李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

職業としての演技

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贈り物

  映画「贈り物」は「JSA」が封切られた翌月、2000年の10月にクランクインし、翌年2月にクランクアップ、3月24日に封切られた。この3月に「春の日は過ぎゆく」がクランクインしている。李英愛は切れ目なく映画に出続けている。
  「贈り物(ラストプレゼント)」は絵に描いたような「お涙ちょうだいの復古風メロ」である。この映画もDVDで見た。見終わって、李英愛は何故この映画に出たのか考え込んでしまった。

  不治の病にかかったチョンヨン(李英愛)は、無名のコメディアンである夫ヨンギ(イ・ジョンジェ)が仕事をするのに差し支えるのが心配で、これを隠す。夫の方も後にそのことを知るが、やはり妻に問いたださない。妻はベビー用品の店を営んで収入のない夫を支え、放送局のプロデューサーに裏工作までして夫を世に出そうとする。この夫婦には子供がいたが早くに亡くなっている。夫は妻に小学校の頃から思い続けた初恋の人がいたことを知り、死ぬ前に探し出そうとする。病気のことはやがて二人の間でオープンになり、死んで行く妻の前で笑いを演じ続けなければならないコメディアン、というクライマックスに至る。
  夫を気遣う妻が病気のことを隠すのは、まあ、わかる。しかし、夫はなぜ妻に問いたださないのだろう。オ・ギファン監督によれば、「お互いに言わない状況が充分に可能だと思う。ただ私の考えではなく一般人たちにモニターして見た結果そうだった。 ・・・一般人の判断を尊重する方だ。 彼らが納得することができたら映画的にも無理がないのではないかと思う」とのことである([シネ21]「試写室」2001年3月23日)。「実はアイロニーという主題で構想を立てて見たこともあるが、そうしてみると芸術映画になっていた。 私が願うのはそうではなかったし私はそんな監督でもないから主題を笑いと泣きに変えた。・・・笑いと泣きを二本の軸にして大衆的な路線を選んだわけだ」ということで制作されたそうだ(前掲記事)。また、こう語る。「監督は概して二つの種類に分けられる. 一つは作家で他の一つは商業映画監督だ。私は作家ではない。商業映画を作る人間は最大限観客の立場で思考する。世の中で生きて行くのは息苦しい。映画でそれを解消することが必要だ。 私は胸が暖かくなる映画を作りたい」。

  見る前に、前に引用した[朝鮮日報]のインタビュー記事を読んでいたので、チャップリンのことが出てきたから、「街の灯」のような雰囲気をねらったのかな、などと漠然と思っていた。「生活のにおいを濃く漂わそうとしてショートカットにした」、とか、「似たような映画を見ると真似てしまいそうなので、『菊の花の香り』という小説や病院のドキュメンタリだけ参考にした」という李英愛の話から、もう少し重苦しい話かとも思っていた。人一人死ぬのだから重いことは重いのだが、苦しくはなかった。また、全編で効果的に使われるシークレットガーデンの曲が重さまでも和らげてくれる。
  この映画の設定でいま一つピンとこないのは、小綺麗な住まいでの暮らしぶりだ。おそらく韓国の標準的な世帯なのかもしれない。だが、たいして儲かっていないような店を切り回しているものの、「貧にやつれた」生活力のある妻の面影はチョンヨンにはない。愛らしい若妻なのだ。また、病気が進行して病院に担ぎ込まれても入院はせず、すぐに家に戻り夫の世話を焼く。死にそうな病人には見えないのだ。だから、妻が手土産を持ってプロデューサーの妻に夫のことを頼みに行っても、夫が妻の病気のことを知って医者に八つ当たりしても、見ている方としては多少しらけてしまう。しかし、監督は上のような制作意図のもと、それを承知で演出しているようだ。ピンとこないところは他にもたくさんあるが、それにこだわって「リアリティ」がない、などと言ってはこの映画を楽しめない。これは、「涙と笑いのおとぎ話」なのだ。ただし、「涙」の方はともかく、肝心の「笑い」のほうはちょっと空回りしている。ヨンギの演じるコメディアンは真面目すぎて、見る方としても泣き笑いにならないのだ。笑いをとるのは脇で動き回る人情家の詐欺師二人である。

