行政改革とか、地方分権とか、
割と硬い論調で訴えるタイプの候補者には、もうすこしわかりやすくビジョンを示してもらいたいなとも思う。
つまり、お金を削減してどのような市を、そのような社会を作りたいのか。
個別の政策をくっつき合わせても、そういう世界観のようなものが見えてこない。
こういうことも、選挙戦を通じてつまびらかにできるような選挙制度だといいなと思う。

明ケ戸候補はまだ若いし、気力も旺盛な方のようだから、そういう意味では期待が持てる。
いつかまた議員としてお話をする機会が持てるかもしれない。

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さあ、これで候補者論評シリーズは終わりだ。
その訳は、この選挙期間を通じて僕がキャッチできた情報と、
僕の日頃の活動のなかから関係のできた候補者がこれしかいなかったということで、
あえてこれ以上論じないのだ。

正確に言うと、明ケ戸候補と同じ日にだれかもう一人、チラシが入っていた。
あとで見ようと、明ケ戸候補のチラシと一緒によけておいたら、いつの間にかなくなっていた。
家族の誰かが、電器屋のチラシなどと一緒に捨ててしまったのかもしれない。
そういう意味では、僕が朝から晩まで出ずっぱりの日にチラシが投函されて、
家族が捨ててしまったものも、もしかしたらあるのかもしれない。

それと、やはり公示日より前に近所の熱心な公明党運動員の方から電話がかかってきて、
「おのざわ哲也」候補がごあいさつにいらっしゃりたいとのことであった。
僕としてもぜひともお話したかったのだが、その日のその時間には僕は前々から予定があったのだ。
やはり選挙期間というのは、日ごろとはまた違った意味で政策についてじっくり語れる時期だから、
ニコニコして握手するだけではなくていろいろと話をした方がいいと思う。

特に公明党は国政では与党であるし、もちろん川越市議会でも相当な発言力を持っているのだし、
僕が思っていることを候補に伝え、また候補の方からも説明や意見をいただくのは大いに意味があると思う。
特にこの4年間という意味では例の「学童保育料値上げ問題」があったので、
それについてはやはり言うべきことは言っておかなければと、ずっと思っていた。

あの時は公明党控室におのざわ議員を訪ね、相当に詳しく話をさせていただいたのだが、
残念ながら本会議ならびに文教委員会でのほかの公明党議員の発言はちょっとフェアとは言い難かった。
それはその後、伝える機会を持てずにいた。
まあ、それは今日はやめておこう。

とにかく、日ごろ、ある程度市政に関心を持っている僕ですら、
この選挙期間中に触れた候補者の政策というのは驚くほど少なかったのだ。
この数日のブログで書いたことがすべてだ。
あとはポスターと無意味な宣伝カーの連呼だけだ。
例えば朝早く市外に出勤して夜遅く帰宅するサラリーマンなど、
無意味な連呼さえ聞く機会がないのだから、この情報の中で候補者を選ぶとか、
投票所に行く気になるとか、そういうことを期待するのが難しいなとすら思う。

そういうことをわかっていただくだけでも、
ここ数日の根を詰めてのブログ更新に意義を感じられるなと思うし、
自分なりに選挙や候補者を見ていこうと思っていただければなお幸いである。












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選挙・候補者論評その4

今日も遅くなってしまったが候補者についてみていこう。
今日は社会民主党の高橋剛候補だ。

高橋さんは今度が4期目の挑戦、
つまり、議員活動の期間が僕のよくする会での活動とはおぼ重なっており、
折に触れ、一緒に考え、活動してきた感がある。
総会、対市交渉には必ず出席し、最後まで見守ってくれている。
そんなわけだから、このブログでも名前が上がることが多い人ではなかろうか。

特にこの半年間は、古谷保育園の建て替え問題でずっとお世話になっている。
地元だからというのももちろんあるだろうが、
「公立保育園としての建て替え」ということにもきっちりこだわって主張していただいている。
もちろん、古谷保育園だけの建て替えということではなく、
公立保育園の計画的建て替えという僕たちの主張も汲んでいただいて、
そのうえで、今は古谷保育園の建て替えに力を集中しているという理解でいいと思う。

市への陳情とか請願というのは一定の決まったスタイルが出来上がっており、
紹介議員を通すというのが近道でもある。
だから、そういう活動はどの議員でもやっていると思うが、
僕たちの主張を理解して一緒に取り組んでくれる議員というのはそう多くはない。
「子育てって、市民共通の課題なのに」と思うが、大人の社会というのはそういうものだ。

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ここのところ毎回のように話題にしている「学童保育料値上げ問題」の時は、
本当に役員が手分けをして少なくとも各会派の代表者に直接話をしてに行っているわけだし、
話を聞いてくれるところには複数の議員に申し入れをしている。
それでも本当に力になってくれる人はごく少数、
もう、市の執行部が主だったところにはしっかり根回しして議会に臨んでいるので、
もう結果は出ているのである。

ちなみにこの時、反対票を投じてくれたのは共産党の4人と高橋議員だけだった。
それから高橋議員と「市民フォーラム」という会派を組む牛窪議員が、
採決の時に退席という形で意思表示をしてくださった。
高橋議員は本会議で、牛窪議員は委員会で、
それぞれ市の姿勢を質す発言をしてくださったのではなかったかと記憶している。

市議会というところは、民主主義の仕組みからいえば市民の代表の集まりというところであるが、
やはり特殊な場所で、例えば本会議といっても、普通に僕たちがイメージする
ラウンドテーブルでの会議とは違う。
国会の質疑のように、議員が質問して市長や執行部が回答するというスタイルだ。
ラウンドテーブルでの討議は各種委員会でなされるので、
この委員会がかなり重要な役割を果たしていると思う。

単に議案を効率的に通すという意味では、
あまり議論をせずにシャンシャンと進めていくのがいいのだろうが、
それでは議会の意味がない。
それぞれの議員が様々な立場から多角的に検討を加え、議論をし、
場合によっては修正なども加えながら成案を得る、ということになれば、
市政もまたずいぶんと違ったものになるのではないだろうか。
そういうところも見据えながら、僕としては各候補を見ているつもりだ。

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高橋さんの今回の政策のテーマは「未来は子どもたちのために」。
まさに今という時代にふさわしい。

今の子どもたちが大人になる頃にも、社会が安定したいい状態であってほしい。
子どもたちがすこやかに育ち、大過なく成人してほしい。
それが親としてはごく自然な心情だろう。

そのためには、例えば前提条件としての平和な社会、自由な社会、
持続可能な循環型社会など求められるだろう。
身近なところでは、未来を見据えた街づくりや、
子どもたちにしっかり保育や教育の機会を保障していくということが求められるかもしれない。

高橋さんの政策は、そんなしごくまっとうな願いをそのまま文言にしたような印象を覚える。
人柄がそのまま政策になったような感じだ。
当然、字面だけできれいごとを言っているわけではなく、
実現に向けて奔走していることは僕が肌で感じていることだ。
その一つの表れが、すでに何度もお伝えしている古谷保育園建て替えの地元自治会からの陳情であり、
また古谷保育園保護者会の市長に直接会っての陳情であろう。


高橋さんとはまた議員として、一緒に運動を進めていきたいと強く希望している。










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