李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 実にユニークな弦楽四重奏である。1907年から1908にかけて作曲され、1919年の改訂を経て、1929年には弦楽合奏版が書かれた。作品番号がつかない1897年のニ長調の作品を含めて、シェーンベルクが残した弦楽四重奏曲の中で一番聴いている曲である。といっても実演を聞いたことは無く、もっぱらCDで、という話である。弦楽四重奏版で22例、弦楽合奏版で6例の録音があるようだが、自分が愛聴しているのは新ウィーン学派の三人の作曲家の弦楽四重奏曲等を集めたラサール弦楽四重奏団によるCD(Deutsche Grammophon 419 994-2)の中の録音と、同様趣旨で録音されたJunge Deutsche Philharmonie KammerorchesterによるCD(EMI CDC 7 47923 2)の中にある弦楽合奏版の演奏である。前者が1969年の録音で独唱はマーガレット・プライス、後者は1985年の録音で独唱はエヴァ・チャポ、指揮はペーター・ギュルケ。

[Arnold Scho"nberg Center] op.10のページ。作曲年や録音年はここの数字に従った。
http://www.schoenberg.at/index.php?option=com_content&view=article&id=179&Itemid=354&lang=de

 何がユニークかというと、全4楽章のうち第3楽章と第4楽章にはソプラノ独唱が付く。実はこのソプラノ付きというところが愛聴している一つの理由である。さらに、第4楽章には主音の指定がない。一応普通の和音で終わるものの、この楽章をもっていわゆる無調の試みの嚆矢とする向きもある。

 ラサール弦楽四重奏団のCDに添付された分厚い解説書には1936年にシェーンベルク自身がカリフォルニアで書いた解説(の英語訳?)、"Notes on the Four String Quartets"が収められており、ソプラノ独唱のテクストも載っている。ドイツの象徴主義的詩人、シュテファン・ゲオルゲの詩集『Der siebente Ring 第七の指輪』(1907)から"Litanei"(第3楽章)と"Entru"ckung"(第4楽章)が使われている。前者は「連祷」、後者は「有頂天」とでも訳せるだろうか。

 自らを保守的と捉え、革新的であると見なされることを恐れたシェーンベルクによると、「この弦楽四重奏曲はわたしのキャリアの中で大きな役割を果たした。しかしながら、いわゆる無調への決定的な前進はまだ実行していない。すべての楽章は主音で終わり、調性を示している」(解説書 P.42)とのこと。確かに第4楽章は嬰ヘ長調の和音で幕を閉じる。

 テクストの扱いについて、シェーンベルクの説明を訳してみる。

 第3楽章は主題と変奏のかたちで書かれ、第4楽章は最も重要な主題を反復し、ソナタ形式を想起させるようなやり方でクライマックスへと盛り上げる。「音楽と詩が完璧に融合する場合、その形式はテクストのあらましをなぞるだろう。ワーグナーの主要動機(ライトモティーフ)技法は、詩のムードや性格のあらゆる変化を表現するために、どのようにしてこのような動機や他の楽句(フレーズ)を変奏したらよいのかについて私たちに教えてくれる。主題的な統一と論理はこのようにして維持される。最終稿は形式論者の要件を満たしていないわけではない。
 変奏は、ひとつの構造的単位が反復されるため、このような利点をもたらす。この形式を示唆する別の理由があったことを私は告白しなければならない。この詩の大いなる劇的情緒性(dramatic emotionality)によって、自分が室内楽に許容されるべき境界を超えてしまうかもしれないということを私は恐れた。変奏に必要とされる精緻な推敲(elaboration)は、自分が過度に劇的になることを防いでくれるだろうと私は期待した。」(解説書 P.50)

 ということで、「劇的情緒性」に溺れることを戒めたという話なのであるが、なぜゲオルゲの詩、"Litanei"と"Entru"ckung"でなければならなかったのか、そもそも、なぜソプラノ独唱でテクストを歌わせなければならなかったのかはよくわからない。

 ウィキペディア英語版に、こういうユニークな曲になった経緯へのヒントが書かれていた。「四つの楽章からなるこの作品は、シェーンベルクの人生において非常に感情的(emotional)だったに違いない時期に書かれた。この作品には、"私の妻に"という献辞があるものの、これは1908年にマチルデ・シェーンベルクが隣人のリヒャルト・ゲルストゥル(Richard Gerstl)と情事に陥ったころに書かれた」のだそうだ。

 音楽家の「伝記・評伝」の類は、ジュリーニやグールド、ベルクなどに関する文献を漁ったことはあるが、大概は面倒なので、レコードに付いている解説や音楽事典で済ませている。ユダヤ系のシェーンベルクがナチから逃れて米国に亡命し、そこで客死したことぐらいしか知らなかった。いまはウィキペディアをはじめとするオンラインの百科事典が充実しており、決定的な真偽は別にして、とりあえず安直に調べ物が出来たような気になるのでありがたい。

