李英愛研究

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握りメシだよ人生は

 先日、行き付けのスーパーで板海苔を探して棚の間をぼんやり歩いていたら、特価品と思われる商品を陳列する場所に味付海苔がでていた。板海苔を三等分した大きさで36枚入りである。これの味無しというか、塩味だけの三等分板海苔は100円ショップでよく購入する。こちらは板海苔12枚分で298円である。これだけ買ってレジ袋持参にすると、2円引きで296円になる。100円ショップより若干割高なのかなと思いつつ、カゴに入れてしまった。

 実は、働きに行く時に弁当を持参している。といっても、握りメシ一個とインスタント味噌汁、それに紅茶と缶詰の果物ですべてである。握りメシは調味梅干二個を入れた海苔結びである。海苔を切らした時は塩結びである。インスタントの味噌汁は、いろいろ試してみて100円ショップにあるとうふ汁(五杯入り)ばかり使っている。紅茶も100円ショップであるが、果物の缶詰は普通のスーパーの98円のもの(中国産を含む)を入手している。小伝馬町の獄医が主人公の時代小説に、当時の牢獄の食事は盛り切りの一膳メシに汁一椀とあったから、それとたいして変わらない。しかし、紅茶も飲めるし、缶詰とはいえ果物までついているので贅沢に近いのではないかと弁当を使いながら思っている。

 御結びを握るのはメシを炊いた直後であるが、条件反射的に手のひらに塩をとって握る。そして、三等分海苔を2枚、すなわち板海苔の2/3を使って巻きつける。これがなかなか難しい。なにしろ大ぶりのご飯茶碗一杯分のメシを握るので、海苔をどう巻きつけても隙間が出来る。しかし、海苔を切り貼りして何とかでっち上げる。

 御結びを"握る"といっても、実際に力任せで握ってはうまくないようである。かといって、ご飯茶碗に盛ったメシをそのまま軽くまとめるだけでは御結びにならない。やはり御握りは"握る"のである。その按配が難しい。固めすぎるとかじった時に口の中でメシがふわっと解ける感触が楽しめない。また、ある程度固めないと携帯が困難であるし、かじった時にバラけた感触しか残らない。中に入れた調味梅干も真ん中でなく周辺に偏ってしまい、一口ごとにおかずとして機能するという本来の役目を果たせない。自分は調味梅干の軟弱な味を仕方なく受け容れている以上、その位置に関して妥協することは出来ない。

 昨日握った御結びには味付海苔を巻いた。100円ショップで入手する三等分海苔より板厚である。巻きつけにくい。握っているとべたつく。しかし、海苔にどんな味がついているのか試食もせず働きに出た。そして、いざ食う段になって御結びを仔細に見れば、メシの水分をたっぷり吸った海苔が黒々としている。100円ショップの海苔だと黒緑っぽい色なのだが、やはり少し値段が高いせいだろうか。食べてみると、かじった後の歯型のところに茶系統の染みが見える。醤油ベースの出汁をきかせたのかもしれないが、化学調味料と砂糖でだしたような甘い味であった。

 "味付"というのは"旨味付"ということであろうが、どうも"旨味"は"甘味"なのである。甘味であれば文句は出ないだろうという開発意図であろうか。以前このブログに書きこんだ覚えがあるが、著名な民俗学者の本に、明治維新以降、総じて食べ物の味が甘くなったという話があった。あの話は戦後も一貫してあてはまるだろうし、いわゆる'失われた十年'の後にも依然としてあてはまるだろう。甘味を人工甘味料や砂糖、麦芽糖、その他の何とか糖でつけているものは言うまでも無い。有機何とかで栽培した食材でつけたものであれ、工場で食品添加物によってつけたものであれ、甘味は甘味である。例えば、霜降り肉の旨味は概ね脂身の旨味を指すし、大トロの旨味も魚脂の旨味であろう。霜降り肉にも大トロにも久しく縁が無いので乏しい記憶を頼りに判断するしかないのだが、あの脂(あぶら)の旨味も詰まるところ甘味である。

 三等分味付海苔は分厚く残っている。自分は味付海苔を食卓で楽しむ習慣を持たない。温泉旅館の朝食を自宅で再現することは無い。醤油をつけてしょっぱくすればよいという話にはならない。煮詰めて海苔の佃煮もどきにする手もあるが、味を改善する自信はない。主に御結びに巻いて使い切るしかない。"甘味"の効いた御結びをあと何個食べることになるのだろう。