  李英愛の演技はどうだろう。簡単にまとめると、彼女の熱演は充分に魅力的だが、監督の演出意図を考慮してもやや力不足だと思う。ヨンギと二人での芝居もいまひとつだ。夫役の俳優が一本調子なのも災いした。生活のにおいは濃く漂わない。彼女の外貌が演技を裏切る。例えば、彼女の幼なじみに「エスク」という女性がいる。二人の子持ちで生活にちょっと疲れた女という設定だ。後半でこの二人が旧交を温める場面がある。どうしてもエスクのにおいの方が濃い。見ている途中、内心「これは泣けないな」と思っていた。しかし、チョンヨンが母親の墓前で切ない胸の内を吐露する場面では不覚にも泣いた。

  なんというか、この話は「活字向き」なのだと思う。李英愛はこの映画の脚本に惚れ込んで出演したそうだ。残念ながら、この映画は彼女の「街の灯」にはならなかった。しかし、いつかまたこうしたテーマの作品に出て欲しい。

映画の方へ

  2000年から2001年にかけて、映画の方へ行く前に李英愛が出た最後のドラマ「火花」は、韓国国内ではそれほど高い評価を得られなかった。だが、あるブログの書き込みによれば、台湾で「『火花』」ブーム」を起こし、この作品で台湾の国民的女優になってしまう。日本などでは珍しくもないこうした内容も、かの地では「不倫ドラマ」という位置づけで、婚約者がありながら、家庭を持つ男を愛し、両者の間で揺れ動く主人公の心の葛藤に喝采が送られた。そして、婚約者役のチャ・インピョと李英愛は台湾の「国民的スター」になる。台湾ではこの種の設定はテレビドラマでは珍しく、いわば、「待ってました」とばかりに高い評価を受けたようだ。
  それまで台湾で放送された韓国ドラマは「歴史物」の時代劇や六・二五動乱にまつわる話などが中心で、「男尊女卑」や「貧しさ」といった負の印象を残す物が多かったが、まさに韓国の「現在」をあらわすこのドラマは、「韓国社会の伝統的で権威主義的なイメージ」を覆すのに決定的な働きをしたのだという( http://kr.blog.yahoo.com/sockokyu/1477183.html )。

  「火花」の後、李英愛が出演した三本の映画での役柄は、知的で溌剌とした韓国系スイス人捜査官、夫を出世させるためになりふり構わず尽くす平凡な妻、離婚経験を持ち、自立して生きることを志向するキャリアウーマン、という具合で一貫性がない。一貫していないとしても、これらの役柄は、これまで彼女が演じてきたCFやドラマでのイメージの自然な発展といえる。ソフィー・チャン(「JSA」)は、例えばマモンドの女刑事ヴァージョンなどの敷衍とみることができる。ショートカットの平凡な姿のチョンヨン(「贈り物」)は、「私が生きる理由」のエスクや「波」のユンスクを思い出させる。「招待」のヨンジュや「火花」のシヒョンが将来離婚したら、優しいサンウを捨てるウンス(「春の日は過ぎゆく」)になるかもしれない。

  この年(2000年)のチュソク(秋夕)に合わせて公開された映画「共同警備区域 JSA」は国内でメガヒット作となり、「『JSA』ブーム」が起きる。海外での興業もうまくいき、ベルリン映画祭に出品される。それまで、どちらかというとB級テイストで作家性の強い作品を作ってきたパク・チャヌク監督が、見事な娯楽映画で面目を一新した作品であった。
  この映画での李英愛の役割は、いわば観客の分身である。事件の真相を究明する過程で、自分の出自と分断の悲劇の実態に触れていく。李英愛は知的な女捜査官を好演し、演技の幅を広げはしたが、それ以上でも以下でもない。狂言回しの脇役なのである。この映画をDVDで見たが、残念ながら演技面では強い印象は残らなかった。
  しかし、この作品は彼女を「映画スター」として浮かび上がらせた。俳優が演技者としての真骨頂を示すのは映画である。映画「インシャラー」から4年、ドラマで一定の評価を得てはいたものの、二本目の映画でやっと認められた。認められはしたが、彼女の持ち味を充分に生かした役とは言えない。にもかかわらず、彼女の人気は急上昇した。身も蓋もない言い方をするなら、いまだに「タレント」と呼ばれることもある俳優が、映画の人気に引きずられて芸能界の前面に出てきたのだ。だが、決して背伸びをしない演技者李英愛は、あくまでマイペースを貫く。