 マチルデ・シェーンベルクの旧姓はマチルデ・フォン・ツェムリンスキィ(Mathilde von Zemlinsky)、あのツェムリンスキィの妹である。1899年にマチルデと知り合ったシェーンベルクは、一気呵成にあの名曲『浄められた夜』を書いたという話も見かけたことがある。マチルデの情事はシェーンベルクの伝記・評伝などではお馴染みの話なのかもしれないが、自分は知らなかった。で、リヒャルト・ゲルストゥル (1883 -1908)についてウィキペディア英語版をみると、25歳で自殺した表現主義的作風のオーストリアの画家である。縊死する際アトリエに火をつけて多くの私信や作品を焼いてしまったためなのか、亡くなった段階で無名に近く1930年代になって「発見」されたためなのか、66枚の絵画と8枚のスケッチしか残されていない。

 「ゲルストゥルは他の芸術家と交際しなかったのだが、音楽に親しみを感じていた;彼自身はウィーンのコンサートに足繁く通った。1907年ごろ、彼はアルノルト・シェーンベルクや、当時同じ建物に住んでいたアレグザンダー・フォン・ツェムリンスキィといった音楽家と付き合い始めた。ゲルストゥルとシェーンベルクはそれぞれの才能に基づいてお互いを称え合った。ゲルストゥルはあきらかに美術についてシェーンベルクに手ほどきした。
 この間、ゲルストゥルはシェーンベルクと同じ家のフラットに引越し、シェーンベルクとその家族、友人のポートレイトを何枚か描いた。これらのポートレイトはシェーンベルクの妻のマチルデやアルバン・ベルク、ツェムリンスキィを描いた絵も含む。極めて様式化された頭部をもつ彼のポートレイトのスタイルはドイツ表現主義を予感させたし、 オスカー・ココシュカの作品におけるようにパステルを使った。ゲルストゥルとマチルデは非常に親密になり、1908年の夏、彼女は夫と子供たちを残したままゲルストゥルとともにヴィエナ(Vienna)へ旅立った。シェーンベルクは弦楽四重奏曲第2番を作曲している最中で、この作品はマチルデに献呈された。マチルデはこの年の10月に夫のもとに戻った。」(ウィキペディア英語版)

 マチルデを失って気が動顛し、仲間からも孤立し、芸術家として受け容れられていない状態にあったゲルストゥルは、1908年11月4日の夜、自分のアトリエに入り、目についた手紙やあらゆる私信の類、作品等を燃やし、アトリエの鏡の前で首をつった。

 弦楽四重奏曲第2番 作品10は1908年12月21日にウィーンで初演された。
 
<附録 ゲオルゲの詩>
Litanei
Tief is die trauer die mich umdu"stert,
Ein tret ich wieder, Herr! in dein haus.
Lang war die reise, matt sind die glieder,
Leer sind die schreine, voll nur die qual.
Durstende zunge darbt nach dem weine.
Hart war gestritten, starr ist mein arm.
Go"nne die ruhe schwankenden schritten,
Hungrigem gaume bro"ckle dein brot!
Schwach ist mein atem rufend dem traume,
Hohl sind die ha"nde, fiebernd der mund.
Leih deine ku"hle, lo"sche der bra"nde.
Tilge das hoffen, sende das licht!
Gluten im herzen lodern noch offen,
Innerst im grunde wacht noch ein schrei.
To"te das sehnen, schliesse die wunde!
Nimm mir die liebe, gib mir dein glu"ck!
 
Entru"ckung
Ich fu"hle luft von anderem planeten.
Mir blassen durch das dunkel die gesichter
Die freundlich eben noch sich zu mir drehten.
Und ba"um und wege die ich liebte fahlen
Dass ich sie kaum mehr kenne und du lichter
Geliebter schatten―rufer meiner qualen--
Bist nun erloschen ganz in tiefern gluten
Um nach dem taumel streitenden getobes
Mit einem frommen schauer anzumuten.
Ich lo"se mich in to"nen, kreisend, webend,
Ungru"ndigen danks und unbenamten lobes
Dem grossen atem wunschlos mich ergebend.
Mich u"berfa"hrt ein ungestu"mes wehen
Im rausch der weihe wo inbru"nstige schreie
In staub geworfner beterinnen flehen:
Dann seh ich wie sich duftige nebel lu"pfen
In einer sonnerfu"llten klaren freie
Die nur umfa"ngt auf fernsten bergesschlu"pfen.
Der boden schu"ffert weiss und weich wie molke.
Ich steige u"ber schluchten ungeheuer.
Ich fu"hle wie ich u"ber letzter wolke
In einem meer kristallnen glanzes schwimme--
Ich bin ein funke nur vom heiligen feuer
Ich bin ein dro"hnen nur der heiligen stimme.

チュソク(秋夕)の遊び

 韓国では20日午後から本格的に帰省ラッシュがスタートした。21日から23日まではチュソク(秋夕)の連休である。連休中は全国で1日平均550万人が移動し、総勢4949万人が帰省するという予測もある。昔、"Homeless Mind"という社会学の本を読んだ覚えがある。いわゆる「根無し草」の現代人の日常をいくつかの概念装置を用いて描写した説得力のある議論だった。あれをもじれば、韓国では"Bound-for-Home Mind"の群れが現存しているのではないかとさえ思える。ネットの新聞をみれば、今年もチュソク用の進物品の記事がたくさん出ていた。「チュソク玉」なんて言葉は無いのだろうが、ご褒美用と思われる紙幣の発行の話もあった。核家族化うんぬんや帰属意識の変化等々、近代化論の話はあるにせよ、韓国社会ではいまだに『故郷』というものが切実な実体を持って存続しているような気がする。

