男の背中

今日の命の燃え方はどうだったのだろう?自分の背中を感じながら。

妄想

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妄想 54

  階段
 
 宇佐美健三、67歳。
 退職後、地域の役職をおしつけられて余裕のない日々。
 こんなことでは豊かな人生とはいえない、と本人は思っている。
 
 年々、体力が衰えたのか、気力が失せたのかどうかは定かでないが、公の立ち場にウンザリするとともに、脳内がお人よしになっていく自分を密かに感じている。
 
 つい先日は老人ホームにいる彼の母親の衣服の探しで、夜に母の部屋に入りさがして、そして電気を点けたままで出てきてしまったらしい。
 翌朝、朝食づくりの妻に点け放しを発見されて、冷たいご注意をいただいた。
 
 しかし彼は、それはたまたまのことと思っている。
 それ以上に彼は、家族のトイレの電気の点け放しの方が気になっている。
 妻も妻だが、お嫁さんもお嫁さんだ、と発見するたびに経済的ではない、と一人でイジイジしている。
 スパっと二人に注意したい。
 しかし言えばその先どうなるかわからない。
 先日は、夜に小便を流してなかった、と妻に小言を言われたばかりだ。
 
 年末になり宇佐美家にも、ご不幸のために年賀ご遠慮しますの便りが届く。
 健三にも数枚届いた。
 先日も届いた。
 差出人を見て驚いた。
 彼が大学を卒業して先生として初めて赴任した地のお世話になった大家さんの家からだった。
 大家さんには、折々に家族と一緒に食事をいただいたり、泊めていただいたりして大変に可愛がっていただいた。
 
 それなのにその地を離れてからは年賀状一本だけで訪れることはなかった。
 失礼を重ねてきた。
 男の子が二人いて、受験勉強もみてやったりしたことを健三は思いだす。
 
 数年間、年賀状が途絶えたこともあった。
 どうして耳にしたのか忘れたが、数年後にお父さんが亡くなった、ということを耳にした。
 それでも仕事にかまけて、お参りにでかけなかった。
 
 それから後に、若い弟が病気でなくなったということも耳にしたように思う。
 これはいけない、と気になったが健三は訪れをしなかった。
 
 それから彼は波乱万丈の教師生活が終わった。
 無事に定年退職をした。
 
 家の年寄りの世話や、地域の役職に没頭している間に、健三は歳を重ねた。
 やれないものは何もないという若者特有の生意気さがいつのまにか消え去った。
 それどころか老い先のゴールが近づいてきているすきま風にも気付いてきた。
 
 そこに大家さんの長男からの年賀ご遠慮の便り。
 日頃の不義理を感じていた健三だけにギョッとして手にとる。
 お父さんと弟ばかりでなく、お母さんも亡くしてしまったか?と思う。
 なんということを、と思う。
 
 葉書には、思った通りに、「母が死亡して」、と2行目が始まる。
 一度も訪れずに、不義理をしてしまった・・・・・
 面影が浮かぶ。
 取り返しのできないことをしてしまった。
 なんという不義理を、と健三は唇をかんだ。
 
 妻にそのことを話す。
 明日、お参りにいってくる、と妻に言う。
 妻は、快く「はい」と言ってくれた。
 彼は、「仏様に一万円をもっていきたいのでお願い」、と言った。
 「それに地元のにフジのりんご20キロを持っていこう」、と言った。
 妻は、快くうなずいてくれた。
 お嫁さんもそばでうなずいている。
 
 ハガキに書かれている大家さんの家に電話をかけた。
 「もしもし、長野市の大池ですが」
 すると、「ああ、先生、御無沙汰をしています」と、大家の長男の奥さん。
 結婚式で一回会っただけなのにを覚えていてくれる、ということはそれだけ自分の存在を、長年大家さんの家では大事にされていて下さるということ、と健三は思った。
 ますますと彼は、申し訳ない思いでいっぱいになった。
 