  翌2001年、あの「明成皇后」がKBSでドラマ化され、タイトルロールは李英愛に白羽の矢が立つ。2年前、同じKBSの「招待」にキャスティングされた時、当初イ・スンヨンに予定されていたヨンジュ役が、ある事情で李英愛に回ってきたといういきさつがあり、そのことを当てつけたような記事がある。2001年1月15日付の[朝鮮日報]によれば、「(KBSは)ミニシリーズ 『招待』にイ・ヨンエをキャスティングする時とは180度変わった状況である」という。『JSA』で人気が浮上した、「俳優兼タレントのイ・ヨンエは、下半期映画撮影スケジュールのため難色を示している。・・・スケジュール以外では撮影現場での繊細な照明の問題や出演料などもイ・ヨンエ側がKBSと駆け引きしている部分だ」などと書かれている。「明成皇后」はミュージカルで大成功を収めた話をKBSが鳴り物入りでドラマ化した作品で、それまで主役にはカン・スヨンやチョン・シラ、シム・ウナなどの名前が挙がっていたという。李英愛は結局このドラマに出演しない。
  この段階で、テレビドラマは一休みしたい、あるいは、できれば映画一本でいきたいという希望を持っていたのではないか。なによりも、いわば身の丈に合った役柄をまず演じたかったのではないか。テレビドラマの時代劇、それも「国母」と呼ばれて慕われている皇后閔妃を演じるわけにはいかないのだ。いずれ時代劇に出演するにしても、まだその時期ではないと判断したのだと思う。第一、CFのイメージも考慮しなければならない。確証はないが、この六年前に「西宮(徐宮?)」と「饌品単子(チャンプンダンジャ)」に出たものの、セリフや演技に制約の多い時代劇は彼女に合わないという思いもあったかもしれない。この二作以後、ドラマでは一切時代劇に出演していない。

  マスコミでどう憶測されようと、李英愛の真意はこの年の彼女の活動を見ればわかる。上半期公開に向けて制作されていた映画「贈り物」が3月24日に公開され、下半期には「春の日は過ぎゆく」が公開される。4月には、映画の撮影の合間に、毎週日曜日夜9時50分から70分間放送のSBSトークショー「イ・ヨンエの甘い選択」の司会を務めている。この司会をひき受けた理由について、「日曜日夜のプライムタイムにトークショーを任せてくださった方々の判断なら信頼できると思った」し、「私も私を信じたかったから」と語っている([朝鮮日報]2001年3月22日)。そして、同じ4月の20日には自筆エッセイ「とても特別な愛」が出版される。ミュージックビデオへの出演もある。CFへの出演も相変わらず多い。何よりもこの年は、李英愛が来日してニュース番組やNHKの教育番組に出演し、強い印象を残した年として記憶されなければならない。

  三十歳になった李英愛は、映画の方へ向かいながら、口さがない人々の思惑とは無縁に、己を振り返り、己を磨き、演技を磨く。「俳優は身体で真実を語る職業です。女の俳優として年を取ることに対して恐ろしいことはないが、結局生きて来た過程と内面の豊かさがそのまま顔に現われることになるので、責任を感じます」([朝鮮日報]2001年3月22日)。こう語る李英愛は、映画「贈り物」を紹介するこのインタビューで、「一番好きな俳優」をたずねられ、「笑いの中に涙があるということを一番よく見せてくれた天才」と、チャーリー・チャップリンの名をためらわずに挙げている。

