李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

韓国への旅

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ソウル旅行(3)

  <統一展望台>
  7月3日は汽車でパジュ(坡州)の統一展望台まで出かけた。京義線のクムチョン(金村)というところからバスが出ている。重いカメラと三脚は持たず、レンズ付きフィルムだけを持参した。まず地下鉄でソウル駅に行った。ぴかぴかの立派な駅だ。隣に日帝時代に建てられた旧駅舎が残っている。これはとても風情のある建物だった。中を覗くとがらんどうである。博物館か何かに改装中のようだった。駅前の広場には一見してホームレスか失業者と思われる人々がたむろしている。忙しそうに駅舎に入っていく人たちの流れと、時間が止まったように静止した人たち。日本でも大きな駅でよく見かける光景だ。

  駅に入ると、ホールの真ん中にビラや写真で飾り立て、囲いをしたストライキ・マダン(広場)みたいな空間がある。KTXの女性乗務員たちが何人かその中でがんばっている。正規職の公務員になることを目指してもう何ヶ月もこうしているのだろう。駅の利用客はこの空間を全くかえりみない。自分は何となく後ろ髪を引かれつつ、切符売り場でクムチョン行きの切符を買い、ホームに出た。だが、なんか違うような感じだ。念のため、たまたま通りかかった運転士の方に確かめると、全然違う。この人がわざわざ案内してくださって、正しい列車に乗ることができた。で、電車に揺られて一時間ほどでクムチョンに到着した。しかし、雑貨屋で聞いたり通行人に聞いたりしても統一展望台行きのバス停がわからない。結局、近くの派出所に行って相談した。三日連続で警察の方のお世話になる。派出所にいた人々にはバス停のことがわからず、バスセンターかどこかに電話して乗るべきバスを調べてくださった。そしてパトカーで踏切の近くのバス停まで案内していただいた。派出所に来るたびにパトカーに乗せてもらっている。

  3番か4番のバスに乗りなさいと言われ、40分ぐらい待った後、1−3と表示のある中型のバスに乗った。車内の路線図をひたすら睨み、停車駅の見当をつけた。「トンイルトンサン(統一東山)」というのがそれなのだろう。その辺りの適当なところで降りて歩くのだろうと納得し、バスが停車するたびにバス停の名前を確認し、路線図と見比べた。途中、例のヘイリの芸術文化村を通った。確かここにはパク・チャヌク監督の家がある。この村はちょっと標高のある場所に展開していた。モダンな建物がたくさん建ち並んでいる。まだまだ建設途中で、大きな工事現場も通った。近くの山の中腹に英語村(?)のような施設があるのもわかった。ヘイリから少し行ったところに高層アパートが建ち並ぶ一角もあった。「ウェルビーイングタウン」という名前が付いていた。ヘイリといい、このアパート群といい、韓国内の裕福な進歩層が暮らしているようだ。あるいはセカンドハウスかもしれない。いずれにしてもソウルの北、38度線に近いところを選んでいるのがミソである。

  という具合に、周りの景色に気をとられているうちにバスは田舎道に入った。道は下り気味で若干標高も下がっている。とうとう乗客は自分だけになってしまった。運転手がどこまで行くのか聞いてきたので「トンイルチョンマンデ」と5〜6回連呼するとやっと通じた。しかし運転手は、「そこはもう通り過ぎた」というようなことを叫び、難しい顔で黙ってしまった。その後しばらく、ぶっちぎりで飛ばし続ける。自分としては、このままバスに乗り続けて戻ればよいと気楽に構えていたのだが、どうも話はそれほど簡単ではないようだ。結局、郊外のバスターミナルのようなところで下ろされた。運転手は、そこで待っていれば目的地に行くバスが来る、というようなことを言った。