ワリィ (カタラーニ)

 『ワリィ(La Wally)』はルッカ出身のアルフレード・カタラーニ(1854-1893)が物故する前年、1892年1月20日に初演された第六番目のオペラで、彼が作曲した最後のオペラである。原作はヴィルヘルミーネ・フォン・ヒレェルン(Wilhelmine von Hillern)という女優にして小説家が書いた山岳ロマンで、あのルイージ・イッリカ(Luigi Illica)がリブレットにした。どちらかというと評判が今一つだったカタラーニのオペラ中、この作品は大成功をおさめたそうだ。

 原作は"Die Geyer-Wally (Wally the vulture)"(Berlin 1875)で、日本語にすれば"ハゲタカ ワリィ"ということになり、ちょっと興醒めな題名である。この小説は読んだことがないので、リブレットが原作を忠実になぞっているのか、そうでもないのか、よくわからない。ただ、この原作者の別の作品は米国の独語学習者のテキストに使われて有名らしいので、読みやすい小説なのではないかと想像する。

 手元にあるCDはワリィ役を十八番としたテバルディがタイトルロールを歌うモノーラルのライヴ録音(Istituto DIScografico italiano)である。有名な1968年の録音ではなく、録音状態ははっきり言っていまいちである。しかし、ジュリーニの指揮による録音はこれしか知らないので仕方ない。

 CD添付の解説によれば、録音された公演はこのオペラの新演出で、1953年12月7日、ミラノの守護神である聖アンブロジオの日のイヴに前夜祭として企画された。当初、ヴィクトール・デ・サバタ(Victor de Sabata)がタクトを振る予定であったが、この年に心臓発作で倒れ、ローマのRAIで音楽監督をしていたジュリーニが代役を務めることになったのだそうだ。また、これはレナータ・スコットがミラノの劇場にデビューした演奏会とのこと。

 (以下の地名や人名はドイツ語式の表記に徹したものではない。)

IDIS 6401/2
ALFREDO CATALANI 1854-1893
LA WALLY

出演:
レナータ・テバルディ − ワリィ
マリオ・デル・モナコ − ハーゲンバッハ
レナータ・スコット − ワルター
ジャンジャコモ・グェルフィ − ゲルナー
ジョルジオ・トッツィ − ストロミンガー
ヨランダ・ガルディーノ − エイフラ
メルキオーレ・ルイーゼ −歩行者
伴奏:
ミラノ・スカラ座オーケストラおよび合唱団
指揮:
カルロ・マリア・ジュリーニ
1953年12月7日 スカラ座でのライヴ録音

<あらすじ>

 第一幕 チロルのホッホシュトーフ(Hochstoff)、1800年ごろ。
 裕福な地主(農夫)のストロミンガーは自らの70歳の誕生日を射的大会で祝っており、ヴィンセンツォ・ゲルナーが優勝する。ツィター奏者のワルターはストロミンガーの娘のワリィについての唄を歌う。ワリィは人里離れた山々を愛好する娘である。隣村のゾルデンからやって来た若い狩人たちが狩りから戻ってくる。その中にジュゼッペ・ハーゲンバッハがいる。彼は一頭の熊を仕留めており、自分の手柄を誇らしげに自慢する。彼の亡き父親の仇敵であったストロミンガーは熊の仕留め手をあざ笑い、これが荒っぽい口喧嘩を引き起こす。そこへワリィが突然登場し、小競り合いをおさめる。彼女とハーゲンバッハはお互いに強くひかれ合うが、どちらもそのことをあえて言い出さない。彼らの密やかな愛を見逃さなかったゲルマーはそれを嫉妬し、ストロミンガーに自分が見たことを話す。農夫のストロミンガーは自分の娘をゲルマーの嫁にすることを決意するが、ワリィはゲルナーを拒み、父親に反抗する。ストロミンガーが娘を勘当すると、彼女は村を去って山岳地域に定住する。ワルターが彼女に付き従う。