 チュソクの連休の余暇では映画見物が手ごろなのだが、今年はどういうわけか『目玉』と呼べるような話題作が無いような話もみた。以下、伝統的なチュソクの遊びについて、例の如く韓国ヤフーの百科事典を中心に調べてみた。

チュソクについて
 ヤフー百科事典によると、チュソクは『韓国の代表的名節(節日)の中の一つ。陰暦8月15日で、ハンガウィ・カウィ・仲秋節とも言う。中国でも仲秋節や月夕・秋中といって名節とする』とある。『正確な由来は伝えないが《三国史記》に新羅の儒理王9年、国内六部の婦女子らを二便で分けて二王女を各々頭目として陰暦7月既望(16日)から1ヶ月のあいだ機を織るようにして、最後の8月15日に勝負の判定が出ると、負けた方から勝った方に食べ物を接待してフェーソゴック(会蘇曲)を歌って夜通し歌と踊りを楽しんだが、これをカベ(嘉俳)といったという記録が伝える。この<カベ>が今日<ハンガウィ>の<カウィ>に該当することばでその意はカウンデ(中 なか)またはバン(半)の語根の<ガッ(プ) 甲>に名詞形接尾辞<-イ (0l)>がついて秋の半分、すなわち仲秋の韓国式表記になったと考えられる。』

 『チュソクの頃、その年の農作業で最も良く熟した穀物を切って縛って柱や房門の上または壁に掛けておいて、きたるべき翌年に植える種として使われながらその穀物の豊作を祈る意味が入っている。民家ではチョワンシン(竈王神;竈神 かまどがみ?)とソンジュシン(城主神)に新しい穀物を捧げたし、漁村ではペッコサを過ごして海で風浪に会わないで大漁になるように祈った。チュソクの日、天気が清明ならば豊作になり、雨が降れば不吉だと信じたし、夜に月を見ることができたり白い雲が多ければ豊作になると信じた。
 チュソクの食べ物ではソンピョン(松餅)の他に新米でつくったベクチュ(白酒)と春から育てた鶏でつくったファンゲ(黄鶏)のアンジュ(おつまみ)があって、からだを保身するために里芋スープを煮る。柿・栗・棗(ナツメ)・胡桃・銀杏・花梨(カリン)などがとても重要に使われる。農家では嫁がモチ・酒・鶏や卵などを準備して実家ヘグンチン(覲親-親孝行?)に行く。』

 チュソクは収穫期を迎えて豊作を祝い、先祖のおかげを追慕して法事を行って自らの生まれた根本を忘れないで恩恵を返し、隣人同士人心を和ませて遊びを楽しむ名節として、昔から民間では1年中で最も重要な名節とされてきた。』

 ベクチュとファンゲのおつまみというのが気になるが、自分は日常にも節日にも酒は一滴も飲まないので、メシのおかずとしてのファンゲに興味があるのだが、ちょっと検索しただけでは慶尚南道の滝の話が多く、実物の写真は見つからなかった。日本語で「黄鶏」と書いて「かしわ」と読み、鶏肉全般を指すことばにもなっているが、あの褐色羽根の「かしわ」はたしか日本の在来種だったはずだ。どういうことだろう。
 グンチンという言葉は知らなかった。チュソクは日本式のお盆を大々的にした年中行事というイメージを持っていたのだが、他家に嫁いだお嫁さんが昔の日本の商家の薮入りみたいな感じで実家に戻って羽根を伸ばしたのだろうか。

 以下、伝統的・民俗学的なチュソクの遊びを並べた。いまの感覚からは大きくずれた「遊び」には違いないが、収穫を終えて身近にある藁を多用した道具を用いて集団で楽しむ競技形式のものがほとんどだ。秋空のもと、思いっきり盛り上がれる遊びであろう。

マダンノリ(広場遊び)またはキョルムノリ(競技遊び)
 『韓国のキョルムノリは大概農業と関連した俗信を持っていて、広場で行う室外競技という特徴を持っている。 また、過ぎた日の社会が農業中心であり、それ自体が季節と密接な関係があったのでキョルムノリも自然に農閑期や名節など休息を要する時期、すなわち端午の節句・刈りいれ節そして農閑期である歳初と関連している。このようなキョルムノルの中で学問的に研究されたり調査報告されたのは次の11マダンだ。すなわち正月の遊びでヨンナリギ(凧上げ)・キセベ(旗歳拝)・ピョンサァウム(便競技−集団の勝負)・コサァウム ノリ・ドンチェサァウム・セモリテギ(木闘牛)、端午の遊びでシィルム(相撲)・クネトェギ(ブランコ乗り)、チュソクの遊びでチュルダリギ(綱引き)・カマサァウム(御輿戦)・チャンチギなどだ。』

