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2006年12月30日、ソウル松坡区のとあるアパートの前でAさん(48)は車で穀類の行商をしている。松坡区一帯の住宅街と市場を交互に回りながら商売をする。午前9時から夜の12時まで商って、一日平均3万〜5万ウォン。奥さんのBさん(45)もトッポッギを商って松坡区一帯を歩き回る。賃貸アパートに住む彼らには生活費と中・高校に通う二人の息子の学費を出すことでぎりぎりな暮しだ。それでもひと月に一度ずつ松坡区に住む孤児家庭のために5万ウォンを渡す。アパートに住む病気の隣人の病院費の一部もこっそり出している。
Aさんは北朝鮮の清津鉱山金属大地質学部を卒業後、咸境道穏城郡オンタンで炭鉱指導員(韓国の生産課長に該当)をしていた。脱北者(セトミン)である。奥さんは高専の数学教師をしていた。彼は
企業体の幹部職員だったが、トウモロコシのおかゆしか食べられなかった。飢え死にする人々を多く見てきた。ひもじさに、2001年、家族ぐるみで脱北した。米を食えるのは北朝鮮でも最高位の階層の人たちだけなのだそうだ。夫婦共に高学歴であるが、現在の韓国では望みの仕事は簡単に見つからない。
北朝鮮人権情報センターが去年、セトミン466人の職場雇用形態を標本調査した結果、Aさんのような日雇い労働者が222人(47.6%)で半分近くを占めた。正規職(正社員)は114人(24.5%)に過ぎなかった。Aさんは 、"セトミンたちが社会主義体制から資本主義国家に移って来て右往左往するのはもしかしたら当たり前のことだが、彼らが腰を据えるまでもうちょっと暖かい視線で眺めてくれたら良いのに"と願った。
[東亜日報](12月31日)露天商をしている脱北者夫婦の話。
http://www.donga.com/fbin/output?n=200612310121&top20=1
時計の針が午前0時を回って2007年になった。新年早々不景気な話で恐縮であるが、上の記事は昨年(数時間前に)最後に読んだ新聞記事である。日本の経済が低成長ながら戦後最長の好景気を続けているといっても、これは大企業中心の話であって、市井の庶民の多くにとってその実感があるとは思えない。日本の貧富の二極化も韓国の二極化に負けず劣らず進行している。日本の場合は公的対応がほんの少しマシなだけだと思っている。パンドラの箱を開けたようになっている韓国では、今年は大統領選挙の年でもあり、経済面での混乱に加えて政治面での分裂対立が一層進む年になるだろう。だが、日はまた昇り、世の中の歯車は重々しく回り続ける。平和に明日が来れば御の字である。そして、自分は今年もネットの記事を使って益体もないことを書き続ける。
このブログの書き込みを読んでくださる方々に感謝しつつ、
謹賀新年、セヘ ボック マァニィ パドゥシプシオ。
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