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若者のすべて

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雨の音でぼんやり起きて、またぼんやりと眠って、自分のお腹の鳴る音で起きた時にはもう夕方だった。昨日の単独の開放感からか緊張が解けたのか、身体のあちこちが痛く、何故か腹筋も筋肉痛で、這うようにお風呂に入った。髪乾かしながら単独のアンケートを読んでたら、また寝てて。起きて、あと10分で閉店する近所のスーパーに急いでかけこんで、財布に300円しか無く、100円のイカの塩辛と、奮発して豪華に200円のレトルトカレーを買った。もらった缶ビールと一緒にカレーをかきこんだら、また倒れるように寝て、気付いたら夜は明けて、明日が今日になっていた。一体、何度寝したんだろうか。計20時間は寝てたかもしんない。合間、合間で、隣の部屋のソファで一緒に住んでる同期のタイが寝てるのを確認出来たから、ずっとこの部屋だけ時間が止まってる感じがしたけど、ちゃんと時間は過ぎてて、いやぁ寝すぎたなぁ。寝すぎたねぇと。なんだか漫画の聖お兄さんのイエスとブッダみたいな会話をして1日が終わった。いや、始まったのか。



芸人になってから8度目の春。約2ヶ月弱の間で、痺れる夜がいくつもあった。数えだしたらキリがない。いくつものたまらない夜があった。



4月21日。僕は沖縄にいた。ホテルの最上階の中華料理屋、Tシャツ短パンから着慣れないスーツに着替えて、生まれて初めて祝賀会たるものを経験した。後ろを振り向けば、絶景の海が見える窓際の席で。雨が降ってて助かった。高所恐怖症なもんで、これで景色が良すぎたら、ただでさえしまくってた緊張にブーストかかってたよ。



話をいただいたのは今年の1月で。担当の社員さんから、STORYS.JPさんとよしもとの協業企画、自分語り映像化プロジェクト『カタリエ』に文章を投稿してみないかという話だった。STORYSはビリギャルなどの作品を輩出してて、去年からよしもとと提携していて、今回、「芸人になったきっかけ」で書いてみないかとのことだった。以前からずっと僕のこの拙いブログや、単独ライブなどを評価してくれる社員の竹山さんからのお話で。断る理由など何1つないじゃないか。喜んで承諾した。



あの何もない街に生まれてから今までの。たかだか何も成してない、しがない30年の、芸人になってからの7年を。思い出して思い出して呼び起こして見つめ直して、何回も脳内のタイムマシンで戻っては、戻りすぎて涙が出てくる夜を繰り返して、いろんな人の顔を思い浮かべて、ゆっくりと丁寧に心を込めて書いた。



サイトで文章が公表されてから、思いがけない反響があった。同期や、先輩や後輩芸人、スタッフさん、社員さん、お客さん、いろんな人から良かったと声をかけてもらった。卒業してから全然会えてない地元の友達からも連絡が来た。いろんな形でエールをもらった。覚えてる、俺全部覚えてるよ。君とあん時こんな話したよな、卒業式一緒に写真撮ったよな、覚えてるの俺だけかと思ってたよ。君も覚えてくれてて、なんだよ、ずっと気にかけてくれてたのかよ。すごくすごく嬉しい。僕があなた方の言葉にどれほど嬉しかったか、涙が出るんだよいつも。本当にありがとう。



話を聞いたのは沖縄の祝賀会の1週間ぐらい前で、無限大ホールで社員の竹山さんに聞いた。
「大賞おめでとうございます。」



声にならない悲鳴が出た。受賞の発表がまだ先で公表出来ないから、発表までしばらく秘密でということで。2人で声を殺して万歳した。やっと少し恩返し出来た気がしますと言う竹山さんに。何言ってるんですか、こっちの台詞ですと。やっと今まで力になってくれた方や、応援してくれた方に少しだけ恩返し出来た気がした。僕みたいなもんを気にかけてくれた、応援してくれた、出会ってくれた全員に抱きしめてほっぺにキスしたい。何回だってありがとうと頭を下げたい。だって僕の書く文はただ、今まで出会ってくれた人との日々や夜を、酔った勢いで書きなぐってるだけの日記だもんな。なんも凄いことない。凄いのは僕と出会ってくれて、人生に混じってくれたあなた方だ。




