李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

酸素のような女?

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お正月(ソルナル)

  先日、[シネ21]の記事を見ていたら、「誌面で2006年のソルナル(旧正月)を1月30日(月)と記載してしまいましたが正しくは1月29日(日)です」というような訂正があった。韓国ではこの日の前後一日ずつ休みで3連休になる。西暦の1月1日も休みになるが、「お正月」と言う場合、この陰暦の方を指すことが多いようだ。

  気になるので韓国のお正月について、まず韓国ヤフーの知識検索を見てみた。それによると、1895年に太陽暦が採用されて正月と旧正月の区別ができた。1985年に陰暦の元旦を「民俗の日」と指定し、1999年にはソルナル(お正月)という言葉が復権し、前後一日ずつ加えた合計3日を休日にするようになったそうだ。3連休は最近の話だった。民族の伝統を重視する姿勢のあらわれか、世の中の勤め人が一斉に有給休暇を取って仕事にならないので休みにしたのか、核家族化が進んでいるので一族が集まれる機会を設定したのか、単に休日を増やす作戦なのか、そのあたりのいきさつはよくわからない。

  伝統的な民俗を教える古文書によれば、大晦日の夜には家中にあかりを灯し、徹夜でソルナルを迎えたのだそうだ。そして一年の運勢を占う意味で、早朝にカササギの鳴き声を聞けば「吉」、カラスの声を聞いたら「凶」と考えた。カラスはどこに行っても嫌われ者だ。カササギといえば、年末年始に歌われる「カササギ音頭」みたいな歌があったはずだ。

  伝統的な風俗として、大晦日の午前0時を過ぎると「ポクジョリ(福笊籬)」というものを買ってきて、それにお米(またはお金と飴)を入れて台所や部屋の隅に飾るというのがあるそうだ。これは藁かなんかで編んだ小さい塵取りのような縁起物である。農耕中心の時代の名残だろう。東京あたりだと、酉の市なんかで熊手を買ってくる感覚だろうか。

  現在、夜明かしやポクジョリのことはよくわからないが、普通の家庭では一族が集まって先祖の墓参りに行ったり、トックック(韓国のお雑煮)をたべたりして安寧を慶び、チュソク(秋夕)のように祝うようだ。ちなみに、トックックに入れるトックは餅といっても粳米でできていて、棒状のものを薄く切って使うので、コリアン・パスタとでも呼びたくなる食感である。だが、トックックの味はあっさりしているのでやはり雑煮のイメージだ。中に牛肉を入れたものしか知らないが、いわゆるマンドゥー(饅頭、シュウマイに近いもの)を入れたりすることもあるらしい。

  陰暦はいまだに生活の中に生きていて、書類等に自分の誕生日を書く時、陽暦と陰暦を選んだりできることもあるそうだ。誕生日といえば、李英愛は1月31日生まれと知られている。これは陽暦なのか陰暦なのか。陰暦で31日ってあるのか。・・・まあ、誕生日は対外的に公にしているはずだから、やっぱり新暦だろう。

  その李英愛の情報は、韓国語サイトからは目新しいゴシップすら出てこない。[中央日報]で年末の「事務所移籍デマ」の話が蒸し返されたくらいである。一方、台湾の新聞はLGのイメージ・キャラクターになったことを連日派手に報じているし、3月に訪台するという台湾LGの話が強調されている。これからCFの撮影で忙しくなるそうだ。おまけに、LGの広報で中華圏だけでなくインドネシアやマレーシアなども訪問するらしい。中国語は繁体も簡体もとばし読みしたりできないので、今年はこれらをきちんと習得しないと李英愛研究に差し支える。インドネシアやマレーシアの公用語はなんだろう。マレーシアには李英愛のファンクラブがあって、ここのサイトは英語で読めるが[ http://groups.msn.com/LeeYoungAeMalaysiaFansClub/ ]、マスコミの記事の方はやっかいだと思う。インドネシア方面はどうしたらよいのかわからない。ファンクラブはあるのか。李英愛は言葉の壁など笑顔一つで軽々と超えられるだろうが、地球村の片隅にいる研究者としては頭が痛い。

  たまたま見た今日(1月4日)の[朝鮮日報](日本語版)によると、今年は海外にも顔の売れた多くの映画スターたちが次々とテレビドラマに出演するらしいとのこと。やはり、まず母国民にしっかり支持されてこそ海外での活躍も成り立つのだろう。一定間隔で映画とドラマを往復すれば新規に支持層を取り込むこともできる。李英愛にはCFの仕事でしっかり稼いで、納得のいくシナリオをゆっくり選んでいただきたいが、テレビドラマだけは勘弁してほしい。出演しても、どうせまたストレスが増すだけだと思うのだが・・・。今月は、お正月までにどこかを訪問して一仕事するのだろうか。ネットの記事を待とう。