 「こちらこぞ、ご無沙汰をしていてすみません」と、健三。
 奥さんは、「主人にかわりますね」と、気持ちのよくなるような明るい声でおっしゃる。
 
 長男に代わった。
 と言っても当時大学出たての健三とは9歳ちがい。
 「もしもし、大池ですが、ご無沙汰していてすみません。このたびお母さんが亡くなれたということで、ビックリしています。
 あんなに可愛がっていただき、いつか会いたい会いたい、と思いながらお尋ねもせずに不義理ばかりしていて、取り返しのできないことをしてしまいました。明日、お参りにでかけたいとおもうのですが、都合はいかがですか?」
 真剣に彼は言った。
 
 すると思わぬ返事が返ってきた、「ああ、それ妻の母です。私の母は元気です」
 一瞬、健三は映画のフィルムが切れたように、脳波が白黒交錯して目まいをおこしそうになった。
 な、なんていうことを・・・・
 健三はあわててハガキを手にとって、文章を読みなおしてみた。
 2行目の母の次に目をやると、「母、佐藤登美子が逝去」という字が目に入る。
 大家の名字の深沢ではない。
 ああ〜、なんていうことをオレは言ってしまった。
 生きている人を殺してしまった。
 声にならない呻きをもらす健三。
 
 隣の部屋の妻とお嫁さんも凍りついたようにシーンとなっている。
 
 「先生、元気ですか」と、相手の長男。
 健三はこの世の人とは思えぬ声で、「ああああ〜、うう〜、はいはい、お蔭さまで。ああああ〜うう〜、今ハガキを見直しましたら、名字が確かに佐藤で、なんという失礼を。お母さんは元気なのですね、よかった」
 「はい、元気です」と、長男。
 
 それから、健三は己の存在を揺るがすようなこの難局を立て直そうと必死に言葉を選ぶ。
 「ととにかく、大変にお世話になり、ご無沙汰ばかりしていて、そして相変わらずな早トチリをして、本当に申し訳ありません。それで明日、ぜひお母さんにお会いしたもので、お伺いしたいと思うのですが、ご都合はいかがでしょうか」
 健三は心底、お母さんと生きているうちにお会いしたいと思った。
 お父さん、弟と二人にも不義理をしていしまった。
 その上に不義理はできない、と思った。
 お母さんにだけは、生きているうちに合っておかなければ人として申し訳なさすぎる、と思った。
 
 健三は、午前中だと相手に昼食の心配をかけるので、午後の都合を聞いた。
 長男は、いいということだった。
 
 電話を切って、早速、ご近所のリンゴ農家に贈答用のりんごの手配をした。
 亡きお父さんと弟 へのご仏前に線香という名目で一万円を包んだ。
 
 妻とお嫁さんのいる茶の間から健三は2階の自分の部屋に戻った。
 下から苦しくてたまらないというような、しめやかなクスクス笑いが数回、思い出しては漏れてきた。
 
 翌日は、午後天気がくずれるということだったが、彼は早めに高速道を蹴って初任地にでかけた。
 
 約束の時間より少し早く着いたので、昔、借りて住んでいた一軒家を見に行った。
 あたりはまるで様変わりをしていた。
 日本を代表する避暑地なので、新しい家、家がずらりとできていて、40数年前の跡すら分かからない。
 彼は、2往復したがわからなかった。
 
 大家さんの家に向かった。
 車を家のそばに駐車した。
 なつかしい風景。
 22歳から27歳までを過ごした地。
 
 家の玄関に立った。
 長男のお嫁さんがでてきた。
 「お待ちしていました」と、まるでずっと一緒だったように自然な声で健三を迎い入れてくれる。
 
 彼は、不義理をわびた。
 玄関に長男が出てくる。
 同じように健三は不義理を詫びた、「大変にお世話になったのに、ご無沙汰ばかりしていて申し訳なかった」と、すぐに言った。
 
 家に入ると、彼はすぐにお父さんと弟の仏前に手を合わせたかった。
 詫びたかった。
 応接室に案内されて一息いれて、仏壇にお参りさせてくれ、と言おうと思った。
 応接室に入った。
 
