李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

職業としての演技

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演技変身

  2000年に映画「JSA(共同警備区域)」に出るまで、李英愛が出演したドラマと映画について報じた新聞記事をチェックした。[朝鮮日報]と[文化日報]を使った。会員登録する必要がなく、そのままアクセスできる。前者は1993年の一部から、後者は1995年の一部からぶら下がっている。だが、俳優李英愛関係の記事がたくさん出てくるのは1997年以降で、それまではほとんど残っていない。確証はないが、Windows95が出てからインターネットが近づきやすくなり、Windows98が出て本格的に急速に普及したことと無関係ではないだろう。メディアの比重が新聞や週刊誌等の印刷媒体からネットへ移っていく黎明期から過渡期だったのではないか。
  相変わらず実物映像も見ないで周縁的新聞記事に頼った議論である(当方、諸般の事情で、CATVとかネット配信の放送を見るなどというのは夢のまた夢、という環境にある)。しかし、彼女の演技生活に関するキーワードについて考えたいので、むしろ見ない方が良いのではないかと、倒錯した哀しい納得の仕方で満足している。

  下にURLを並べた記事はドラマ六本、映画一本である。映画はこの他に、「キスしましょうか(ファーストキス)」(1998)という作品にカメオ出演(短時間顔を出す程度の出演)している。下の記事で「インシャラー」のものは、一つは紹介記事(1月1日付)で、もう一つは辛口の批評(1月25日付)である。ドラマについての記事は1997年から2000年までのものだが、全然網羅的ではない。
  1997年以降だけでも「医家兄弟(ドクターズ)」(1997年 MBC)、「ロマンス」 (1998 SBS)、「隠秘嶺(ウンビリョン)」(1999 KBS)が欠けている。ドラマ初出演の「お宅の夫はどうですか」(1993 SBS)以降、1996年までに、以下の9本に出演している。「疾走」(1994? MBS)、「西宮」(1995 KBS)、「アスファルトの男」(1995 SBS?)、「愛と結婚」(1995 MBC)、「饌品単子(チャンプンダンジャ)」(1995 MBC)、「パパ」(1996 KBS)、「彼らの抱擁」(1996 MBC)、「同期間(兄弟姉妹の間柄)」(1996 MBC)、「簡易駅」(1996 MBC)。
  順番や年度、制作局は、とりあえず公式サイトの「ドラマ」ページを参考にした。ただ、この公式サイト、「プロフィール」ページには14本しか記載されていない。ほどほどに信用することにした。その他のサイトにぶら下がっているプロフィールと食い違うものには「?」を付けておいた。なお、「ドリーム・レーサー」という作品名が出ているサイトがある。おそらく上の「疾走」か「アスファルトの男」の別名だろう(「アスファルトの男」はイ・ビョンホンが主演だから道路工事の話ではないと思う)。

  1993年から2000年まで、主演・助演・脇役で合計19本、実にいろいろのドラマに出演し、様々の役を演じたものだ。向こうはミニシリーズ等は別として、基本的に週2回、最長で半年ぐらいの放映期間でドラマを作る。視聴率が低迷すると容赦なく打ち切られたりする。李英愛が出演した作品でそういう憂き目に逢ったものもいくつかある。初めのころ、主人公の役が回って来た時は代打の場合が多かったと、ある対談記事([中央日報]2001年10月25日)に出ていた。この指摘に対して彼女は、「リズムでしょう。私は波のリズムを楽しみます」と答えている、「前を行く波が、必ずしも一番先に岩にあたるのではない、という意味にも取れた」と記事の筆者は解釈している。何と聡明な答え方だろう。
  1995年の「愛と結婚」から本格的に演技者としての自覚を持って仕事に取り組むようになったと後に彼女は語っている。「アスファルトの男」から、と書いている記事もあった。ドラマデビューの後、「ジャージャー麺」の舞台に立ち、この時感じた演技に対する感動が、今まで演技活動をするのに多くの力を与えているとも語っている。いずれにしても、自ら強く望んで飛び込んだ世界ではなく、自然な流れに従って演技者の道を歩き始めた彼女が、「職業としての演技」を模索し始めたのは1995年からだと思う。「演技もできるCFタレント」で終わるわけにはいかなくなったのだ。それについて考える際、キーワードは「演技変身」である。