  幅広の道路をぶっ飛ばして遠ざかるバスを見送り、ターミナルの敷地に入った。ここはバスの集結地点というか、整備ポイントというか、休憩ポイントというか、乗客用の窓口はなかった。しかし、屋根のついた簡易待合い所が併設されている。ここを始発にしているバスがあるようだ。統一展望台を通るバスを尋ねるためにバスの運転席で休憩している運転手に「トンイルチョンマンデ」と話しかけた。今度は二回で通じた。「イーベック」といって右手の指を二本立て、左手の親指と人差し指でマルを二つ作ってくれた。200番のバスに乗ればよいらしい。腹をくくって待つことにした。

  今度はバスに乗る時に統一展望台で降りたい旨を運転手に伝えた。そして下ろされたところは、幹線道路から少し入った、広大な駐車場のある場所だった。ちゃんとしたバス停ではない。ここより高所にある展望台まで往復する無料のシャトルバスの発着所である。しばらくバスの中で待っているうちに4〜5人の客が乗り込んできた。みな自家用車で来ている。この場所を路線バスで訪ねてくる客はほとんどいないようだ。

  バスはゆっくりと坂道を上っていく。とても管理の行き届いた道路と沿道の茂みである。道路と並行した小高いところに軍用と思われる道があり、迷彩色の軍用車両が通る。迷彩服を着て小銃を持った兵士がのんびり歩いている。しかし、いわゆる緊張感は全く感じられない。陽が降り注ぎ、辺りの景色は眩いほどに明るい。普通の観光地にしか見えない。そして、それほど時間もかからず、石とコンクリートの塊のような展望台に着いた。すぐに入場料を払い、館内に入る。展示物や映像による北朝鮮解説ショーには興味がなかったので、まず屋外の展望所に行った。あいにく、北朝鮮の領地はぼんやりとかすみ、うっすらとしか見渡せない。しかし、なんというか、平和で穏やかな景色であった。緑が濃い。眼下に広がる水面は入り江のようだ。とても美しい。自分はここに何を期待してやってきたのかとふと思う。

  館内をぶらぶら歩くと、北朝鮮の生活を紹介する展示室がある。北の放送しか入らないラジオとか、平壌以外の地域での生活を伝える資料など、もちろん展示されていない。向こうの庶民(?)の衣食住の実態なども上手に隠しているようだ。きれい事に満ちた展示空間である。ただし、韓国と北朝鮮での言葉の違いを示すパネルは興味深かったので何枚かカメラに収めた。向こうの学校の教室やアパートの一室を再現した空間も撮影した。結構立派な部屋だった。最後に、土産物を売るフロアーを冷やかして歩いた。北朝鮮の特産物としては木の実や果実酒の類が多かった。「オミジャスル(五味子酒)」などというものもあった。確か8000ウォンぐらいの値段が付いていた。その他、陶磁器や石細工品、墨や硯なども並べられ、べらぼうに高い値段が付いている。あくどい色の衣類や向こうの流行歌(?)や民謡を収めたカセットテープもあった。硯以外には興味を引かれなかった。その硯もわずかにゆがんでいた。どう見ても、物珍しさ以外で売り物になりそうな特産品は無いように思えた。結局、フロアーの出口近くにあったアイスクリームを買った。チョコレート味のコーンアイスである。もちろんこれは韓国製であった。

  展望台からの帰り、下の駐車場の横で路線バスを待っていると、シャトルバスの運転手が話しかけてきて、タクシーに相乗りしないかと言う。日本人の観光客が後ろにいる。年配の男性である。小さなリュックを背負って分厚いガイドブックを手にしている。シャトルバスの運転手がタクシーを勧め、相乗りの相手を探してくれたようだ。彼は親切にも運転手の待機室に我々を案内し、タクシー会社に電話をかけ、コーヒーまで振る舞ってくれた。

