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一年間ブログの書き込みを中断して、一月にまた再開したのは、そろそろ何らかの動きがあるのではないかという予感からだった。そして、「Welcome back」という見出しで何か書くつもりでひと月以上待機した。
しかし、次回作の消息は全く聞こえてこない。うかうかしていると前回の空白期間を超える長期ブランクになる。いや、もう超えているかもしれない。心配になって久しぶりにいろいろ検索してみると、保守系新党や実業界の同姓同名の方の記事がたくさん出てくる。その他は広告関係の記事や名前の引用記事がほとんどである。
何もネタがないので民労党の話を半可通の視点で書いたが、これでは羊頭狗肉、看板に偽りありということになるので、苦肉の策で過去の出演ドラマを見た。MBC水木ドラマ「私が生きる理由」(1997)である。
時は1975年、パク・チョンヒ(1917-1979.10.26)政権の時代。所はマポ(麻浦)。漢江をはさんで汝矣島(ヨイド)の対岸に位置する。現在は、地下鉄1号線に[マポ]がある。昔は地方からソウルに出てきた人々がまずこのあたりに住み着いたと何かで読んだことがある。今のことはよくわからないが、当時は下町の代名詞であっただろう。当時、旧清渓川の川岸の板小屋(パンジャチプ)はさらに貧しい人々の住処だったと記憶する。今から約10年前の撮影で、背景は低い家並みを選んでいる。たぶんソウル駅の駅裏あたりだろうと思うが、撮影当時はまだこういう住宅が多かったのか、これもよくわからない。それはともかく、これは良くできた群像劇で、芸達者の面々が要所要所を引き締めて飽きさせない。
話全体を要約すれば、男たちはだらしなく、女たちの頑張りで身過ぎ世過ぎが成り立っている、ぼろを着ても心は錦、そういう生活の場を生き生きと描いた作品である。まあ、荒っぽい出入り沙汰になれば男たちが活躍するのではあるが、結局、男たちを支える女たちの話だと思った。その物語は、場末の居酒屋『美人界(ミインゲ)』の酌婦エスク(イ・ヨンエ)と町のチンピラのジング(ソン・チャンミン)の関係・成長を縦糸にしつつ、彼らを取り巻く人々の様々なエピソードを横糸にして同時進行で進む。絡みあった多くのエピソードは町の再開発に関するもめ事に帰結する、そういう大枠になっている。町の住人の再開発反対のデモを警察側が姑息に武力鎮圧する話なども出てきて興味深い。
多様なエピソードの中には韓国ドラマの定番とも言うべき三角関係ももちろんある。医者の娘という設定の女子大生(イ・ミンヨン)がジングに岡惚れし、それを見つめるエスクの感情的葛藤が一つの見せ場になっている。階級差のある2人が出逢い、境遇の違いが障碍になる、という韓国ドラマお得意の設定の変種である。エスクは、そんなジングのために身を捨てる寸前まで行く。これは、かなり「いい女」の役なのだ。話は、ワケありのエスクが『美人界』にやってくるところから始まる。これは酌婦のいる、当時としては標準的な居酒屋なのだろうが、ここでの就職面接はちょっとした見ものである。焼酎の一気飲みが見られる。
物語の多くの場面が町の「長屋」を舞台にしている。ただし、長屋というのはたまたまそう呼んだだけで、落語に出てくる日本式の棟割り長屋ではない。大門があって、方形の狭い中庭があって、それを囲むように部屋が集まっている住宅である。部屋は長方形で四畳半から六畳ぐらい。ここに、昔懐かしいビニール製の衣裳ケースがあったりする。チャック(ジッパー)で開け閉めする類似の製品は自分の実家にもあった。人々はこの部屋でとても薄い布団にくるまって休む。向こうはオンドルなのだ。ちゃんと、練炭を運び込む場面があった。持ち運びし易い七輪のようなものも出てくる。これを見た向こうの人の多くが、ある種の感慨と共に練炭を眺めたのではないかと想像した。なお、韓国では現在でも一部で練炭が使われている。「愛の分かち合い」のような慈善事業で困窮家庭に練炭をプレゼントする、という話を目にしたことがある。
