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選挙・候補者論評の最後は「あけど亮太」候補。
議会では明ケ戸亮太と表記されていると思うので明ケ戸候補と呼ばせていただく。
僕は個人的に明ケ戸候補を存じあげている訳ではない。
選挙戦のわりと早い時期に新聞の折り込みでチラシが入ったから話題にしているのだ。
まず、有権者に「届ける」という意味ではOKということでもある。
それから、このチラシを見る限りは新しいタイプの議員だなという印象を受ける。
尤もこのチラシは選挙の法定ビラではなく、「川越市議会三月定例会市政報告レポート」
という体裁を取っているが、この時期に撒かれたのだから実質的な政策チラシとみていいだろう。
「新しいタイプ」という意味は、旧来型の、いかにも「地元の皆さんのために働きます」
みたいな泥臭さが感じられないということだ。
むしろ淡々と「市政のあり方」を問うていて、これはこれで好ましくはある。
旧来型というのは、これはもう自民党から共産党までそうなのだが、
どこか地元利益誘導型みたいな匂いが感じられるのだ。
もちろん、それが一つの議員の仕事だからそれでいいのだけれども、
そうでない議員がいてもいいと思う。
僕などはよそ者だから古くから住んでいる人ほどには地域に愛着があるわけではなく、
「議員になった以上は地域のためだけでなく、市民全体のために働けよ」
と思ってしまうところがあるのだ。
明ケ戸候補は一期目は「みんなの党」だった。
党が消滅したから無所属+無会派となっているのだろうが、
やはり表現や打ち出し方にみんなの党的な残香が感じられる。
今回のチラシで一番目を引くのは3月議会での質問。
ゴミ収集事業を直営でやる場合と民間委託でやる場合で、
一世帯当たり2倍の経費の差が出るという。
100%民間委託にすると3億円の経費が削減できるそうだ。
膨らむ一方の行政需要、少ない予算は効率的に使いたいから、
無駄があれば削減したいという問題意識は僕も共有できる。
しかし、民間委託の問題は、いくつか考えなければならないハードルがあるとも思っている。
例えば、市のある事業を経費削減のために民間委託するとしよう。
この場合、安く委託すればするほど、つまり予算削減に成功すればするほど、
同じ仕事をほかの労働者に安い労賃で働かせることになる。
今回は総額が紹介されていないのだけれども、委託費の何割かは会社の経費や利益となり、
その残りが労働者に給与として分配されると考えてあながち間違いはないだろう。
そうすると、受託会社の労働者は市の職員の半分以下の賃金で同じ仕事をしていることになる。
これを、市の職員の賃金が高すぎると見るのか、
それとも低廉な労働条件を拡大させていると見るかは見解の分かれるところだろう。
次に、民間委託される事業は全国的に見るとに現業職が多いわけであるが、
そうすると、「現業職は一般職と同じだけ賃金をもらってはいけないのか」という疑問が生じる。
例えば「公務員の給料が高い」といって民間委託するゴミ収集事業につく職員は、
市民課や保育課で働く職員と同じ給料をもらっているのが「もらいすぎ」といわれていることにならないか。
これがいいのかわるいのか。
さらには、民間委託して本当に財政削減になっているのか、という疑問は、
単純にその事業の経費を比較しても解消されない。
例えばゴミ収集事業を来年度からすべて民間委託するとしよう。
その場合でも、「ゴミ収集事業の決算」という形で比較すれば確かに金額は減るだろうが、
経費の大半を占める人件費が市の総予算から削減できていないことは明らかだろう。
なぜなら、ゴミ収集事業に当たっていた職員を解雇するわけではないからだ。
なんらかの名目で、他の部署に転属させられたり(よくあるのがごみ収集⇔給食調理)、
定年退職までは人件費がかかるはずなのだ。
仮に、それがゆえに本来外部から雇うはずだった給食調理員を募集せずに済んだとしたら、
帳簿の上ではその分は経費削減になっているかもしれない。
ただ、そううまくつじつまが合うわけはないから、
「緩やかな民間委託」(定年退職者の数がある程度まとまるごとに民間委託の%を上げていく)
というような手法が取られるのだろう。
だから民間委託の問題は、たんに「合理化」だけでは割り切れない問題を含んでいるなと僕は考えている。
加えて、いま全国で問題になっている保育の民間委託においては、
