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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・ 群馬県みどり市東町草木の富弘美術館にやってきました。 ここは、ペパー軍曹が以前から一度訪れてみたいと思っていた所なんです! 星野富弘さんをご紹介しましょう。 《プロフィール》 1946年 群馬県勢多郡東村に生まれる 1970年 群馬大学卒業。中学校の教諭になるがクラブ活動の指導中頸椎を損傷、手足の自由を失う。 1972年 群馬大学病院入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。 1979年 入院中、前橋で最初の作品展を開く。 退院。 1981年 結婚。 雑誌や新聞に詩画作品や、エッセイを連載。 1991年 群馬県勢多郡東村に村立富弘美術館開館。 ブラジル各都市で『花の詩画展』、現在も継続中。 1994年 ニューヨークで『花の詩画展』。 2000年 ハワイで2度目の『花の詩画展』。 2001年 サンフランシスコ・ロサンゼルスで花の詩画展。 2003年 ワルシャワ国立博物館での『バリアフリーアート展』に招待出品。 2004年 富弘美術館の入館者460万人を超える。 2005年 4月、富弘美術館新館開館。 12月、富弘美術館の入館者500万人を超える。 2006年 5月、芦北町立星野富弘美術館開館。 6月、群馬県名誉県民となる。 現在も詩画やエッセイの創作活動を継続中! 富弘美術館は草木湖畔にあり、前庭と湖面の景色が同時に楽しめます。 入館料は大人500円。 富弘美術館の館内は残念ながら撮影禁止です。 星野さんの優しさ、たくましさ溢れる作品を紹介します。 1979年 なずな 1980年 やぶかんぞう 1980年 あさがお 1980年 たんぽぽ 1981年 結婚指輪(がくあじさい) 1985年 日日草 1989年 桃 1997年 命一式(プリムラメラコイデス) 1998年 子供がひとり(紅梅) 体育の教師となって、わずか2ヶ月後。 クラブ活動のマットの指導中、誤って頸髄を損傷し、 首から下の運動機能をまったく失うという事故に見舞われるのです。 その事故は余りにも重く、一命は取り止めたものの、 その後手足の運動機能は決して回復する事はありませんでした。 食事の時に介助をしてくれている星野さんのお母さんの手元がふるえて、 スプーンの汁を顔にこぼしてしまった時、 口の中のご飯粒を母親の顔に向けて吐きかけ、 『チキショウ!もう食わねえ。くそばばあ。 俺なんか産んでくれなきゃ良かったんだ。』と怒鳴りちらしたのだそうです。 お母さんは涙をこぼしながらも、 星野さんの顔に止まったハエを見過ごしていられず、 そっとつかまえようとしました。 星野さんはハエの止まっていた頬に、 涙で濡れた母のしめった手が触れた時、 初めて母親がどんな思いでいるかがわかったのでした。 『これが母なんだと。私を産んでくれた、たったひとりの母なんだと思った。』 このような絶望の真っ只中で自殺すら考えた星野さんが、 絵を描くことで生き甲斐を見出した時、 パレットに絵の具を出して息子の指示通りに色を混ぜ合わせ、 絵が描き終わるまでずっとスケッチブックを持ち続けるお母さん。 絵も詩もお母さんと二人三脚で作り上げた作品です。 さて、最後にペパー軍曹が一番心に残った作品を紹介致します。 手足の自由を失う事故から3年後 1975年の『折れた菜の花』です。 作品の前で立ち止まり、 何度も読み返し、 しばらく作品から離れる事ができませんでした。 私の首のように 茎が簡単に折れてしまった しかし菜の花はそこから芽を出し 花を咲かせた 私も此花と同じ水を飲んでいる 同じ光を受けている 強い茎になろう 星野さんは次のように言っております。 絵と文字という別のものを一枚の絵の中に描いていくうちに少しずつ分かってきたのですが、 絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。 欠けている者同士が一枚の画用紙の中におさまった時、 調和のとれた作品になるのです。 これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。 欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。 |

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