会長うたかた記

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選挙あれこれ

「じらを言う」という表現がある。
ここらあたりではあまり聞かないから、
僕の故郷の方面の言葉なのか、あるいは今は使われなくなった昔の表現かも知れない。
「こどもがだだをこねる」というほどの意味合いだ。

ぼくはこの言葉をすっかり忘れていたが、
この度、大阪の橋下市長の言動を見ていて突如思い出したのだ。

橋下氏にも議会側にもそれぞれ理屈と大義があるだろう。
ただ、市長をやめるような事柄か?と思うのだ。
市民に信を問うのならほかにも方法があるのではないか。
例えば市内各所で徹底的に討論会や学習会を行ない、
しかる後に住民投票を行うなど。

僕は地方自治法上、どのような制度が準備されているのか知らないが、
仮に法的拘束力のないものだったとしても、住民の間でずいぶん理解が広がるだろうし、
同じ予算を使うならよほど実のあるものになるのではないかと思う。
次の選挙(市長選であれ市議会選挙であれ)にもそれなりの影響を及ぼすだろうし。

イメージ 1

対して、今のままで市長選を行っても、市議会との勢力関係はかわらないから、
あまり意味のあるものにはならないと言われている。

議会の主要会派が対抗馬を出さない方向だというが、当たり前だろう。
莫大なお金と労力が必要なのに、ろくろく準備もない状態で適材を得る間もないのに、
現職の橋下氏に勝てるわけがないし、そういう選挙に大義があるとは言えないのではないか。


一方、東京都知事選は盛り上がっているのだろうか?
たまに都内に足を踏み入れることがあるが、
ポスターが貼ってある程度でこれといってムードが漂っているわけではない。
このままでは地味な結果になるのではないだろうか。

論点もあまりはっきりしない。
「脱原発」が国政の課題であることも、東京が電力の大消費地であることも確かである。
だから、それはそれで論じればいいし、東京の抱えている重要課題は多い。
しかし、新聞やラジオで知る限り、各候補とも「具体案」が乏しいように思う。

ともかく、大枠で従来の自民党的な成長戦略のまま突き進むのか、
それとも「脱成長」をも志向した持続可能な社会を目指すのか、の選択はありうる。
そしてその方向性の中での各論の議論や、ある程度具体性を持った提案がなされなければ、
なかなか有権者の足も投票所へ向かわないのではないかと思う。








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立春の雪

今日は今シーズンで本格的な降雪となった。
いや「シーズン」などというと情緒も色気も何もないな。

昨日が節分だったから今日は立春、つまり今日から春なのだ。
そういう言い方をするとがぜん季節感が出てくるではないか。

そしてまた、春に雪が降るというのも風情があっていい。

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皆さんは豆まきはされただろうか。
どうもあの行事は、玄関から大声で叫ばなければならないから
大の大人には敷居が高い。

その点、子どもたちはなんの照れもないからいい。
大きな声で「鬼は外!」と叫ぶことができる。
だからうちも子どもにかこつけて鬼払いができた。

思い出すと、子どもの頃、節分の翌日は、
町の辻辻にちり紙につつまれた打豆が散乱していた。
もちろん、うちでも兄弟揃って豆撒きをしていたが、
子どものいない家でもちゃんと、大人たちが豆撒きをしていたのではないだろうか。

大切にしたい行事と季節感だ。

イメージ 2

それで、昨夜せっかく豆撒きをしたのだから、
そういうことをこのブログにも書こうと思っていたのだが、
今夜の事務局会議の準備ですっかり時間を取られ、
そうこうしているうちに眠くなってしまってブログのことなど忘れて寝てしまった。

そう、今日はよくする会(川越保育をよくする会)の事務局会議を開催することになっていて、
そのメインの議題の一つが「保護者向けアンケートの集計結果の分析」だった。
もう忘れた方もいらっしゃるかもしれないが、夏によくする会で行ったアンケートだ。

対市交渉の要請項目として生かしたり、あるいは学習会の内容に生かしたりと、
すでに活用はしてきたところであるが、本来の意味での結果発表のようなことは
実はまだ出来ていない。
数を形式的に発表するだけなら大した手間ではないが、それでは面白みもクソもない。
それでその数字や回答を僕たちなりに分析して発表しようと思っているのだ。

しかしまあ、数が数だけに大変だった。
なんとか、概ね集計が終わり、分析も試みて今日の事務局会議で検討も行った。
あとは形を整えて発表するだけだ。
もちろん、発表することに意義があるのではなく、
結果を今後の活動に生かすことに妙味があるのであり、
そのための分析でもある。

とはいえ、相当に肩の荷が降りたのも確かだ。

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さて、春になるということは、
保育園では卒園のシーズンを迎え、
そして直ぐに入園のシーズンだ。

