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実にユニークな弦楽四重奏である。1907年から1908にかけて作曲され、1919年の改訂を経て、1929年には弦楽合奏版が書かれた。作品番号がつかない1897年のニ長調の作品を含めて、シェーンベルクが残した弦楽四重奏曲の中で一番聴いている曲である。といっても実演を聞いたことは無く、もっぱらCDで、という話である。弦楽四重奏版で22例、弦楽合奏版で6例の録音があるようだが、自分が愛聴しているのは新ウィーン学派の三人の作曲家の弦楽四重奏曲等を集めたラサール弦楽四重奏団によるCD(Deutsche Grammophon 419 994-2)の中の録音と、同様趣旨で録音されたJunge Deutsche Philharmonie KammerorchesterによるCD(EMI CDC 7 47923 2)の中にある弦楽合奏版の演奏である。前者が1969年の録音で独唱はマーガレット・プライス、後者は1985年の録音で独唱はエヴァ・チャポ、指揮はペーター・ギュルケ。
[Arnold Scho"nberg Center] op.10のページ。作曲年や録音年はここの数字に従った。 http://www.schoenberg.at/index.php?option=com_content&view=article&id=179&Itemid=354&lang=de 何がユニークかというと、全4楽章のうち第3楽章と第4楽章にはソプラノ独唱が付く。実はこのソプラノ付きというところが愛聴している一つの理由である。さらに、第4楽章には主音の指定がない。一応普通の和音で終わるものの、この楽章をもっていわゆる無調の試みの嚆矢とする向きもある。 ラサール弦楽四重奏団のCDに添付された分厚い解説書には1936年にシェーンベルク自身がカリフォルニアで書いた解説(の英語訳?)、"Notes on the Four String Quartets"が収められており、ソプラノ独唱のテクストも載っている。ドイツの象徴主義的詩人、シュテファン・ゲオルゲの詩集『Der siebente Ring 第七の指輪』(1907)から"Litanei"(第3楽章)と"Entru"ckung"(第4楽章)が使われている。前者は「連祷」、後者は「有頂天」とでも訳せるだろうか。 自らを保守的と捉え、革新的であると見なされることを恐れたシェーンベルクによると、「この弦楽四重奏曲はわたしのキャリアの中で大きな役割を果たした。しかしながら、いわゆる無調への決定的な前進はまだ実行していない。すべての楽章は主音で終わり、調性を示している」(解説書 P.42)とのこと。確かに第4楽章は嬰ヘ長調の和音で幕を閉じる。 テクストの扱いについて、シェーンベルクの説明を訳してみる。 第3楽章は主題と変奏のかたちで書かれ、第4楽章は最も重要な主題を反復し、ソナタ形式を想起させるようなやり方でクライマックスへと盛り上げる。「音楽と詩が完璧に融合する場合、その形式はテクストのあらましをなぞるだろう。ワーグナーの主要動機(ライトモティーフ)技法は、詩のムードや性格のあらゆる変化を表現するために、どのようにしてこのような動機や他の楽句(フレーズ)を変奏したらよいのかについて私たちに教えてくれる。主題的な統一と論理はこのようにして維持される。最終稿は形式論者の要件を満たしていないわけではない。 変奏は、ひとつの構造的単位が反復されるため、このような利点をもたらす。この形式を示唆する別の理由があったことを私は告白しなければならない。この詩の大いなる劇的情緒性(dramatic emotionality)によって、自分が室内楽に許容されるべき境界を超えてしまうかもしれないということを私は恐れた。変奏に必要とされる精緻な推敲(elaboration)は、自分が過度に劇的になることを防いでくれるだろうと私は期待した。」(解説書 P.50)
ということで、「劇的情緒性」に溺れることを戒めたという話なのであるが、なぜゲオルゲの詩、"Litanei"と"Entru"ckung"でなければならなかったのか、そもそも、なぜソプラノ独唱でテクストを歌わせなければならなかったのかはよくわからない。 ウィキペディア英語版に、こういうユニークな曲になった経緯へのヒントが書かれていた。「四つの楽章からなるこの作品は、シェーンベルクの人生において非常に感情的(emotional)だったに違いない時期に書かれた。この作品には、"私の妻に"という献辞があるものの、これは1908年にマチルデ・シェーンベルクが隣人のリヒャルト・ゲルストゥル(Richard Gerstl)と情事に陥ったころに書かれた」のだそうだ。 音楽家の「伝記・評伝」の類は、ジュリーニやグールド、ベルクなどに関する文献を漁ったことはあるが、大概は面倒なので、レコードに付いている解説や音楽事典で済ませている。ユダヤ系のシェーンベルクがナチから逃れて米国に亡命し、そこで客死したことぐらいしか知らなかった。いまはウィキペディアをはじめとするオンラインの百科事典が充実しており、決定的な真偽は別にして、とりあえず安直に調べ物が出来たような気になるのでありがたい。 マチルデ・シェーンベルクの旧姓はマチルデ・フォン・ツェムリンスキィ(Mathilde von Zemlinsky)、あのツェムリンスキィの妹である。1899年にマチルデと知り合ったシェーンベルクは、一気呵成にあの名曲『浄められた夜』を書いたという話も見かけたことがある。マチルデの情事はシェーンベルクの伝記・評伝などではお馴染みの話なのかもしれないが、自分は知らなかった。で、リヒャルト・ゲルストゥル (1883 -1908)についてウィキペディア英語版をみると、25歳で自殺した表現主義的作風のオーストリアの画家である。