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昨日行われた所沢の住民投票が話題になっている。 投票率が3割強にとどまったため、エアコン設置に賛成の票が多かったものの、 投票資格者の三分の一に届かなかったということで、 条例上、市長も議会もこの結果を斟酌する義務はないということらしい。 この件についてはいろいろな切り口で考えることができる。 住民投票の法的効力の問題、投票率や住民の関心の問題…。 しかし僕はそもそも、このような投票を住民が選択せざるを得なくなった市長の姿勢について 異議を唱えたい。 今日の記者会見で所沢市長は「自然との共生に生活をシフトしていく」ために 自分は間違っていないと発言していたが、これは並大抵のことではない。 今はものすごく寒い冬だからピンと来ないかもしれないが、 昨夏がどれくらい暑かったか、思い出してみてほしい。 「都市化」「地球温暖化」原因はいろいろあるだろうが、 昭和30年代、40年代くらいまでならともかく、 現代はクーラーなしで済む日や環境が著しく少なくなっている。 だから、例えば川越の小学校でも「熱中症対策」と称して飲み物を持参しているのである。 つまり、デフォルトでクーラーが必要な時代になってきているのである。 そして、航空機による騒音だ。 この所沢の問題も、基本的には航空自衛隊の基地周辺の小学校で、 窓を閉め切らざるを得ないから暑すぎてエアコンが必要ということになっていたはずだ。 僕は仕事で航空自衛隊の入間基地周辺によく行くが、 飛行機が飛んでいる間は電話を中断せざるを得ない。 小学校の授業中にこういう事態が頻発するのだと仮定すると、 やはり窓を開けっぱなしというわけにはいかないのではないか。 「自然との共生」をいうのであれば、クーラーなしでもしのげるだけの周辺環境を整備し、 なおかつ自然には存在しないはずの「航空機の騒音」を取り除かなければならないのではないか。 なぜ子どもたちや先生たちだけが我慢しなければならないのか。 ちなみに、防衛省からも微々たる対策費が出ることになっていたそうだが、 必要な経費にまったく足りないので市長が断ったそうだ。 むしろ必要なだけの費用を防衛省に請求するのが筋ではないか。 それを「自然との共生」などと聞こえのいい言い方でごまかすのだとすると、 少々ケツの穴が小さいといわざるを得ない。 安倍首相もジャンジャン外遊してお金を使って、 さらに「イスラム国と戦う国」にお金をばらまいたりしている。 これ自体も相当な金額だろうが、 これから先、ODAで非軍事目的なら軍にもお金を出すとか、 自衛隊を方々に派遣するなどしていると、とんでもないお金がかかってくるはずだ。 どこにそんなお金があるのか。 僕は、もしそんなお金があるのなら、 国民の生活の安定や人間の未来(つまり子どもたちの人間形成)のために使ってもらいたいと思う。 ともあれ、地方自治における「住民参加」を非常に大切に考えている僕としては、 今回の住民投票をリードした所沢市民の皆さん、投票した皆さんには大きな拍手を送っておきたい。 僕も本来は、クーラーなどなるべく使わずに暮らしたいと思っている。 実はつい最近まで、家人が寝ている部屋以外はエアコンはついておらず、 夏といえば、僕は台所の板の間で、窓を開けっぱなしで、 何も掛けずに子どもたちとザコ寝していた。 しかし、子どもたちもお年頃になってきて、 さすがに窓開けっぱなしで寝るのではまずいだろうと、 一念発起してエアコンを入れたのだ。 それでも、よほど暑い夜でもなければ、 僕が起きている間はなるべく窓を開けてクーラーを使わないようして、 一般のご家庭に比べるとエアコンの使用量は極めて少ないのではないかと思う。 そんな僕でも、学校や保育園のような公共施設については、 エアコン不要論には組し得ない。 確かに過保護な子や文明漬けの子もいるのだろうが、 本来的に体の弱い子や持病のある子もいたりする。 エアコンなしでしのげるかどうかは、周辺環境や立地条件、建物の構造にもよるだろうし、 一応は取り付けておいて、運用面で工夫していくという選択もありうると思う。 それくらい、最近の夏は厳しい。 少なくとも、エアコンに関しての「自然との共生」は、 「学校から」ではなく、「家庭や地域から」ではないかと思う。 最後に、所沢市長に建設的な提案をしておこうと思う。 まずは、ご自宅のすべてのエアコンと市役所の市長執務室のエアコンを取り外して、 市民に対して「自然との共生」の模範を示されてはいかがだろうか。 |