 するとそこで、彼は気絶するばかりに息を飲みこんだ。
 死んだはずのお父さんが、ニコニコして椅子に座っていらっしゃる。
 彼は、幻かと一瞬思った。
 目をこらした。
 いやこれが現実なんだ、生きている。
 なんでもいい、とにかくお父さんがそこにいる。
 何でも構わない、とにかくこの現実に自分の脳を合わせなければ。
 
 「こんにちは」と、彼は言ったかどうかは、動転して彼の記憶にない。
 とにかく彼は、お父さんに、「ご無沙汰ばかりしていてすみません。その節は大変にお世話になりました」と、言った。
 お父さんが、どう言われ、どうされたかはまるで覚えがない。
 
 (殆んどわめき似た声で)何かお父さんに言いながら、同時に彼は腹のなかでは、「、お父さんと弟にお参りをさせて下さい」と、玄関で言わなくてよかった、と血の気のひくような思いであった。
 
 お父さんに、「亡くなった息子さんのお参りをさせてください」と、自分はあたかもそのために訪問したかのように切り返して、すぐに仏前にお参りをさせてもらった。
 
 2時から、4時半まで懐かしい思いで話をさせていただいて、彼は振り返り、振り返りしながら皆さんと別れて、思い出の地を去った。
 
 彼は車の中で、やっと自分に戻った。
 オレはどうなっているのだろう、と不安になった。
 この頭は正常だと思うが、少しどころか大分ヘンなんだろうか?と一瞬考えた。
 何か忍び寄る影を感じた。
 それは、あと上に一段しかない階段だった。
 それを彼は見上げている・・・・・

妄想 29

 水屋 29
 
 ホテルの女将の小野明子は、仕事柄、客の多い夏と冬のシーズンは茶の練習に来ることが難しい。
 春と秋の短い出席時間、手足を伸ばすように伸び伸びと練習に打ち込んでいる。
 
 彼女もやはり子育てなどでしばらく茶の世界から離れていたが、40代前半の若さなので思い出すのも早い。
 和枝と同じように、最高の免状をいただき、難しい茶を先生から教わっている。
 
 作法でつまずくと、「こうでしたかしら、それともこうですか」と、軽やかに口にだして、媚びているわけではないが、なんとも憎めない表情で先生を見詰める。
 
 今村には、こんな小野を、男ぽいさばさばとしている先生は、一番可愛がっているように見える。
 彼女の作法の時には、先生は身を乗り出すように指導をされている。
 しかし、彼女は厳しい指摘にも平然として作法を楽しんでいるように見える。
 
 この度胸を、今村にはうらやましかった。
 若さと言うより、性格なのだろうか、と思っっている。
 
 いつか着物の話のときに、小野はこういった、「娘をつれて実家に行きましたの」
 小野は思い出したように、クスっとわらった。
 「母の着物の中で、気に入っているものがあるのです。私が言ってもゆずってくれないので、娘にお婆ちゃんのあの着物がステキ。私ほしいな、と言わせる練習をして、行きましたの。そしたらまんまと娘にゆずって頂きました。おほほほ」
 
 可笑しくてたまらないように、横に座っている今村の体の横を押すように軽くたたいた。
 20歳も年上の今村を、友達、いや弟のように思っているかのよう。
 
 小野の小鹿のように屈託のない行動を、和枝は微笑みながら見詰めていた。
 自分にはできない、そんな小野の伸びやかさが、まぶしく見えるのだった。
 
 
 
 
 

妄想 16

 水屋 14
 
 下田さんは、私には分からないカラモノとかいう点前をされている。
 唐物と書くのでしょうか?
 
