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<統一展望台>
7月3日は汽車でパジュ(坡州)の統一展望台まで出かけた。京義線のクムチョン(金村)というところからバスが出ている。重いカメラと三脚は持たず、レンズ付きフィルムだけを持参した。まず地下鉄でソウル駅に行った。ぴかぴかの立派な駅だ。隣に日帝時代に建てられた旧駅舎が残っている。これはとても風情のある建物だった。中を覗くとがらんどうである。博物館か何かに改装中のようだった。駅前の広場には一見してホームレスか失業者と思われる人々がたむろしている。忙しそうに駅舎に入っていく人たちの流れと、時間が止まったように静止した人たち。日本でも大きな駅でよく見かける光景だ。
駅に入ると、ホールの真ん中にビラや写真で飾り立て、囲いをしたストライキ・マダン(広場)みたいな空間がある。KTXの女性乗務員たちが何人かその中でがんばっている。正規職の公務員になることを目指してもう何ヶ月もこうしているのだろう。駅の利用客はこの空間を全くかえりみない。自分は何となく後ろ髪を引かれつつ、切符売り場でクムチョン行きの切符を買い、ホームに出た。だが、なんか違うような感じだ。念のため、たまたま通りかかった運転士の方に確かめると、全然違う。この人がわざわざ案内してくださって、正しい列車に乗ることができた。で、電車に揺られて一時間ほどでクムチョンに到着した。しかし、雑貨屋で聞いたり通行人に聞いたりしても統一展望台行きのバス停がわからない。結局、近くの派出所に行って相談した。三日連続で警察の方のお世話になる。派出所にいた人々にはバス停のことがわからず、バスセンターかどこかに電話して乗るべきバスを調べてくださった。そしてパトカーで踏切の近くのバス停まで案内していただいた。派出所に来るたびにパトカーに乗せてもらっている。
3番か4番のバスに乗りなさいと言われ、40分ぐらい待った後、1−3と表示のある中型のバスに乗った。車内の路線図をひたすら睨み、停車駅の見当をつけた。「トンイルトンサン(統一東山)」というのがそれなのだろう。その辺りの適当なところで降りて歩くのだろうと納得し、バスが停車するたびにバス停の名前を確認し、路線図と見比べた。途中、例のヘイリの芸術文化村を通った。確かここにはパク・チャヌク監督の家がある。この村はちょっと標高のある場所に展開していた。モダンな建物がたくさん建ち並んでいる。まだまだ建設途中で、大きな工事現場も通った。近くの山の中腹に英語村(?)のような施設があるのもわかった。ヘイリから少し行ったところに高層アパートが建ち並ぶ一角もあった。「ウェルビーイングタウン」という名前が付いていた。ヘイリといい、このアパート群といい、韓国内の裕福な進歩層が暮らしているようだ。あるいはセカンドハウスかもしれない。いずれにしてもソウルの北、38度線に近いところを選んでいるのがミソである。
という具合に、周りの景色に気をとられているうちにバスは田舎道に入った。道は下り気味で若干標高も下がっている。とうとう乗客は自分だけになってしまった。運転手がどこまで行くのか聞いてきたので「トンイルチョンマンデ」と5〜6回連呼するとやっと通じた。しかし運転手は、「そこはもう通り過ぎた」というようなことを叫び、難しい顔で黙ってしまった。その後しばらく、ぶっちぎりで飛ばし続ける。自分としては、このままバスに乗り続けて戻ればよいと気楽に構えていたのだが、どうも話はそれほど簡単ではないようだ。結局、郊外のバスターミナルのようなところで下ろされた。運転手は、そこで待っていれば目的地に行くバスが来る、というようなことを言った。
幅広の道路をぶっ飛ばして遠ざかるバスを見送り、ターミナルの敷地に入った。ここはバスの集結地点というか、整備ポイントというか、休憩ポイントというか、乗客用の窓口はなかった。しかし、屋根のついた簡易待合い所が併設されている。ここを始発にしているバスがあるようだ。統一展望台を通るバスを尋ねるためにバスの運転席で休憩している運転手に「トンイルチョンマンデ」と話しかけた。今度は二回で通じた。「イーベック」といって右手の指を二本立て、左手の親指と人差し指でマルを二つ作ってくれた。200番のバスに乗ればよいらしい。腹をくくって待つことにした。