  我々の乗ったタクシーはシャトルバスの運転手に見送られて出発した。何度も頭を下げて手を振ってしまった。相乗りの男性は一人旅の途中ですでに滞韓12日目、ソウル−慶州−釜山−仁川−ソウルと旅をしてきて、翌日帰国するのだそうだ。釜山と仁川の間は夜行の船を使ったという。慶州の仏国寺や周辺の古刹や遺跡の話も聞いた。自分は今回の旅行ではソウル滞在を多目にとったので慶州観光は結局あきらめたのであるが、話を聞く限りでは興味深いところのようだ。

  この旅行者といろいろ話すうちに、クムチョンから汽車ではなくバスでソウルに戻ることにした。次の汽車まで1時間近く待たなければならないからだ。この人は来る時も梨花大のある新村からバスで来たそうだ。バスの方が汽車より若干割高になるが、早めに着けそうだ。今日はこの後、光化門の教保ビルの前でイム・グォンテク監督の1人デモを見物するつもりである。もし早く着いたら、デモの前に光化門の景福宮にある国立博物館を見物することが出来る。

  そのバスは普通の路線バスで、乗客の乗り降りが結構あった。学校が終わる時間にあたり、カバンを提げた学生が乗り降りした。そして、かなりの時間の後に新村の地下鉄駅の近くに到着した。予想とは違って、それほど早く着いたとは言えない。しかし何事もなく無事に着いたので感謝しなければならない。地下鉄に乗り、同行の旅行者の方とは途中で別れ、1人で光化門に向かった。

ソウル旅行(2)

  <映画人の反FTA文化祭(続き)>
  正面入口に移動すると、舞台でイヴェントを始める前にサイン会が行われている。サイン会場になった特設テントの周りは人だかりがすごい。携帯カメラが林立している。誰がサインしているのか確かめる気にもならず、舞台裏の「楽屋」のほうに行ってみた。舞台の裏にはスターたちの控えテントが用意され、ここにも若干の人だかりが出来ていた。しかし、主催者側はファンを寄せ付けず、みんなおとなしくテントを遠巻きにしている。着ているTシャツや上っ張りから見て、人混みの整理に当たっているのはどこかのプロダクションの人たちだ。テントの中にはチョン・ドヨンとキム・ヘスがいる。テーブルに向かって座っている。チョン・ドヨンは写真で見るより若く見える。アン・ソンギが進行係らしき男と何か話し、舞台の方へ行ってしまった。アン・ソンギも若々しく見える。その他にもスターが控えているらしいが自分には識別できない。しばらくチョン・ドヨンとキム・ヘスの様子を見つめた。

  チョン・ドヨンは背筋を伸ばしてじっと座っている。キム・ヘスはやや斜めに姿勢を崩して座っている。写真で見たとおりの豊胸であることが遠くからでもよくわかる。自分の横には眼鏡をかけたお父さんと小学校低学年らしい息子がじっとしゃがんでいる。息子は白い紙とサインペンを握りしめている。時々サインペンのキャップをとり、手のひらに書きつけて具合を確かめている。何を待っているのだろう。あたりはもうすっかり暗くなって照明のあかりがまぶしい。人寄せ部隊はスタンバイしている。舞台ではスクリーンクオータ原状回復と韓米FTA粉砕のアピールが始まっている。この「文化祭」は夜中まで続くのだ。

  <後日談>
  [聯合ニュース](7月5日)によれば、ジョンノ(鐘路)警察署は、7月1日夕方、光化門で開かれた「スクリーンクオーター原状回復及び韓米自由貿易協定阻止のための文化祭」(「『参加政府には国民がいない』文化祭」)が事実上未申告不法集会にあたるとして主催側である映画人対策委員会のアン・ソンギ共同代表など3人に出頭要請書を送ったと5日に明らかにした。警察側は、11日までに警察に出頭して調査を受けなさいと3日に関係者に通知したとのこと。ジョンノ署関係者は、「当時主催者側が文化祭という理由で集会申告をしなかったが、体当りの衝突をして火刑式をあげるなど内容上不法デモを起こしたと判断されて出頭要請書が送られた」と語った。アン・ソンギらが警察に出頭するかどうかは、10日に開かれる映画人対策委の会議で決める予定だそうだ。

