李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

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慶尚南道の田舎町(1)

  町の裏通りの定食屋で食事を済ませ、この町で見つけた2軒の本屋のうち小さい方の店に入った。ソウルへ戻る夜行バスの出発まで時間がある。雑誌を何か買って、それを眺めながら時間をつぶそうと思ったのだ。店の奥では若い男が司法試験の勉強をしながら店番をしている。結局、映画雑誌を何冊か買った。そして、帰り際に、「どこかに時間を潰せる場所があるか、酒を出さない喫茶店があるか」と、下手な英語で聞いてみた。すると、しばし考えた後にこの本屋の2軒となりの喫茶店を教えてくれた。

  雑居ビルの2階の店はとてもゆったりとした作りである。入り口のドアは開け放してある。向こうの喫茶店はみんなこんな感じだ。客は一組だけだった。奥ヘ歩いていって、四人がけの席に座る。テーブルに灰皿はあるがティッシュパーパーは敷かれていない。しばらく待つと、こぢんまりしたカウンターの横から主(あるじ)と思われる女がやってきて注文を聞いた。水は出てこない。冷水器が向こうに見える。ほしければ自分で汲みに行くやり方のようだ。アイスコーヒーを注文した。そして離れた席にいる年配の客を見ると、最初は女連れだと思っていたが、そうではなく、おそらくこの店の女給と思われる20代の女が付いているのだった。常連客らしく、和やかに談笑し、女はいちいち大きな声で断ってから店の主に飲み物の追加注文をしている。

  しばらくして客が帰り、新たな客が入ってきてカウンターの横の席に着いた。30代後半の男だった。この男もやはり常連らしく、さっき年配の客の相手をしていた女が席に着いた。店の主が慣れた調子で話しかけ、三人でしばし盛り上がっている。その後、アイスコーヒーが運ばれてきた。店の主が飲み物を置いてカウンターの方に戻るのと入れ違いに、どこから出てきたものやら、女が一人テーブル越しに自分の前の席に座った。大年増という感じであるが、まだ30代であろう。自分が忙しくアイスコーヒーを飲むのをじっと見ている。飲み物は思ったより甘くない。そして、気が付くとテーブルには水が出ていた。

  アイスコーヒーを一気に半分以上飲み、続けて水に口を付けると、女が片言の日本語で「私にも何か飲ませてほしい」というようなことを言った。自分はまたアイスコーヒーに口を付け、「マシダ(うまい)」と言ってみた。すると女は「マシタ」と訂正した。「ダ」ではなく「タ」で終わるということらしい。そして、「申し訳ないが自分はそういうことをしないのだ」ということを日本語とハングルと身振りをごちゃ混ぜにして伝えた。こちらの意思が伝わったのか伝わらなかったのか、女はしばらくそこに座ったまま、こちらがアイスコーヒーを飲むのを見守っている。この女性に恥をかかせているのかも知れない。生活の糧のいくばくかをフイにしているのかも知れない。しかし、自分はそういうことをしないのだ。

  テーブル越しに自分の前の席に座っていた女がにこやかに挨拶してどこかに消えると、さっき買った雑誌を出してぱらぱらめくった。見知った顔が若干出てくるが、掲載されているほとんどの映画や俳優に興味が湧かない。映画「スーパーマン」の紹介記事や、「指輪物語」に出たイアン・マッケランの話は読む気がしない。しかし、何冊かある雑誌の一冊に原節子を紹介したコラムがあって、これは興味深く読んだ。やはり小津安二郎作品とともに語られている。そして、成瀬作品の「めし」や黒沢作品の「白痴」にも言及されている。とくに「白痴」についてかなり紙幅を割いている。『日本映画の聖処女』という題名であった。

  いつのまにかテレビがつけられ、新たに年配の客も現れて、あちこちの席に座っている。店に活気が生まれている。さっきカウンターの横に座った男はラザーニャのような、おかゆのようなものを食べている。店の主と20代の女が御相伴にあずかっている。さっき自分の所に来た女は年配の客の相手をして親しそうに話している。店の反対側にある大画面のテレビをぼんやり見ると、ニュースをやっている。音声ははっきり届かない。ロケットの打ち上げ場面のような映像が見える。しばらく店内が静まる。夜食をとっている男が自分の方をちらちら見たような気がした。音声がはっきり伝わる。どうやら北朝鮮がミサイルを打ち上げたらしい。そして、ほんの5秒かそこいらで店内はまた元のように活気を取り戻した。このときの映像は日本のNHKのニュース映像を使ったものだと後日知った。

  数日前に見物に行った統一展望台を思い出した。途中の登り道で目にしたのどかな兵士たちの様子を思い出した。展望台の眼下の入り江を思い出した。遠く霞む北朝鮮の領地を思い出した。北朝鮮がミサイルを打ち上げたらしいが、少なくともこの慶南の町には落ちていない。テレビの映像はロケットの打ち上げ場面を繰り返し流している。店内でテレビに気をとられている者は自分以外にはいないようだ。そして、画面は別のチャンネルに変えられてしまった。

  夜行バスの出発までまだかなりの時間があるが、この店を出て少し歩くことにした。氷が解けて薄茶色の液体になったアイスコーヒーの最後の一口を飲み干した。代金を払って店を出る時に、さっきの女がにっこり笑って小さく手を振った、こちらもにっこり笑い返して挨拶し、外に至る階段を下りた。

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