| ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・ 東京都墨田区押上一丁目の東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン) とうきょうスカイツリー駅にやってきました。 |
平成24年3月17日に業平橋駅から改称しましたが、
地元の親しみやすさを維持するため、
改称後も『旧業平橋』の名称を併記しています。
また東武鉄道では、東京スカイツリータウンにつながる路線として、
伊勢崎線の浅草・押上〜東武動物公園間を
『東武スカイツリーライン』という路線愛称名で案内することに決めました。
17日、地上450メートルに位置する第2展望台『天望回廊』が初公開されました。
開業を前に東京スカイツリー及び周辺では着々と準備が進められています。
5月22日の開業まであと1ヶ月!
33年前・・・小学生が東京スカイツリーを予言していた?!
1979年(昭和54年)11月、
『未来の墨田−21世紀の私たちの町を描こう』という公募展に寄せられた絵の中に
当時の東京都墨田区の小学生が描いたという『未来の墨田』の絵には、
タワーが描かれていました。
平成21年2月、『未来の墨田』と題して描いた当時の小学生たちが、同区に名乗り出ました。
予言のつもりもなく、子供の発想で『こうなったらいいね』で描いたそうですが、
見事的中に、あっぱれ!
180年前・・・江戸時代の浮世絵師が東京スカイツリーを予言していた?!
東京スカイツリーに似た謎の塔が、
隅田川を描いた風景画に残されていました。
作者は、奇抜な発想で知られる浮世絵師歌川国芳(1797〜1861)。
1831年(天保2年)頃に描かれた『東都三ツ股の図』。
隅田川の中洲から深川方面を眺望する構図で、
右手に永代橋、左手には小名木川にかかる万年橋。
万年橋のたもとにそびえる謎の塔・・・。
低い方は、火の見櫓だそうですが、
右側のさらに高い塔は東京スカイツリー?!
東京スカイツリー、永代橋、万年橋の位置関係を地図で見てみると
歌川国芳は、東京スカイツリーを予言していたのでは?!と思いたくなってしまう。
当時の永代橋は、現在の位置よりも100mほど上流にあり、
現在の構図と比較すれば誤差が生じて当然のことですが、
『東都三ツ股の図』を所蔵する神奈川県川崎市川崎区の
『川崎・砂子(いさご)の里資料館』の斎藤文夫館長によると
現在の構図と合わせても東京スカイツリーの位置は4キロほどの誤差しかないという・・・。
ペパー軍曹は、『東都三ツ股の図』が描かれた場所に向うことにします!
| ペパー軍曹のマジカル・ミステリー・ツアーは・・・ 永代橋(えいたいばし)にやってきました。 |
永代橋は、江戸幕府5代将軍徳川綱吉の50歳を祝し、
1698年(元禄11年)に架橋されました。
1702年(元禄15年)、赤穂浪士の吉良上野介邸への討ち入りでは、
討ち入り後に上野介の首を掲げて永代橋を渡り、泉岳寺へ向ったという・・・。
隅田川の三ツ股は現在は埋め立てられ、
『東都三ツ股の図』が描かれた場所から撮影することは出来ませんが・・・。
永代橋・西詰上流側にある隅田川テラスが、
絵と似たような構図で撮影が出来そうです!
隅田川テラスから永代橋を眺めてみると
またひとつ謎が増えました。
永代橋の右側に描かれている高い建物・・・?!
歌川国芳は、現在の高層マンションも予言していたのでしょうか・・・。
5枚の写真をパノラマ写真風に編集してみました。
左側が東京スカイツリー、右側が永代橋。
さて、『東都三ツ股の図』に描かれた謎の塔は、
井戸掘りのための櫓という説が有力。
江戸時代に江戸城をも見下ろすほどの櫓が建つのは考えにくい事、
また、江戸時代とは思えない斬新なデザインに
井戸掘りのための櫓と言われても、釈然としません。
もしかしたら、歌川国芳には未来が見えていたのか・・・?!
歌川国芳は自分の死期を予言したと言われる浮世絵を残しています。
『東都御厩川岸之図』という作品です。
右の男が差す傘には、『千八百六十一番』、
この数字が意味するものは・・・
歌川国芳が亡くなったのは1861年。
自筆画に自分の没年を画いていました。
これは偶然でしょうか・・・
みなさんは信じますか?
信じるか信じないかはあなた次第・・・。
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