 第ニ幕 ゾルデン、一年後。
 聖体の祝日の行列のために村人たちが集まっている。ゲルナーやハーゲンバッハ、それにワルターもそこにいる。父親の死後、この地方で一番の金持ち女になったワリィも不意に現れる。彼女はまだ男と接吻(キス)をしたことがないと艶っぽく語り、自分にうまく接吻できた男と結婚するつもりだと言いきる。村人たちがミサのために教会に入ると、ゲルナーがワリィに近づき、彼女に対する永遠の愛を告白する。そして、ハーゲンバッハは今はエイフラを愛していると告げる。かわいらしいエイフラはゾルデン出身の宿屋の主人である。ワリィはこの知らせに苛立ち、即座にエイフラに対して気に障るようなことを言う。ハーゲンバッハが飛びこんできてこの少女の味方になり、自分がワリィと接吻できるかどうかで農民たちと10ターレルの賭けをする。レントラーとワルツの音楽が響くなか、ワリィとハーゲンバッハはお互いの愛を宣言し、熱烈な接吻を交わす。ゾルデンの村人たちはこのカップルを祝福し、賭けに勝ったハーゲンバッハに拍手を送る。ワリィは騙されたと感じ、深く傷つく。"私は彼に死んで欲しい"と、彼女はゲルナーに語る。ゲルナーはいまなお完全に彼女の意のままである。

 第三幕 ホッホシュトーフ、同じ日の晩。
 ワルターはワリィに付き従って帰宅する。ゲルナーがホッホシュトーフに戻る途中、ハーゲンバッハもワリィの家に向かっていてワリィに許しを乞うつもりだと祭りの参加者の一人がゲルナーに語る。ゲルナーは橋の近くに身を潜める。戸外で嵐が吹き荒れると、ワリィは自らの殺人の願いを後悔し、ハーゲンバッハを許そうと決心する。しかし、ハーゲンバッハが橋に近づいた時、ゲルナーが彼に忍び寄って峡谷に突き落としてしまう。ゲルナーはそのあと、自分の策略がうまくいったことを誇らかにワリィに知らせる。しかしその時、峡谷から叫び声が聞こえる。ハーゲンバッハはまだ生きている! ワリィは彼を救うために村人たちを呼び集める。しかし、暗く不吉な峡谷を下降する勇気を持ち合わせているのは彼女だけである。彼女は気絶したハーゲンバッハをロープで結び、彼を峡谷からひっぱりあげる。それから彼女は彼をエイフラに任せ、この少女に自分の全財産をも与える。いまや村人たちによって英雄と称えられているワリィは、完全な孤独のうちに暮らすべく山岳地帯へと隠遁するのであった。

 第四幕 12月のムルツォール・ピーク (the peak of the Murzoll)。
 ワルターがクリスマスにワリィを村に連れ戻すべく山を登ってくる。しかしながら、ワリィはワルターを帰し、孤独のうちに雪の中で死ぬことを願う。長い間ワリィを探しつづけていたハーゲンバッハがそのとき突然登場する。二人は互いの愛をあらためて告白し、新たな生活を始めることを決意する。二人は山を下り始める。しかし嵐が起こり、ハーゲンバッハは霧の中で道に迷ってしまう。轟音と共に雪崩が山を滑り落ち、ハーゲンバッハを飲み込んでしまう。そしてワリィは渦巻く雪の中へ身を投じる。ハーゲンバッハを飲み込み、彼女をも飲み込む死の中へ。
(了)

Spike's World にあったプロット(PDFファイル)を訳出。
http://www.spikesworld.spike-jamie.com/opera/LA%20WALLY.pdf

The Ice Break (氷解)

 『氷解』はマイケル・ティペットの第四作目のオペラで、1977年7月7日にコヴェントガーデンのロイヤル・オペラハウスでコリン・ディヴィスの指揮により初演された。本作は初演の指揮者に献呈された。

 原題の'The Ice Break'は河に張った氷が解けることを表し、北の地で春の訪れを告げる自然の営みなのだそうだ。本作では、父と息子の対立、黒人と白人の対立等、'conflict'(衝突、葛藤、対立)と'conciliation'(和解)がテーマになっている。

 手もとのCDは1991年に出たヴァージン盤であるが、これ以外にCDやDVDが出ているのかはよくわからない。

 三幕構成で、全曲で74分ほどの短い作品である。音程を調整したのかどうか不明だが、白人と黒人の集団乱闘場面では銃声が12発聞こえ、パトカーのサイレンが鳴り響く。テーマや筋運びはテレビ向きと思われるが、その音楽はシアターミュージックそのもので、多様な響きを楽しめる。

The Ice Break by Sir. Michael Tippett(1905-1998)
Opera in three acts
Libretto by the composer
 