政治や経済、平和の問題
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年末年始、天皇陛下のお言葉に触れる機会が重なった。 12月23日は天皇誕生日であったし、元旦にも陛下は国民に向けてお言葉を寄せられた。 憲法上、天皇は「国民の象徴」であり、政治的な言動はできないこととなっている。 陛下はそのことを十分に了解された上で、 ギリギリのところでメッセージを発していらっしゃるように思えてならない。 それは「戦後と平和」というテーマについて重ねて付言されていらっしゃるからだ。 今年は戦後70年という節目に当たる。 この70年間、日本が平和な世の中で繁栄を享受できてきたこと、 この重みを十分に受け止め、考えていかなければならない。 つまり平和が人格的生存の基礎的条件であること、 平和な世の中を、これからも守っていかなければならないということではないだろうか。 戦後の70年間というのは、日本は直接的には戦争に巻き込まれずに済んだが、 世界的に目を向ければ絶えず紛争や戦争が起こり続けてきた。 今もなお、中東やウクライナは戦火の真っ只中といって過言ではないし、 戦火から逃れた難民の問題は世界規模で広がっている。 わが日本は、東西冷戦の間も、「西側諸国」に組しながらではあれ、 平和憲法を持つ国として直接的な武力行使は抑制してきたし、 武力以外の方法で平和を回復する橋渡しもしてきた。 “エコノミックアニマル”などと揶揄された時期はあったにしても、 平和憲法を持つ日本への尊敬というのは、世界の一定程度の範囲では獲得できていると僕は思っている。 ところが最近、近隣諸国との関係が危うくなっている。 憲法9条とこれまでの国際的な平和社会への貢献というものがなければ、 軽くドンパチ交えていてもおかしくないような状況である。 国内世論の中にも、それを推奨するような声がある。 そして「イスラム国」の台頭によって現代の戦争に「国境」はないことが明らかになった。 「国」を名乗ってはいてもいわゆる「国家」ではない。 イスラム国の戦士となるものに国境も人種もない。 そしてどうやら、「イスラム」と形式的には標榜していても、 その内実としては宗教も超越しているようだ。 こういう時代にどうやって平和を維持していけばいいのか。 安倍首相の進める「積極的平和主義」というのが彼なりの回答なのだろう。 これまで以上に日米安保関係を強固にしつつ、 日本が武力行使できる範囲を拡大していこうというやり方だ。 武力を直接使おうということを必ずしも意味しないのかもしれないが、 マッチョな筋肉を見せていれば相手もかかってこないだろうというところか。 しかし僕は、こういうやり方で平和が維持できるとは到底思えない。 そして陛下も、こういう方向性に不安を感じていらっしゃるのではないか。 少なくとも、第2次大戦後に確認した価値は、「武力によらない平和の維持の重要性」だ。 これを大切にしようと、陛下はおっしゃっているように僕には感じられる。 もちろん僕も、まったく武力が要らないとか、軍隊がなくてもいいとは現時点では思えない。 最低限、国民を守っていくためのなんらかの武力というのは持たざるを得ないだろう。 しかし、軍事力だけではどうにもこうにも限界がある。 お金を軍備に使えるところだけが強くなっていくということにならざるを得ない。 (それは今は中国かもしれないが、経済発展の軸の移動とともに移ろっていく) そうではなく、様々な方法で何重にも安全弁を設けていかなければダメだろう。 外交もそうだろうし、人的な交流、文化交流、災害援助や貧困への援助、 何よりも平和への強力なメッセージが必要だろう。 日本が軍事面で突出していくことは、これまで築き上げてきた国際的な信頼を崩しかねないし、 軍事的な攻撃への口実を与えてしまうことになりかねないのではないか。 それと、民主主義ということを前提とすれば、 選挙制度の問題はあるにしろ、選挙で多数を得、政権を獲得している与党がやることは、 一応は国民が承認しているものと、百歩譲って考えるとしよう。 しかしそれも、必ず「民主主義の枠内の競争」であるということを再確認しなければならない。 