追記:書き込んだ後、下のURLを試してみたら、読めるページと読めないページがある。末尾の等号より後の数字の先頭から8桁が年月日なので、どうしても読みたい方は当該新聞の「検索」ページから地道にアクセスしていただきたい。
[映画 「インシャラー」](1996)
http://www.munhwa.com/apart/news_view.html?id=199701014100001
http://www.munhwa.com/apart/news_view.html?id=1997012519000401
[MBC 水木ドラマ「わたしが生きる理由」](1997)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199708050300
[CATV現代放送−SBS 月火ドラマ「愛するから」](1997)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199710190210
http://www.munhwa.com/apart/news_view.html?id=1997102819000101
[MBC 月火ドラマ「アドゥヴォキット(弁護士)」](1998)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199810280381
[SBS 週末ドラマ「波」](1999)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199904210356
[KBS2 月火ドラマ「インビテーション(招待)」](1999)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199909270525
[SBS 水木ドラマ「火花」](2000)
http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=200003280367

ジャージャー麺

  また李英愛が出演した演劇の話である。大学院の記念公演「都彌夫人」のことはおぼろげにしかわからなかった。しかし「ジャージャー麺」の方は概要がわかる。出演時期が前後するが、今回はこれについて触れる。

  1993年10月29日の[朝鮮日報]によれば、「ジャージャー麺」はキム・サンスという人の9番目の創作劇で、「人間性に反する政治行動や抑圧的暴力はどんな大義名分があっても容認され得ない、ということが主題」の実験劇だという。「作品はジャージャー麺店『パクチョンノ(朴全廬)閣』の悪徳社長パク・チョンノと無力な従業員たちとの間のいさかいを基本構図とし、時おり自転車に乗る女が現れて人生で忘れてしまった愛を悟らせてくれる、という内容」だそうだ。キム氏は「私たちの現代社会・政治史を貫いている不条理な様相の実体をジャージャー麺、あるいはジャージャー麺店や大衆的なオブジェを通じて劇的に解き明かしたかった」と語っている。「公演は、題名の語感とはちょっと隔たった実験劇形式で、可変舞台と露出照明の使用、現場での生演奏などで実験劇専用自由小劇場の劇場性を最大限活用する計画だ」とのこと。いつ公演が始まったのかわからないが、この記事が10月29日付で、公演は11月29日まで行われる旨記載がある。

  うーむ、不条理な様相の実体をジャージャー麺で・・・。「都彌夫人」とはがらっと趣の異なる芝居のようだ。1993年というと、ノ・テウ政権が終わり、何十年ぶりかで文民政権が誕生した年だ。こういう芝居は他にもたくさん作られたことだろう。パクチョンノ(朴全廬)はもちろん軍事政権を指す符丁である。ずいぶん露骨な符丁だが、最近でも「3金政治(金泳三・金大中・金鐘泌)」というのがある。慶尚道(金泳三)、全羅道(金大中)、忠清道(金鍾泌)という三つの地域の対立を基軸とする政治という意味で、ノ・ムヒョン大統領はこの「地域主義」の一掃を政策目標に掲げていたりする。
  脱線してしまった、それにしても、李英愛がこういう実験劇に出ていたとはちょっと意外だった。劇評その他を見ていないので憶測するしかないが、自転車に乗って現れ、愛を悟らせる女性が李英愛の役ではないか。マモンド化粧品の「酸素のような女」のCFで、自転車に乗ってにっこり笑うというのがあった。この人の演じる役には必ず何らかの「愛」がついてまわる。どういう愛を悟らせるのかも不明だが、こういう政治色の濃そうな実験劇に彼女が出てきてさわやかに微笑めば、インパクトは大きいだろう。ジャージャー麺店の店員として髪振り乱して悪徳社長と対立する役ならもっと面白そうだ。前回引用したユン・ホジンとの対談で、このときの経験について李英愛は、「舞台で感じる暖かい照明の具合が格別だったと記憶している。観客の息づかいがありありと聞こえて、目をちょっと動かしたり手をちょっと振ったりするたびに反応が起きるのが不思議だった、と語っていた」という。