 キセベというのは『農者天下之大本』と大きく墨書された各部落のノンギ(農旗)を先頭に、一定の場所に集まって順番に兄弟を定めて弟部落が兄部落のノンギにお辞儀をする風習だそうだ。ノンギには龍の絵がかかれたものもあり、ヨンギ(龍旗)と呼ばれているそうで、巨大な旗らしい。これがなぜ「競技性」の遊び・風習かというと、部落毎の序列を決めるために争うからなのだろう。 「この風習は農村の部落単位共同体が同じ性格の隣の村と連帯意識を持って年初やチュソク、または、ベクチュン(百中−盂蘭盆;陰暦七月十五日)のような名節に大同団結と親善和睦を企てるために一ヶ所に会合する行事だったと推定される。また、善意の競争意識を誘発することによって部落の向上を企てる契機になったりもしただろう。」とのことである。

 ピョンサァウムは辞書によれば『1.組に分わかれてけんかや勝負をすること。  2. むかし, 陰暦正月に, 二組に分かれて石と棒を使って戦った遊技』とのこと。ルール等は詳しく調べなかったが、要するに統制のとれた喧嘩ということではないだろうか。

 コサァウム ノリは『チョルラナムド(全羅南道)のクァンサン(光山)地方で陰暦正月にする民俗遊び。組に分けて、やや長くて丸いコ(股)のついた太いものを色々な人が担いで、先に相手側のコを押さえ付けて地面につくようにした方が勝つ』と、辞書にある。クァンサン地方とは現在のクアンジュシ(光州市)クアンサング(光山区)であろう。あの光山金氏のクアンサンである。「コ」は「股」と考えて意味を取ったが、漢字を持たない言葉かもしれない。実物写真(下にリンクあり)は龍か何かをシンボライズ(形象化)したようにも見える藁製の造形である。

 ドンチェサァウムを事典でひくと、『キョンサンブット(慶尚北道)アンドン(安東)地方に伝えられている民俗遊び。陰暦正月15日昼間に青壮年らが東・西部の両側に分かれてドンチェを持って原野でちからとギ(技)を競う押しくら合戦の複合型男性集団遊びだ』とのこと。「ドンチェ」は「車輪」にあたることばのアンドン訛りだそうで、『安東車戦遊び』とも呼ばれる。ただし、伝えられているドンチェサァウムの道具には車輪は使われていない。かなり勇壮な合戦らしく、日本統治時代には禁止されたという話も出ていた。

セモリテギはキョンサンナムド(慶尚南道)チャンニョングン(昌寧郡)、ヨンサンミョン(霊山面)に伝えられる民俗遊びである。これは、文字通り「セ(牛)」の「モリ(頭)」を形象化した藁製の造形を用いて行われる「木闘牛」である。

 チュルダリギは『綱引き』である。ただし、近代日本の学校の運動会で行われる綱引きとはかなり異なる。一枚の写真を見ただけなのでこれが一般的なのかどうかわからないが、ミリャン(密陽)の伝統的綱引きは5人ずつ二組に分かれ、それぞれが藁製とおぼしき綱をつけて四つんばいの姿勢で引き合う競技のようだ。かなり気合の入った綱引きに見える。

 カマサァウムは『キョンサンブット(慶尚北道)ウソングン ウソンウップ(義城郡 義城邑)に唯一伝えられるソダン(書堂)の学童遊び。今のウソンウップ)を東・西に横ぎって流れるアサ(衙舍)川を境界として南側と北側のソダン学童らが60〜70人ずつが組を編成して勝負を競うこととし、先に両側ソダンでそれぞれ四つの車輪がついたカマ(輿 こし)を作ってその前と後に引っ張ることができる紐を結ぶ。そして輿の前面に力が強い学童30人余りが列を成して立って、残り60人余りが後に立って輿を護衛して両側が向かい合って前に出て行って戦う』とのこと。

 チャンチギはタグ(打毬)遊びとかポンヒ(棒戯)とも呼ばれる球技で、桑の木などの丈夫な木で作ったチェ(細長い棒)で毬(まり)を打って相手方のグムン(毬門)に入れて勝敗を競う。毬は木を丸く削ったり藁を丸めたりしたもので、野球のボーほどの大きさらしい。要するにホッケーのような遊びである。

 百科事典に載っていた写真を見る限りでは、集団の合戦形式で使われる道具は木材と藁を使って作られた造形で、大勢の参加者によって担がれるという共通点がある。何か一つのもとになるかたちがあり、全国各地で独自の伝承を経て、今日伝わるような多様なかたちになったのではないかと素人考えをしている。凶作の時は藁が貴重品になるため、別のもので代用したらしい。
 

新韓金融の内紛

 イ・ヨンエがバラエティ番組『無限挑戦』の人気タレント、ユ・ジェソクと組んで新韓金融グループのCFに出演したのは2007年の夏頃だった。当時、新韓金融グループがLGカードを買収して傘下に収めるということで、大々的なキャンペーンを行った。 ・・・あれから3年も経った。

 ウィキペディア韓国語版によると、新韓金融グループ(Shinhan Financial Group)は金融業を営む会社などに対する支配・経営管理、従属会社に対する資金支援などを主要事業目的で2001年に設立された。母胎の新韓銀行を中心に新韓金融投資、新韓カードなどを子会社で持っている金融グループである。2001年9月に株式移転方式を通じて新韓金融持株会社が設立され、新韓金融持株会社が新韓金融グループを支配する完全親会社として、銀行、生命保険会社、証券会社などを完全子会社形態で所有している。2010年6月30日現在、この会社の最大株主はBNPパリバS.A.(BNPパリバ グループ)’で、6.35%の持分を持っている。第2の大株主は国民年金公団(持分5.04%)。しかし、実質的な大株主集団は在日韓国人らである。2001年以来、ラ・ウンチャン氏がグループの会長を務めている。

