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李英愛が長い沈黙の後に出演したのが「大長今」である。このドラマ、BSでの放送にはあまり身を入れていなかったので、まだ済州島編を見ていない。的はずれになるかもしれないが、簡単にふれておこう。
米国ではラジオやテレビの主婦向けのメロドラマを「ソープ・オペラ」という。洗剤の会社が提供することが多かったのでこの名が付いたらしい。この「何とかオペラ」という言い方で、「大長今」を「キムチ・オペラ」と呼びたくなる。ただし、キムチ・メーカーがスポンサーだったかどうかはわからない。それだけ親しみやすいドラマだ、ということだ。このドラマは歴史劇であるが、いわゆる「歴史其の儘」として捉えては楽しめない。このドラマを見る時に「史実では・・・」などというのは野暮である。
全54回の前半は宮廷の厨房を舞台にした「料理人の根性物語」である。よく、向こうでも読まれたという漫画「将太の寿司」や「中華一番!」の影響を指摘する向きもある。確かに、「将太の寿司」では母親を亡くした主人公の将太が、それを一つのバネにして寿司職人として成長していく姿が描かれている。寿司勝負が繰り返され、毎回人情話が語られ、将太は人並み外れた努力と素晴らしいセンスで困難を乗り越える。絵に描いたような悪役も登場する。厳しく将太を導く師匠もいるし、あつい友情も描かれる。この漫画は寿司を中心とした料理知識の情報本にもなっている。また、「中華一番!」でも、「四川料理の仙女」と呼ばれた亡き母の教えを胸に、料理勝負を通して一人前の料理人へと成長していく主人公マオの姿が描かれている。主人公はやはり人並み外れた努力と素晴らしいセンスで料理勝負を制していく。ただし、こちらの漫画の方はアクション・コミックっぽい描かれ方になっている。
前半では確かにこうした漫画を思い出すこともできるが、それはドラマの一つの軸にすぎない。このドラマの主軸は、気障な言い方をすると「光と影の抗争」なのだと思う。後半の医女編ではそのことがはっきりする。そしてこのドラマは、主人公チャングムの成長物語・成功物語であると同時に、宮廷という狭い世界に生きる女たちの群像劇になっている。毎回毎回、よくぞと思うほどに起伏のある筋が展開し、見せ場が出てくる。光輝くチャングムの「誓いのアリア」や「涙のアリア」、暗く沈むクミョンの「嘆きのアリア」やチェ尚宮の「呪いのアリア」「怒りのアリア」等々、聞かせどころは多い。チャングムの「愛のアリア」は忘れがたい印象を残した。チャングムを取り巻く人々の二重唱や三重唱もいい味を出している。お終いの方で「格調高いメロ」になってしまうのはやむを得ない展開だろう。全50回の予定が4回延長されたのはこの「メロ」のためではなく、前半を延ばしすぎたためらしい。
それにしても、週2回、半年にわたって高視聴率で視聴者を引っ張ることができたのはなぜだろう。それは、群像劇に重点を置いて、チャングムの存在を抑えて描いたことが大きな力になったのだと思う。主役は李英愛である。放っておいても光り輝くのだ。愚直で努力家で芯の強いチャングムの性格が李英愛のイメージとうまく響きあって、静かにドラマを引っ張ったのだ。彼女の演技のポイントは何だろう。それは目の演技だと思う。宮廷を舞台にした動きの少ない時代劇で、目で語る演技に説得力があると思う。
しかし、後半、「復讐」の意味合いをもつ場面でも、目を少しでも剥いてにらめば、演出家は「チャングムはそんな表情は絶対だめなの、常に善良できれいに」と注文したといわれる([フィルム2.0]スターフォーカス 7月27日)。演技者としての李英愛にとってこれは苦痛だった。俳優として不足を感じた。肉体的にも厳しく、シナリオをじっくり研究できない撮影スケジュールも、徹底的に「考える」俳優李英愛にとって耐え難いものだった。「大長今」が終わった時は「真夏に熱い湯に入ったような」感じで、心身共にエネルギーの消耗が著しかったそうだ。
「大長今」が終わって、気がついてみると、彼女の思惑とは裏腹にチャングムの人気は一人歩きする。「国民的なスター」になってしまった。しかし、李英愛にとってはどこか違うという気持ちが強かった。時代劇に出て、自分の芸域を広げるどころか、ストレスがたまった。新しい跳躍、脱出口が必要だった。そして、「JSA」でお世話になったパク・チャヌク監督に相談し、破格のキャラクター「クムジャ」を演じる決断をする。
「押さえられた感情線を一度最後まで広げて見たかった」([フィルム2.0]前掲記事)という李英愛は、このクムジャ役という大役に賭けた。自分の可能性に賭けた。「柔らかなメロドラマ」ばかり演じているわけにはいかないのだ。33歳の李英愛は、これまでの自分の演技人生で身につけてきたものをすべてぶつけて、役者として新たな地平を目指す。
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