ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアー

The Magical Mystery Tour is waiting to take you away!

埼玉編

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秩父華厳の滝

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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・
埼玉県秩父郡皆野町上日野沢の秩父華厳の滝(ちちぶけごんのたき)にやってきました。


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選考基準が不明ですが、全国10位に選ばれている滝です。


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秩父華厳の滝


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滝壺へ向かってみましょう。

滝壺までの石垣を積み直し、遊歩道が広くなりました。
景観が損なわれない様に配慮を行った為、狭い箇所もあります。
足を踏み外すと谷底です・・・。


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高さ10数mの滝ですが、日光の華厳の滝とよく似ていることから、その名で呼ばれています。
一直線に流れ落ちる様は似ていると思います。


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梅雨や秋雨期を除いては水量はそれほど多くはなく、
日光の華厳の滝と比較すると迫力はありませんが・・・。


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滝壺は自然のプールのようになっていて、
夏は子どもでも水遊びが楽しめます。


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滝上には、目を大きく見開いたユニークな不動明王があります。
写真を撮る時に不動明王が映らないようにする人もいるらしい・・・。


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滝の右側に散策路が整備されています。


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滝を眺めながら、滝の上まで歩いて登ることができます。


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不動明王は、お不動さまとして良く知られており、
背中には煩悩を焼き尽くすとされる火炎光背があります。


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不動明王像は『空滝大不動尊』という名称のようです。
滝を見下ろす位置に鎮座しています。


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昭和48年に秩父市在住の左官職人が、
観光地の目玉にと建立したようですが、
個性あふれる表情の不動明王です。

この不動明王の目ですが・・・
天地眼といって、右目で天を、左目で地を見ているそうです。


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秩父華厳の滝の滝口(滝の真上)


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春の新緑から秋の紅葉、
また厳寒期には、滝が凍り神秘的な姿も見ることが出来ます。

高麗神社

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高麗川(こまがわ)

埼玉県南西部から中部にかけて流れる荒川水系の一級河川で、
高句麗からの亡命者を受け入れた高麗郡(現在の日高市周辺)を流れることからこの名があります。


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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・
埼玉県日高市新堀の高麗神社(こまじんじゃ)にやってきました。


高麗神社は、高句麗国(こうくりこく)の王族高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀る社です。
高句麗人は中国大陸の松花江(しょうかこう)流域に住んだ騎馬民族で、
朝鮮半島に進出して中国大陸東北部から朝鮮半島の北部を領有し、
約700年君臨していました。
668年、唐と新羅の連合軍の攻撃にあい滅亡しました。
この時に高句麗国の貴族や僧侶などが日本に渡り難を逃れました。


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一ノ鳥居

扁額(へんがく)は熊谷宿の野口雪江筆によるもので、『大宮大明神』と書かれています。
1793年(寛政5年)作成の額が傷んだため、複製を掲げています。
『大宮』とは、地域の重要な神社に許された称号です。
高麗神社は江戸時代まで『高麗郡』の『大宮』として、
『高麗大宮大明神』『大宮社』などと称されていました。


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将軍標

平成4年に在日本大韓民国民団(民団)埼玉県地方本部によって
木製のものが奉納されましたが事故で破損し腐食したため、
平成17年になって現在の花崗岩で制作されたものが民団中央により寄贈されました。


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二ノ鳥居

扁額の『高麗神社』は、第59代宮司高麗澄雄筆によるものです。
現在の宮司は若光から数えて60代目となります。


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霊亀2年(716年)、東国(関東)に散在していた高句麗人のうち、
1799人が武蔵国に移され、高麗郡が設置されました。
高麗王若光は、高麗郡の郡司に任命され、武蔵野の開発に尽くし、
再び故郷の土を踏むことなく、天平2年(730年)にこの地で没しました。


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郡民はその遺徳をしのび、霊を祀って高麗明神とあがめ、
現在まで高麗王若光の直系によって社が護られています。


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御神門


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扁額には『高句麗神社』と記されています。
朝鮮王朝の貴族趙重応の筆によるものですが、
御祭神の故国『高句麗』と後に興った『高麗(こうらい)』を区別するために
高麗神社の高麗の間に『句』の文字が小さく入れられています。


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御社殿・御本殿

御本殿は安土・桃山時代の建立と言われており、
埼玉県の指定文化財となっております。


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御神木



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高麗家住宅

神職を代々勤めてきた高麗氏の旧住宅で、
慶長年間(1596〜1614年頃)に建てられました。
昭和46年に国の重要文化財に指定されました。


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高麗神社は出世にご利益のある神社としても有名なんです!