 新韓銀行は在日韓国人の主導で1982年に設立された旧新韓銀行が旧朝興銀行(Chohung Bank)を吸収合併した会社で、ソウル特別市に本社を置いている。当初は店舗8つのミニ銀行で出発したが、スタート直後から経営革新と親切を土台に新しい風を巻き起こしたのだそうだ。ただし、現在は会社の設立年を旧朝興銀行が設立された1897年としている。そして、銀行のすべての株式を上の新韓金融持株会社が保有している。2008年2月の基準で総資産規模は208兆ウォンで大韓民国内で3位。総貸出額は116兆7828億ウォンでウリ銀行に続き2位だとのこと。最近の新聞の報道によれば、総資産は313兆ウォンに達していたそうだ。

 その新韓金融グループで、キナ臭い内紛の話が公になったのが今月(9月)の2日である。この日、新韓銀行が親会社、新韓金融持株会社のシン・サンフン社長を横領と背任の容疑で検察に告訴した。同行は、シン社長が親族に950億ウォン(約68億円)を不正に融資したとの通報を受け調査を行った結果、申社長は背任、債務者は横領の疑いが、それぞれ認められたと説明した。また、銀行内のうわさを調べたところ、別途に約15億ウォンの横領も確認されたという[聯合ニュース 日本語版]。

 銀行が金融持株会社社長になっている前頭取を告発するのは極めて異例だそうだ。だが、かつて死刑判決を受けた政治家が大統領になったり、主体思想の伝道師のようなキリスト教の牧師がピョンヤン(平壌)でキム・ジョンイル体制を賛美したりするのがそれほど不思議でもないお国柄である。そして、こういう醜聞が起きても、告訴された側がおとなしく裁きを受けることは決して無い国なのである。

 10日余りの間に、新韓金融グループの内紛は告訴されたシン社長 vs. グループの総帥であるラ・ウンチャン会長・イ・ペクスン新韓銀行頭取という闘争構図を見せて、グループの3トップを巻き込んだ泥仕合に発展した。9月13日の新韓金融株式時価総額は20兆8410億ウォンで、シン社長告訴事態が起きる直前の9月1日(21兆9080億ウォンに比べて4.8%(1兆670億ウォン)も減った。同日、ラ・ウンチャン会長が金融実名制法違反疑惑で市民団体によって告発され、イ・ペクスン頭取に対しては新韓金融株式百万株以上を保有する在日韓国人4名が企業価値下落の責任を問うべく解任請求訴訟と職務停止仮処分申請を提出した。昨年、ラ会長の借名口座管理を金融監督院が定期検査の時確認しても国会で問題視しなかったという話も出ている。こうして、グループの実力者3名がすべて告発や訴訟に巻き込まれてしまった。

 [ソウル新聞](9月15日) 新韓‘ラ 50億秘密資金’旋風
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20100915002010
 [ソウル新聞](9月15日)ラ会長の力がまさった‘判定勝ち’…暴露・法廷攻防加熱の可能性 シン社長が手足を縛られた第1幕…霧の中新韓第2幕は
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20100915003004
[聯合ニュース](日本語版 9月14日)新韓金融持株会社、シン・サンフン社長の職務停止
http://japanese.yonhapnews.co.kr/economy/2010/09/14/0500000000AJP20100914003900882.HTML
[聯合ニュース](日本語版 9月2日)新韓金融持株会社、背任容疑の社長を解任方針
http://japanese.yonhapnews.co.kr/economy/2010/09/02/0500000000AJP20100902002800882.HTML
 
 新韓銀行は政界から最も独立的という評価を受けていた優良企業で、あの外国為替危機(IMF事態)の時にもぐらつくことなく、逆に経営危機に陥った朝興銀行を吸収し、その後もLGカードを取得して韓国で第3位の金融グループに成長した。しかし、新韓の名声と信頼度はすでに今回の事態で大きく失墜したようだ。シン社長が解任でなく職務停止になったことは事態の穏便な解決という意味合いではなく、とりあえず内紛事態の第1幕が終わり、さらに深刻な第2幕が始まる可能性も排除できないようなきわどい展開ではないかと思える。金融機関の内紛など、自分の守備範囲を大きく逸脱しており、最近出てきた記事や社説を拾い読みしているだけなのであるが、この話、かなり根が深いような気がする。