出演者
レフ(Lev)−David Wilson-Johnson
 五十歳の教師、二十年間収監されて出獄し、亡命する。
ナディア(Nadia)−Heather Harper
 レフの妻、赤ん坊の息子を連れて移民した。
ユーリ(Yuri)−Sanford Sylvan
 レフとナディアの息子、移民の第二世代。
ゲイル(Gayle)−Carolann Page
 ユーリのガールフレンド、当地で生まれ育った白人。
ハンナ(Hannah)−Cynthia Clarey
 ゲイルの友人、病院務めの看護婦で黒人。
オリンピオン(Olympion)−Thomas Randle
 ハンナのボーイフレンド、黒人のチャンピオン。
ルーク(Luke)−Bonaventura Bottone
 ハンナの病院の若いインターン医師。
副署長(Lieutenant)−Donald Maxwell
 警察の副署長。
アストロン(Astron)−Christopher Robson/Sarah Walker
 サイケデリックな使者。
 
伴奏
ロンドン・シンフォニエッタ、ロンドン・シンフォニエッタ合唱団
指揮
David Atherton

[VC 7 91448-2](1991)
(1990年7月 ロンドン ヘンリー・ウッド・ホールで録音)

第一幕
場面1
空港の待合室でナディアとユーリがレフの到着を待っている。ナディアは船で亡命することになった自分の旅とレフの飛行機によるもっと穏やかな旅を比べる。彼女は彼が到着するのをあてにしてほとんど恍惚の境地にある。自らの父親を思い出せないユーリは無愛想になり、彼女に対していらいらし始める。ナディアはレフの声を聞いたように思う。
場面2
ナディアとレフの間のテレパシーはゲイルとハンナの到着によって中断される。このニ人は彼らのヒーローであるオリンピオンを歓迎するためにここに来た。ユーリは母親の行動に対して憤りを示し、ハンナがレフを政治犯だと話したことを拒絶し、レフは彼の仲間の連中と同様に踏みつけにされるままにしてきたのだと半ば本気で主張する。
場面3
オリンピオンのファンの一群が空港に押かけ、ハンナをナディアたちから引き離す。
場面4
ユーリはゲイルがオリンピオンに媚びるのをみて嫉妬する。彼女は急いでハンナやファンの群集の後を追い、ユーリは母親とともに取り残される。
場面5
ナディアは飛行機が時間どおり到着するのか心配になる。ユーリはオリンピオンのファンたちに心を奪われたままである。
場面6
ファンの一群が戻ってきて、おなじみのアメリカン・スタイルのチアリーダーによってオリンピオンの到着が告げられる。これはオリンピオンも承認している。
場面7
一人取り残されたナディアは、彼女を見つめている地味な服装の男が夫だということに突然気づく。
場面8
ナディアのちっぽけなアパートで彼女とレフは回想に浸っている。しかし、話がユーリのことに及ぶと、ナディアは取り乱してしまう。
場面9
空港の待合室をみると、オリンピオンのファンたちは歓迎の騒ぎを続けている。オリンピオンは黒人の優越性を主張しながらファンたちを率いている。自分を抑えることが出来ないまま、ユーリは苦々しくファンたちのまねをする。白人のファンと黒人のファンは別々になっている。ゲイルはオリンピオンの前で自己軽蔑にさいなまれる。彼女はオリンピオンの足元に身を投げ出し、黒人のファンたちは彼女を利用するよう彼に強く勧める。
激怒したユーリはオリンピオンに襲いかかろうとするが、殴り倒されてしまう。オリンピオンはゲイルのほうも蹴飛ばし、この場面は大混乱で終わる。
場面10
アパートではナディアとレフがユーリの振るまいについて議論している。合唱の雄叫びが遠くで高まり、ゲイルを連れたユーリが部屋に飛びこんでくる。自分の父親に初めて会ったユーリは、なぜ来たのかと苦々しく問いつめる。