誰にも内緒だと言うけど、我慢できず、相方の信清と単独についてくれてる後輩作家とタイにだけ伝えた。無限大ホールの隅っこで、信清に伝えると、おお、やったな!!と自分のことのように喜んでくれた。こいつの素晴らしいところは人の喜びを200で喜べるところだ。喧嘩は死ぬほどするし、ムカつくことだらけだが、こいつは多分誰よりも幸せに楽しく生きるだろう。どうか死ぬときはこいつより先に死にたい。きっとギャグかなんかやって盛り上げてくれるに違いない。先に死なれた日にゃたまらない。地獄のように泣いて長すぎる弔辞に、皆が引くに違いないからだ。




沖縄では、社員さんやSTORYSの社長の清瀬さんや、同じく大賞を受賞した須田さんと、とても熱く真っ当な酒で乾杯できた。このきっかけをくれた清瀬さんと、何歳も人生の先輩なのに、僕らは同期ですよこっからかましましょうと言ってくれる須田さんに感謝しかない。




沖縄から帰ってきて、受賞したことが発表されて、それをきっかけに知って読んでくれた先輩方やみんなにも沢山祝いの言葉をいただいた。他事務所の芸人さんからも別の現場で沢山声をかけてもらった。おんなじように道の途中で、日々をもがいて闘ってる同士たちからの声は胸に何よりも響いた。





単独の前日に、ポイズン吉田さんのオールナイトトークライブにお呼ばれした。ゲストに笑い飯の西田さん、虹の黄昏さん、僕らサンシャインという。嘘だろと思うような痺れる夜だった。小学生の頃にM-1で見た憧れの人達と、こんなにも全員尊敬してやまないスーパーおもしろ兄さん方と酒飲めて語れる夜があるとは。楽屋のモニターで吉田さんと西田さんのトークを、虹さんと4人で酒飲んで喋ったあの瞬間をなんて言えばいいんだろうか。西田さんと楽屋で信清と3人なった時に、勇気出して、

西田さんお酒は飲まれるんですか?

と聞いたら、

飲むけど、全部吐いちゃうねん。

と言う西田さんに3人で爆笑した。


吉田さんとのトークじゃ、僕のブログが好きで、更新されたら奥さんにも伝えるほどだよと言われた。僕はもう10杯は生ビール飲んでてベロベロだったけど、飛び上がるほど嬉しくて全部覚えてる。


虹の黄昏野沢さんが、帰りにベロベロでくしゃくしゃの笑顔で言ってくれた。明日単独頑張ってね。絶対上手くいくよ。だってさ、絶対上手くいくよ。


一瞬、朝方にロックンロールの神様を見た気がした。目を凝らしてもっかい見たら、メイク前のババアだった。涙がひっこんだ。




その次の日の単独ライブは、僕らがネタを5本やって、敬愛する兄さん方に審査してもらうコンテスト方式の単独で。審査員の皆さんはKOCのチャンピオンや、ファイナリストでもうコントの達人ばかりで。今までにないプレッシャーで2ヶ月間謎の頭痛と肩こり、地獄の追い込まれ方をした。はじまって見れば沢山のお客さんで、仲間の芸人たちも沢山見学に来てくれて。痺れる緊張の中、なんとか1時間を駆け抜けた。厳しく愛情のある審査をしていただいて、コメント一個一個、後でDVDで見直して、全て全部心臓に刻んだ。ネタの作り方や、見せ方の弱いところが露呈して、ネタを噛んだりもして、自分じゃまだまだだと、何も満足することは出来なかったけど、とても意味のある。意味のある夜だったとする為に。沢山の感謝を返すために。こっから、こっからまた踏ん張って駆け抜けるしかない。もっと、もっとだ。




