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ついにやってきました発表当日。(って、大袈裟なものではありませんが)
前夜はホスピス・スタッフの歓送迎会があり、一次会を早めに切り上げて帰宅して発表資料の仕上げに取り掛かったのだが、結局、全てを終えて寝たのは明け方5時半。
2限の演習は遅刻。(出かけなくてはならない時間に目が覚めたのさ…)
さて発表。
発表時間30分ということで始めたのだけど、結局、限りなく40分に近かった…。(またですわ…)
レジュメの項目は
1.ホミリウスについて(生涯と作品)
2.18世紀のドレスデン
3.18世紀後半のドレスデンにおける受難曲上演
4.ホミリウスの受難曲レパートリー
5.ヨハネ受難曲
6.受難オラトリオ《小羊が罪を背負い行く》
*譜例
春以来…つまり、初めてこの人の『ヨハネ受難曲』の存在を知り、「どうして、こういう曲が生まれたんだ〜???」という疑問を持ってから約2ヶ月半。
当時の社会的・文化的・宗教的背景、そしてもちろん18世紀後半の音楽の特徴を明らかにし、それと考え合わせながらでなければ、この疑問は解明できなかったと思う。
先生からは、18世紀のどこかで明らかに人々のメンタリティーの変化というものが起こった(つまり、それが音楽にも影響している)、しかし、そのあたりのことはまだあまり研究されていない…というコメントもいただきました。
詳細は8月23日のJC関係勉強会で語らせていただきますが。
簡単にまとめるとこういうことでしょうかね。
ホミリウス自身はオペラを書かず、生涯を教会音楽家として全うしたけれども、先輩格のグラウンやハッセのオペラから影響を受けていたと考えられる。
18世紀後半は前古典派といわれる作曲家たちが活躍していた時代。ギャラント様式の音楽全盛期でもある。ホミリウスもまたそれに属する一人であった。イタリアオペラからの影響が顕著なドレスデンの音楽事情も、彼の音楽に反映されている。
ヨハネ受難曲(作曲年不明)は、作品の様式から見て、比較的、ホミリウスの早い時期の作品だといえるのではないだろうか。J.S.バッハから学んだ対位法的手法と、オペラという新しい音楽との混在が見られ、それは彼自身の音楽における試行錯誤の過程とも読み取れる。
(1775年に出版された受難オラトリオ《小羊が罪を背負い行く》のほうが様式に統一感があり、洗練されている印象を受ける)
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