第ニ幕
場面1
夜である。アパートでは、レフとナディア、ユーリ、ゲイルは自分たちの立場をはっきりと主張する。レフは若い二人を落ち着かせようとするがユーリにきっぱり拒絶される;ゲイルもまた、レフトとディアが持っている'進歩的な人間愛(liberal charity)'を拒絶する。ゲイルとユーリは外にいる白人の群集にの中に紛れこんでいく。
場面2
アパートの外では、あたかもクー・クラックス・クランの儀式のように白人たちが自らの人種的純潔性を宣告する賛歌を高らかに歌う。
場面3
街の別のところでは、オリンピオンがハンナのもとを離れて外にいる黒人たちのところへ行こうとしている。ハンナは、彼が黒人連中の統率をためらいもなく引きうけたことに異議をとなえる。
場面4
通りでは、戦列に加わるオリンピオンを黒人たちが歓迎し、自分たちがしているように彼に覆面をさせ、攻撃のポーズをとる。
場面5
ハンナは暴力の真っ只中にあって分別をとりもどすよう祈る。
場面6
ハンナの祈りが終わる前に黒人と白人の暴徒らは対決の儀式を始める。
場面7
ナディアとレフはアパートにいて、いま起こっていることに狼狽してしまい、ほとんど取り乱している。ナディアは無力感にとらわれ厭世的になっているが、レフのほうは自らの非暴力主義(pacifist principles)を疑いつつ、ユーリを探しに出かけなければいけないと感じている。
場面8
暴動で黒人と白人の双方に怪我人が出たことが確実となる。警察が到着し、群集は追い散らされる。
場面9
警察の副署長はその場を動かないよう群集に呼びかける。医師のルークはオリンピオンとゲイルが死んだと告げる。ユーリはひどく負傷した状態で見つかる。彼はユーリによって身元が確認され、救急車で護送される。
場面10
(人けのない)通りでルークに促され、ハンナのほうを向いたレフは彼女に安らぎと同情を感じる。

第三幕
場面1
ナディアは死の床にある。アパートでレフは彼女にゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』の中のヴィルヘルムと息子との和解のくだりを読んでやり、自らのユーリとの和解を待ち望んでいる。
場面2
ルークとハンナが登場し、ユーリは助かるだろうと告げる。二人はナディアに気を楽にするよう話しかけようとするが、彼女はレフだけを求める。
場面3
妻の死という差し迫った災厄と息子の大怪我とによって混乱したレフは、自信を失ってしばし取り乱してしまう。ユーリがほのめかしたように、自分が '競争から落ちこぼれた(flunked the struggle)' のかどうか疑う。ハンナは葛藤(conflict)が偏在しているのだと思う。世界はゲットー(孤立集団)に満ちているが、結果的に問題を再生産するだけだ、と。
場面4
レフとハンナはナディアにさえぎられる。ナディアは自分が子供時代に見た光景に強くとらわれている。ソリが雪に覆われた森を走り抜けるところや、河に張った氷が解けるのを思い出す。そして、死に迎えられる刹那、牧歌的な夏や河に出た人々を思い出す。レフは天国で自分を待っていてくれるようナディアに呼びかける。
場面5
場面は変わり、救世主アストロン(cult hero,Astron)に祈願する楽園探求者たちの一群を見せる。この両性具有の人物(fugure)は信者たちにメッセージを与えるが、信者たちがこびへつらうのに当惑してしまう。アストロンは彼らの正体を暴き、消えてしまう。
場面6
ルークが診察室でレフに向かって、もはやナディアは亡くなり、ユーリに対する責任をあなたが受け容れなければならないと説得する。レフは同意する。
場面7
病院でユーリはテーブルに横たわり、石膏に固められた状態から解放されることを待ち望んでいる。ハンナとルークが手術教室へユーリを運び、レフのほうはユーリを気遣いながら部屋の外で待っている。ユーリは喜びながら石膏を外される。
場面8
若者たちが病院に押かけ、再生のような春、というアストロンのメッセージを繰り返す。
("Spring come to you at the farthest in the very end of harvest."−アストロンのお告げ)
場面9
ハンナはユーリを車椅子に座らせて手術教室から連れ出す。ハンナはユーリが立ちあがるのを手伝い、ユーリはレフに会いに行く。二人は和解するが、ユーリは足元がふらついているし、ハンナもレフも楽観的になり過ぎないよう注意する。レフはゲーテの言葉を引用する。対立(conflict)と和解のサイクルは人間というものの永遠の様相(feature)なのだ、と。

Meirion Bowen (1991)によるシノプシス。若干加筆。

中国の梅

① 自分は梅干を日に二〜三粒は食べている。おにぎりに入れたり、スパゲッティのソースや煮物を作るときに入れたり、お茶漬けに使ったり、白湯を注いで飲み物にしたり、そのまま食べたりする。何もないときには、小麦粉を練ってみじん切りにした梅干を混ぜて薄焼き煎餅もどきのおやつを作ったりする。

 以前は、原材料も日本産とおぼしき製品を買っていた。切ない話だが、梅干はスーパーなんかで買って食べる以外にツテを持たない。塩分が20%弱でひたすらすっぱくしょっぱい梅干が好みである。これは日に二〜三粒では多いような気もするが、まあ仕方ない。そして、大粒で立派な体裁の梅干だと一粒最低百円というのが相場である。