そんなこと言ってたら、緊張の糸がとけたのか20時間寝て、1日が終わった。そう言えば今日は母の日だった。



沖縄から帰ってから、母ちゃんに電話で受賞の報告をした。よかったやんね!ととても喜んでくれた。1番とるってのは中々出来んよ、凄いことや、あんたは私の宝物や。とシラフじゃ到底言えないようなことを平気で言ってきてくれる。ありが、、とお礼を言おうした瞬間、ただ調子に乗んなよ。謙虚に、誠実にやと。毎回ちゃんと釘を刺してくれる。わかってる、わかってると繰り返した。
とりあえずその書いた紙、コピーして郵送で送ってばい。と、文明が何もない農家の嫁に、カタリエという媒体でスマホから読める、、、と説明するのも難しく、実家の兄ちゃんに聞いて、と全部を任せて電話を切った。



しばらくして、母ちゃんからメールが来た。




見たよ。父と二人で、声出して、笑い感動しました。これをきっかけに、夢が叶うように母は、御百度参りに行こうと思います。どこに行けば、いいか
わからないので、筑後の恋木神社に行くよ。だから、もし、チャンスを逃したとしても、諦めないでね☺必ずや夢叶う日が来るから太も望も、凄いやんと、いつも光のこと羨ましく思ってるし自慢して応援してるよ




なぜ毎回メールの時、一人称が母、父なのか。改行と、絵文字のタイミングも、句読点の有無も。僕が言うのもなんだが、文章としてダメ出しすればキリがないかもしれないが、僕はいつもこの人の言葉にグッときてしまう。この人の言葉には嘘がないからだ。


ただ、御百度参りて戦争に行くわけでも無いし、しかもこの恋木神社とは、僕の地元にある日本で唯一の鳥居にハートのついた、縁結びの神社で。中に入っても嘘だろぐらいハートだらけの、地元の女子中高生とカップルしかないない地元のデートスポットで。そんなところに、還暦近い農作業着のお母さんが必死の形相で御百度参りしてたら、町ぐるみの大問題になるに違いない。せっかくの青春を謳歌してるカップルに、戦時中にタイムスリップさせるのは気の毒だ。



いや、いいよ!気持ちだけ受け取るわ。ありがとう、まあすぐに売れて世界旅行プレゼントするから健康だけ気をつけて元気に仲良くいてや。
と、何年も言い続けてる強がりを返信して、涙を拭いた。



僕はまだこんな強がりしか母の日に送れてない。情けない息子だ。世界旅行はまだとうてい無理だが、近々東京旅行でもプレゼントしようかと思ってる。仲良い兄さんや同期たちに会わせたい。手料理とかは全く出来ないが、絶対好きになると思うんだよな。息子が言うのも気持ち悪いが、めちゃくちゃいい女なんだよ。




単独終わって怒涛の3連休の2日目。お金の無さに反比例する有り余る時間に目眩がした。今日はコントの設定を100個出そう。馬鹿でなんの身にもならないどうしよもないコントを。押入れから扇風機を出した。夏はもうそこまで来てる。

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地元の友達からのLINEの着信で目覚めた。
喉がカラカラだ。窓から入ってくる風がぬるくて、その瞬間僕の部屋は完全に初夏だった。最寄り駅までの坂道の真上にある桜はいつのまにか緑が交じってて、気づけばすごい速さで季節は駆け巡ってる。テーブルの上の飲み残したぬるいハイボールをまた水と間違えて飲んだ。いい加減にしてくれよ。