 若いときにもうそこまで学んでいられたようです。
 結婚、子育てで止めておられて、久しぶりに思い出すように手前をされている。
 久しぶりと言っても、若いときに学んだものは結構身に着いていらっしゃる。
 先生に作法の順番を訂正されたり、手先を注意されたりして、難しいお道具でなんとか点てていらっしゃる。
 さすがだな〜、と東京で勤めていらっしゃった時代の積み重ねの重さを思う。
 
 でもあんな複雑な道具でお茶を楽しむなんて、茶道の心が理解できない。
 本来の茶は簡素な素朴なものだったと思う。
 ワビ、サビの心の世界だったことでしょう。
 それを利休さん以後の茶人たちが、趣向をこらして華美な点前を楽しむようになってきた。
 そんなことではないだろうか、と勝手に想像している。
 
 私は、素朴な茶碗で薄茶と濃茶を楽しめればいい。
 先生は、「それではつまらないでしょう」と、おっしゃるが私は十分。
 
 同じことの繰り返しでも、満足な心で茶を点てることができていない私。
 座禅と同じで、点前のたびに心が揺れて、平常心一本の心で茶を点てられないでいる。
 
 下田さんは、先生のおっしゃるとおりに点前をされている。
 どんなお気持ちで通っていらっしゃるのだろう。
 
 
 

妄想 12

 水屋10
 
 茶道の教え方ってこいうものだろうか?
 
 同じ薄茶でも、棗の形により扱い方が変わる。
 棚の種類によっても手順が変わる。
 
 初体験の設定を教わって、家に帰り反復練習をする。
 なんとか覚えたつもりで翌週出席する。
 
 すると、もう設定がかわっていて新しい体験。
 先週覚えた作法がグチャグチャになってしまう。
 一歩一歩身に着いたら次の段階に入る、と言う教え方はしないのだろうか。
 
 そのときの気候や雰囲気によって場の設定がなされるのだろうか。
 私の職業だった学校では、数学でも英語でも一歩身に着いたら次の段階へと進む。
 教え方って、これが当たり前のことと思っていた。
 茶道は生活のなかのことなので、その日に合った設定の中で進んでいくのであろうか。
 
 私は平棗や平茶碗、名前はわすれたが深茶碗、釜の種類にとまどって、毎週、悪戦苦闘。
 夏でも冬でも毎朝家で、5時から茶の練習をくりかえさないとついていけなかった。
 
 週一回の練習日で、とまどう私。
 平然としている先生。
 心配のあまり身を乗り出すようにして、目で手順を教えてくださる小野さん。
 心配するでもなく、ニコニコと見ている下田さん。
 小野さんが私に教えてくださっている様子にも、ニコニコと他人事のよう。
 一体、どういう気持ち?と訝る私。
  教えてくれたっていいじゃない。
 
 大井さんは無頓着に、庭のほうに目をやったり、私の作法の一部分に、「よく覚えたね」と無責任に誉めたり。
 中川さんは、黙々と小間で練習したり、じっと私の作法をみつめている。
 
 こんなそれぞれの日々が続く。
 それでも私は下田さんに会える事が嬉しかった。
 
 

妄想 9

水屋 7
 
先生の教えは、作法の流れのそれぞれの動作の最後がだらしないと注意をうける。
最後がきまるということはそこにつながる途中の動作もきちんとして、理にかなった流れをしているということ。
なるほどなあ〜、と私は納得する。
 
茶筅を検める時の右腕の上げ方の注意をうけた。
右腕の肘が手首より上がり、手首と直線になって検めるように言われた。
そうか、そのとおりだ、と私は心の中でうなづく。
肘が流れるようで美しくなる。
 
私は気持ちよく手前をつづけた。
途中で再び先生の注意を思い出した。
すると手順が分からなくなってしまった。
無意識の内に小野さんの方を見た。
小野さんは顔の表情と手首で、次の手順を私に教えていてくれた。
目でうなずいて私は続けた。
 
次の順番は下田さん。
下田さんの茶筅通しは手首の返しも柔らかくてやさしい。
勿論、茶筅の検めもむりがなく、流線が描かれるように静かに流れる。
私は、「美しい」と声をだした。
 
先生もうなずいていらっしゃる。
下田さんは、いつものように続けられた。
 
 
 
 

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