 今は、梅干一粒に百円をまわすことが出来ないので、安価な梅干ばかり食べている。安物には鰹節等を入れて柔らかい味にしたものが多い。軟弱な味であるが、それでも梅干が食べたくて味には目をつぶっている。これは「調味梅干」という正式な呼び方があるようだが、一粒20円以下で、それほど大粒ではない。塩分も7〜8%なので毎日食べても一応安心だということにして、「貧すれば鈍す」を地で行っている。この梅干、原材料は中国産である。梅は中国原産らしいし、梅干も古代に向こうから伝えられたらしいのでとりあえずよしとしている。

 かつて、中国産のほうれん草だったか、残留農薬の話が出て、それ以降スーパーでの買い物の際、向こうから来た野菜は避けるようにしてきた。冷凍ギョーザの事件以降、加工食品の食材も原産国の表記を注意して見るようになった。例えば、高菜チャーハンを食いたくなって安価な油炒めの高菜を探すとほとんどが中国産である。ニンニクなんかも、醤油漬けでもやろうかと探してみると、一株ずつ2〜3百円で売られているのは白根のニンニクかどうかわからないが日本産で、四〜五株100円くらいで売られているのは中国産だ。
 
 しかし、加工食品や香辛料はともかく、生鮮野菜で中国産というのは少なくとも自分の利用する近隣のスーパーには置いていないようだ。たまねぎは豪州産や米国産をよく見るし、緑黄色野菜はほとんど日本産である。極安のレギュラーコーヒーにはひょっとすると中国の海南島あたりで採れた豆が入っているかもしれないし入っていないかもしれない。また、メラミン入りの乳製品は相変わらず中国の市場に出回っているようだ。少なくとも中国純正(?)の加工食品はいまだにリスクが大きいかもしれない。向こうで作られた食材も、手を出さない方が賢明かもしれない。しかし、いつのまにか自分は中国産の梅で作られた梅干を食べている。

② 近所に大手コンビニ系列の100円ショップがあり、最近はここで買い物をすることが多くなった。スリランカ産と表記のある紅茶は切らさず買っている。ティーバッグ20袋で税込み105円という信じられない安さであるが、バランスのよい味がする。これにエジプト産のイチゴジャム105円を入れて飲んでいる。ジャムの方は山型食パン105円にぬって食べることもある。付け合せに、キャベツ(日本産?)105円のみじん切りに米国産のスイートコーン105円を混ぜ、醤油ベースででっちあげたドレッシングをかけて食べている。

 先日、かつて入手したMP3プレイヤー(NOMAD)がガラクタの中から出てきた。調べてみると、入れっぱなしだった電池がわずかに液漏れしていた。幸い、韓国製の32MBのメモリカードは装着されたままだった。マイクロドライヴなんかは装備していないし、カセットプレイヤーのような機械的可動部分がないので、10年近くほったらかしにしても電池を換えたら問題なく使える。単四電池(4本)105円である。で、電池を買うついでにインナーイヤー型のヘッドフォン105円も入手した。中国製のヘッドフォンは低域がだぶついて音がこもり、高域も貧弱であるが、使えないこともない。イチゴジャム入りの紅茶を飲みながらココナッツサブレ105円をかじりつつ、The Band + Eric Clapton の 'Last train to Memphis' を聴いた。

③ 日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に前向きに取り組むという話が出ている。全国の行政の首長の多くは10%程度の消費税を望ましいものと捉えている。一人の都市賎民としては環太平洋地域の諸外国の食材や消費財が安価に入手できることになりそうなので、少々気になるところである。しかし、直接・間接に競合する農産物を生産している農家の方々にしてみれば死活問題だろう。新しい発想で「競争力」を身につけるなんていうことは一朝一夕に出来るものでもない。また、産地直送の"ブランド野菜"や有機農法による"安心野菜"みたいなものも出回ってはいるが、ああいうものに暢気にカネを使える消費者ばかりではない。こと食料品に関して、最大の購買意思決定要因が価格であるという消費者が大多数ではないだろうか。

 韓国は農業団体や進歩系(左翼系)団体の体を張った反対闘争にもかかわらず、FTA(自由貿易協定)を次々に締結して(加工)貿易立国の線を推し進めているが、日本はEPA(経済連携協定)に関して「取り組み」や「継続審議」、「国内調整」あたりで足踏みしている。TPPの話も、日本という国では「前向きな取り組み」の線を一歩も出ず、新聞ネタとして続いていきそうな気がする。