クリシェ

  「私が20代の時初めてデビューした時、30代の先輩が一人いらっしゃったが、演技がもうまったく同じで変化がなかったんですよ。 幼い心にそんな感じを受けました。後にはあの年になってもああならないようにしなければと思いました」([シネ21]2005年8月9日)。
  こう決意した李英愛にとって、演技をするということは、自分が演じる人物の性格を表現するだけでなく、CFで出来上がった自分の「型にはまったイメージ」を慎重に壊していくことだった。

  では、「型にはまったイメージ=酸素のような女」とはどのようなものか。曰く、「初々しくてさわやか」から始まって、「清らかで純粋」、「知的で美しく優雅」、「天使の微笑み」、「天上の女神のように見える優雅な姿態」、「酌婦(ホステス)役を演じても優雅な気品が感じられる」等々、そのイメージを表す修飾語は、古くさいカタカナ言葉で言うなら、それこそ「クリシェ(cliche)」ばかりだ。実際に美しくて優雅に見えるのだから仕方ないものの、こうした陳腐な決まり文句がうまれてきたのも無理からぬ事情があった。CFでの異常な売れっ子ぶりである。
  彼女の「CFタレント」としての一つのピークは「マモンド」を降りる2000年前後であったと思われる。1998年に「イ・ヨンエの一日」というドキュメンタリ番組が放送され、その後、ネットではこの番組の題名をもじって「CFで構成するイ・ヨンエの一日」という一つ話がはやる。だいぶ後の記事だが、2002年11月15日[文化日報]には「日本語学校で使われる語学教材」の例として「イ・ヨンエの一日」が出てくる。それによれば、日本語の文を列挙する課題として、「朝、○○せっけんで 顔を 洗って  ○○冷蔵庫の 中に ある ジュ−スを 飲んで  英語を 勉強して Do you have…  午後には フェンシング, ジム, ショッピング, ナイトクラブ  駅に 行って ぺ○○さんに 会う  そして 真夜中、ベルが なると 彼女の ドラマが 始まる」というのが紹介されている。「ぺ○○さん」が出てくるのは、同じ会社のクレジットカードのCFに出ていたせいだろう。1990年代末には例文の数はもっと多かったに違いない。
  残念ながら1990年代後半に韓国で暮らした経験がないので、ネットにぶら下がっているCF映像を今見てもピンと来ない。これまでに李英愛は、太平洋化粧品、ロッテ、韓国ネッスル、LG電子、LGキャピタル、LG建設(GS建設)、真露焼酎、三星電子、KTF、ウンジン食品等々、多くの会社の製品・ブランドに登場している。思いやりのない言い方をすると、「ドラマにも出たことのあるCFの女王」のまま引退して家庭を築いても良かったのではないかとさえ思える。しかし、そうしなかった。CFの人気を維持しながら「演技変身」を図るという難しい道を選んだ。自分の固定的イメージを完全に破壊してはいけないが、さりとてそれに寄りかかるような役は避けて、少しずつ演技の幅を広げてきた。一度始めたことを投げ出さない誠実さと、したたかな強さを感じる。

