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今でも世界中で愛され続けているジョン・レノン。 今年は、ジョン・レノンの生誕70年、没後30年という節目の年。 1980年(昭和55年)12月8日の22時50分頃(日本時間9日12時50分頃) ニューヨークの自宅(ダコタハウス)前で凶弾に倒れ、 23時過ぎ、搬送先のルーズベルト病院で死亡。 息子ショーン・レノンの育児に専念していたジョン・レノンが5年の主夫生活を終え、 ジョン・レノン&オノ・ヨーコのアルバム 『Double Fantasy(ダブル・ファンタジー)』を発表し、 音楽界に復帰した矢先の事件でした。 犯人のマーク・デイヴィッド・チャップマン(25歳)は5発を発射し、 4発がジョン・レノンの胸、背中、腕に命中・・・。 事件後チャップマンは現場から逃亡せず、 警察が到着するまで『ライ麦畑でつかまえて』を読んでいたという。 『ライ麦畑でつかまえて』(英:The Catcher in the Rye)は、 J・D・サリンジャーの1951年に発表された小説なのですが、 第35代ケネディ大統領暗殺事件の犯人とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド、 第40代レーガン大統領暗殺未遂事件の実行犯、ジョン・ヒンクリーなど 凶悪犯が愛読していたというエピソードが存する小説なのです。 1963年11月、ケネディ大統領暗殺事件。 オズワルドは現場近くの劇場で逮捕されましたが、 事件の2日後、ダラス市警察本部の地下通路で ジャック・ルビーに射殺されました。 ルビーがオズワルドを射殺した理由については、 最終的に満足な説明は何一つ為されませんでした。 数々の謎と共に歴史に残る事件です。 1981年3月、レーガン大統領暗殺未遂事件。 実行犯のヒンクリーは1982年の裁判では13の罪で起訴されましたが、 同年6月に精神異常が理由で無罪。 ヒンクリーの父親ジョン・ウォーノック・ヒンクリーは、 1980年の共和党の大統領指名を争う予備選に出馬し レーガンに敗北した当時の副大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(第41代大統領)への 最大の寄付金提供者だったという。 ヒンクリーがレーガン暗殺に成功していれば・・・ 次期大統領は、副大統領のジョージ・H・W・ブッシュ?! ヒンクリー家とブッシュ家の密接な関係は、 レーガン大統領暗殺未遂になんらかの共同謀議が 存在したのではないかとの憶測を生んでいます。 ジョン・レノンを殺害したチャップマンは、 現在ニューヨーク州のアッティカ州刑務所に収監されています。 オノ・ヨーコらの反対で却下されていますが、 2008年8月までに5度、2010年7月に6度目の仮釈放申請が出されています。 釈然としない事件ばかりです。 事件当時、犯人のチャップマンは、 『ジョン・レノンの熱烈なファン』であると報じられましたが、 チャップマンには精神疾患的な症状があり、 『熱烈なファン』という説明自体が疑問視されていますが、 その後の捜査により現在は、『マーク・チャップマンの単独殺害』として 結論づけられています。 しかし、この事件にはFBIやCIAが関与しているという さまざまな憶測が語られています。 第35代ジョン・F・ケネディ大統領に語られるような FBI殺害・暗殺説、CIAの関与した催眠術説など。 さまざまな憶測が語られた背景には、 ジョン・レノンの反戦運動が世界的な影響を持ち、 アメリカ政府にとっては邪魔な存在であったからだという。 精神病患者にマインドコントロールをし、 敵対する人物(ジョン・レノン)の暗殺を実行させれば アメリカ政府は疑われなくてすむという目論見があったのかもしれません。 第37代ニクソン大統領は、ジョン・レノンの影響力を恐れたという。 ニクソン政権は、FBIの排除するべき危険人物のリストにジョン・レノンを加えた。 FBIが公開した資料には、 ジョン・レノンがFBIの監視対象であったことが記されている。 冷戦。 第二次世界大戦後の世界を二分した、 アメリカ合衆国を盟主とする資本主義・自由主義陣営と、 ソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営との対立。 アメリカの軍備は、数の上ではソ連に及ばないものの、 技術面ではソ連を寄せ付けない先端技術を保持し続けており、 これがソ連に対する『質の脅威』でありましたが、 軍備増強を続けたソ連の軍事力はアメリカの軍事力を凌駕するまでに巨大化していきました。 1980年7月19日から8月3日まで、 ソビエト連邦(現・ロシア連邦)の首都モスクワで行われた夏季オリンピックですが、 冷戦下において東側諸国の盟主的存在であるソ連で行われたこの大会は、 前年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を受け、 アメリカ、日本、西ドイツ、韓国など西側諸国の集団ボイコットという事態に至りました。 アメリカとソ連の対立関係は悪化し、 政治が『平和の祭典』であるオリンピックにまで 影響を与えました。 アメリカ国内では1980年の大統領選挙で現職のカーター(第39代大統領)を破った ロナルド・レーガンが当選。 翌年の1月、第40代大統領に就任。 ジョン・レノンの死の翌年、 ソビエト連邦を『悪の帝国』と非難し、 『力による平和』戦略でソ連と共産主義陣営に対抗。 『強いアメリカ』を標榜するレーガン政権が誕生するのです。 これは偶然でしょうか・・・ 信じるか信じないかはあなた次第・・・。 |

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こんばんわ。
もう30年も経つのですね・・。生きていたら70歳。
お姿見たかったですね。。
2010/12/8(水) 午前 0:56 [ NON ]
いろんな偶然が重なっていますね・・。
故意によるものなのか?偶然なのか・・不思議ですね。
ロ_ρ゛(・ω・´)ポチ
2010/12/8(水) 午前 0:59 [ NON ]
んん、こういう謎って気になる〜!
2010/12/8(水) 午後 9:56 [ - ]
こんばんは!のんさん!!
70歳のジョン・レノンを見たかったですね!
早すぎる死・・・残念です。
2010/12/8(水) 午後 11:35
のんさん!
国際情勢やアメリカの政治の背景と
平和運動を進めてきたジョン・レノンの死は
偶然なのか・・・
真相は分かりませんが
不思議ですね(^^)
ポチありがとうございます♪
2010/12/8(水) 午後 11:52
こんばんは!午前 1:00さん!!
ありがとうございます(^^)
2010/12/8(水) 午後 11:53
こんばんは!ruffymama393939さん!!
ケネディ大統領と不倫の関係であったとされている
女優のマリリン・モンローは
薬物による死亡とされていますが
陰謀説、自殺説、事故説・・・
謎って気になりますよね(^^)
2010/12/9(木) 午前 0:01
後半の記事、迫力ありますね・・・。
おじいちゃんになった、ジョンーレノン(笑)
みたかったなあ・・。
生きて唄っている姿こそが、奇跡ですね♪
2010/12/11(土) 午前 2:30
こんにちは!あきちぴさん!!
この記事の見解はあくまでも一説でありますが、
政府による陰謀だとしたら、恐ろしいですよね!
70歳のジョン・・・
想像できません(笑)
2010/12/12(日) 午後 0:50