[聯合ニュース](7月5日)出頭要請書送付の記事。
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=12&articleid=2006070519433367001&newssetid=472


  <ソウルタワー>
  7月2日は午前中にもう一度ナムサン(南山)へ出かけることにした。やはりソウルタワーを見ないことには観光にならないだろう。地下鉄3号線の「東国大入口」で地下鉄を降りる。宿の最寄り駅の「ウルチロサンガ」もフィルムアーカイヴのある「南部バスターミナル」も3号線だ。昨日からこの線に何回乗っただろう。今日は手っ取り早くソウルタワーへ行くことにして、バスに乗った。前日はバス停を探してもよくわからなかったのに、あっけなく見つかった。前日一休みした奨忠壇公園の入口に停車するのであった。

  朝10時のソウルタワーは霧に包まれていた。視界は50メートルから100メートルである。ちょっと気温が下がり、霧が出る条件が整ったようだ。写真を何枚か撮った。昼になって陽が出てくれば霧は晴れると思うが、何時間も時間を潰すアテがない。ソウルタワーに上るなり、タワー下の展望所から眺めるなり、ソウル市街の眺望をカメラに収めておこうという心づもりであったが、これはあきらめることにした。そして、今日もフィルムアーカイヴに出かけることにして下りのバスに乗った。

  <再び韓国映像資料室>
  「南部バスターミナル」で地下鉄を降り、フィルムアーカイヴに向かう前に、辺りの風景をカメラに収めておくことにして少し散歩した。ここはソウルの高級住宅地として名高いカンナムグ(江南区)の一角である。現代財閥が立てた高層アパートが駅前にそびえている。辺りを歩いて、それらしい高級アパートをいくつか撮影した。道幅の広い江南道路も撮影した。「芸術の殿堂」はコンクリートの塊でつかみ所がなく、撮影しなかった。

  フィルムアーカイヴに着くと、今日はVHSでキム・ギドク監督の処女作「アゴ(鰐)」を見た。これをまだ見ていなかったのだ。そして、その後の作品のモチーフがほとんどここに詰め込まれているのが確認できた。いろいろな話が出てくるが、女をむやみに手込めにしたり、ゲイの男をたたきのめしたり、子供が誤って人を殺したり…、これは「良心的な」観客からそっぽを向かれるだろうなあ、という内容であった。遅ればせながら入手した映像資料室のパンフレットによると、この日は16時半からチャン・イルホ監督の「黒髪」という映画を試写室で上映するという。そこで、2000ウォン払ってこれを見ることにした。ただし、上映まで少し時間があるので、なんかで読んだ覚えのある「アリラン坂」を見に出かけた。

  <アリラン坂>
  おぼろげな記憶によれば、アリラン坂は青い色の地下鉄4号線、「誠信女子大入口」からすぐのはずである。しかし、何とかこの駅にたどり着き、地上に出たものの、それらしい坂道が見あたらない。で、周辺地図を地下鉄入口近くで見つけ、暫し検討した。アリラン坂は、地下鉄の路線とほぼ直角に交わり、企業銀行とウリ銀行の間の道ということになっている。しかしよくわからない。それらしき道は確かに坂道であるが道幅も広く往復4車線ぐらいある。しばらく歩いてみると、遠くで坂の傾斜が急になっているようだ。どうも車の通行量の多いこの通りがアリラン坂らしい。しかし、あの坂の上の方にあるという名作映画のプレートを見る気力は失せてしまった。「黒髪」の始まる時間も迫っている。結局、アリラン坂の途中で引き返し、フィルムアーカイヴに戻った。

