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バスの事故の波紋が広がっている。 睡眠時無呼吸症候群などの疾患も原因として疑われているが、 連続11日勤務の過労も取りざたされている。 僕も何か用事があるとき以外は休まないから、 連続11日くらいは平気で働いている。 それで会社の担当者がビビッて、少し休みを取ってほしいようなことを言ってきた。 僕はイタクなのだから労働基準法の適用外だ。 たとえ社員と同じ仕事をしていても僕が社長なのだ。 365日働いても誰からも文句をつけられる筋合いはない、 というのが法律の建前だ。 僕は運転していて眠くなるというようなことはあまりない。 その体力を維持するためもあって、一日の食事量を1〜1.5食としているのである。 森下敬一医博によると、1食につき必要となる睡眠量が3時間。 「消化」にはそれくらい、胃腸に負担がかかるということだ。 なお、1日1食で健康というのは近年、南雲ドクターも主張しておられるところだ。 本題に戻ろう。 今年度はとにかく、仕事優先ということでやってきた。 が、子どもたちと関われるのも今のうちだし、 自分も音楽活動などもう少し力を入れたいので、 多少は休みを取ろうと思っていたところでもある。 ちょうどいいので来年度は少し休んで自分の自由時間を確保しよう。 ただし、収入が低いことは代わりがないので油断はできない。 毎週、必ず決まった曜日に休むというような甘いことはいってられないし、 そんな必要もない。 そもそも、どうしてこの手の事故がなくならないのか。 大きな原因として「勝ち組負け組」社会における「負け組の負けスパイラル」があると思う。 どこを起点に話をすればいいか、例えば労働者を起点としよう。 バスの運転手でもトラックドライバーでも、今話題の契約社員でもいい。 多少なりとも稼ごうと思えばかなりきつい仕事をしなければならないし、 そもそもあまり仕事を選べない上に収入が低い。 仮に転職しても収入が増えるわけではない。 どこも200〜300万と相場が決まっているし、 「となりの芝生が青く見え」ても、何度か転職すればどんぐりの背比べであることがわかる。 仕事を選べないのだから、会社に文句をいうのもはばかられるし、 文句を言ったところでそうそう変わるものでもない。 会社は会社で、グローバリズムの中での競争にさらされていたり、 あるいはデフレ時代の安売り競争に血道をあげざるを得ない。 削れるのは人件費や下請けの工賃、納入業者の納入価格などだ。 わかりやすくいえば弱いところにシワ寄せして今をしのぐしなかない。 (もちろん、下請けや孫請けの企業は会社経営は大変だが、場合によっては 社長は着物を着て錦鯉に餌を放り込むくらいではあったりする。) 負け組であり弱い者である労働者は、会社に文句も言わず、 生活防衛のためにやはり安いものを買ってあえぐように暮らすのみだ。 中にはアルバイトを掛け持ちして少しでも収入を上げようとするものもいるが、 それも体が続くうち、ということであり、 物事の根本的な解決になるわけではない。 もう、一度負け始めると、(といっても負けた覚えもないのだが、) 負け組から這い出すことはほとんど不可能であるし、 勝ち組の準備した土俵の中で負け組同士の取っ組み合いをするようなことしかできないのが現実ではないか。 そういうやり場のない不満が、いろいろな形で噴出する社会は、やはり健全な社会ではない。 また、社会構造として、人が使い捨てられるようなあり方も健全とはいえないと、僕は思っている。 だからといって、僕になにも解決の処方箋があるわけではない。 せめて、自分が関わっている範囲で、できることはやろうとしていることと、 あとは自分を守るために「食」を中心として独自の生き方を試みているのである。 |
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ラジオを聴きながら仕事の毎日だ。 TBSラジオのお昼前、「女のリポート」というコーナーがある。 リスナーの手記を大沢悠里氏が朗読するものだ。 泣かせるものが多い。 しかし実話であるところが強い。 今日は79歳の女性からのお便りだった。 戦後まもなくの頃の回想を綴ったものだ。 当時、近くに「はるちゃん」という小さな女の子が住んでおり、 この女性はお姉ちゃんがわりのようにして遊んでいたそうだ。 はるちゃんはいつもお父さんの帰りを待っている。 家の中で遊んでいても物音がすると玄関を確認する。 ある日、突然外に飛び出して「ゆりかごの歌」を歌った。 4番まで間違わずに、上手に歌った。 聞けばお父さんがはるちゃんを寝かしつけるときにいつも歌ってくれた歌だそうだ。 その後もお父さんは帰ってくることはなく、親子はどこかへ引っ越していった。 それで、その女性は今でも時々、はるちゃんの澄んだ歌声を思い出すのであるという。 こういう話を聞くと胸が押しつぶされそうになる。 