そして、舞台は回る

  この半年間、ネットで李英愛の記事を追いながら、マスコミの報道や掲示板等の書き込みのおかげで楽しく暮らすことができた。最近は映画祭の話にかこつけて、ネットに記事があれば何かしら書いてしまうという、だらしない姿勢でこのブログを続けている。めぼしい記事がいつなくなるかと思っていると、次々にネタが出てくる。殊に、香港や中国、台湾の記事を目にするようになってから、韓国国内とはひと味違うものを見ることもある。29日の台湾の公式サイト( http://www.leeyoungae.org/ )の記事によれば、2006年元旦から李英愛がLGの全製品の「代言人」として、台湾をはじめアジア全域にアピールしていくことが決まったと報じられている。ペ・ヨンジュンからバトンタッチするようだ。この話は30日の時点で韓国国内では出ていないと思う。
  また、中国の記事でとんでもないゴシップもたびたび見かけた。ただし、年とともに品下がってきているとはいえ、決して求めてそういう話を読んだわけではない。向こうでの検索結果の中にたまたまそういうものが混じってしまう。読んでいて開いた口がふさがらない話がある。まるでハーレクイン・ロマンのような話になっている。一つの噂が極限まで肥大化して表に出ている感じだ。しかも記者の署名入りだ。一方、例えば香港で出たらしい「05 風雲人物--李英愛創8億神話(1)-(3)」という記事が台湾の公式サイトにあるが、李英愛の人物評伝として良くできている。李英愛の家族の話や、彼女が村上春樹の「ノルウエーの森」を読んでいる、などという話も出てくる。これはゴシップとは無縁である(と思う)。香港、中国、台湾と一枚岩ではないにせよ、向こうのマスコミのやることはよくわからない。

  ゴシップといえば、5月に香港に行った時に向こうの有線放送がパブリシティ権を侵害した話などもあったが、最近は「蝋人形の展示差し止め請求」の記事があった。ペ・ヨンジュンとチェ・ジウ、イ・ヨンエの三者が、自分たちの蝋人形を事前の断りもなく展示するのは許さない、ということで、今度ソウルにオープンした蝋人形館の興業主を12月16日に訴えた話だ。当事者にとってはやっかいなことであろうが、パブリシティ権がらみのゴシップは記事を読むほうとしては退屈だ。いざ事を構えられたら、侵害した者に勝ち目はない。20日に興業主側が負けて、その後裁判所に泣きついたりしたようだ。30日の[東亞日報]の記事を見ると蝋人形の展示は行われているらしい。どういう和解の仕方だったかはわからない。

  今年最後の主だった李英愛情報は、28日に報じられた「事務所移籍に関するデマ」だろうか。ゴシップで年が暮れる。やはり当代の千両役者なのだ。火のないところから煙が立ってくる。[ニュース・エン]によれば、李英愛は「最近何人もの知人たちから『コスダック会社N社の子会社である某エンターテイメントと専属契約を締結したの?』などと所属社移籍にかかわる問い合わせを受けたが、全然事実ではない。現在の所属社を移すとか変える気持ちは全然ないし、一時のうわさはうわさであるだけだ」と、本人が一蹴したとのことである。最近、「イ・ヨンエが某会社と専属金10億ウォンで専属契約を結んだなどと、イ・ヨンエの所属社移籍にかかわるうわさが出回った」のだそうだ。デマがここまで具体的だとキッパリ否定しなければならないのだろう。ファンにとってはどうでもよいネタなのだが。カンタと一緒に中国や香港に行って正官庄の宣伝をしたのが憶測のもとか、あるいはコスダックがらみで山っ気のある人たちが芸能界を荒らしているのか、詳しいことは全くわからない。
   
  そんなことより、次回作はどうなるのだろう。ゴシップなんかは置いて、彼女に次回作についての心づもりを聞く「新年の抱負」とかいう企画で一本出してくれないものか。マスコミ嫌いだから、新作のキャンペーン以外では取材に応じないとは思う。だが、今年は実にたくさんのことがあって実り多い年だったから、そうした成果をふまえて新たな一年にかける心意気をたずねる、というのは立派な取材理由になるだろう。そして話をうまく次回作のほうに持って行けばよいのだ。いや・・・、これだと立派なゴシップ記事か。やっぱり、新年早々の李英愛情報はゴシップになるのだろうか。先のことは誰にもわからない。