子どもにとっての保育条件が急激に変化する問題や、
保育の質が著しく低下する問題を引き起こしていて、
市民生活にゴミ収集事業どころではない影響が出ている。
だから、予算削減のためになんでも民間委託したり、なんでも切り捨てたり、
という一種の「拝金主義」には十分に注意しなければならないのではないかと思う。
大阪の橋下市長なんかも、公務員の意識改革と予算削減と、
なにもかもごちゃ混ぜにやっているような印象があるが、
お金のためにいろんなものを切り捨てていると、子どもの育ちに悪影響が出たり、
市民に心のゆとりが失われたり、あるいは文化も何もない薄っぺらい行政になってしまいかねない。
それはあまりにもさもしい考えだといわざるを得ない。
念のために言っておくと、僕は明ケ戸候補に恨みがあるわけでもなんでもない。
というか、明ケ戸候補がここまでのことを想定しているかどうかすらわからない。
だからこそ、本当は選挙期間を通じて、候補者ともそういうやり取りをすべきなのだと思う。
選挙カーに乗ってぐるぐる回っているばかりではそういう時間も取れない。
それともう一つ、明ケ戸候補のように行政改革とか、地方分権とか、
割と硬い論調で訴えるタイプの候補者には、もうすこしわかりやすくビジョンを示してもらいたいなとも思う。
つまり、お金を削減してどのような市を、そのような社会を作りたいのか。
個別の政策をくっつき合わせても、そういう世界観のようなものが見えてこない。
こういうことも、選挙戦を通じてつまびらかにできるような選挙制度だといいなと思う。
明ケ戸候補はまだ若いし、気力も旺盛な方のようだから、そういう意味では期待が持てる。
いつかまた議員としてお話をする機会が持てるかもしれない。
さあ、これで候補者論評シリーズは終わりだ。
その訳は、この選挙期間を通じて僕がキャッチできた情報と、
僕の日頃の活動のなかから関係のできた候補者がこれしかいなかったということで、
あえてこれ以上論じないのだ。
正確に言うと、明ケ戸候補と同じ日にだれかもう一人、チラシが入っていた。
あとで見ようと、明ケ戸候補のチラシと一緒によけておいたら、いつの間にかなくなっていた。
家族の誰かが、電器屋のチラシなどと一緒に捨ててしまったのかもしれない。
そういう意味では、僕が朝から晩まで出ずっぱりの日にチラシが投函されて、
家族が捨ててしまったものも、もしかしたらあるのかもしれない。
それと、やはり公示日より前に近所の熱心な公明党運動員の方から電話がかかってきて、
「おのざわ哲也」候補がごあいさつにいらっしゃりたいとのことであった。
僕としてもぜひともお話したかったのだが、その日のその時間には僕は前々から予定があったのだ。
やはり選挙期間というのは、日ごろとはまた違った意味で政策についてじっくり語れる時期だから、
ニコニコして握手するだけではなくていろいろと話をした方がいいと思う。
特に公明党は国政では与党であるし、もちろん川越市議会でも相当な発言力を持っているのだし、
僕が思っていることを候補に伝え、また候補の方からも説明や意見をいただくのは大いに意味があると思う。
特にこの4年間という意味では例の「学童保育料値上げ問題」があったので、
それについてはやはり言うべきことは言っておかなければと、ずっと思っていた。
あの時は公明党控室におのざわ議員を訪ね、相当に詳しく話をさせていただいたのだが、
残念ながら本会議ならびに文教委員会でのほかの公明党議員の発言はちょっとフェアとは言い難かった。
それはその後、伝える機会を持てずにいた。
まあ、それは今日はやめておこう。
とにかく、日ごろ、ある程度市政に関心を持っている僕ですら、
この選挙期間中に触れた候補者の政策というのは驚くほど少なかったのだ。
この数日のブログで書いたことがすべてだ。
あとはポスターと無意味な宣伝カーの連呼だけだ。
例えば朝早く市外に出勤して夜遅く帰宅するサラリーマンなど、
無意味な連呼さえ聞く機会がないのだから、この情報の中で候補者を選ぶとか、
投票所に行く気になるとか、そういうことを期待するのが難しいなとすら思う。
そういうことをわかっていただくだけでも、
ここ数日の根を詰めてのブログ更新に意義を感じられるなと思うし、
自分なりに選挙や候補者を見ていこうと思っていただければなお幸いである。
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