李英愛研究

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栞−(3)レイテ戦記

  「レイテ戦記(上・中・下)」(大岡昇平 中公文庫 1984年の補遺を含む … 単行本は1971年)

  お盆に、何の気なしにこの本を読んだ。毎年今頃の季節になると読んでいる。レイテ島はフィリピン群島のほぼ中央に位置する島で、今年の二月に豪雨の影響で大規模な地滑りに見舞われた。1991年にも地すべりで大きな被害が出ている。面積は約4000平方キロ、フィリピンで八番目の大きさの細長い島だ。狭い海峡を挟んですぐ北にサマール島がある。

  昭和19年7月下旬、ハワイでルーズベルト大統領とニミッツ、マッカーサーによる三者会談が開かれ、太平洋戦線の方針が固められた。そして、「アイ シャル リターン」と言い残して二年前にコレヒドールを脱出したマッカーサーはフィリピン奪還に執念を燃やし、フィリピン上陸が決まる。実際どこに上陸するかは流動的であったが、結局、10月17日から20日にかけてレイテ島に上陸作戦が展開される。

  当時日本軍は兵力をインドネシア攻略に回さざるを得ず、大兵力をフィリピンに置くことはできなかった。そもそも、中国満州戦線には二百万の大軍がいたのに太平洋戦線には15個師団25万しかさけなかった。この時期、主敵は米英であるにもかかわらず、大軍をソ連と重慶の押さえとして動かせなかったのだ。そして、この本の著者大岡昇平氏は昭和19年7月、第十四軍補充の歩兵としてフィリピンのミンドロ島サンホセに駐屯する。この島にはレイテ島の次に米軍が上陸した。翌20年1月25日、大岡氏は米軍の俘虜になり、レイテ島のタナウアン収容所に入れられる。ここで陸軍第十六師団や海軍西村艦隊の水兵からレイテ島をめぐる激戦と兵士達の悲惨な話を聞く。戦後、当時の体験から「俘虜記」「野火」が生まれる。

  その後、「戦争の事実は兵士には偶然のように作用するが、その一部は敵味方の参謀の立てる作戦と司令部の決断によって、支配されている」と考える筆者は、「レイテ島における決断、作戦、戦闘経過及びその結果のすべてを書く」(下巻 「あとがき」より)という野心をこの、「死んだ兵士たちに」と献辞が付された書物によって果たす。太平洋戦争中、最も損害が多かった戦場であり、作戦上の不手際等、旧陸海軍にとって最も恥多き戦場であるレイテ島の陸海戦を、筆者は厖大な資料を駆使して浮き彫りにしていく。

  献辞からわかるように、本書で筆者が立つ場所は明快である。「山本五十六提督が真珠湾を攻撃したとか、山下将軍がレイテ島を防御した、という文章はナンセンスである。真珠湾の米戦艦群を撃破したのは、空母から飛び立った飛行機のパイロットたちであった。レイテ島を防御したのは、圧倒的多数の米兵に対して、日露戦争の後、一歩も進歩していなかった日本陸軍の無退却主義、頂上奪取、後方攪乱、斬り込みなどの作戦指揮の下に戦った、十六師団、第一師団、二十六師団の兵士たちだった。」(上巻 P.72)

  上巻の初めに作者は次のように説明する。「私はこれからレイテ島の戦闘について、私が事実と判断したものを、できるだけ詳しく書くつもりである。七十五ミリ野砲の砲声と三八銃の響きを再現したいと思っている。それが戦って死んだ者の霊を慰める唯一のものだと思っている。それが私に出来る唯一つのことだからである。」

  三分冊の長大な本であるが、雑誌の連載(『中央公論』昭和1967年1月〜1969年7月)をまとめた作品であるせいか実に読みやすい。一気に読める。そして、添付された図版が理解を助けてくれる。自分は、いちいちページをめくり返すのが面倒なので全図版を画像ファイルにして保存してある。それらをパソコンのディスプレイに大写しにして時々眺めながら読んでいる。ぶざまなレイテ沖海戦、リモン峠の気の滅入る死闘、ブラウエンの飛行場破壊作戦等々、印象的な戦闘が数多くでてくる。あの神風特攻もこの戦線での苦肉の策として初めて試みられた。