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採蓮曲

 マーラーの『この世のうた』(通称『大地の歌 Das Lied von der Erde』)はたしか第3楽章がテレビコマーシャルに使われたことがあった。自分はこれを聴くときはアルト(またはバリトン)独唱による偶数楽章だけを聴くことが多い。中でも第4楽章と第6楽章を好んで聴く。秋の長雨が続いたり、気分がふさいでいる時には第4楽章だけである。「ユンゲェ メェーッチェン プフルッケン ブルゥーメン・・・」。意味不明のヘタな発音でCDの演奏に合わせて歌ったりする。

 若耶谿(じゃくやけい)の岸辺で乙女たちが荷花(かか ハスの花)の間に散らばって楽しくおしゃべりしながら蓮の花を摘んでいる。蓮の実(み)は栄養もあって旨い食糧だから、実も採っているのかもしれないが、やはりここでは花摘む乙女である。「荷花」は「芙蓉」だろう。漢方薬で使われる「荷花掌(にかしょう)」という植物があり、山間の岩肌に自生するのだそうだが、これでは詩にならない。「若耶谿」の「谿」は「谷、または水のない谷」であるが、有名な王籍の『入若耶渓』でうたわれた浙江省紹興市の渓谷であろうか。枯れ谷に蓮池があり、よく晴れた夏の日、、輝く日差しを浴びて少女たちが蓮採りにいそしんでいる、のだろう。と、その時、岸上に馬に乗った若者たちが現れる。どこの家の道楽者(遊冶郎 ゆうやろう)たちだろう、落花を踏み散らし、岸辺に枝を垂らす柳の木を縫って三々五々駆け抜けて行く。それを見送った少女たちは淡い心のときめきを覚え、凛々しい若者たちが通ったあたりを何度も見つめるが、切ないおもいをあきらめるしかない。

 ・・・と、李白の詩を参考にしつつ、自分勝手に情景を想像した。したがってこの解釈は第4楽章で歌われている情景を忠実になぞったものではない。第4楽章の歌詞のもとになった情景を勝手に想像しただけである。ハンス・ベートゲ Hans Bethge(1876-1946)とマーラーによる訳詩(翻案?)では、一人の美しい少女が一人の馬上の若者に淡い思いを抱く話になっているが、自分は少女たちと若者たちの相対図と捉える。昼日中、働きもせずに乗馬を楽しめる若者たちは素封家の子息たちだろうし、渓谷の蓮池で花(や実)を摘む乙女たちとの身分の違いは歴然ではないかと勝手に思っている。

 その第4楽章はとても絵画的でわかり易い。愛らしく親しみやすく甘美な曲想で始まり、決してけだるくはない夏の日の情景が美しく歌われる。と、突然ファンファーレが低く聞こえ、また聞こえ、何度か鳴り響いた後に、大爆発が起きて行進曲調のドライヴ感のある曲想に変わる。やがて旋風は消え去り、また柔らかい曲想に戻り、静かにしっとりと締めくくられる。美しい夏の風物詩の点景として置かれた少女の目を通して、美しいものへの憧憬とはかなさ、その刹那が描かれる。

 CDで残されている演奏はたくさん集めたが、ジュリーニ指揮、ファスベンダーとアライサの独唱によるベルリン・フィルの演奏[B000AA7DNW]を愛聴している。録音はドイツグラモフォンでアナログ録音の一時代を築いたあのクラウス・シャイベ。自分にとってお気に入りの録音バランスである。終楽章はワルター指揮、フェリアーのアルトでの演奏をよく聴くが、第4楽章はジュリーニ盤がお気に入りである。録音が古いせいか、ワルター盤では馬群の登場場面の爆発がやや貧弱に聞こえてしまう。こういう聴き方は邪道なのかも知れないが、昔のコマーシャルをもじっていうなら、「美もまた爆発なのかな」という話である。

 「原詩の特定はベートゲによる追創作や底本の誤訳によって容易ではなかったが、中国文学者の吉川幸次郎やドイツ文学者の富士川英郎、音楽学者の浜尾房子らの努力によって、7編のうち6編の原詩が確認されている」(ウィキペディア日本語版)。歌詞で唯一原詩が特定されていないのは第2楽章の『秋に寂しき者 Der Einsame im Herbst』だけだそうだ。