<9月15日、各紙の社説>
[ソウル新聞]新韓銀行 神話はなくて泥仕合だけ残った
http://www.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20100915031010&spage=1
[韓国日報]新韓銀行、新しい経営陣を設けるのがより良い
http://news.hankooki.com/lpage/opinion/201009/h2010091421164376070.htm                                      
[毎日経済]新韓金融1兆ウォンの価値墜落 責任を問う先例残してこそ
http://news.mk.co.kr/v3/view.php?sc=30500003&cm=%EC%82%AC%EC%84%A4&year=2010&no=500490&relatedcode=&mc=
[京郷新聞]新韓銀行事態責任 経営陣3人皆が負けてこそ
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201009142249375&code=990101
[中央日報]新韓銀行内紛 はやく終わらせなさい
http://news.joins.com/article/547/4456547.html?ctg=20
[東亜日報]新韓金融、信頼危機の分かれ目に立った
http://news.donga.com/Column_List/3/04/20100915/31201713/1
[朝鮮日報]新韓金融内紛で銀行が失ったこと、顧客が失ったこと
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/09/14/2010091401976.html
 先月、8月25日に折り返し点を通過して執権後半時期に入った現政権は同月、「親庶民政策」と「公正社会の実現」を政権運営の基調に据え、比較的大規模の内閣改造を行った。国務総理(首相)のポストはいわゆるセジョン(世宗)市移転問題の引責のかたちで前任者が辞任したあと空席となっていた。

 しかし、鳴り物入りで登場した前慶尚南道知事の若き候補者は国会の人事聴聞会のハードルを越すことが出来ず、結局、8月29日に辞退に追い込まれた。国務総理候補者だけでなく、文化体育観光部と知識経済部の長官候補者も辞退した。「またやってるなあ」と思った。こういう「権力者(候補)潰し」は韓国政界の伝統文化であり、半ば恒例化している。

 ソウル市教育監、慶尚南道教育監、忠清北道知事ら、6・2 統一地方選挙で初当選した公職者が政治資金融資について定めた銀行法に違反していたという報道もあった。「教育監」は日本の教育委員会委員長のようなものだが、人事権をはじめとして、かなりの権力を持つ。「現在の銀行法第38条は、直接・間接を問わず、政治資金融資を受けられないように定めている。同規定は今年5月、国会で削除されたが、施行日が11月18日のため、まだ効力が残っている」、とのこと[東亜日報]。

 そうこうするうちに、外交通商部の職員の特別採用にからんで現職の長官が縁故採用にかかわったという醜聞が持ちあがり、すぐに長官は辞任した。11月にソウルでG20(主要20カ国)首脳会議が開かれることになっており、この慶事を「先進国入り」の一つのメルクマールと捉えて賑々しく盛り上げているところであったが、肝心要の外交通商部がこの有様である。事件はさらに尾を引き、外交通商部の過去の人事でも類似のケースがあったのではないかと憶測性の報道が次々に出ている。

 韓国は一応三権分立のかたちにのっとっているはずで、その一角たる行政権の屋台骨がその体を成していない状況なのに、世の中はそれほど混乱状態にあるわけでもなさそうだ。これは結局、大統領府の権力が強く、国務総理をはじめとする内閣(府)は大統領府に従属しているためであろう。また、「血縁」、「地縁」「学閥」といった縁故関係は韓国の人々をいまだにがんじがらめにしているのではないだろうか。これぐらいのスキャンダルは、「ああ、またか」といった受け留め方をされているのではないかと自分は憶測している。現政権が執権の初っ端に反政府勢力の猛攻撃を受けたいわゆる「牛肉デモ」の頃と比べれば、市井の表情は比較的穏やかなものではないかと思われる。

 ここにきて、9月9日、青瓦台(大統領府)は『高位公職予備候補者事前質問書』(質問書)なるものを公表した。高位高官の候補者を事前にチェックするための道具である。これまでの組閣や人事の際にも類似の質問書が使われていたようだが、今回発表されたものは合計200項目からなる膨大なもので、組閣や人事の「公正性」を高めるために、「道徳的に欠陥がない完全無欠な公職者を探せるように厳格な基準を提示している」[大田日報]ようである。
 
 以下、質問書の緒言と9つの大分類を示しておく。
 
<緒言>
 「こんにちは。
 本質問紙は高位公職者予備候補の要人検証のために対象者が直接作成する‘要人検証事前質問書’として、その結果は前もって高位公職候補としての適格性可否を判断する大変重要な基礎資料になります。
 したがって国民に自身の姿をありのままお見せするという気持ちで率直に返事して下されば感謝いたします。
 答えられた内容が事実と違ったことと確認される場合、これに伴う責任と共に今後人事上不利益も受ける可能性があることをお知らせします。
 答えられた事項は要人検証目的にだけ使われてすべての内容に対する秘密は徹底的に保障されます。質問と関連して気になる事項があったり公職任用に必要な事前措置事項などに対して知りたいことがあれば忠実にお答えいたします。
 ありがとうございます。」
 
<大項目>
 1.家族関係-9項目
 2.兵役義務履行-14項目
 3.前科および懲戒-20項目
 4.財産形成等-40項目
 5.納税など各種金銭納付義務-26項目
 6.学歴および経歴-12項目
 7.研究倫理等-15項目
 8.職務倫理関連-33項目
 9.個人私生活関連-31項目

 ・・・大分類をざっと眺めただけで、韓国の市井の人々が考える、あるいは大統領府がそう捉えていると思われる「不道徳」の実態が浮かび上がる。兵役やカネにまつわる不正はなによりもご法度である。各質問は「はい」と「いいえ」の二択で回答する形式で、「はい」という質問項目を含んで追加で釈明する内容があれば、「弁明書」を貼付することも出来る。
 
 個々の質問項目でおもしろかったのは『9.個人私生活関連』のところである(「付録」として下に訳出)。こうした質問は国会の人事聴聞会で定番になっている粗探しなのであろうし、なによりも市井の人々が神経を逆なでされる「癪の種」であるに違いない。それにしても細かい。そんなことまで聞くのかと、いささかげんなりしてしまう質問もあるが、実際、先の国務総理候補らは私的な生活にかかわる粗探しなんかでも野党側の徹底的な攻撃を受けたりしている。

曰く、
 14 未成年の子供を海外に留学させていたり、留学させた経験がありますか?
 15 家族の中で子供の外国国籍取得のために出産目的で海外に出て行った場合がありますか?