はるちゃんのこともそうだし、はるちゃんのお父さんのこともそうだ。 けれども、戦争になると当事国のいたるところではるちゃんのような子どもが生じることに思いをきたしたい。 最近の政府の動向を見ていると「戦争もできる一人前の国」作りに躍起になっているように思えてならない。 本当に一生懸命にやっているのは、景気対策でも貧困対策でも被災地復興でもない。 もちろん、平和を維持していくためには…というのもわからなくはない。 しかし、「実力行使」に頼らない平和への道を模索しようではないか。 誰だって自分の子どもはかわいい。 それはとなりに住む人も同じだ。 そしてとなりの国の国民もまた同じだ。 同じように自分の家族を愛し、同じように懸命に毎日を生きている。 その人たちに対して、僕たちは何も恨みはないはずだ。 仮に何らかのわだかまりがあるとしても、互いに国土を焼き尽くし、 命を奪い合うに値する感情などあるのだろうか。 僕たちは「平和ボケ」していると言われる。 それで結構だ。 戦争は嫌だ。争いごとも嫌だ。 |
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保育園の玄関には雛壇が飾られ、ぼんぼりに灯がともっている。 夕方だから尚更なのか、どことなく厳かな雰囲気だ。 家ではなかなかフォローしきれない年中行事を保育園が実施してくれている。 年中行事の大半は節句、つまり季節ごとの農耕行事と関わっている。 日常生活の中で実利的に役立つものではなくなったけれど、 日本人としてしっかりDNAに刻み込んでいきたい…。 保育園は単なる託児施設ではない。 僕たちはもっとその価値を再認識してもいい。 さて、先週末金曜の夜はよくする会(川越保育をよくする会)の第5回定例会として、 「保護者会長・よくする会担当役員会議」を開催した。 よくする会は保護者会の連合体ではないが、 各園の保護者会活動の上に成り立っているという意味では密接な関係を持っている。 しかし、なかなか保護者会長さんたちと直接お会いする機会も少なく、 よくする会の活動についてもなかなかお話する機会もないので、 年に1回くらいは一堂に会して直接やり取りができれば、と考えている。 それが、よくする会について理解を得ていくことにもなるだろうし、 反対に、よくする会から保護者会が各園で活動しやすい環境を整える方向でのアプローチを していく可能性が出てくるのではないかとも思う。 当日はグループトーク形式で、二つの論題で話をしてもらった。 「保護者会活動やよくする会の活動をしてきて困ったことや辛かったこと」 「保護者会があってよかったなと思うこと」。 とても真剣に話をしていただいた。 「困ったこと」では役員間、会員とのコミュニケーションの問題、温度差、 よくする会の活動を各園に帰って会員に伝える難しさ、集まりを持つ時間や回数の問題、負担、 そんなことが話されたようだ。 「よかったこと」では、最初は役員を好んでやったわけではないが、やってみてよかった、 保護者で友達ができた、子どもたちの喜ぶ顔を見てやってよかったと思った、 バザーやじゃがいもの収穫などで資金づくりをして子どもたちに還元できた、 など、たくさんの声を聞くことができた。 話し合いを通じて、みなさんそれぞれ感じることがあっただろうし、 僕たちもたくさんのヒントや宿題をもらった。 なにより、「よくする会が何をやっているところかわからなかった」という保護者会長さんにも、 少しでも理解をしてもらったことだ。そういう人はその方だけではなかったと思う。 本当に「伝える」ということは難しくて、僕たちとしても可能な限りの発信はしているつもりだ。 しかし、みんながみんな、こういう活動に興味や関心を持っているわけではない。 日々の生活に追われてそれどころではない、という人もいるだろう。 そうすると、いくら情報を発信しても、なかなか入っていかないということもある。 「知らない」といわれて工夫をして、「わからない」といわれてまた工夫をして、 それを繰り返すほかないだろうし、これはもう永遠の課題として追求していくしかないだろうと思っている。 とにかく僕は、よくする会や保護者会などが今の時代にあってもとても重要な役割を果たしうると考えている。 負担はあろうが、少しずつみんなで力や知恵を出し合って、 保育園という子どもと保育者が作っている小さな社会に、保護者も関わってその構成員となっていきたい。 決して保護者と保育園が、サービスの提供者と受け手、 対価の関係でのみ図られるものであってはならないと思っている。 |
