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岡倉 天心(おかくら てんしん) 1863年(文久2年)2月14日〜1913年(大正2年)9月2日 思想家、文人で近代日本美術の発展に尽くしました。 岡倉天心の墓 1913年(大正2年)9月2日、50歳で亡くなった岡倉天心は、東京の染井墓地に埋葬されました。 9月末、天心の辞世と伝えられる歌に込められた遺志を汲み、北茨城・五浦の地に染井墓地と同じ土饅頭型の簡素な丸い墓を造り、分骨が行われました。 我逝かば 花な手向けそ浜千鳥 呼びかふ声を印にて 落葉に深く埋めてよ 十二万年明月の夜 弔ひ来ん人を松の影
茨城大学五浦美術文化研究所長屋門(登録有形文化財)。 茨城大学五浦美術文化研究所は、1955年(昭和30年)に設立されました。 天心偉蹟顕彰会の会長横山大観から、天心遺跡(旧天心邸・六角堂・長屋門)の寄贈の申し出を受けてのことでした。 茨城大学が管理しており、天心の自宅とともに敷地を茨城大学美術文化研究所として公開しています。 天心邸(登録有形文化財) 天心邸は、この地に建っていた観浦楼という料亭の古材を再利用したリサイクル建築です。 天心没後改築され、往時の半分の広さになっています。 六角堂(登録有形文化財) 太平洋に張り出した岩盤の上に、天心自身の設計により建てられ『観瀾亭』と名づけられた赤い六角形の堂が建っています。 ここで天心は太平洋の波の音を聞きながら、思索にふけったという。 平成23年3月11日に発生した東日本大震災で津波は高さ約11メートルの崖を乗り越えました。 天心邸は床下浸水したそうです。 天心邸前に立て札があり、赤い印のところが津波到達点です。 六角堂は土台を残して流失しましたが、再建されて平成24年4月28日より一般公開されております。 天心が愛したという五浦の地・・・ 荒波に削られてできた五つの入り江のあることが地名の由来だといいます。 |

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