ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアー

The Magical Mystery Tour is waiting to take you away!

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沢村栄治

昭和9年、読売新聞社主催による日米野球の全日本チームに参戦。
11月20日、静岡県草薙球場で開催されたアメリカメジャーリーグ選抜軍とのシリーズ9戦目(最終戦)に登板。
当時、日本の野球とアメリカの野球との実力には大きな開きがありましたが、
沢村投手は、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグという名立たる強打者を相手に
4者連続三振にしとめるなど、9奪三振の快投で一躍勇名を響かせました。

最高殊勲選手1回、勝率1位投手1回、最多勝2回、
史上初のノーヒットノーランを含む3度のノーヒットノーランを達成。


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巨人軍のエースとしてプロ野球草創期を支えた沢村投手は、
戦争で3度召集されました。
戦場で重い手榴弾を投げたことなどから肩を痛めましたが、
最初に帰還した時は、コントロールと変化球主体の巧みなピッチングで
ノーヒットノーランを達成しました。
しかし2度目に戦地から戻った後は活躍できず、
最後は代打での出場でした。
昭和18年10月24日、巨人対阪神戦、
沢村栄治選手の野球選手としての最後の記録・・・
延長11回、3塁ファール・フライ。

昭和19年12月2日、台湾沖で戦死。享年27歳。
背番号14は永久欠番となっています。
剛球投手のイメージを確立した功労者であり、その名前は今も『沢村賞』として残っています。


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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・ 東京都文京区後楽一丁目の 東京ドームにやってきました。


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愛称はBIG EGG(ビッグエッグ)。
読売ジャイアンツ(巨人)の専用球場(本拠地球場)です。


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20ゲート付近・・・


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階段下に『鎮魂の碑』があります。


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『鎮魂の碑』と刻まれた石碑は、戦争に散華した選手の霊を慰めるために建立されたものです。

プロ野球創設時から、大東京の代表、あるいはリーグの指導者として、その目で選手を送り、
また、戦死の悲報を受け止めた、セントラル・リーグ鈴木龍二会長(当時)の悲願が、
下田コミッショナー(当時)をはじめ、有志各位の協力を得て、
昭和56年4月に旧後楽園球場脇に建立されました。
昭和63年3月に東京ドームの完成にともない現在の場所に移設されました。


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鎮魂の碑

日本野球組織コミッショナー 下田武三


戦没者名簿一覧

太田健一     平林栄治     後藤 正
大原俊夫     福士 勇     沢村栄治
岡田福吉     前川正義     三田政夫
岡田宗芳     八木 進     島本義文
小川年安     吉原正喜     白木一ニ
小野寺 洋    渡辺 静     新富卯三郎
織辺由三     青木 勤     杉山東洋生
景浦 将     伏見五郎     高野百介
加藤信夫     青柴憲一     田部武雄
北原 登     天川清三郎    辻源兵衛
鬼頭数雄     荒木政公     寺内一隆
国久松一     池田久之     前田喜代士
永井武雄     石井 豊     政野岩夫
中尾 長     石丸進一     増田 敏
中河美芳     伊藤健太郎    松下繁ニ
中村三郎     伊東甚吉     宮口善吉
中村政美     戒能 朶一    三輪八郎
納家米吉     上田 正     松本利一
西村幸生     川村徳久     村上重夫
野口 昇     遠藤忠二郎    村瀬一三
林 安夫     倉 信雄     村松長太郎
原 一朗     桑島 甫     村松幸雄
広瀬習一     森田 実     森田五郎


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追憶

 弟進一は名古屋軍の投手。昭和18年20勝し、東西対抗にも選ばれた。
召集は12月1日佐世保海兵団。19年航空少尉。神風特攻隊、鹿屋神雷隊に配属された。
 20年5月11日正午出撃命令を受けた進一は、白球とグラブを手に戦友と投球
  よし ストライク10本 
 そこでボールとグラブと“敢闘”と書いた鉢巻を友の手に託して機上の人となった。
 愛機はそのまま南に敵艦を求めて飛び去った。
  野球がやれたことは幸福であった。
  志と夢を貫いた一歩であった。
  24歳で死んでも悔いはない。
ボールと共に投げられた遺書にはそうあった。
 真っ白いボールでキャッチボールをしている時、進一の的の中には生もなく死もなかった。

遺族代表 石丸藤吉


第2次世界大戦に出陣し、プロ野球の未来に永遠の夢を託しつつ、
戦塵に散華した選手諸君の霊を慰めるためわれら有志あいはかりてこれを建つ

有志代表 鈴木龍二


この碑の建設にあたり協力したる有志の人々( 昭和56年4月)
  池田恒雄
  石丸藤吉
  下田武三
  鈴木龍二
  角屋久次
  保坂 誠


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昭和12年(1937年)7月7日蘆溝橋事件に端を発して、次第に拡大していった日中戦争、
それに続く太平洋戦争に於て、プロ野球は多くの選手を失いました。
苦難の道を歩んだ初期、プロ野球に多くのファンを引きつけた一代の名投手沢村栄治、
熱血を以て知られる吉原正喜、巨人・阪神の州崎の決戦に快腕をふるった景浦将など、
プロ野球の礎を築いた名選手の多くが、戦場におもむいたまま、ついに還らなかったのです。

日本プロ野球の草創期にその青春を燃やし、運命に翻弄された若者たち。
毎年、8月15日の終戦記念日頃になると、碑の前には季節を飾る花々が献花されます。
けっして忘れてはならない日本プロ野球史の物語がこの街の一角にはあるのです。



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