  実は上の「ジャージャー麺」の記事は李英愛について調べ始めた最初期の頃に目にしていたのだが、どういういきさつで出演することになったかは不明である。ただし、CFタレントの余興という感じはしない。学業(大学)を終えて初めて出演した「お宅のご主人はいかがですか」でのトドフィ役の演技は本人にとって納得のいかないものであったといくつかのインタビューで語っている。いろいろのことにチャレンジして己を磨こうとした時期に、たまたま巡ってきた縁であろう。翌年にはテレビのMCを務めたりしている。何をやるにも絶対に「背伸び」をしない人であるが、いざやるとなると思いきったことをする人でもある。

  なお、ジャージャー麺といえば、今年の10月19日付の[世界日報]の記事で、韓国ジャージャー麺が本場中国に逆流して、向こうでうけているという話が誇らしげに語られていた。それによると、ジャージャー麺は100年前の1905年、インチョン(仁川)の清の租界にあった中国人経営の料理店「ゴンファツン」で初めて売られた。その後長い時間をかけて今日の形になった韓国ジャージャー麺は、本場中国のものより具が多くて見栄えがよく、中国本土には1990年代末から進出し始めたそうだ。

朝鮮日報の「ジャージャー麺」の記事のURL[ http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199310291501 ]

都彌夫人

  ある学問分野の到達点としての研究成果は、新たな研究によって乗り越えられることが不可避である。一つの到達点は新たな出発点になり、より発展した段階へ絶え間なく進む、というようなことを昔読んだ覚えがある。一人の俳優にとっても、ある演技による一つの到達点は新たな演技への出発点になるはずだ。俳優李英愛の演技も発展してきたに違いない。この人の発言等を読むと、まるで学問研究をするように演技に取り組んできたかにみえる。人の知らないところでの努力も相当なものだろう。
  彼女の演技について何か書きたいとずっと思っているが、書けない。演技を云々するほど彼女のCFやドラマ、映画等を見ていないからだ。それを言い出せば、もともと資料ゼロで、主にネットの記事をたよりに始めたこのブログであるから、今まで書いてきたのは何なんだ、ということになる。
  このまま行くと、彼女が一番聞きたくない「顔だけ綺麗だ」という話で終わりそうである。だが、自分としては、この人ほど綺麗なもの−小さくて平凡かもしれないが清らかなもの−を持っている俳優はめったにいないのではないかという予感に従ってこのブログを書き続けている。タンポポのように愛らしい女性が、無窮花のように輝いている様子を記録したいと思っている。俳優という天職を全うして、末永く残る俳優になって欲しいと願っている。だからどうしたと言われれば、だからなんとかこの世を毎日やり過ごしていられるのだ。

  まあ、先日「親切なクムジャさん」も見ることができたし、カタいことは言わずに彼女の演技について書き始めよう。そうは言っても、どうしても調べておlきたいことで、どうにも調べがつかないことがある。彼女の舞台演劇出演のことである。わかっているのは二度舞台に立ったことだ。ネットの記事で確認できたのはいまのところこれだけだ。もっと出ているかもしれない。最初は演技デビューした後、ソウルの芸術の殿堂小劇場で「ジャージャー麺」という作品に出ている。次は大学院時代、学校の記念公演で「都彌夫人(ドミブイン)」のタイトルロールを演じている。ずいぶん前からこれらの作品の劇評を探しているのだが見つからない。きっとネットのどこかにぶら下がっていると思うのだが、探し方が悪いのか見つからない。したがって、今回も核心に触れぬまま周縁をうろつく話になる。