  「招待」に出演していた頃の李英愛は、女性の感情変化を最も繊細に表現することができる演技者の一人と言われていた。ドラマでの演技遍歴とたゆまぬ研鑽の末に得た評価だ。もう少し付け加えるなら、時代劇よりは現代劇で、都会に生きる女の喜怒哀楽を演じられる役者ということだ。これは裏を返せば演技の幅がそれほど広くないということを意味する。脳天気なコメディなどは言うに及ばず、劇画タッチのアクション物や伝統的な時代劇には向かないのだ。いや、正確に言うと、そういう役もこなせるかもしれないが、CFでのイメージを攪乱してしまうのだ。
  「マモンド」の専属になった時、(ファッションモデルと比べて)服をあんまり着ることができない化粧品モデルになったとぐずぐず言った李英愛は、「40歳過ぎても化粧品のモデルをしたい」と1999年のあるインタビューで語っている。「化粧品モデルはすなわちスター」という認識は、芸能人と一般の人々の間の了解事項である。また、化粧品に限らず、スターのCF出演では高額のギャラが保証される。そこで一番気を遣うのがイメージの管理である。イメージを毀損すればただでは済まないからだ。
  ちょっと極端な例だが、チェ・ジンシルやファン・スジョンが広告イメージを毀損して問題になったという話が[マイデイリー](9月25日付)に出ている。マンションの広告に出たあと離婚したチェ・ジンシルが、夫の家庭内暴力を暴露し、破損された家まで公開してしまった。そのために彼女を起用した建設会社が訴訟を起こし、9月23日に「住宅分譲事業と連想作用を起こして否定的な影響を及ぼした」としてチェ・ジンシル側は敗訴した。また、麻薬使用で拘束され、乱れた私生活が公開されたファン・スジョンの場合、彼女が出た放送広告や印刷広告はいっせいに中断された。これらはせっかくのイメージを破壊してしまった例だが、少しの攪乱であっても慎重を期さなければならないのだ。

  すでに触れた「火花」の後に続く三本の映画−「JSA」「贈り物」「春の日は過ぎゆく」−で、こうしたジレンマを解く試みが行われる。。

招待と火花

  1999年のSBSドラマ「波(パド)」を紹介する新聞記事([朝鮮日報]4月21日付)で、李英愛の演技に「変身」という言葉が使われている。主人公のナ・ユンスクは小さい時に母親に捨てられた経験を持ち、他人にたやすく心を開けない貧しい女子大生である。祖母に育てられ、苦学して教師になる勉強をしているが、学費を稼ぐために休学して居酒屋に出るようになる。
  どうも李英愛の場合、居酒屋で働く役だと「変身」のレッテルが貼られるようだ。日本語で「居酒屋」というと、女っ気なしか、あってもお年を召した方のいらっしゃるお店が多いが、向こうだとこちらのスナックみたいな感じなのだろうか。若い身空で苦労するという設定なのだが、やはりこれは、李英愛が演じるから、そのイメージとのギャップから「変身」になるのだろう。ただし、ドラマの眼目は居酒屋ではなく、初恋の人や大学の友人が絡んだ恋愛模様その他いろいろの話が出てくるそうである。

  1999年にはKBSドラマ「招待(インビテーション)」にも出ている。演出は、この年に放映された李英愛主演のKBS単発ドラマ「隠秘嶺(ウンビリョン)」を演出したユン・ソクホである。「隠秘嶺」は題名から想像が付くように、山、それも冬の雪山を舞台にしたドラマである。ただし、「雪原の恋物語」である。かつて友人の恋人(李英愛)に心引かれたことのある男(イ・チャンフン)が、その女と雪山で巡り会う。女は自分の夫になったその友人と死別した後だった。ということで、宿命的なラブストーリーが展開されるそうだ。冬といえば、あの「冬のソナタ」を演出したのも、確かユン・ソクホだった。

  「招待」の方は、ホテルの広報室に勤務し、保守的な結婚観と愛に固執するヨンジュ(李英愛)が主人公である。彼女と女子高で同窓の友人には、開放的な考えを持つミヨンや婚前同棲も辞さないサビンがいる。ヨンジュには8年間結婚を前提につきあってきた男がいるが、幼なじみのスンジン(キム・サンギョン)の登場に心が揺れる。というわけで、韓国トレンディドラマの王道をいく作品のようだ。ただし、このドラマの「ウリ」はその美しい映像だそうだ。「ユン・ソクホPDは照明や背景の一つ一つにも度外れていると思うほどに念を入れる。おかげでドラマの中の風景はCFや映画のように色や絵がきれいだ」そうだ(「朝鮮日報」1999年9月27日)。李英愛がきわめて美しく捉えられていることでも有名な作品らしい。ちなみに、李英愛のこの記事の時点での結婚観は、「保守的なヨンジュと合理的なサビンの中間」だそうだ(「朝鮮日報」前掲記事)。
  この年の春、李英愛はSBSで歌手のユン・ジョンシンとともに「とても特別な愛」のMCを務めている。日曜深夜(0時10分から)の番組で、音楽とともに恵まれない子供たちの事例を紹介し、慈善募金を集めるというプログラムだったそうだ。春にはまた、KBS2の「挑戦 地球探検隊」の撮影のため、半月間インド旅行に出かけている。
  涙がちょっと多い方だという李英愛は、「とても特別な愛」の生放送の時は緊張のため耐えてから、家へ帰ってこんこんと泣くことも多かったそうだ。親に捨てられた子供たちを放送で紹介しながら、結婚観も変わったという。「以前は夫婦が相性が悪ければ別れることができると思いました。しかし子供たちを見たら、なんとしても家庭を守りながら問題を解決しなくちゃいけないという気がします」(「朝鮮日報」前掲記事)。