ほっとしたのも束の間で、
すぐに次の準備を始めなければならない。

アンケートの集計で相当疲弊して
「当分、よくする会の活動はいいや」
と思っていたのだが、
喉元すぎれば何とやらでまたやる気になっているのが恐ろしい。

多分、この寒気のせいだろう。







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先日、といってもずいぶん前だが、NHKのETV特集で偶然見た広島の清掃員画家ガタロさんに、
いたく感銘を受けた話をこのブログで書いた。

で、この年末のことだが、長年の知り合いでその記事を読んでいたKさんが
「こんどガタロさんの絵画展がありますよ」
と知らせてくれた。
Kさんも、偶然はじめて入ったギャラリーでその事実を知ったらしい。

それで僕は行く気満々だったのだが、なにしろこの間忙しくて、
まさに“忙殺”されていたところ先日思い出してそのギャラリーのホームページを見た。
時すでに遅し。ガタロさんのギャラリートークは既に終わっているし、
絵画展自体ももう終わる寸前だった。

その後、横浜でもやるというのでギャラリートーク(ガタロさんと武蔵大学教授の永田浩三さんとの対談)の申し込みをした。
なんと、すでに定員いっぱい。5人のキャンセル待ちということだったが、ダメ元で申し込んでおいたのだ。
で、仕事も休みを取っておいたが今日まで連絡がないのでもう諦めて、せめて絵だけでも、と思って
電車で横浜に向かっている途中に「キャンセルが出た」との連絡をいただいた。


思うに、Kさんが偶然入ったギャラリーというのも偶然という必然のような気がするし、
僕に連絡をくれたのも、僕がたった数行ながらちゃんと情報発信しておいたからだし、
なぜか人気沸騰中のガタロさんなのに5人もキャンセルがあって席が回ってきたし、
ようやくこれまでやってきたことが少しずついい形になり始めたような気がする。

実はおまけにトークショー後のウェルカムパーティーにも参加し、
その後の帰り道で参加した男性二名とすっかり意気投合して池袋で飲んで終電間際に帰ってきたのだ。

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もちろんガタロさんの絵にもギャラリートークにもいたく魂をゆさぶられたから、
ここで書きたいこともたくさんあるのだ。
けれども、力量的も紙幅の都合上も、そんなに多くは書ききれない。
そのなかで一つを上げるとすれば、それは表現の主題とスタイルということだろうか。

ガタロさんの大作(ベニア3枚分)の『豚児の村』という作品に、作品についての説明が添えられている。
「絵や芸術は説明ではないと謂うが果たしてそう言い切れるか」
で始まるこの文章は、作品についての説明、それを描いた背景や意図、為政者に対する批判や、
東京での絵画展にこの作品を出すことについての心の迷いなどが記されている。

実はこの作品は、被爆後の広島の平和のシンボルである平和大橋が中心に大きく描かれるとともに、
原爆ドームと、その脇に破壊されて傾いた原発建屋が描かれ、その建屋からは汚染水が流れ出ている。

ガタロさんがこの絵を描いた1985年というのは、2011年の福島第1原発事故のはるか前であることはもちろん、
1986年のチェルノブイリ原発事故の1年前ですらある。
それを、3.11後の今読み解く鍵として、この絵についての説明書きが必要なのではないか、
というのがガタロさんの思いであるように思う。

トークの中でこのような話もされた。
近代美術の創造期(明治時代)に西洋の絵画方式を取り入れる際、余りにも西洋流に傾き過ぎ、
日本的なものアジア的なものを全て排除してしまった。
なかでも「言葉」を排除した。昔は「書画」といって書く事と描くことは同じだった。

被爆した広島市民の描く原爆投下後の絵、絵を学んだことのない、絵心もない無辜の人が書く絵が心を揺さぶる。
その絵には必ずといっていいほど「言葉」が付着している。
「助けて!」「水ヲクダサイ」「ナムアミダブツ…」「地獄だ!」

そういわれてみれば、確かに春画などの浮世絵には雲形の中にたわいもない説明書きが書かれてることも多い。
あるいは絵のそばに片仮名でちょこちょことセリフの様なものが描かれていたりする。

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そして僕は、やはり去年、Kさんのお誘いで行った「山本宗輔写真展」で、
山本さんと語り合ったことを思い出した。
あれほど印象的な写真であるのに、山本さんの写真には必ず説明書きが結構な分量で添えられている。
写真展の展示もそうだし、写真集の中も同様だ。