  「ジャージャー麺」は、あのジャージャー麺の話なのだろうか。問題は後者だ。この舞台に出たという話は1999年6月6日付の[朝鮮日報]の記事で知った。李英愛と舞台演出家ユン・ホジンとの対談の記事である。この前年、ユン・ホジンが代表を務める劇団実験劇場で「神のアグネス」という作品を上演した(初演は1983年)。このとき李英愛はアグネス役のオファーを受けたという。彼女の公演は実現しなかったが、そうした縁でこの対談が行われたようだ。
  対談では、ユン・ホジン作の話題のミュージカル「明成皇后」を李英愛は二回も見て、最後の合唱の所で涙を流した、という話から、演技論、ユン・ホジンの次回作の話、李英愛の皺の心配までいろいろ語られている。なお、明成皇后とは、いわゆる乙未事変で1895年に殺された王后閔妃である(そういえば先日、閔妃が兄に宛てたと思われるハングルの手紙が二通見つかったという記事が出た)。

  当時、ユン・ホジンは次回作「夢遊桃源図」を準備中だったが、これは、残存する最古の歴史書「三国史記」(1145)第48巻にある百済の都彌夫人の話を素材にしている。と、ここで、当時中央大大学院演劇映画科に通っていた李英愛が、何年か前に学校の記念公演で「都彌夫人」を上演したことがある、という話が出る。「都彌夫人の役を演じたんです。ミュージカルのように歌も歌いました。」
  こういう話は出てくるものの、その時の公演の様子は書かれていない。李英愛の大学院での勉強の様子は全く想像できないが、文献研究中心というわけでもなかったようだ(確かあのイ・ビョンホンもここの大学院で学んだはずだ)。

  「夢遊桃源図」の原作はチェ・インホ(崔仁浩)の同名小説である。このミュージカルの紹介ページによると、「抗えない現実に引き裂かれ、恋人との絆を試される「都彌(ドミ)」と「阿郎(アラン)」の切ない愛、世界の全てを手に入れても愛しい女性の心を得られなかった「餘慶(ヨギョン/百済の蓋鹵王)」の哀しみ、それを見守りながら自分の無力を嘆くしかない「香実(ヒャンシル)」の苦悩など、「夢遊桃源図」には、現代の我々が共感できる恋物語が繰り広げられます」ということである。これだけみると、韓国のメロドラマによくあるパターンのようだ。
  上記対談中のユン・ホジンの話によれば、「絶世の美女の都彌夫人は川水に映った自分の顔を見て悟りを得るのです。不幸はみな、自分の顔のせいで生じたということがわかるようになったのです。川岸の葦を折ってその顔に傷をつけ、土を塗って自ら醜女になります。目のつぶれた夫と顔がだめになった妻が会う終わりの場面が『夢遊桃源図』のクライマックスです。東洋の美は表に現れる外貌より内面の美しさをもっと大事にしているようです。」

  「百済の都彌夫人」というのは全く知らなかったが、これは李英愛にぴったりの役ではないか。百済の王餘慶が夢の中に現れた佳人に焦がれ、捜し出すが、横恋慕は実らず上のような話になる。都彌夫人は漢城(ソウル)一帯、いや全国でも知らぬもののない佳人で、被征服民の馬族の末裔ということになっている。この話は貞節の象徴として有名なのだそうだ。なお、「夢遊桃源図」はあのチェン・カイコー(陳凱歌)が監督として起用され、映画としても数年前から制作されていたようだ。ただし、完成しているのかどうかわからない。


[朝鮮日報]の記事のURL[ http://www.chosun.com/svc/news/www/viewArticle.html?id=199906060256 ]

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