特定秘密保護法だとか、選挙期間における報道規制とも取れる申し入れとか、 これらが悪用され、強化されると自由な言論が抑圧されることにもなりかねない。 自由な言論と、その基礎となる情報の流通を規制してしまうと民主主義が機能しなくなってしまう。 つまり「民主主義の枠内の競争」ではなくなり、事実上の独裁政治になってしまう。 それは「いつか来た道」というとすごく古い考えのように思われるかもしれないが、 事実、大正デモクラシーの時代から軍部が実権を握り戦争に突入していくまでの歴史を学べば、 まったくありえないこととはいえないことが明らかになるはずだ。 ただ、現在の日本では軍部が暴走しているのではなく、 国民の代表機関から形成された機関が暴走しているところが違うが、 それがなお恐ろしい。 |
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衆院選が終わって何日か経った。 もりあがらない選挙ではあったが、 結果については各種メディアで一通り話題となった。 その速報的な論評も一段落着いたところだろうか。 僕はほかの人がどう考えるか聴くのが好きなので、 目に入る範囲、耳に入る範囲では努めて見聞きするようにした。 そしてまた、僕なりに考えてみもした。 といっても、地域別とか年齢別とか、詳しい得票率などわからないから 本当にざっくりしたものである。 まず、「自公圧勝」と見出しをつけているところがいくつかあったが、 これは安倍首相の気持ちを代弁しすぎではないかと思った。 自民が4議席減、公明が4議席増、プラスマイナス0。 これは「圧勝」とは言わないのではないか。現状維持だ。 「多少減らしていてもやむをえない。後になってやるよりは傷は浅い」 と考えて解散を強行した人にとっては思いがけない勝利だったかもしれない。 しかし、与党の議席数は変わらず、投票率は戦後最低、ということになると、 続投への承認であるのか、無関心・無反応であるのか微妙なところだろう。 野党のダメぶりと較べると、安倍首相は良くも悪くも「進めて」いるので、 そのリーダーシップに漠然と引きずられているという見方もできるかもしれない。 それと、与党内の議席の移動も、想像の翼を広げるとおもしろい。 自民の4議席が公明へ。 これは微妙ながら公明党への期待と取れなくもない。 「全体としてはまあ評価するが、安倍首相はちょっと走りすぎだ。 政権内でちょっといさめてもらわないと。」 こんな気分が4議席の移動になっているとすると、公明党はがんばらないといけない。 あるいは沖縄の小選挙区4議席の分がそのまま減ったという見方もできよう。 この人たちは全員、比例で復活当選したそうだが、 本来であれば小選挙区で取るべきものが取れなかったので、 比例名簿の4人分が食われてしまったということだ。 この見方によれば、安倍内閣の安全保障政策、つまり、 沖縄に負担を押し付けたままで基地建設を粛々と進めるという姿勢に、 修正動議が加えられたのだということになるのではないか。 これは他党との比較でもある程度伺うことができる。 「安倍政権とは是々非々で」といいつつ、安保問題や憲法問題では安倍首相と歩調を合わせる立場の 次世代の党が惨敗し、部分的にカラーの似通った維新の党が微減、 辺野古への基地建設反対、集団的自衛権の行使に反対する共産党が大躍進している。 もちろんこれは安保問題だけが反映しているものではないが、 安保という切り口で見た場合には、 安倍首相のタカ派的な姿勢には国民は尻込みをしているということだ。 民主は11増。 しかしこれは躍進とは言わないらしい。 まあね。つい最近まで政権党だったわけだし。 前回が少なすぎたから今回はもう少し増えるだろうといわれていたが、 むしろ思うようには回復しなかったということだ。 それは当たり前といえば当たり前だ。 この2年間、民主党が何をしたか思い当たる人がいるだろうか。 信頼回復には相当な努力が必要なはずだ。 政権を取った前々回、その直前に“消えた年金問題”などあぶりだし、 「おっ、やるな!」 ということになって“風”が吹くきっかけとなった。 それに比べて今回は 「一度やらせてみたがダメだった」 ということになってしまっているから、 何らかの形で政権担当能力があるということを示さない限りは、 もう一度やらせてみようということにはとてもならないわけだ。 