 −このあたりは兵役や就職関連の醜聞にかかわることでもあり、いわば定番の質問なのであろうが、

 21 海外ゴルフ旅行をした経験がありますか?
 25 社会通念上議論になりうる賭けゴルフや賭博をしたことがありますか?
 27 ゴルフ会員券などぜいたく性会員券を持っていますか?
 28 高位公職者として議論になりうる趣味生活をした経験がありますか?
 29 子供を一流ホテルで結婚させた経験がありますか?
 30 デパートあるいは一流ホテルVIP会員に加入した経歴がありますか?
 31 輸入車両を保有していたり、保有した経験(海外居住時除外)がありますか?

−こういう質問が立て続けに出てくるあたりがものすさまじいと思った。海外ゴルフやデパート・一流ホテルのVIP会員というのはたぶん「勝ち組」の証しであって、庶民にすれば許しがたいステータスなのであろうか。「高位公職者として議論になりうる趣味生活」とはいったい何のことだろう。むこうの人々が見ればすぐにピンとくるのであろうか。子供を一流ホテルで結婚させたり、輸入車を保有したりすると、「道徳的に」キズがつくことになりかねないのだろうか。

 これを作った大統領府側は次の国務総理(首相)・各部長官(各省大臣)候補者に対する事前の「模擬聴聞会」開催まで計画しているようだ。『羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く』という言いかたがあるが、この質問書はそれだけでなく、野党側の粗探しに対する一種の開き直りの側面もあるような気がする。政治家は清濁併せ呑むぐらいじゃないと務まらない、などとは決して思わないが、「道徳的に欠陥がない完全無欠な公職者」というのは一つの幻想ではないかと自分は思っている。「道徳性」を中心に据えてしまうと、まとまる話もまとまらず、アキレスとカメのパラドックスに至るような気がする。要はバランス感覚なのだと思うが、このままでは「公正な社会」は遠くに見え隠れするだけかもしれない。

[聯合ニュース](日本語版 9月12日)李明博大統領、新首相候補を今週中に指名か
http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2010/09/12/0900000000AJP20100912000100882.HTML
[大田日報](9月9日)自己検証書
http://www.daejonilbo.com/news/newsitem.asp?pk_no=906919
[東亜日報](日本語版 9月1日)地方選挙当選者11人が銀行法違反、公開財産分析で判明
http://japan.donga.com/srv/service.php3?biid=2010090196428

(付録)−『9.個人私生活関連』の31項目
9.個人私生活関連
1 本家や妻の家族が歴史的にでも社会的に議論の対象になるようなことに従事されたことがありますか?
2 離婚または、再婚をなさった経験がありますか?
3 治療中の病気がありますか?
4 最近5年間、1週間以上の入院治療をした経験がありますか?
5 精神科診療を受けた経験がありますか?
6 公務遂行に支障を与えることができる病気または、障害をもっていますか?
7 民間人身分で北朝鮮を訪問(観光、事業、民間交流など)したことがありますか?
8 民事訴訟にかかわったことがありますか?
9 個人破産前歴がありますか?
10 配偶者または家族に暴力を行使したことがありますか?
11 本人または配偶者が捜査を受けている事案がありますか?
12 本人または配偶者と関連して進行中の裁判あるいは訴訟がありますか?
13 海外留学中の子供がいますか?
14 未成年の子供を海外に留学させていたり、留学させた経験がありますか?
15 家族の中で子供の外国国籍取得のために出産目的で海外に出て行った場合がありますか?
16 海外旅行時滞留期間超過で不法滞留したことがありますか?
17 海外旅行中該当国家法規違反などで調査されたことがありますか?
18 海外旅行時、公的なパートナーのほかに配偶者や子供、知人らと同行したことがありますか?(あるならば旅行目的、同行者を記述して下さい)
19 海外旅行時免税店で400ドル以上の物品を購入した経験がありますか?
20 海外から入国時に免税範囲を超過した携帯品の指摘を受けて税金を追加納付した事実がありますか?
21 海外ゴルフ旅行をした経験がありますか?
22 年次休暇など適切な措置なしで海外旅行をした事実がありますか?
23 海外不動産を保有したり買いとったことがありますか?
24 海外で他人と共同で事業をするなどしたことがありますか?
25 社会通念上議論になりうる賭けゴルフや賭博をしたことがありますか?
26 セクハラなど道徳的問題で物議を醸したことがありますか?
27 ゴルフ会員券などぜいたく性会員券を持っていますか?
28 高位公職者として議論になりうる趣味生活をした経験がありますか?
29 子供を一流ホテルで結婚させた経験がありますか?
30 デパートあるいは一流ホテルVIP会員に加入した経歴がありますか?
31 輸入車両を保有していたり、保有した経験(海外居住時除外)がありますか?
 