  <映画「黒髪」>
  映画「黒髪」(1974)は何というか、本格B級時代劇というか、安手のホラー映画だった。舞台は中国、時代は唐の時代かなんかだ。香港の女優も出ているのでひと味違う話かと思っていたが、女の怨念が次々に仇の命を奪い、自分を裏切った最愛の男も最後に殺してしまうという怪談だった。結局、主要な登場人物がほぼ全員死んでしまうという、とんでもない映画だった。題名の「黒髪」とは、女の怨念の乗り移った長い黒髪が人に巻き付いて窒息死させるという趣向からきている。この日上映されたところは100名ぐらい入る立派な試写室で、14〜5名の観客であった。途中で若い男が1人出ていった。終映後周りを見ると、2〜3人若い人も混じっているが、年配の方々が多かった。ソウルにも映画好きのお年寄りがいるのだ。

  <清渓川路>
  この後、いったん宿に帰って荷物を置き、ジョンノ(鐘路)方面に出て清渓川路を歩いた。清渓川は人工的に整備した流れらしく、長大な溝という趣である。水は透き通っている。どこかにポンプ設備があってフィルターを通した水を循環させているのだと思う。道路から川べりに降りて流れの両側を歩くことが出来る。流れの所々に置き石があって反対側に移ることが出来る。頭上に橋がある。気持ちのよい散歩コースだ。日曜日のせいか、結構な人出である。そのまま太平路の近くまで行って道路に上がり、帰りはジョンノの大通りを戻った。ジョンノはものすごい人出であった。人の出るところには必ず屋台が出てトッポッギや野菜の天麩羅、烏賊ゲソの串焼きなどを売っている。道路を車がビュンビュン飛ばす。歩道を人がどんどん歩く。活気がある。そのまま宿まで歩いた。途中、CJ財閥の大きなビルの向かいの建物の陰で、ホームレスの人たちが固まっていた。今夜のねぐらはここなのだろう。大きなリュックを持った男もいる。結局、地下鉄の駅で2つか3つぐらいの距離を歩いて往復した。

ソウル旅行(1)

  <夜の繁華街>
  6月30日の夜11時半頃にソウル中心部のミョンドン(明洞)に着いた。バスから降りて、夜の繁華街をぶらついてから宿に行こうと思った。きらきらぴかぴかのビルの間を歩く。湿った道路にゴミが散乱している。まだ商売をしている屋台がある。歩いていると、食べ物の臭いと土の臭いが混じったような独特の臭いがする。だが、いつのまにか道が全くわからなくなった。事前に、一応イメージトレーニングらしきことはしていたが、やはり簡単にわかるわけはないのだ。しかし、宿に電話をしても言葉が通じないような気がして(これは後で杞憂に過ぎないことが分かった)、ひたすら通行人の人たちに道を尋ねた。地下鉄のウルチロサンガ(乙支路3街)駅に行ければなんとかなるはずだ。自分の発音ではもちろん言葉がほとんど通じない。結局、たまたま交差点でタクシー待ちをしていた中年の男性に助けていただいた。この人はチュング(中区)で警察官をやっているという。この人がホテルまで電話して下さって、だいたいの道順を教えてもらい、何とかたどり着いた。

  <宿泊先>
  ホテルは、飲食店や小さな作業所が立て込んだ、まあ、とてもごみごみした場所にあった。いわゆる場末の連れ込みホテルのような趣がある。しかし、従業員の方々の接客態度その他、とても清潔な感じで、立地から得た印象とは大きく食い違っていた。通された部屋はちょっと狭かったが、この宿がものすごく気に入った。朝方この界隈を散歩してみると、小さな印刷所が多い。得体の知れない事務所も多い。このホテルが立地するウルチロサンガというところは、なんというか、職人の町のような感じだ。北に向ってジョンノ(鐘路)に至る大通りには工具を売る店がやたらに多い。ウルチロサンガの交差点から清渓川まで歩くと、そういう工具や機械作業用の部材などを売る店に混じってアクリル材の店もたくさんあった。秋葉原の工具屋がずらっと並んでいるような景色だ。後で同宿の旅行者に聞いたところによると、ウルチロサンガは映画のフィルムをプリントする作業所が多いところで有名なのだそうだ。「ソウルのハリウッド」(?)のようなところらしい。