今度はバスに乗る時に統一展望台で降りたい旨を運転手に伝えた。そして下ろされたところは、幹線道路から少し入った、広大な駐車場のある場所だった。ちゃんとしたバス停ではない。ここより高所にある展望台まで往復する無料のシャトルバスの発着所である。しばらくバスの中で待っているうちに4〜5人の客が乗り込んできた。みな自家用車で来ている。この場所を路線バスで訪ねてくる客はほとんどいないようだ。
バスはゆっくりと坂道を上っていく。とても管理の行き届いた道路と沿道の茂みである。道路と並行した小高いところに軍用と思われる道があり、迷彩色の軍用車両が通る。迷彩服を着て小銃を持った兵士がのんびり歩いている。しかし、いわゆる緊張感は全く感じられない。陽が降り注ぎ、辺りの景色は眩いほどに明るい。普通の観光地にしか見えない。そして、それほど時間もかからず、石とコンクリートの塊のような展望台に着いた。すぐに入場料を払い、館内に入る。展示物や映像による北朝鮮解説ショーには興味がなかったので、まず屋外の展望所に行った。あいにく、北朝鮮の領地はぼんやりとかすみ、うっすらとしか見渡せない。しかし、なんというか、平和で穏やかな景色であった。緑が濃い。眼下に広がる水面は入り江のようだ。とても美しい。自分はここに何を期待してやってきたのかとふと思う。
館内をぶらぶら歩くと、北朝鮮の生活を紹介する展示室がある。北の放送しか入らないラジオとか、平壌以外の地域での生活を伝える資料など、もちろん展示されていない。向こうの庶民(?)の衣食住の実態なども上手に隠しているようだ。きれい事に満ちた展示空間である。ただし、韓国と北朝鮮での言葉の違いを示すパネルは興味深かったので何枚かカメラに収めた。向こうの学校の教室やアパートの一室を再現した空間も撮影した。結構立派な部屋だった。最後に、土産物を売るフロアーを冷やかして歩いた。北朝鮮の特産物としては木の実や果実酒の類が多かった。「オミジャスル(五味子酒)」などというものもあった。確か8000ウォンぐらいの値段が付いていた。その他、陶磁器や石細工品、墨や硯なども並べられ、べらぼうに高い値段が付いている。あくどい色の衣類や向こうの流行歌(?)や民謡を収めたカセットテープもあった。硯以外には興味を引かれなかった。その硯もわずかにゆがんでいた。どう見ても、物珍しさ以外で売り物になりそうな特産品は無いように思えた。結局、フロアーの出口近くにあったアイスクリームを買った。チョコレート味のコーンアイスである。もちろんこれは韓国製であった。
展望台からの帰り、下の駐車場の横で路線バスを待っていると、シャトルバスの運転手が話しかけてきて、タクシーに相乗りしないかと言う。日本人の観光客が後ろにいる。年配の男性である。小さなリュックを背負って分厚いガイドブックを手にしている。シャトルバスの運転手がタクシーを勧め、相乗りの相手を探してくれたようだ。彼は親切にも運転手の待機室に我々を案内し、タクシー会社に電話をかけ、コーヒーまで振る舞ってくれた。
我々の乗ったタクシーはシャトルバスの運転手に見送られて出発した。何度も頭を下げて手を振ってしまった。相乗りの男性は一人旅の途中ですでに滞韓12日目、ソウル−慶州−釜山−仁川−ソウルと旅をしてきて、翌日帰国するのだそうだ。釜山と仁川の間は夜行の船を使ったという。慶州の仏国寺や周辺の古刹や遺跡の話も聞いた。自分は今回の旅行ではソウル滞在を多目にとったので慶州観光は結局あきらめたのであるが、話を聞く限りでは興味深いところのようだ。
この旅行者といろいろ話すうちに、クムチョンから汽車ではなくバスでソウルに戻ることにした。次の汽車まで1時間近く待たなければならないからだ。この人は来る時も梨花大のある新村からバスで来たそうだ。バスの方が汽車より若干割高になるが、早めに着けそうだ。今日はこの後、光化門の教保ビルの前でイム・グォンテク監督の1人デモを見物するつもりである。もし早く着いたら、デモの前に光化門の景福宮にある国立博物館を見物することが出来る。
そのバスは普通の路線バスで、乗客の乗り降りが結構あった。学校が終わる時間にあたり、カバンを提げた学生が乗り降りした。そして、かなりの時間の後に新村の地下鉄駅の近くに到着した。予想とは違って、それほど早く着いたとは言えない。しかし何事もなく無事に着いたので感謝しなければならない。地下鉄に乗り、同行の旅行者の方とは途中で別れ、1人で光化門に向かった。
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