 オーストリアのウィーンにある美術館、Museum of Applied Art (Museum fur Angewandte Kunst)、略してMAKという所で、北朝鮮の芸術と建築の展覧会“Flowers for Kim Il Sung(キミルソンへの献花) ”が開かれているのだそうだ。

 いつものようにぼんやりと朝鮮日報のページを眺めていたら、米国のサイト”38 NORTH”というところに掲載されたエッセイをネタにした記事があった。ウィーンの米国大使館の医務官、Kenneth B. Dekleva氏のエッセイは、上の展覧会で眼にした絵画や写真を前半で紹介し、後半では主に2009年の最高人民会議における将軍様の写真やヴィデオの分析から病後の診断を試みている。国務省の役人が書いたエッセイであるが、キム・ジョンイルの健康状態に関する憶測を述べたものだけに、文末には「この記事で示された見解は全面的に著者の個人的見解であり、米国政府または米国国務省、国務省医務局の公式見解ではない」という但し書きがついている。

 2009年に公開された動画や写真から類推した精神科医師としての診立てはかなり悲観的である。半側空間無視(hemi-neglect)と呼ばれる後遺症の可能性があり、神経精神病的な損傷が伺えるとのこと。体の左側に問題を抱えており、まともに認知できていないのではないかという診断である。病後のリハビリのかいあってか、2009年の夏にクリントン元大統領が米国籍の女性記者2名を取り戻すために訪朝した際には「健康な姿」が演出されたが、脳卒中で倒れた後の5年間生存率はせいぜい35-40%だ、などという一般論で悲観的な診断を補強している。

 Dekleva博士の所見と大同小異の議論は結構目にした記憶がある。国も指導者も青息吐息・・・この手の話には全く新味がない。MAKの展覧会は北朝鮮お得意のプロパガンダの一種である。この展覧会で決して目にすることの出来ないキム・ジョンイルの姿は、北朝鮮以外の国々では憶測混じりながらもお馴染みのものかもしれず、自分などは食傷気味である。自分にとって博士のエッセイで面白かったのは、後半の話と鋭く対比させるために展覧会の出品作を紹介している前半の方であった。あの偉大なキミルソンの後継者、聡明で健康な理想的指導者として絵画に登場したキム・ジョンイルの、輝く姿である。

 展示されている作品は油絵や伝統的な「朝鮮画(Chosonhwa)」様式の絵画だそうで、後者の題材として、風景や花、農村の情景、伝統服を着た女性、伝統的な踊り、丸々と太った愛らしい子供たちなどが登場するのだそうだ(可憐な花々には指導者の名前をとったキムジョンイリア(Kimjongilia)とキミルスニア(Kimilsungia)が含まれている)。ピョンヤン(平壌)を紹介する一群の油絵と写真に登場するのはあの『主体塔』であり、最近建設工事が再開されたらしい『柳京ホテル』であり、ピョンヤンの街頭風景である。まるで映画のセットのような例の街並みだ。展覧会を全く見もしないで書いてしまうなら、プロパガンダ芸術の痛烈なアイロニーである。

 展示されている絵画の多くはキミルソンとキム・ジョンイルの肖像画だそうだ。そして、その題名が面白い。ただし、原題は不明である。

 『党の中心で絶え間なく輝き続ける光』(1980)−息子キム
 『ある農場の視察』(1985)-父親キム
 『キミルソン主席はいつも私たちと一緒』(1995)−父親キム
 『北朝鮮人民軍(KPA)の至上の指揮官キム・ジョンイル将軍様が兵士たちのダイエットに深く心を配られて』(2000)−息子キム
 『共に人民の道しるべに』(2002)−キム親子
 『最前線への途上で鳴り響く鐘』(2005)−息子キム
 『素晴らしき我が国、ああ、我が祖国に永遠に栄えあれ!』(2005)−キム親子

 上のエッセイには解像度はいまいちであるが、何枚かの写真が添付されている。展覧会のポスター以外はAFPの写真である。中でも目をひくのはキム親子が子供たちに囲まれているカラフルな絵である。キミルソンは椅子に座り、両脇に男児と女児の肩を抱き、講話か何かをしているように見える。巨漢の元プロレスラーといった風情である。キム・ジョンイルは女児を抱き上げて微笑みながら屹然とこちらを向いている。身長は180cmぐらいありそうに見える。女児はほとんど洋服や民族服の晴れ着で着飾っている。男児はTシャツと半ズボンの子もいれば、民族服や軍服姿の子もいる。子供たちはみな尊敬と羨望と信頼の表情で充足しているように見える。この絵が展示されていたかどうかは不明である。
 絵の題名は、『私たちは世界中で一番幸せな子供たちです』。
 
[朝鮮日報](8月23日)"キム・ジョンイル、脳卒中後遺症で左側認知できない障害の可能性"
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2010/08/23/2010082301695.html?Dep1=news&Dep2=headline1&Dep3=h1_02
[38 NORTH](8月19日)Kim Jong Il’s “Flowers for Kim Il Sung” By Kenneth B. Dekleva M.D.
http://38north.org/2010/08/kim-jong-il%e2%80%99s-%e2%80%9cflowers-for-kim-il-sung%e2%80%9d/

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事