名古屋で1月に放送があった本能Zが福岡でついこないだ放送されて、それを見たと友達からの連絡だった。友達の名前は倉員。高校時代、地獄の童貞ロードを一緒に泣きながら駆け抜けた戦友だ。倉員は実家がぶどう農家で、国立大に現役で受かるほど僕らの仲間内じゃぶっちぎり頭が良く、優しくていい奴だったが、ごつい体格と目つきの悪さに相まって髪の毛が一部分だけ何故か赤毛だったので、不良扱いされて指導員の先生に怒られていた。それでもお互い実家が農家でほとばしるほどモテなかった僕たちは高1の時に同じクラスになってすぐに仲良くなった。いや、すぐにじゃない。後で聞いてわかったんだけれど、僕は最初クラスに知り合いが誰もいず、人見知りなせいでずっと誰とも話さず1人でいたんだけど、その時スーパーサイヤ人みたいに髪をツンツンに立てていて、それでいて筆箱を小2の誕生日の時に友達からもらったバッドばつ丸の筆箱を使っていた。ただでさえ奇妙すぎるのに、入学3日後には剣道部の方針で坊主にしなくちゃいけなかったので、クラスのみんなはスーパーサイヤ人から急にクリリンになったばつ丸好きのサイコ野郎だと思ったらしい。そんなの怖いにきまってるよ。1番怖いのは、僕は小中9年間、同級生が50人しかいなく皆、全員のことをよく知っていて。僕が小2の誕生日会で友達のひろきに貰ったバツ丸の筆箱を愛用してるのは僕の学年じゃなんにもおかしなことない、むしろ友達思いのいい奴として捉えられていた。それが、高校でそれを聞いて、あ、そうか、高1男子のバツ丸の筆箱はまじヤバいなていうのが高1のその時まで気づかなかったのだ。習慣というのは恐ろしい。すぐに僕は銀のアルミのペンケースに変え、バツ丸は机の引き出しにそっと眠らせた。それから誤解は解け、仲良くなった僕らは色んなことを話したはずだ。こんなこともあった。たまたま荷物を取りに行った部活の更衣室の扉が開いていて、その隙間から着替えてる女子の先輩の下着姿を見てしまった時、たまたまとは言え僕は世紀の大犯罪を犯した気になって、涙目で倉員にどうしようと相談した時。今となっちゃその先輩の顔も下着姿もおぼろげで覚えてないが、どんな色だった?と聞いた倉員の顔ははっきり覚えている。僕が好きすぎて5回告って5回フラれた永田さんと付き合えて、結局フラれたその日、ふざけんなおい!と泣きながら倉員に電話したら、爆笑してなぐさめてくれたこともあった。高校の卒業旅行で大分の温泉にみんなで行った時、帰りのバスで倉員が好きな娘が自分の親友と付き合ったことを、運悪く旅行の日に聞き、帰りのバスでもずっと号泣していたこともあった。あまりにも泣くから、僕が、

「お前の悲しみを癒すことは出来んけど、お前を笑わせて少しでも元気づけれるよう頑張るわ。、、、とか、今は言っとけばいいよな?」

と、言ったら

「それ、おもれー。」

と、怒らず笑った。この日のことを後に、あれまじおもろかったわ。慰められるよりまじ救われたわと倉員があまりに言うからそれで僕は勘違いしてしまったところもある。これで僕が芸人で売れずに死んだら、倉員には葬式でこの時の話をバシャ泣きして皆に伝えてほしい。じゃないと割に合わないよ。


そんな地獄仲間の倉員も、今じゃ実家のぶどう農家を継ぎ、奥さんまでいて、なんと昨年末、待望の息子ちゃんまで授かった。あの倉員が、あの倉員だよ。色々と家族間や諸々の問題も1人で抱え、実家を継いで立派にやってるこいつが僕は誇らしい。僕は僕で日本一のコント師になると言ってるが、倉員は日本一のぶどう農家になるとずっと言ってる。僕らの賞レースばりに熱量と人生をかけて闘っている。それで家族も背負っているから、それはもうすごいなぁと思う。


そんなやつに、本能Z見た、感動したと言われたら僕も二日酔いの昼間なんて関係なく、グッときてしまった。


僕のストーリーで書いたやつも読んでくれたらしく、まあ意外におもしろく読めた、とかぬかしてきたから、まあ、どーん売れて有名女優付き合ったら言いますわ!と返したら、そんなんいいからちゃんといい人見つけろと親みたいなこと言ってきた。なんでそこ真面目なんだよ。同時に送られてきた息子ちゃんの写真もあまりにも可愛すぎて悶絶してしまった。君に自慢出来るようなおじさんになりたい。呆れるほどおもちゃを買ってあげたい。おじさんは君のパパには頭が上がらないけど、君が反抗期で家出しても東京でこっちのおもしろおじさん仲間と一緒に馬鹿みたいに遊んであげるからな。そしてその後ちゃんと家まで帰らせる。たまにムカつく時もあるかもだけど。なにも心配ないぜ、君のお父さんは最高にかっちょいい。