山本さんは「写真だけではわからない」とおっしゃっていた。
もちろん、鑑賞者は写真そのものからたくさんのものを受け取るだろう。
しかし、その人がどんな人でどんな体験をされてきたか、どんな思いで暮らしてこられたか、
それは、皺は深くともいまは穏やかに見える表情から伝わり切ることではないということだろう。
だから文章による説明があって、より説得力を増すということではないだろうか。

あるいは僕も歌を作り、それを発表する際に、
極力、ブログで歌についての説明を加えるというスタイルでやってきた。
今回ホームページを作成するにあたっても、わざわざ「歌について」というページを設け、
何曲かではあるが、その歌にまつわるドラマを自ら解説している。

こういうやり方は、場合によっては「やりすぎ」であり、無粋なことであるかもしれない。
しかし僕は、これによってより歌の世界が豊かになるはずだと思ってやっている。
言葉を使わない「絵」や「写真」ならまだしも、言葉をたくさん使える「歌」にまで、
という気がしないでもないが、歌詞は歌詞で言葉を厳選しているのであり、説明調の歌はつまらない。
だから作品と解説はセットなのだ、ということは僕にとってはわかりやすい。

というわけで、主題(テーマ)があり、それについて表現者として語りたいことをあえて文字で語る。
それが「ありなんだ」ということをあらためて力説されたことは新鮮であった。
もちろんこれはスタイルの問題だから、そうでないスタイルもあっていいわけだ。

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パーティーの終了間際、ガタロさんに質問した。
「あの画集はもう再版されないんですか?」
ETV特集で紹介された初めての画集で、自費出版だから数百部の規模ではないかと思う。

「うん、それが僕のポリシーだから。」
画集を再版して出すとなるとまた木を切り倒さなければならない。
パルプを使うということはそういうことで、大した値打ちもないことにそんなことはできないのだと。
ガタロさんはどこまで行ってもガタロさんなんだな…。

「じゃあ、ガタロさんの絵が見たい時はどこに行ったらいいんですか?」
「・・・う〜ん、きっとまた会えますよ!」


そうだ。きっとまた会える。
今日も会えないはずのところを会えたのだし。










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毎日それなりに仕事が忙しくて収入的には好ましい。
が、僕のような人間は元来仕事人間ではないので、
仕事に埋没するというのは苦行に近い。
なにか、ほかに打ち込んでないと…ということで、ついつい余計に忙しくしてしまう。

で、今日は地域協議会(川越市次世代育成支援対策地域協議会)の本会議が開催された。
「かわごえ子育てプラン」の進捗状況に関して、市からの自己評価をもとに検討・議論・提案を行う。

今日は基本目標1「子どもと親の豊かな健康づくりの推進」、基本目標2「心身の健やかな成長に資する教育環境づくりの推進」、
基本目標3「子育ての喜びを実感し、子どもとともに成長できる機会の充実」の三つの柱についてだった。

先日の作業部会で論点を絞り、いくつかの所管課に出席をお願いしておいた。
事務局であるこども政策課のほかは健康づくり支援課、教育指導課、教育センターに出席していただいた。

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論点の第1は「行政の保護者に対する情報発信のあり方」だ。
直接的には例えば「生活リズムの大切さ」をどのようにわかってもらうか、どこでどう伝えていくか。
事業としては健康づくり支援課が「産婦・新生児訪問指導」「両親学級」「育児関連講座等への協力」
などで親と直接関わりを持っている。
(余談ながら保育園や幼稚園などに通っている場合は園からのお話もあるだろうし、
毎日、比較的規則正しく生活せざるを得ないので、そうではない親子が特に対象となる。)

お母さんだけに伝えても、とか、生まれてからでは遅すぎる、とか、
いろいろいっぺんに話しても入っていかないとか、講座みたいなスタイルでは対象が限られるとか、
もろもろ問題もあり議論もして、今後の事業に生かしてもらうことにした。

ある意味、親にとって情報過多の時代でもあり、また「わかってはいても実行が難しい」のが子育てであり、
また行政の側も、やりたくても予算や人員の問題あり、で思うようにはいかないのが現実だ。
それでも確実に、所管課もやろうとしているし効果も出てきているのではないかと思う。

第2の論点が「発達や教育に関する相談事業のあり方」だ。
例えば健康づくり支援課が「思春期保健相談事業」を、教育センターが「教育相談・就学相談事業」を行っている。
これはどちらも、親でも子でも相談していいし、それを皮切りに専門的な機関への橋渡しにもなるものだ。

まず間口の問題としては、相談したいときに気軽にアクセスできる、アクセスすべき窓口がわかる、
ということが重要である。
そして相談の過程においては、相手に合った丁寧で親身なやりとりができているか、が重要だろう。
さらには相談の結果として、必要があれば専門的で継続的な支援を受けることができるような案内が、
適切に行われなければならないだろう。

