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高麗川(こまがわ) 埼玉県南西部から中部にかけて流れる荒川水系の一級河川で、 高句麗からの亡命者を受け入れた高麗郡(現在の日高市周辺)を流れることからこの名があります。
高麗神社は、高句麗国(こうくりこく)の王族高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀る社です。 高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)流域に住んだ騎馬民族で、 朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、 約700年君臨していました。 668年、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい滅亡しました。 この時に高句麗国の貴族や僧侶などが日本に渡り難を逃れました。 一ノ鳥居 扁額(へんがく)は熊谷宿の野口雪江筆によるもので、『大宮大明神』と書かれています。 1793年(寛政5年)作成の額が傷んだため、複製を掲げています。 『大宮』とは、地域の重要な神社に許された称号です。 高麗神社は江戸時代まで『高麗郡』の『大宮』として、 『高麗大宮大明神』『大宮社』などと称されていました。 将軍標 平成4年に在日本大韓民国民団(民団)埼玉県地方本部によって 木製のものが奉納されましたが事故で破損し腐食したため、 平成17年になって現在の花崗岩で制作されたものが民団中央により寄贈されました。 二ノ鳥居 扁額の『高麗神社』は、第59代宮司高麗澄雄筆によるものです。 現在の宮司は若光から数えて60代目となります。 霊亀2年(716年)、東国(関東)に散在していた高句麗人のうち、 1799人が武蔵国に移され、高麗郡が設置されました。 高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、 再び故郷の土を踏むことなく、天平2年(730年)にこの地で没しました。 郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、 現在まで高麗王若光の直系によって社が護られています。 御神門 扁額には『高句麗神社』と記されています。 朝鮮王朝の貴族趙重応の筆によるものですが、 御祭神の故国『高句麗』と後に興った『高麗(こうらい)』を区別するために 高麗神社の高麗の間に『句』の文字が小さく入れられています。 御社殿・御本殿 御本殿は安土・桃山時代の建立と言われており、 埼玉県の指定文化財となっております。 御神木 高麗家住宅 神職を代々勤めてきた高麗氏の旧住宅で、 慶長年間(1596〜1614年頃)に建てられました。 昭和46年に国の重要文化財に指定されました。 高麗神社は出世にご利益のある神社としても有名なんです! 大正から昭和初期に活躍した大物政治家ですが・・・ 若槻禮次郎(第25・28代)、濱口雄幸(第27代)、 小磯国昭(第41代)、幣原喜重郎(第44代)、鳩山一郎(第52・53・54代) この神社に参拝後、相次いで総理大臣となったことから、 『出世明神』と広く知られるようになりました。 今年は高麗郡建郡1300年の節目の年。 高句麗遺民によって守られてきた、
歴史的にも貴重な高麗神社に訪れてみてはいかがでしょうか。 |

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