8年目になった。最高に痺れる日々だ。なんとかしたいから、なんとかしなければ。だってこんなにも、こんなにも恩返しをしたい人が多すぎる。


信清は坊主になった。今のところ、信清が坊主になった理由第1位は、嵐のコンサートのチケットが取れやすくなると聞いて、だ。


今年もちゃんと痺れそうだ。

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雪が降る街

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東京じゃ今年2度目の雪が降ってる。九州は福岡に生まれた僕にとっちゃ、雪なんて滅多に見ることは無くて。たまに降ったとしても、薄く貼っただけの雪では、雪だるまは泥だらけで。そんなものだと。綺麗に積もる雪を見れば、東京に来たのだ、東京にいるのだと、強く思った。


どうにか、どうにか気持ちを伝えようと、毎度試みるけど、本当の気持ちが伝わったのかどうかは本当のところは誰にも分からない。もっと優しい言い方は出来なかっただろうか、もっと冗談めいて言えなかっただろうか。なんでもっと上手く言えないんだろう、なんでもっと想えなかったんだろう。結局は後悔ばかりの日々だ。なんだよこの夜は。


始発を待たずに、新宿から歩いて帰る。戒めのように歩いて帰る。外は横殴りに雪が降っていて、傘をささずに、コンビニでいつものように缶ビールを買って帰る。雪が雨より優しいのは、濡れるのに時間をかけてくれるからだ。


なるだけ、なるだけ後悔しないように生きてる。生きたい。心がける。10年後の僕にとっては、今日はどうしてもやり直したい、戻りたい今日かもしれない。タイムマシンで真っ先に戻りたい今日かもしれない。それでも、そんな先の話なんてと思う自分がいて、途方もなく、途方もない夜を歩いた。


2本目の缶ビールを買うコンビニで、東南アジアの方だろうか、店員さんが、声をかけてくれた。


今日は寒いですね。


笑顔で話す彼に、また雪が降っちゃいましたね。と返した。


帰り気をつけて。
朝まで頑張ってください。


缶ビール1本だけ買って、入り口のドアを抜けたら、しゃがみこんでボロボロ泣いてしまった。こんな真夜中に、雪だらけの格好で缶ビール1本だけ買うような変なやつに、こんなにも、こんなにも優しい。たまたまかもしんない。ちょうど機嫌が良かったのかもしんない。それでも、なんだか全部のことが、全部が吹き飛んでしまうような、馬鹿みたいだ。思いがけない時に、思いがけないものに。救われる時がある。ふとしたことで、人生はビカっと明るくなる。


雪は容赦なく僕に降りつけるが、寒いなんてことはないぜ。心はずっと燃え続けてる。


優しくありたい。近ければ近いほどだ。だって僕の心はこんなにも複雑で簡単だ。それしかないじゃないか。いつのまにか明日は今日になった。いつだってそうだ。やらなきゃいけないことをやるだけだ。だから上手くいくんだよ。


ただ、爽快までゼロになるのは違うよな。

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10年前成人ボーイズ

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今日は成人式。僕にとっては10年前。ちょうどその時のことを、2年前の今日書いていて。せっかくだから。時間軸がバラバラ過ぎて、なにもせっかくではないけども。すごいせっかくだから。
ちなみに、僕は今日年末年始公演終わって15時間寝て、明日のR-1一回戦に震えてる。10年前好きだったあの娘は友達と結婚して可愛いベイビーもいる。姪っ子たちにお年玉もあげれない僕は夜な夜なネタを書く。立派なかっちょいい大人になるにはまだまだだ。





2016年、今年もニュースじゃ成人式で暴れる若者たちが取り上げられていた。とはいえ、ひと昔前の一時期の暴れっぷりにくらべたらだいぶ落ち着いてきたんかじゃないかと思う。