共産は22増と、改選前の3倍近い大躍進。 これはいうまでもなく安倍政権へのアンチテーゼの提出だ。 共産党は消費税、原発、安保・基地、憲法問題、ことごとく安倍政権に対峙する姿勢を示している。 政権に不満を持つ人の受け皿は、民主党ではなく実は共産党だった。 また、格差社会がジリジリと進行し、生活が苦しい人が増えている。 (4人に1人が年収200万円台という統計もあるそうだ) そういう人にとっては、自民に投票したところで自分たちに恩恵はない。 共産党に投票してもすぐに何かの形で戻ってくるわけではないかもしれないが、 どうせ生きない1票なら希望をつなぐ方向で、ということになっても不思議ではない。 安倍政権は、自民党が4議席減らした一方で、共産党がこれだけ伸びたということを、 民意を図るうえで十分に汲んでいくべきだろう。 次世代の党という、名が体を表しているのか疑問な党は大幅減で解党の危機。 この党は離合集散を繰り返したので元がどうだったのか正確には覚えていないが、 基本的には自民にいたタカ派の人たちが中心だっただろうか。 思想的には安倍首相とは共有するものが多いだろう。 国民の中に、このような極端な思想を持っている人が一定数いることは確かだろうが、 多くの国民にとって、自民を通り越して次世代に投票するほどのメリットを感じる人がどれだけいるか。 だから、結党の際は、自民や保守系無所属として当選して議員資格を有していても、 いざ選挙となると、やはり多くの支持を得ることは難しいということになるのではないだろうか。 その点では生活の党も似たような状況と思われるが、 「国民の生活が第一」という主張自体には汲むべきものがある。 しかしやはり、コワモテの小沢一郎氏に対するアレルギーが強いのだろうか。 一度、大きな流れから外れてしまうと、よほど見るべきものがないと厳しいなという印象を強くする。 が、小沢氏は“風”が吹けばまだまだいける、と考えているようだ。 そういう発想が政治家ならではだなと感心するが、果たして“風”は吹くのか。 小沢氏が、一生懸命風を起こそうとしている風神様に見えて、ちょっと痛い。 さあ、この先どうなるのか。 国民として、有権者として、しっかり見ていこう。 |
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今日から特定秘密保護法が施行となった。 中には「国防などに関して国家の秘密保護はあって当然だ」という人もある。 それはそれで一つの見識だ。 しかし最大の問題は、十分な国民的議論なく数を頼りに同法案採決を強行してしまったことだ。 今度の選挙は、こういう政権の姿勢こそ問われなければならない。 ほとんど反対のない消費増税策送りについては「国民の信を問う」と衆院を解散するのに、 民主主義の根幹に関わるような特定秘密保護については国民の信を問わない。 もし自公を大勝させでもしたら、こんな強引な手法でまた無茶苦茶をしかねない。 特定秘密保護法は、もし時間をかけて議論していたとしたら、仮に制定はされたとしても、 たくさんの安全弁や監視装置、避難通路を設けることができたのではないかと思う。 これに触発されたわけではないけれども、 今日は急いでベネッセの「お詫びの品」の申込みを行った。 例の名簿漏洩の件で商品券などをくれるというのだ。 12月15日が締め切りというのを、日々の生活に忙殺されて今日まで来てしまった。 皆さんは大丈夫だろうか。 「500円で済む問題か!」と訴訟を起こしたグループもあるようだ。 本当はその通りだ。 しかも、「こども基金」なるものをでっち上げて 「こちらに寄付してもいいですよ」と来たもんだ。 盗人猛々しいというか、どこまで面の皮の厚い偽善者だろうか。 基金を設けて活動するなら自分たちの利益の中から拠出してやるのがスジだろうと。 どうして迷惑を掛けた相手方に拠出を求めるのか。 それとも寄付は期待せず、「こんなにいいことをやってるんですね」と、 ほめてもらおうとでも思っているのだろうか。 本当は「フザケルナ!」と商品券を突っ返して事を荒立てたいところだが、 「いや、もらえるものはもらっておこう」と、せっせと申込みを済ませてしまうのが 庶民の悲しいサガだ。 しかし他方で、僕たち国民消費者の側も個人情報の管理には神経質にならないといけない。 