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大正から昭和初期に活躍した大物政治家ですが・・・
若槻禮次郎(第25・28代)、濱口雄幸(第27代)、
小磯国昭(第41代)、幣原喜重郎(第44代)、鳩山一郎(第52・53・54代)
この神社に参拝後、相次いで総理大臣となったことから、
『出世明神』と広く知られるようになりました。


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今年は高麗郡建郡1300年の節目の年。

高句麗遺民によって守られてきた、
歴史的にも貴重な高麗神社に訪れてみてはいかがでしょうか。

箭弓稲荷神社

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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・
埼玉県東松山市箭弓町の箭弓稲荷神社(やきゅういなりじんじゃ)にやってきました。


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712年(和銅5年)のご創建と社記に伝え、御鎮座1300年の節目を迎えました。

平安期に平忠常討伐に向かう源頼信が、
白狐に乗った神から箭(や)と弓を授かる夢を見て戦に勝ち、
これに感謝して社殿を寄進したと伝えられる。


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宇迦之御魂社(團十郎稲荷・穴宮)

芸能向上・技術向上の守り神として、特に篤く崇敬していた七代目市川團十郎が奉納された祠もあります。


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七代目 市川 團十郎

1791年(寛政3年)−1859年4月25日(安政6年3月23日)
化政期から天保にかけて活躍した江戸の歌舞伎役者。


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主な芸能人の崇敬者には落語家林家三平(初代)、林家正蔵(9代目)。


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昭和39年の週刊新潮に載る林家三平の談によると、
海老名家(林家)には代々手のひらに乗るほどの小さな『武州松山の箭弓稲荷様』が伝わっているそうです。


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拝殿・本殿

県の指定文化財になっている現在の社殿は、豪壮な権現造りで、1835年(天保6年)に造営されたものです。


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手水舎


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『やきゅう』という音との縁で、プロ野球をはじめとする野球関係者が多く参拝する事でも知られています。
特に、同じ埼玉県内の所沢市に本拠地を構える埼玉西武ライオンズの選手が頻繁に訪れるらしい。


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勝負ごとに関わる「何事にも打ち勝つ」というご利益があるといわれる。
商売繁昌,開運の神として崇敬厚い。

御祭神
保食神(うけもちのかみ)
(宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)
・豊受比賣神(とようけひめのかみ))

黒山三滝

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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・


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埼玉県入間郡越生町黒山の黒山三滝(くろやまさんたき)にやってきました。

荒川水系越辺川(おっぺがわ)源流部の三滝川にかかる
上下二段の男滝(おだき)、女滝(めだき)、支流の天狗滝の三つの滝があり、
この三つの滝を総称して黒山三滝といいます。
山岳仏教の修行者によって霊場・道場として開かれたといわれています。


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男滝


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女滝


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落差10mの男滝と落差5mの女滝、上が男滝で下が女滝です。


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高い両岩壁の上から流れる滝、
落差20mの天狗滝は男滝・女滝と少し離れた所にあります。
霊山に天狗が住むということからこの名が付いたとされています。


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日本観光百選にも選ばれた名勝で、男滝は凛々しく、女滝は優しく、天狗滝は雄壮。
新緑や紅葉の季節は特に美しく、大勢の観光客で賑わうそうです。



鎌形八幡神社

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週末の日本列島を襲った大雪。
東京都心では20年ぶりに積雪が20センチを超え、
鉄道の運休や航空便の欠航が相次ぎました。
午後には関東の広い範囲で横殴りの風が吹き付けて吹雪となるところもあり、
一部では停電も・・・。


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木曽義仲ゆかりの地・・・


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ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・
埼玉県比企郡嵐山町鎌形の鎌形八幡神社にやってきました。


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嵐山町は埼玉県の中西部、関東平野から秩父山地へと続く武蔵丘陵地帯に位置し、
木曽義仲や畠山重忠など、源氏ゆかりの伝説も残っています。


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神門でしょうか・・・。
鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)には舞殿があります。
源頼朝の信仰も厚かったという鎌形八幡神社。
ということは、舞殿でしょうか・・・。


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階段右側に木曽義仲産湯の清水があります。


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義仲誕生の際、産湯に使用したと伝えられるもので、
現在でも澄んだ水が湧き出ています。


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源 義仲 (1154〜1184 )

平安時代末期の信濃源氏の武将で、木曽 義仲の名でも知られています。
源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたりますが、
源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれました。


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源義賢、木曽義仲、そして木曽義仲の子・清水義高ゆかりの鎌形八幡神社は、平安時代初期の延暦年間に、
坂上田村麻呂が、九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると伝えられています。


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源氏の氏神として尊崇され、江戸時代には代々20万石の朱印をを受けていました。
嵐山町指定文化財の二枚の懸仏、徳川歴代将軍の御朱印状他多数の文書等が保存されています。


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御祭神
誉田別尊 (ホムダワケノミコト)
比売大神 (ヒメノオオカミ)
神功皇后 (ジングウコウゴウ)

創祀 -- 坂上田村麻呂
創立 -- 延暦年間 (782〜806年)

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