今年の成人の日、28歳の僕はというとキラリ白虎隊という神保町花月の年末年始公演の真っ最中だった。武士の役だったので、着物と羽織りを着て、なんだか軽く成人式をやってる気がして良かった。役中の台詞で、「文字が書けるようになったら日々の出来事を書き留めておきたい。毎日の喜びを、何年後かも読み返して思い出したいんだ。」という台詞があった。日記て素晴らしいよな、ということだ。


思い出した。何をかくそう、8年前。僕も20歳の時に日記を書いていた。しかもmixiで。懐かしすぎる。時代しか感じない。それこそ成人式終わりの出来事を。8年振りに思い出して、読み返したら、顔からメラゾーマ出るくらい恥ずかしい稚拙な日記だったので、その時の全文を今から載せようと思います。

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「長すぎるので、暇すぎる時に読みすぎてください。」

今年、僕が住んでる町が合併した。みやま市っていう変な名前になった。もっといい名前あると思うんだけどなー。これじゃ、いなか丸出しだよ。そんで去年の年末ぐらいだったかな、そのみやま市から成人式のあいさつを頼まれた。最初は友達がやるはずだったんだけど、そいつが断ったから僕に話がきた。あいさつの言葉は向こうの人が考えてくれるって言うし、ただ読むだけならと簡単にOKした。そしたら実際は話は違って、あいさつの言葉は自分で考えてくれってことだった。おいおい、もう時間ないぞーと、思いながらもどうせやるならなんかやらかしたいなと思った。

それに拍車をかけたのが銀杏BOYZのライブ。あんなの見せつけられたら、とてもじゃないけどじっとしてられないよ。成人式はやらかすにはもってこいの場だし。それで僕は決めた。




よし、一発ギャグをしようと。




一瞬想像しただけでも吐きそうになるぐらい緊張する。だって、ステージで暴れたりするやつはいるけど、一発ギャグするやつなんて聞いたことないし。それに空気的に100%スベるに決まってる。むしろ後で市役所の人達に死ぬほど怒られるよ。新成人代表がなに気合いいれてふざけてんだって。



でも、やる。別に意味はないよ。ただやりたいだけ。それで十分だ。



前日のリハーサルじゃマジメにあいさつした。だってここで事前に言ったら止められるに決まってるから。役員の人が、「落ち着いて言えば大丈夫。頑張ってね。」なんて、優しい言葉をかけてくれる。

ごめんなさい、僕はあなたを裏切ってしまいます。





成人式当日。早めに会場入りしてリハーサル。スーツ姿のお偉方がみんな恐く感じる。リハーサルは難無く終了。

いよいよ成人式が始まった。会場いっぱいの500人もの新成人。すごいことになってきた。女の子はみんなキラキラしてて、じっくり見ていたかったけど緊張でそれどこじゃなかったよ。
僕の席はというと、一番前のど真ん中。しかも周りは全然違う校区の人達で、アウェー感がハンパじゃなかったよ。僕はたまらず全然知らない隣の女の子に話した。

「実はあいさつの途中で一発ギャグをします。した後に周りや役員の人達から白い目で見られてあなたにも迷惑かけるかもしれません。ごめんなさい。」

普通だったらいきなりこんな事言って来たら引くだろうけど、なんとこの娘は、
「そうなんですか!期待してます。頑張って下さいね!」

泣きたくなるぐらい可愛い笑顔でこう言ったんだ。これにはまいったな。名前も知らないけど、この娘だけは笑わせなきゃと思ったよ。



式は順調に進んだ。‥‥かのように思った。そんなわけないよ。トラブルなんてもう慣れっこさ。
もうすぐ僕の出番って時に、派手な袴着たヤンキー達が5、6人扇子仰いで一番前の席まで降りてきた。



おいおい、マジかよ。市長や地元を代表する衆議院議院の古賀誠のSPなんかがピリピリしだした。会場もどよどよしだした。こいつら暴れるんじゃないかー、みたいな。


そして、僕の番が来た。ステージに上がり、読み始めると、案の定ヤンキー達がやじってきた。しかも僕にしか聞こえないぐらいの声で。ひっこめーやら、マジメかーやら、はよ終われやみたいなやつ。


久々にムカついて、こいつら黙らしたろと思って、僕は言った。


「〜というわけで皆様には本当に感謝しています。‥‥えー、実は僕にはお笑い芸人という夢があります。ここで、私の方から新成人の皆様に、新成人応援一発ギャグの方を送りたいと思います。スイマセン市長、少しお時間いただきます。」

市長は口開けて僕を見てたよ。だってリハーサルじゃなにも言ってなかったんだから。



振り返って、新成人に向かって言った。


「んじゃ一発ギャグしまーす。





えーと‥‥‥お箸を持つ方が右で、夢をつかむのが、ひだりぃぃーー!!!!」













ウケた。‥‥よしっ!