  具体的な実名も多く登場し、作戦参謀や部隊長をはじめとして、それこそ戦場で呻吟する一兵卒に至るまで可能な限りの資料と想像力を駆使して、著者が「事実と判断したもの」が克明に描かれる。圧倒的な人員と物量に支えられた米軍に対して、日本軍の末路はたいてい斬り込みか自決、あるいは兵士の落伍である。降伏は考えられなかったし現地の指揮官にその権限もなかった。生き残っても食料が決定的に窮乏していた。極限状況でおぞましいことも起きた。現在の感覚で読んでいて歯がゆくなり、軍隊という「無責任体系」への静かな怒りがわき起こる。飢えてやつれ、極限状況を彷徨した兵士たちへの何とも言えない切ない気持ちに満たされる。そして、著者が示す状況と対象への絶妙の距離感と冷徹な眼差しが、安っぽい同情や薄っぺらな正論を粉みじんに砕く。言葉によって投げ出されたものを繰り返し繰り返し反芻しながら、うまく言葉では言い表せないが確かな手応えのあるものを受け取る。この、うまく言葉で言い表せないものは毎年読むたびに自分の中で少しずつ変質しているようだ。

  レイテ島の戦いは、米軍が北端のサン・イシドロ半島の掃討をフィリピンゲリラ部隊に任せた昭和20年5月8日が公式のレイテ作戦終了日になっている。昭和19年の10月20日からこの日までの6ヶ月半の間に死んだ兵士は日本側79,261人、米国側3,504人(行方不明89人、戦傷11,991人)であった。日本側は投入兵力84,006人のうち、転進した2,245人を除く2,500人だけが生還した。この数字はあくまで概数である。兵員補充のためマニラからの海上輸送の途中に海没した人員約一万人も含めれば、レイテ島で亡くなった方々は約9万名に上る。(下巻 PP.276-278)

  下巻の「エピローグ」から少し長めに引用しよう。

  配色濃い戦争末期、本土決戦を目論んだ軍部は、特攻機で敵船団を殲滅し、一勝を博した有利な状況で和平交渉に入る、という現実離れした夢物語にすがりついた。この夢物語は、「ただ天皇と国民の前に、面子を失いたくないという情念、危険に対する反応としての攻撃性、及びこれらの情念を基盤として生れた神国不敗の幻想にかられて、その地上軍事力(国内的にはクーデタ的暴力となる)を背景に、主張したのであった。

  しかしその軍事力の基礎は国民である。徴集制度は、近代の民族国家の成立の根本的条件であるが、それが政治と独立した統帥権によって行われる場合、反対給付を伴わない強制労役となる。そのように日本の旧軍隊は徴募兵を牛馬のように酷使した。本土決戦では二千万人の国民が犠牲になれば、アメリカは戦争をやめるといい出すだろうと計算された。

  フィリピンの戦闘がこのようなビンタと精神棒と、完全消耗持久の方針の上で戦われたことは忘れてはならない。多くの戦線離脱者、自殺者が出たのは当然だが、しかしこれら奴隷的条件にも拘らず、軍の強制する忠誠とは別なところに戦う理由を発見して、よく戦った兵士を私は尊敬する。

  近代の戦争は、職業的に訓練された軍事力によらずには行われない。歩兵についていえば、それは開けた第一線において弾雨を冒しての突撃、陣地死守ができねばならない。・・・これは組織された教育と、国家に身命を捧げた職業軍人の存在を前提とする。しかし一般的国民にこれを課するのは治者として残酷であり、不仁である。国民は国家の利益のほかに、おのおの個人的家族的な幸福追求の権利を持っている。従って軍が徴募兵に戦いを続けさせる条件の維持に失敗した場合、降伏を命令しなければならない。そのため諸国は互いに俘虜に自軍の補給部隊と同じ給与を与え、あとで決済する国際協定を結んでいるのである。しかし旧日本陸軍はこの国際協定の存在を国民に知らさず、『生きて虜囚の辱しめを受けず』と教えて、自決をすすめた。本土決戦のような夢物語のために、国民の犠牲を強要するのは罪悪である。国民に死を命じておきながら一勝和平の救済手段を考えるのは醜悪である。

  こうしてレイテ決戦に敗れた上は、大本営はフィリピン全域の現地司令官に降伏の自由を与えるべきであった、という平凡な結論に達する。そうすればルソン、ミンダナオ、ビサヤでの日米両軍の無益な殺傷、山中の悲惨な大量餓死と人肉喰いは避けられたのであった。

  しかし申すまでもなく、これは今日の眼から見た結果論である。国土狭小、資源に乏しい日本が近代国家の仲間入りするために、国民を犠牲にするのは明治建国以来の歴史の要請であった。われわれは敗戦後も依然としてアジアの中の西欧として残った。低賃金と公害というアジア的条件の上に、西欧的な高度成長を築き上げた。だから戦後二十五年経てば、アメリカの極東政策に迎合して、国民を無益な死に駆り立てる政府とイデオローグが再生産されるという、退屈極まる事態が生じたのである。」(下巻 PP.289-291)

  この「エピローグ」が書かれたころはベトナム戦争が泥沼に陥っていた。そして、時代は変わり、大岡昇平氏も1988年に物故された。大岡氏なら、昨今の極東情勢をごらんになり、どんな感慨を持たれるのだろう。

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