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今日の朝日新聞、舛添新都知事のインタビュー記事が載っている。 「駅構内に保育所を増設」という見出しに目が行く。 やっぱりね…こんなことじゃないかと思っていたんだ。 意気込みはわかる。 だが、保育園って、こどもが一日を過ごす場所だ。 0歳から5歳という、一番伸び代が大きい時期のこどもたちが育つ場所だ。 ガチャガチャして狭くて、下手するとビルの中で危なくて、 遊び場もなければお散歩にも行きづらい、 そんな場所が保育園にふさわしい場所であるわけがないだろう。 通勤に便利というのは預ける側の発想だ。 しかも「預ける初心者マーク」の人たちというべきか。 こどもを預け始めて、ある程度こどもの育ちのことが分かってくれば、 子どもが育つ環境についてもそれなりに考えを持つようになるものだ。 仮にも厚生労働大臣の経験のある人がこの発想では。 そもそも、なぜ保育所が文部科学省ではなく厚生労働省の管轄となっているか。 そういうところから紐解いていっても自ずと答えが見えてくるはずだ。 「実務経験があるからやってくれるだろう」なんて期待しても、 発想が普通のオッサンと変わらない。 あるいは舛添氏は母親の介護をしたことが政治家を志すきっかけになったそうだが、 子育てをして保育園に関わった経験はないのだろうか。 待機児対策というのは都政の一大問題だから、 先の都知事選でも誰もが口にしていたのではないか。 僕は都民ではないからあまり細かいことまで検討したわけではないが、 候補により微妙なニュアンスの差が感じられた。 例えば宇都宮候補は認可保育園を基本に待機児対策をすると言っていた。 細川氏は市場開放して保育所を増やすと言っていた。 認可保育所を基本としながら市場開放して株式会社が経営する保育所を増やすという選択もあるから、 両者の違いはもっと突っ込んで議論をしないと明らかにならないといえばならない。 だが、「認可保育所を中心に」という表現の中には、 現行の保育所制度への評価を感じることができる。 東京では特に、認可基準を満たさない「認証保育所」制度が併存し、 そこでは随分と環境の整ってないところもあるようだから、 「認証」ではなく「認可」で行くんだ、という表現がその精神を表しているように思える。 他方、市場開放もすべてが「悪」とまでは言えないかもしれない。 だが、現行制度のもとで株式会社の目的、つまり「利益を上げて株主(所有者)に還元する」 ということを実現しようとすれば、人件費を削り、保育内容を下げる以外にないだろう。 つまり大人の「もうけ」のしわ寄せをこどもに及ぼすという危険が常についてまわる。 このように、同じようなことを言っているようでも、 突き詰めて考えれば随分と違いが出てくるものだ。 選挙の時はそういうことを論点として議論していくのでなければなるまい。 候補者ももちろんだが、識者、マスコミ、政治家などは、 そういう論点をわかりやすく示して議論を俎上に載せていく役割を もっと担っていくべきではないだろうか。 有権者も、少なくとも自分に関わりがありそうな論点に関しては、 もっと関心を持って耳を傾けていく姿勢が必要ではないかと思う。 そうでないと、いつまでたっても選挙が一時の茶番という状態を変えることはできまい。 選挙は終わり、新しい都知事は決まったわけだ。 今度は任せっきりにしないで、都政に注文をつけていこう。 都知事のやることをしっかり監視し、必要があれば物申していこう。 それは、自分が支持し、あるいは投票したかどうかとは一応切り離して、 都知事と都民の関係として冷静に見ていくことが必要だと思う。 |
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昨日はすごい雪だった。 夜になって家に着く寸前、車がスタックして動けなくなった。 小さい車というのはタイヤも小さいから、 スタッドレスを履いていてもなかなか思うようにはいかない。 実は昨年の大雪の日も、 新雪が積もった駐車場でスタックしてひどい目にあった。 それで今年は早々にチェーンも準備しておいた。 このチェーンはちょっといいやつで、 ジャッキアップしなくてもワンタッチで取り付けができるという触れ込みだ。 ちょっと高かったが、 「これならスタックしたその場で取り付けができる」 と、去年の状況を念頭に置きつつ決めたのだった。 案の定、昨日はスタックしたあと取り付けたが、うまく脱出できた。 ただし取り付けにはちょっとしたコツが必要で、 本当なら晴れた昼間に何度か練習しておくと良かった。 僕はそうしておかなかったので、ぶっつけ本番、 何度か外れて精神的に追い込まれてしまった。 ただ、慣れてしまえば取り付けは本当に簡単で、 ものの数分で取り付けができる。 だから、例えば今日のように大通りはほぼ雪が排除されているが、 一本はいるとかなり残っている、というような状況でも、 念の為に持っておけばいざという時にぱっと取り付ければいいのだ。 値段も、一般的な金属チェーンに比べると少し高いが、 樹脂製のチェーンに比べると圧倒的に安い。 雪道での安定性とか使える速度域の点では樹脂製に軍配が上がるだろうが、 コストや簡便さ、使用頻度などを総合的に考慮すると、 埼玉くんだりではお薦めできる一品だと思う。 |