このドラマが制作された1997年といえば、初の文民政権であるキム・ヨンサム政権が終わり、キム・デジュン政権が成立する少し前である。警察の派出所の太極旗の横に飾られた朴大統領の写真にハッとすることはあったが、このドラマ自体に開発独裁(軍事独裁)時代への批判的な視点は表立って出てこないし、あの時代の「暗さ」や「抑圧的状況」といった政治的な話題も直接出てこない。テレビのドラマでは表立って出そうにも出せないのだろうが、見ているこちら側の受け止め方次第なのかもしれない。このドラマでは、理不尽な状況に耐えるのは主に女たちだ。
助演の俳優はとても豪華で、女優陣ではユン・ヨジョン、コ・ドゥシム、ナ・ムンヒ、クム・ボラらが印象に残った。というか、男優はよく知らない人が多かった。情けないことに、若い俳優はよく識別出来ないこともあった。「大長今」で無頼の医官役をやっていたメン・サンフンあたりしかピンとこなかった。
『美人界』のマダム役のユン・ヨジョンは町の相談役になっており、問題を抱えた人々が彼女のところにやってきては打令(タリョン)、となる。酸いも甘いも噛み分けた苦労人の役はこの人にピッタリだ。この年、同じMBCの「簡易駅」というドラマでも苦労人の役をやっている。また、「韓国のお母さん」と呼ばれるコ・ドゥシムもいい。いわゆる「恨」を抱えて精一杯生きる市井の貧しい母親の典型のような役であるが、怒りを露わにする時もヤケ酒を飲む時も、カラッとしていてジメジメしないのが素晴らしい。痴呆老嬢役のナ・ムンヒは、貫禄のボケぶりとでもいうべきか、清純さすら漂わせる怪演技である。そして、万屋(よろずや)の主人との結婚に全力投球するオールドミス役のクム・ボラがまたいい。「大長今」ではイム・ヒョンシクと絶妙の掛け合いを見せてくれた女優である。
韓国では酌婦というものが強烈な負のイメージを持っているようなのだが、そのあたりがピンとこない。身を持ち崩しているかどうかは個々人の生活態度で判断するしかないと考えるのは、この世界に縁のない者の勝手な思い込みだろう。切なくも素晴らしいキーセン(妓生)文化を生んだ韓国で、現代の酌婦はその末裔とは認められず、鬼子扱いなのだ。場末で働く女はなおさらだ。いわゆる儒教的な道徳観が根強く価値意識を規定しているのだろう。金銭に対する潔癖感も同様の脈絡で語られることが多い。弟や妹の学費のためにプライドと社会的評価を犠牲にするのは、まず女からなのだ。このドラマの放映当時もその行動様式に大きな変化はなかったのではないかと思う。十年一昔というが、今はどうなのだろう。
以前、MBCの「日曜日、日曜日の晩に」という番組の録画ファイルでこのドラマのカットをいくつか見たことがある。頭からラーメンをかけられたり、悪酔いしてもどしたり、といったシーンだった。しかし、あれは演技全体のほんの断片であって、このドラマでは「泣き」の演技が多い。この当時普段からそうしていたのか定かではないが、ここでは眉を細めに描いている。そして、エスクが派手な衣裳に濃いめの化粧で店に出れば、こういうところで働く女性に見えないこともない。回を追う毎に普段の化粧が濃くなっていき、地毛にパーマをかけたあたりから、この商売で生きる女の面貌になる。そんなエスクが、マダムやジングに涙まじりで語りかけるシーンや、一人で涙に暮れるシーンが結構出てくるのだが、これをすっぴん顔でやったらどうだっただろうと思うことが多かった。ジングに対してエスクの「情が染みていく」過程がいまひとつ弱いように思えたからである。これは、こちらの見方が浅薄なのかもしれない。
いずれにしても、このドラマが演技面で一つの転機になったことは確かだろう。忘れられない役だという発言もあった。1997年前後には多くのドラマに出演し、初めての映画を撮り、さらにいくつかのドラマに出演し、3年後に立て続けに映画三本に出演、そしてブランクの後の「大長今」、2005年の「クムジャさん」とつながっていく。…自分は、映画では「春の日は過ぎゆく」を買っていて、ウンスのその後が気になっているクチであるが、エスクのその後も気になりだした。そして、あの人は今、どうしているのだろう。
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