  <韓国映像資料室>
  7月1日にはまず地下鉄で「南部バスターミナル」へ行って、慶尚南道方面行きのバスの切符を買った。往復にすれば幾分安くなったと思うが、こちらに戻ってくるところまで考えていなかったので片道にした。で、ここまでは順調だったが、その後がいけなかった。事前のいい加減な下調べで、この近くに「フィルムセンター」というものがあると思い込んでしまい、捜し歩いた。日本でなかなか見られない映画を見られる場所なのだ。しかし、行き当たった通行人やヤクルト売りのおばさんに聞いても誰も知らない。結局、駅前の派出所に行って相談した。派出所の皆さんにはずいぶん手間と暇をおかけしてしまった。ここでも最初はよくわからなかったが、方々に電話をかけて下さって、最後に「韓国映像資料室(フィルムアーカイヴ)」という所だとわかった。派出所の所長さんがねばり強く調べてくださってわかったのだった。おまけに、なんとパトカーでそこまで送ってもらった。目的地の名前があやふやなまま探し歩いて、とんだ迷惑をかけてしまった。やれやれ。

  このアーカイヴは「芸術の殿堂」とかいう集合施設の一角にあり、資料室では入室料500ウォンで映画を自由に見ることが出来る。ただし、VHSは見放題だが、DVDをリクエストすると一本5000ウォンかかる。たまたま居合わせた日本の方に教わったところによると、DVDは特別に少量を製作したので元手がかかっているのだそうだ。この日はDVDをおごってシン・サンオク(申相玉)監督の「離れの客とお母さん」を見た。想像していた映画とは全く違っていた。韓国の伝統や因習と近代的な自我が衝突するという話ではあるが、ショパンのピアノ曲が効果的に使われ、とてもバタ臭い内容であった。

  <南山循環路>
  この後、地下鉄3号線の「東国大入口」で降りて、念願のナムサン(南山)見物に向かった。途中、奨忠壇公園というところにある奨忠壇碑を撮影した。1895年、乙未事変で明成皇后(王后閔妃)が殺された後に殉死した烈士を追慕する祈念碑である。この公園から地続きで東国大の正門に出る。そしてすぐ横に登りの階段があったので、とにかく上を目指した。この階段を上りきったところで循環道路に通じている。事前に地図その他から想像していた道とは違い、極めて良好に整備された舗装道路だった。そして、この循環道路を歩いてしこたま汗をかいた。カメラの機材が両肩に食い込む。時々休憩をとり、持参した水筒のお茶を飲みながらジョギングをしている人々を眺めた。結局、循環道路を半分ほど歩いたが、ソウルタワーまで行く気力が失せてしまい、途中で逃げ道に入った。これが南山コル韓屋村に通じており、そこをちょっと見物してからチュンムロ(忠武路)に出た。そして再び地下鉄3号線に乗り、いったん宿に戻った。この日はお目当ての「映画人によるデモ」の日である。時間も迫っている。宿に荷物を置いて見物に出かけた。

  <映画人の反FTA文化祭>
  7月1日午後6時半、ソウル光化門の「開かれた市民の広場」はお祭りのような様相を呈していた。大きな舞台が組まれ、錯綜する鉄骨に照明ライトがセットされていて、電源を供給する電源車と太いケーブルで接続されている。大きなスクリーンも設置されている。『参加政府には国民がいない』というスローガンが目につく。そこら中に「何とか委員会」とか「何とか会議」の横断幕が掲げられている。縁日のように食べ物屋がたくさん店開きしている。トッポッギの臭いが鼻を突く。すでに焼酎をきこしめしている見物人もちらほら見かけた。ここに7時ごろ映画人のデモ隊が到着し、韓米自由貿易協定(FTA)に反対する「文化祭」が開かれることになっている。広場の周りを一回りして、おびただしい数の機動隊員に圧倒される。みんな若い隊員たちだ。ひょっとすると戦闘警察の面々も混じっているのか。よくわからない。彼らが乗ってきた人員輸送バスが何十台も数珠繋ぎに駐車し、広場の周りの道路を縁取っている。