一度渡してしまうと、今のコンピューター時代では記憶も加工も拡散も、ペーパー時代の比ではない。 例えばベネッセのような企業が、さいたま水族館のような公的な施設にも入り込んで 子ども向けのクイズラリーのようなことをやって、子どもの情報を取っている。 子どもの好奇心に訴えられ、こちらも「まあいいか」となってしまうが、 冷静に考えれば個人情報とクイズのおまけとで釣り合いが取れるわけはない。 ショッピングモールで「クジやってま〜す」と呼びかけて 「おめでとうございます!当たりました!」と、キッズ英会話教室の勧誘をしているような例も、 本当にその教室に入園するなら個人情報を預けざるを得ないが、 そうでないとしたらどんなもんかなと、 いぶかしがりながら通り過ぎる今日この頃だ。 それにしても「おかしい」と思わないだろうか。 名前や住所、年齢という個人情報中の個人情報を、 その個人(つまり法益主体)の同意なく売り買いすること自体は法的になんら禁じられていない。 今回のベネッセのケースも、スタッフ(これが正社員かアルバイトか外注会社の社員かは関係がない) が情報を「盗みだした」ことが問題とされているに過ぎない。 買い取る側は、盗まれたものと知って買い取れば罪になりうるが、 「知らなかった」といえば罪にならない(正確には立証の問題ではある)。 だから個人情報保護法だとかいって保育園や学校のクラス名簿すら作られなくなり、 僕たちが保護者の連携作りに苦労をしている一方で、 本当の意味では守るべき相手から守るべき法益が守られていないのだ。 「国家」の秘密というととても大切なもののように思えるが、 果たしでどうだろうか。 「国家」のようなものがあるとしても、それは「個人」あっての国家だ。 個人を大切にするところからはじめる政府を求めたい。 |
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沖縄県知事選、辺野古への基地新設(“移転”といわれているが、本質は普天間の撤去と 辺野古への基地設置は別問題らしい)を認めない翁長氏が当選した。 この意味は、僕たち沖縄県以外に住む者も重々考えなければならない。 日本にある米軍基地は面積にしてその7割以上が沖縄県に集中している。 もちろん、基地があれば物とお金が動いたり雇用が生まれたりというプラス面もあるだろう。 他方で騒音や航空機事故の危険、軍人による犯罪などマイナス面も大変なものだ。 沖縄県民はこの選挙でそのマイナスの負担について「もう勘弁してくれ」と意思表示したのだ。 「本土の人間ももう少し当事者意識を持ってくれよ」と。 これに対して政府は「辺野古への基地移転を粛々と進める」と言っている。 それでよいのか。 確かに外交・軍事は政府の所管事項であり、県が単独でどうこう言うべきものではないかもしれない。 しかし僕たち国民は、国民全体のために沖縄に押しつけてきた負担について、 そしらぬ顔をしていてよいだろうか。 ここで政府の姿勢を許すことは、沖縄への負担継続を国民全体が追認することになるのではないか。 ちょうどいい。 大義のない解散総選挙があるではないか。 この選挙は争点がない。 その争点は「消費増税先送りの是非」などでは決してない。 もしそうであるなら、仮に自民党が負けた場合は10%への増税を即座に断行するのだろうか。 それとも、政権交代でも起こらない限りは、どんなに議席を減らしても「国民の支持を得た」と言い張るのか。 いや、もし争点があるとすれば、それは「権力者が権力を振りかざして好き放題をやっていいか?」だ。 「権力者が政権の延命を図り、議席の上でよりよいポジションを得るために莫大な税金を投入して 選挙を行うことが許されるのか」ということが問われなければならない。 加えて、今回、沖縄県民の意思(沖縄だけの問題ではなく国民全体の問題だ、という問題提起でもありうる) が示されたのに、これを粛々と封殺するのでは、やはりこれも「権力者の好き放題」というべきだ。 これも選挙の争点としていこうではないか。 沖縄のみに過度な負担を押しつけ続けるのはもうやめよう。 沖縄以外の屋内なのか、それとも国外もありうるのか、国民の議論とアメリカとの交渉が必要ではないか。 まずはその一歩として政府の姿勢を正していこう。 さて、当の翁長知事、これからが大変だろうが、 僕としてはささやかながら応援と連帯の拍手を送っておきたいと思う。 |



