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古い日産車あれこれ☆皆さん長い間ありがとうございました。

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皆さん、こんにちは。毎回一方的な更新で申し訳ございません。リハビリがてらに今日もショボショボと更新してみます。倉庫からの発掘品!ってな訳でこんなモノが残ってました。
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日産グロリアジャックニクラスバージョン。430系後期にあったグレードのエンブレムですね。もう30年くらい眠っていたリアエンブレムです。
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状態は良好。ゴールドメッキが綺麗ですね。まだまだ430系のパーツは倉庫に残っているはず。後々、記憶をたどって探してみましょうね。

では、当時のカタログから歴代ジャックニクラスバージョンの歩みを……。
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前期型グロリア430。前期型ではSGL‐Fとなっていた。ボディーカラーや装備を見ると似てますがジャックニクラスバージョンに発展前がこのSGL‐Fだったのです。その昔、サイドステッカーやエンブレムを追加しJNV仕様にしていたオーナーも居ましたね。エンジンはL20E搭載でした。
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後期型へ。晴れてジャックニクラスバージョンとなり特別感たっぷりなグレードになりましたね。人気の主流は4ドアハードトップ。5ナンバー車とはいえこのグレードは価格も高かった。代表的なボディーカラーはこのツートンですが、確か他に6種ほど設定があったかな?エンジンはL20ET搭載。
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JNVならではの特別装備がいっぱい。430系では唯一のデジパネもオプション設定されてましたね。スタールーフに専用オーバーヘッドコンソールもJNVならではですね。

そして…。
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Y30系にフルモデルチェンジ。VG20ET搭載、スタールーフは無になりましたが、装備群はやはり特別感たっぷりなY30前期のJNV。バックスキャナーも装備されてましたね。
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こちらもボディーカラーは何種か設定されてましたが、当時でもなかなか見かけることのなかったJNVでしたね。
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後期型へ。最後のJNVとなったのがこのモデル。VG20ETはジェットターボになりました。
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後期ではリアドアのJNVサイドステッカーがレスになりましたね。でもまだ純正パーツが出る時代、前期のモノを購入し、装備するオーナーも居ましたね。これら歴代ジャックニクラスバージョンは旧車なった今、どれも希少グレード、価値あるグロリアたちでしょうね。


では、また次回。


皆さん、こんにちは。相変わらず療養中の私。毎回一方的な更新で申し訳ございません。
いつも車ネタばっかの当ブログ内容ですが…。今日は倉庫に残っていた懐かしいモノたちって事で、こんなカタログをアップしてみました。

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1984年1月版。ソニーベータマックス/ベータムービーのカタログ。懐かしいですね。あの頃、ベータとVHSってありましたが、皆さんのご家庭ではどっち派でしたかぁ? ^^
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ベータムービー。当時の価格は269000円。もう高級家電でしたね。
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バッテリーパック別売。本体重量2.48㎏だったのですね。私は家電に詳しくないので詳細は詳しい方にお任せしま〜す。
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ベータマックス各種。グレードにより仕様も様々ですね。
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うちのビデオはセブンティーン♪新発売だそうです。
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F3とF5。
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ベータhi-fiシリーズ。
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HF66。こちらの価格は249800円。
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HF77。こちらの価格は299000円。
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ホームカラオケの覧には曲目にルビーの指輪やブランデーグラスetc。あの頃のヒット曲ですね。
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各種アクセサリーも豊富です。
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トリニトロンカラーってのも懐かしいですね。
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終わり。


では、また次回。

復活しました…。

皆様、お久しぶりです。
先日、無事退院しましたので復活いたします。
休止中、訪問&コメントを頂いた方々には返信などできなく大変申し訳ありませんでした。
まだ体の左半分が不自由なので、一方的な更新になってしまいますが、ボチボチとやっていきたいと思ってます。ではでは今後ともよろしくお願いします。
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石原プロダクションの元専務で“名番頭”だった小林正彦さん(享年80)が、先月30日に虚血性心不全で死去していた。葬儀は親族のみで2日に行われたという。

「コマサ」の愛称で知られた小林さんは日活撮影所に勤務時代、石原裕次郎さん(享年52)に見いだされ、65年に石原プロに入社。持ち前のバイタリティーと抜群のプロモーション能力で、すぐに頭角を現した。70年代、石原プロが倒産の危機に瀕した時には、「太陽にほえろ!」「大都会」「西部警察」などのテレビドラマに進出し、経営を安定させた。

 石原プロ名物の炊き出しでは自ら先頭に立ち肉を焼いたり、年始恒例の新年会などでは、記者たちに食べきれないほどの食事をふるまった。飾らない豪快な性格で、慕うマスコミ関係者は多かった。裕次郎さんからの信頼は絶大で、87年に肝臓がんで亡くなった時も最後の最後まで付き添ったのが小林さんだ。

「渡哲也も頭越しで怒鳴るなど、軍団最大の実力者でした。テレ朝に極太の“ホットライン”を持っていて、ドラマなどのキャスティングを行っていた。経営危機がウワサされた時も、おカネの工面をしたのが小林さんです。“汚れ仕事”などもこなす、まさに石原プロの屋台骨を支えていました」(民放プロデューサー)



太陽にほえろ、大都会、西部警察。たくさんの作品、夢を与えてもらいました。
あの頃をリアルに体験させてもらい幸せでした。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
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西部警察での全国縦断ロケ。本当に凄かった。あの頃の感動は忘れられない最高の思い出です。

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