[REC Music Foundation]数カ国語で歌詞その他が掲載されているページ。
http://www.recmusic.org/lieder/assemble_texts.html?SongCycleId=235

<附録 第4楽章の歌詞の日本語訳と李白の詩 ウィキペディア日本語版より>
ベートゲとマーラーによる詩および李白の原詩とされるもの。
 第4楽章 美について
 李白の詩「採蓮曲」による
うら若き乙女たち 自然にわく水のその池に
花摘む その蓮の花を
岸辺の茂みの中、葉と葉の中に座して
茗荷の花を手折り、膝に集め
嬉嬉たる声をあげ、一緒に交わし合った。

金色の陽は差し照りて、
その乙女たちを包んで
きらめく水面に映し出している
陽は乙女たちのたおやかな肢体と
愛らしい瞳とを逆さまにして映し出している
そしてさらに微風は
乙女たちの袂(たもと)を揺らし
魅惑に満ちた乙女の香りを
日射しの中に振りまいた。

見よあれを
凛々しい少年たちが猛り勇ましい駿馬にまたがり、
駆けめぐる、いかなる者たちよ?
陽の差す光にも似て、きらめき遠ざかり、
はやくも緑なす柳葉の
茂れる枝の木の間より
若人が群がり、現れ走り行く
ひとりの少年の馬は 歓びに嘶(いなな)きて
怖じけながら猛り走り行き
草花の咲く野原の上を越えて
土音たてて馬蹄はよろめき去る
たちまちに嵐のように、落花を踏みしだく
そのたてがみは 熱に浮かれて靡(なび)きひるがえり
その鼻孔は熱い息吹き出しぬ

金色に輝く太陽がそこにあるものを光で包み
静かで清らかな水面にあらゆる影を映し出し
その中でも美しき乙女が顔をあげ、少年へ
送るのは憧憬の眼差し、ながながと追いかける
乙女の誇らしき物腰態度、上辺だけの見せかけに過ぎぬもの
つぶらな瞳の閃きながら火花の中に
熱いその眼差しによぎる暗き影の中にも
心のどよめき、なおも長引き哀しく憧れ秘めている

採蓮曲 李白
若耶谿傍採蓮女
笑隔荷花共人語
日照新妝水底明
風飄香袂空中擧
岸上誰家遊冶郎
三三五五暎垂楊
紫□嘶入落花去
見此踟△空断腸

採蓮の曲 李白
若耶谿(じゃくやけい)の傍 採蓮の女(むすめ)
笑ひて荷花(かか)を隔て 人と共に語る
日は新粧(しんしょう)を照らして 水底に明らかに
風は香袂(こうべい)を飄(ひるがえ)して 空中に挙(あ)がる
岸上(がんじょう) 誰が家の遊冶郎(ゆうやろう)
三三 五五 垂楊(すいよう)に暎(えい)ず
紫□(しりゅう)落花に嘶(いなな)き入りて去るも
此れを見て踟△(ちちゅ)し 空しく断腸

□:「うまへん」に「留」   △:「あしへん」に「厨」

(参考: CDの解説にあった渡辺護氏による日本語訳詞)
乙女ごどち、花を摘む。
岸辺に蓮の花を摘む。
葉の茂みの中に腰おろし、
ひざに花びら集め、
かたみに戯言(ざれごと)いう。

こがねの陽は彼女らを生き生きとつつみ、
眩耀と水中に反射す。
陽は彼女らの優しき肢体と、
愛らしき目を水中に写し、
また微風は媚を含みて着物の袖を上げ、
彼女らのよき香りを
大気の中にただよわす。

ああ、見よ、かしこに美しき若者たち、
岸辺に駿馬を駆り回らす。
緑濃き柳の枝を縫いて、
陽光の如く輝かしく
若き人々は遠くはせめぐる!
ひとりの若者の馬は嬉しげに嘶き、
物おじし、走り去る。
馬蹄は花、草をなびかしめ、
倒れし花々を激しく潰す。
見よ!たてがみは喜びに蓬々とはためき、
鼻孔は熱く息づく。

金色の陽は乙女らの間を飛びはね、
その姿を明るき水に映し出す。
乙女ごの群れの最美なるひとりは
彼にあこがれのまなざしを送る。
彼女の気位あるそぶりは偽装にすぎず、
そのつぶらなる瞳の閃きの中に、
あつきまなざしの暗闇の中に、
胸の高まりは訴うるごと、波うち、揺れ動く。

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