  翌2000年は、まずSBS「火花(花火)」に出演する。[朝鮮日報](2000年3月28日付)によると、結婚を控えた女(李英愛)が旅の途中で知り合った男(イ・ギョンヨン)と不意に恋に落ちるという設定で、「言葉の魔術師」キム・スヒョンの脚本だ。放送前から李英愛とイ・ギョンヨンの激しいキスシーンを予告編で流して話題になったという。ただし、視聴率の方はあまり芳しくなかったようだ。全32回の半分を終わった段階では残念ながら失敗作ということになっている。上の記事では、ドラマの序盤、相手の男の妻を演じたチョ・ミンスと李英愛は身体に合わない服を着たようで、「キム・スヒョン」式セリフをまともに消化することができなかった、と手厳しい。
  しかし、同じ[朝鮮日報]4月6日付の記事「芸能界ファイル すればするほど難しいのが演技」では、演技を極めることの難しさを語り、演技力のないタレントが横行していることを批判した後、演技変身の成功例として、シム・ウナやチェ・ジンシルと並んで李英愛の名前が出てくる。「『火花』のイ・ヨンエも熱情的変身で『酸素イメージ』を一気に脱いだ」という。こちらを書いたのは放送作家の方である。いわゆる提灯持ちの記事とも思えない。ドラマの序盤はともかく、その後の演技は問題ないのであろう。ただし、「火花」についての続報は[朝鮮日報]には残念ながら見あたらない。

  この年の6月、南北首脳会談が実現し、しばらくマスコミはその話題でもちきりだった。そして絶妙のタイミングで作られた「共同警備区域(JSA)」が封切られるのが9月9日である。「インシャラー」から4年、李英愛の新たなステップがここに刻まれる。

わたしが生きる理由

  [朝鮮日報](1997年8月5日付)に、MBCドラマ「わたしが生きる理由」での李英愛の「変身」が伝えられている。この年の初めに「医家兄弟(ドクターズ)」で理知的で都会的な内科の女医を演じた彼女は、「可愛らしい」イメージを脱ぎ捨てて、前作とはおおいに異なる居酒屋酌婦チョン・エスク役で変身したと報じられている。
  前年には周りがあやぶむほど多くの作品に出演している。だが、「彼らの抱擁」などの作品は視聴率が低迷し、ペ・ヨンジュンと共演したドラマ「パパ」(KBS2)や映画「インシャラー」でも最善を尽くしたものの、結果は出なかった。変身が必要だった。

  「インシャラー」は、ベストセラー小説を映画化し、全編モロッコで撮影された大作である。しかも、米国留学中にアフリカ旅行にやってきた韓国人女学生と北朝鮮外交官が主人公という、韓国でヒットする条件−南北問題(分断の悲劇)−を一応からめた作品である。
  この時の演技について李英愛は、「どうしてもスクリーンはブラウン管より大きいから小さな演技の短所が大きく見えるようです。なるべく柔らかくて自然な姿を見せようと思ったが思った通りにならないですね。しかし必ず見守ってください」と、後に語っている([ブレイクニュース]「スター批評」2004年12月15日)。この映画の失敗がすべて李英愛の演技力不足に帰せられるわけではない。[文化日報](1997年1月25日付)その他を見ると、脚本に難があるらしく、「平凡なメロドラマ」の水準にとどまっているそうだ。しかし、彼女はこの後も、「まともな演技者として生まれ変わろうとする努力」を怠らない。