それぞれ、委員から問題提起があり、所管課からの説明があり、
所管課も問題意識はもって様々な試みを始めているようである。
だが例えば、発達の遅れなどがわかったとしても、その後の療育のキャパが小さすぎて、
なかなか必要な対応が取れないというような問題もあるようだ。
(まあ、重ね重ね指摘してきているように、発達支援センターさえまだ本決まりとなっていないなど。)

ともかく、大まかな方向性としてはいいように思う。

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3つ目の論点が「子育て体験学習の今後について」。
この事業はこども育成課(旧子育て支援課)が中心となってNPO法人と連携して始めた事業だ。
簡単にいうと乳児を連れた親子と中学生を引き合わせて命の教育を行うような事業だが、
その仲介役として教育指導課が一枚噛んでいる。
そしてこの事業が大変好評なものだから、教育指導課ももう一歩踏み込んで本腰をいれてくれれば、
というのが委員側の希望である。

というのも、事業が始まってちょうど3年、
順調に滑り出しはしたが課題も多く、特に教育課程にはない事業であることや、
予算の制約があることで希望する中学校すべてに授業を受けさせられなかったり、という問題もある。
なにより、これから先、このままで漫然とやっていくのか、それとも、
広がり、内容の深化ともども発展させていくつもりがあるのか、が問われているように思う。

今日は、そういう論点を整理して投げかけた、ということだろうか。
この論点についてはまた日を改めて深めてみたいと思う。

4つ目の論点が「少人数学級・少人数指導の充実が県費だのみでよいのか」。
これについては去年の同じ回でも議論したが、子どもたちの理解促進のためのせっかくの事業が、
県の予算で行う事業ということで、その予算の範囲でしか行われていないことについて疑問を投げかけた。
ご存知のとおり、例えば今の小学校のクラスというのは、僕が小学生の頃に比べて人数は少ないものの、
授業の様子は随分と様変わりしている。つまり落ち着かない状態であり、理解の度合いに差が開いてきている。

これを、国基準の教員配置に加えてすこしでも教員の数を増やし、
個別的な指導や理解度に応じた指導を増やしていこうというものだ。

今日わかったことは、確かに上記の事業については県費の範囲にとどまってはいるが、
市の事業として「オールマイティーチャー配置事業」「スクールサポーター配置事業」「自立支援サポーター事業」
を行っているということだ。もちろんこれらも予算の伴うものゆえ、極めて不十分ではある。
例えば「オールマイ〜」などはほとんどの学校から要望があるのに対して、
予算としては臨時教員10名分くらいのものらしい。
スクールサポーター事業も、週に1回〜5回まで、状況に応じて派遣しているということだ。

何を話しても結局は「予算」ということにゆきあたってはしまうのである。
とはいえ、なんとか工夫してやろうとしていることは大いに評価に値するのではないか。
やはり、市長が先頭に立って、子育てや教育に本格的に力を入れるということにしない限り、
なかなか充実した事業にはつながらないように思う。

その点、川合市長は何をやりたいのか、今だにわからない。

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今日は仕事を休んだので、本当に久しぶりに保育園にお迎えに行き、
久しぶりに三女と四女を風呂に入れることができた。

一緒に風呂に入れるのもあと何年だろうか、その間に何回あるだろうか、
そんなことを考えた。



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年の瀬の集い






信心

今日は通りがかりの神社に立ち寄った。
僕はこの神社とかお宮というのが意外と好きだ。
だから車を走らせていて目についたら、
時間と状況が許せば立ち寄ることも多い。

いやなに、特に神道に心酔しているわけではない。
むしろ、この通り形式ばらない人間だから、
特定の宗派などには属しようがない。

ただ無宗派であることは無信心であることを意味しないと思っている。

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神社というのはなんといっても凛とした気に満ちている。
これは、そこに神が宿っているからであろうか。
それとも現代においては特段に自然が残っているせいであろうか。
どちらにしても僕にとっては同じことだ。

いつだったか、神社は全国にコンビニと同じくらい存在すると聞いたことがある。
それだけ、人間にとってはなくてはならない場所であったということだろう。
かつての人々にとっては、現代人にとってのコンビニと同じくらいに
生活に欠かせないものであった訳だ。

今の僕にとってはもちろん、
神社よりもコンビニの方が身近な存在となっている。

とはいえ、折に触れて神社を訪れ、そこに満ちた気を取り込み、
あるいは柏手を打って自分と向き合うのもなかなかいいものだ。

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余談ながら、今日は新春ということもあり、
おみくじをひいてみた。

存外によい運勢だったが、あれはどうしたらいいのだろうか。
悪かったときは境内の枝に結んでくると良いと聞いたことがあるが。







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