(でもこれ文にしたら全然面白くないな。いやこのギャグは勢いと顔芸がポイントなので。うーん、説明したら余計サブい。)




まあ、ウケたのです。

そして、振り返って普通にマジメに文の続きを読むってボケをした。


これがめっちゃウケた。
僕は背中で手応えをビシビシ感じて、すごく気持ちよかった。ふと横を見ると、古賀誠が手を叩いて笑ってた。笑いの感性若いな古賀誠。60近いのに。

そんなこんなで大成功だった。古賀誠が終わった後、わざわざやって来て握手してきた。夢を諦めずに頑張ってね、つって。そんな一番偉い古賀誠がやったもんだから、後を続けと市長やら役員が握手しにきた。なんだか変な感じだったけど、怒られずにすんでよかった。



地元の友達や初恋のあの娘や小学校の先生達はどう思っただろう。あー、しばらく見ないうちに光君ずいぶん頭おかしくなったんだなと思ったかな。そんなことない。頭がおかしいのは昔から。ただ、ほんのちょっとだけ勇気がついただけだ。20年かかったけど。



家に帰ってばあちゃんに話した。そしたら、

「よかったやんねー。これで市役所にいいコネができて。あんたは公務員になりなさい。そげんかとは宴会ですりゃよかけん。」







まだまだ頑張らなきゃなと思いました。


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なんて恥ずかしいんだ!!!!
青くせえ。馬鹿でダサくて恥ずかしい。そんで少しだけ羨ましくなった。


ばあちゃん、俺、白虎隊やってるわ。

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君はベイビー

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僕にはヒーローが2人いる。1人はナインティナインの岡村隆史。言わずと知れた僕らのお笑い界の大先輩。そしてこの世界に入ったきっかけ、憧れのスーパースター。子どもん時からずっとかっちょいい。尊敬してやまない。

そしてもう1人は銀杏BOYZの峯田和伸。GOING STEADYの時からもちろん、僕の思春期を、淀んだ青春を肯定してくれたスーパースター。中学の時に兄ちゃんから借りた、さくらの唄を聴いてからずっと虜で、今も僕ん胸の真ん中ではずっと鳴り響いてる。


10月13日。銀杏BOYZの初の日本武道館。僕は銀杏好きの先輩同期達と観に行くことが出来た。楽しみで楽しみでしょうがなく、3時間前に物販並んだのに、グッズをなにも買えなくて途方に暮れたけど、はじまってみたらなんのその。一曲目、エンジェルベイビーが流れた瞬間、全ては吹っ飛んだ。追い求めて追い求めてぶちのめされてそれでも追いかけて掴もうとしてる人の声はとても美しく、僕は何回だって魂を揺らした。峯田さんが1番歌ってきた1番思い入れのある曲を歌う、と、BABY BABYが鳴った瞬間。今までの人生が想いが一瞬で走馬灯のように全身を駆け巡った。僕のどうしようもないくそったれな人生を、青春を、思春期を、救ってくれたのはどうしようないお笑いとロックンロールで。僕のヒーローは今もこんなにもかっこ良くて、嫉妬と羨望と、同時に不甲斐ない自分に参っちゃったよ。

この日、セットリストにはあの名曲、東京は入ってなかった。当然聴けるものだろうと思ってた僕は、なんだか寂しくて寂しくて。この日僕は東京を聴きたい理由がやまほどあったのだ。