  MBCドラマ「わたしが生きる理由」は、1970年代のソウル市マポ(麻浦)地区を舞台に、下層の庶民の哀歓を描いた作品である。漢江の汝矣島に向き合うマポ地区は当時、地方から都会にやってきた人々がまず落ち着く場所だった。例えば東京なら、昔の浅草山谷あたりのイメージだろうか。この作品が制作された1997年はあの劇的なウォン相場大暴落の年だ。無理矢理こじつけるつもりはないが、文民政権誕生後の期待と失望、忍び寄る不景気といった世相がこの作品に反映されていることは間違いない。
  李英愛はこの作品で、貧乏から抜け出すために一攫千金を夢見る恋人のチング(ソン・チャンミン)と弟妹たちのために居酒屋の酌婦として働く、けなげな女エスクを演じている。ただし、あるブログの書き込みによれば、町内のやくざ者や多彩な隣人たちとで繰り広げられるドラマ自体は明るい印象で、70年代当時の雰囲気をよく再現しているそうだ。

  当時CFの世界でトップスターの地位にあった李英愛の、演技変身への努力の大きなステップの一つが「わたしが生きる理由」のエスクだ。「CFは私を育てたがまた大変にもしました。CFの固定的イメージを脱して演技者で生まれ変わるためにかなり身悶えしたんです。そうするうちに出会った『人』がエスクです。カメラの前に立つのが恐ろしかった瞬間に演技の楽しさを感じるようになったからです」と彼女は語っている([ブレイクニュース]前掲記事)。
  また、彼女のエッセイに次のような言葉があるそうだ。「私は演技を愛する。演技をするようになったことをただの一度も後悔した事がない。そして今後とも続いて『演技者』イ・ヨンエとしてファンの記憶に残りたい。まだ下手で青臭い点が多い。しかしいつかは人々が私の演技を見ながら泣いたり笑ったりして自分を振り返ることができる、そんな長い余韻を与える演技者になりたいという希望を持っている」([ブレイクニュース]前掲記事)。

  ところで、こうした演技変身のステップは、俳優としての成熟へのステップであるだけでなく、CFタレントとしてのグレードアップにもつながっている。彼女を閉じこめていた固定的イメージをうまく壊すことによって新たな商品価値を持つイメージがうまれるという副作用(?)もあるのだ。
  [文化日報](1999年6月4日)の記事「CFの話」には、TVドラマの人気に寄りかかって多くの広告に出ていたが、急に広告を切られてしまったキム・ジホという人の話が出ている。多くのドラマに出演しても型にはまったイメージから脱することができなければ広告モデルとしても短命に終わるという教訓だそうだ。そして、当時、李英愛がLGキャピタルのクレジットカードのCFに出たことを、「20代前半の女性をターゲットにした化粧品広告モデルのイメージから脱して20代後半の『実質派都市女性』に変貌した」と紹介している。ただし、これはちょっと誇張した説明かもしれない。「マモンド」のCFでは清純さわやか路線をいくヴァージョンとクールな都会的女性刑事路線のヴァージョンがあり、後者の自然な発展としてクレジットカードのCFが出てくるはずだ。
  これより少し前の1998年、広告CFで「イ・ヨンエの一日」が構成できるとネットで話題になるほど、当時はたくさんのCFに出演していた。李英愛が10年連続で契約更新してきた「マモンド」のイメージ・キャラクタの座をファン・へジョンに譲ったのは確かこの記事の翌年、2000年の春である。当時、女の三十の坂を目前にして、CFでの自分のイメージの変身ということももちろん考えていただろう。そして、30〜40代の人々の心を掴んだ高級冷蔵庫「ジベル」や高級エアコン「フィセン」、マンション「ザイ」での成功、太平洋化粧品「アイオペ」への起用等々、その後の活躍をみると、こちらのグレードアップは上々であるといえよう。

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