縊死する際アトリエに火をつけて多くの私信や作品を焼いてしまったためなのか、亡くなった段階で無名に近く1930年代になって「発見」されたためなのか、66枚の絵画と8枚のスケッチしか残されていない。 「ゲルストゥルは他の芸術家と交際しなかったのだが、音楽に親しみを感じていた;彼自身はウィーンのコンサートに足繁く通った。1907年ごろ、彼はアルノルト・シェーンベルクや、当時同じ建物に住んでいたアレグザンダー・フォン・ツェムリンスキィといった音楽家と付き合い始めた。ゲルストゥルとシェーンベルクはそれぞれの才能に基づいてお互いを称え合った。ゲルストゥルはあきらかに美術についてシェーンベルクに手ほどきした。 この間、ゲルストゥルはシェーンベルクと同じ家のフラットに引越し、シェーンベルクとその家族、友人のポートレイトを何枚か描いた。これらのポートレイトはシェーンベルクの妻のマチルデやアルバン・ベルク、ツェムリンスキィを描いた絵も含む。極めて様式化された頭部をもつ彼のポートレイトのスタイルはドイツ表現主義を予感させたし、 オスカー・ココシュカの作品におけるようにパステルを使った。ゲルストゥルとマチルデは非常に親密になり、1908年の夏、彼女は夫と子供たちを残したままゲルストゥルとともにヴィエナ(Vienna)へ旅立った。シェーンベルクは弦楽四重奏曲第2番を作曲している最中で、この作品はマチルデに献呈された。マチルデはこの年の10月に夫のもとに戻った。」(ウィキペディア英語版)
マチルデを失って気が動顛し、仲間からも孤立し、芸術家として受け容れられていない状態にあったゲルストゥルは、1908年11月4日の夜、自分のアトリエに入り、目についた手紙やあらゆる私信の類、作品等を燃やし、アトリエの鏡の前で首をつった。 弦楽四重奏曲第2番 作品10は1908年12月21日にウィーンで初演された。 <附録 ゲオルゲの詩>
Litanei
Tief is die trauer die mich umdu"stert,
Ein tret ich wieder, Herr! in dein haus.
Lang war die reise, matt sind die glieder,
Leer sind die schreine, voll nur die qual.
Durstende zunge darbt nach dem weine.
Hart war gestritten, starr ist mein arm.
Go"nne die ruhe schwankenden schritten,
Hungrigem gaume bro"ckle dein brot!
Schwach ist mein atem rufend dem traume,
Hohl sind die ha"nde, fiebernd der mund.
Leih deine ku"hle, lo"sche der bra"nde.
Tilge das hoffen, sende das licht!
Gluten im herzen lodern noch offen,
Innerst im grunde wacht noch ein schrei.
To"te das sehnen, schliesse die wunde!
Nimm mir die liebe, gib mir dein glu"ck!
Entru"ckung
Ich fu"hle luft von anderem planeten.
Mir blassen durch das dunkel die gesichter
Die freundlich eben noch sich zu mir drehten.
Und ba"um und wege die ich liebte fahlen
Dass ich sie kaum mehr kenne und du lichter
Geliebter schatten―rufer meiner qualen--
Bist nun erloschen ganz in tiefern gluten
Um nach dem taumel streitenden getobes
Mit einem frommen schauer anzumuten.
Ich lo"se mich in to"nen, kreisend, webend,
Ungru"ndigen danks und unbenamten lobes
Dem grossen atem wunschlos mich ergebend.
Mich u"berfa"hrt ein ungestu"mes wehen
Im rausch der weihe wo inbru"nstige schreie
In staub geworfner beterinnen flehen:
Dann seh ich wie sich duftige nebel lu"pfen
In einer sonnerfu"llten klaren freie
Die nur umfa"ngt auf fernsten bergesschlu"pfen.
Der boden schu"ffert weiss und weich wie molke.
Ich steige u"ber schluchten ungeheuer.
Ich fu"hle wie ich u"ber letzter wolke
In einem meer kristallnen glanzes schwimme--
Ich bin ein funke nur vom heiligen feuer
Ich bin ein dro"hnen nur der heiligen stimme.
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