僕が6年付き合ってた彼女にプロポーズしてフラれたのはこの武道館のライブからちょうど1年前ぐらい。このブログにも書いたけど、今年の1月に向こうに新しく彼氏ができて、完全に僕の恋は終わってしまった。カラオケで泣きながら恋ダンスをして僕の青春は幕を閉じた。


と、そこで終わったかと思った話は、まだ続いて。3月に彼女から連絡があって、いろいろとあり、僕らはよりを戻すようになった。僕はそれでもすぐに結婚は出来ない、8月のキングオブコントを待ってくれ、と。決勝行けるネタが出来た。結果を出すから待ってくれと、お願いした。それで死にものぐるいで挑んだ夏、僕らは決勝どころか準々決勝で負けてしまった。その日僕は帰りの電車で泣いて、最寄りの鳥貴族のカウンターで8時間1人で泣き明かした。人生かけるつって、準決勝どころか、その手前で負けんのかよ。他に客も全然いない夜中に、鳥貴族で1人で8時間号泣しながら1万円以上使う若者は怖くてたまらなかっただろう。金麦の大ジョッキ30杯以上飲まないと1万も超えないよ。閉店間際、掃除機持った外国人の店員さん達に囲まれることはもう一生無いだろう。


そして9月、僕はまたしても彼女に別れを告げられた。なにやってんだよ。またかよ。結婚や現実的な未来を考えて、口だけでなにも結果も誠意も見せれなかった僕に、どうにもならなかったのだろう。別れ際、僕が彼女の部屋の合鍵を返し、向こうはお揃いの部屋着のパジャマを返した。離れていく彼女の背を見て、不甲斐ない僕はどうしよもなくてパジャマや全部、品川駅のゴミ箱に投げ捨てた。


東京に来て7年、僕の東京は彼女で、彼女は東京そのもので。2人の夢は東京の空に消えて、いつのまにか星は見えなくなってた。


泣いて駅でしゃがんでたら、ホームレスのおっちゃんがゴミ箱から僕のパジャマをとって笑いながら走っていった。そんなことあんのかよ。僕と彼女の物語は終わったけど、思い出だけが今も品川で生き続けてる。品川のウォーキングデッドが2人の思い出を装備して今夜も第2章を生きている。



だから武道館の、銀杏の東京を聴きたかったのだ。銀杏の東京で、全てを綺麗さっぱり良い思い出にしたかったけど、そうはいかなかった。そうだよな。僕は僕で、僕の東京を創らなければ。そんなお笑いを、作品を、命をかけて創らねばいけんよな。




クリスマスイブ。同期で芸人辞めた、小川こうへいの結婚式があった。こうへいのことはブログにも書いてるけど、面白くて優しくて誰からも愛される奴で、僕が芸人で初めて嫉妬した奴だ。彼女もいない地獄のような同期5人でハイエース借りて名古屋まで深夜高速飛ばして会いに行った。実家の呉服屋継いで、あんなにモテなかった童貞の同い年のアフロは、すっかり痩せていい男になって、こんなやつを愛してくれるような最高でステキな奥さんまで手にして。奥さんのえりちゃんはマザーテレサの生まれ変わりだろう。じゃなかったらこんないい女割に合わないよ。


結婚式、バビロンの太田もゆにばーす川瀬もはらも、ほかの同期皆も笑って泣いてた。
芸人を辞めても、こんなにも愛に幸せに笑ってるなら、こいつの火花はハッピーエンドだ。みんな馬鹿みたいに笑ってた。



こうへいの母ちゃんと親父さんに、頑張ってくれよ坂田くん!と。さんさんさんにもこうへい出してくれてありがとな!と、嘘だろおい。僕らが1年目にやってたネット番組も知ってくれてて、自分の親のように応援して貰った。嬉しいったらないよ。こんな親だもの、それはこんないい息子が育つよ。頑張り続けます、と約束した。



クリスマスに人の幸せを祈ったら、帰ったら15時間爆睡してクリスマスは終わってた。駆け込むように、同居人のたいと鍋して、贅沢にエビス飲んで、今は結婚式の写真を肴に芋の水割りを飲んでいる。



僕は東京を生きる。今日も明日もこれからも。ただひたすらに真っ当に、笑うように生きるのだ。

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