  広場に戻って扇形に展開された正面右手を見ると、ノ・ムヒョン大統領やハン・ドクス副総理をかたどった段ボール製の人形が何体か置かれ、黒い布で覆われている。人型に切り抜いた段ボールの顔の部分に写真を貼ったお手軽人形である。あれらの「段ボール人形」は後で盛大に燃やすのだろう。…で、どんなイヴェントになるのかはこれらを見ただけでだいたい予想がついた。と、そのうちにノ・ムヒョン大統領の段ボール人形を持った一隊と警官隊が衝突しはじめた。メガホンを持った活動家らしき男が「韓米FTA即時粉砕」と連呼する。機動隊と何人かの活動家が押し問答になり、結局散らされてしまった。眼鏡をかけた体格のよい活動家は手と肘から少し血を流している。こういうかすり傷はものの数に入らないようだ。全く気にしていないように見えた。

  7時にこの広場でイヴェントが開始されるとのことだったが、予定が遅れているらしい。舞台では女性だけのバンドが演奏をはじめている。胡弓のような、二胡のような楽器も見える。もちろんすべての楽器の音はマイクやピックアップを通じて電気的に増幅され、大音量でスピーカーからガンガン流されている。少し聞いてみたが、演奏は稚拙であった。まあ、本番前の練習なのだろう。横のスクリーンにはこうしたイヴェント用に用意されたらしい映像が繰り返し映されている。ハリウッド映画の名場面を利用してこういう集会向きにアレンジしたもののようだ。「オズの魔法使い」のワンシーンが見えた。しばらく居ると、何とも言えぬ騒音に不快感が昂じてきたので、辺りを散歩することにした。

  ゆっくりとその辺をそぞろ歩いてから、広場の裏手に当たる入口に陣取った。こんなことならいっそマロニエ公園の大集会からずっと追っかけをやればよかったといらいらし始めた頃、8時頃だろうか、デモ隊が到着しはじめた。こんな時間なのにまだ薄明るく、夕方のような感じだ。デモ隊の様子が仔細にわかる。実は、これより少し前に機動隊の輸送バスが横付けされてこの入口を塞いでいた。そこへ若い活動家らしき男がやってきて警察側にバスを撤去するよう強い口調で交渉しはじめたのだった。そこへもう1人若い女性とヴィデオカメラを構えた若い男が加勢に加わり、警察の指揮官らしき男に大きな声で市民の権利を説きつけている。よく見ると、ヴィデオカメラで交渉の様子を撮影しているのはさっき機動隊と衝突していた男だ。腕の血はもう乾いている。

  結局、警察のバスが移動し、いつのまにか到着したデモ隊が意気揚々と広場に入っていく。誰か見知ったスターがいないかと注視するが、アン・ソンギもチェ・ミンシクもムン・ソリもチョン・ドヨンも見つからなかった。情けないが、自分はこれぐらいしか知らない。この時目に入ったデモ行進の一隊は、間に二台の宣伝カーを挟み、1500人ほどの参加者と見た。民族衣装のようなものを着た楽隊まで付いていた。太鼓と銅鑼をどんちゃん鳴らして景気をつけてきたようだ。演奏しているのはみな若い人たちばかりだ。こういうデモのマーチ隊なのだろう。学生かもしれない。デモの参加者も概ね若い人、それも女性が多かった。子連れのおじさんやおばさんはほとんど見あたらない。ただし、デモ用の上っ張りというか、スローガンの書かれたベストを着けた年配の一群が広場の入口でひとかたまりになり、ベストを脱いで三々五々どこかへ去った。顔つきからすると、中堅の映画俳優たちである。食事にでも行ったのか。

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