   除夜作   高適(701−765)

   旅館寒燈獨不眠   旅館の寒燈 独り眠らず
   客心何事轉凄然   客心 何事ぞ 転(うたた)凄然たる
   故郷今夜思千里   故郷 今夜 千里を思う
   霜鬢明朝又一年   霜鬢 明朝 又一年


  ヨンエさん、よいお年を。 そして、謹賀新年。

 (シンセ マーニ ジョッスムニダ. セヘ ポン マーニ パドゥセヨ.)

12月の旅人

  李英愛の広州訪問はどうなったかと思って調べたら、今日(22日)の朝に[マイデイリー]が韓国語ではじめて報じたようだ。中国のマスコミの憶測でも何でもなく、ちゃんと訪問したのだ。よく調べてみると、この話はそもそも韓国人参公社の「正官庄」ブランドが前面に出ている。おおいに勘違いしていた。「正官庄之夜 李英愛慈善中国行晩会」という名前のイベントであった。広告ポスターを見ると、韓国人参公社と広州の南方TVの共催になっている。
  仕方がないので、今まで敬遠していた簡体中国語の記事をいくつか見ることにした。[広州日報(大洋網)]である。このサイトの21日朝の報道によれば、20日午前中に人気歌手カンタとともに広州を訪れた李英愛は、広州に約20時間滞在した後、21日の朝早く香港に向かったとのことである。記事の内容はいまひとつよくわからない。機械翻訳ページの助けを借りて眺めた簡体中国語の記事によれば、VIP待遇で歓待されたようだ。以下にまとめてみた。

  [広州日報]では来訪した後のスケジュールをすでに前日の記事で詳しく紹介している。記事からは、「大長今」を迎えられる期待と喜びと心遣いがよく伝わってくる。前日の記事では朝の11時に到着とのことであったが、20日当日は飛行機が1時間延着し、人々の前に姿を現したのは12時40分であった。先日の香港行きでは黒いトレンチのようなクムジャ風のコートを着ていたが、広州ではまだ最新作が公開されていない。ジーパンに縞のシャツ、上に皮のコートをはおっている。コートの色は今年中国ではやった色だそうだ。10名の公安(SP)に守られながら空港を出た彼女は、いったん動き出した8台の送迎車(中国の国産車)の列をとめさせて降り、駆けつけたファンから生花を受け取った。ファンの中には感激して泣き出す者もいた。地元広州だけではない、香港や中国各地から集まったファンたちが熱烈に迎えたのだ。空港では、一緒に行った歌手のカンタのファンと李英愛のファンとの間でスターの名前を連呼しあう掛け声合戦みたいなこともあったらしい。実は中国語の記事では一緒に行った歌手の名前がピンとこなかったのだが、韓国語の記事でカンタだとわかった。

  17時30分、花園酒店(花園ホテル)で行われた記者会見では、「広州へはじめて来ましたが、外国だという感じがしません。多くの人々に会ってみて、自分の家の隣のおじさんやおばさんに会ったようでした」、「私の一番の目的は、『大長今』のような作品が韓国と中国の友好の”1本の線”になってくれることであり、中国の友人の方々が皆韓国の文化を好きになって受け入れてくださるよう願っています」というようなことを語ったらしい。
  
  20時、天河体育館の「正官庄之夜 李英愛慈善中国行晩会」の舞台は太極旗をモチーフにしたパネルで飾られ、華やかなショーが始まった。韓国から参加したカンタや中国の人気歌手がショーを盛り上げたようだ。淡い銀色っぽい色のスーツ姿で登場した李英愛の出番は20分間だったそうだ。舞台に出ると、香港の時と同じように「皆さん、こんにちは、私は李英愛です。ありがとう。」とあまり標準的ではない広東語で挨拶した。すると会場にどよめきが起こった。そして、広州では「大長今」の放送は終了してしまったが、もし聴衆がこのように応援し続けてくれるなら、「大長今」の続編を演じることを考慮することがありうるかも知れないと語ったという。「私の性格は長今ととても似ていて、たとえば好奇心や探求心が旺盛です。でも、料理のほうは、ドラマの制作の時にとても苦労して勉強しました」とのことである。この、「大長今の続編」の話はこの記事の執筆者の拡大解釈ではないだろうか。直接引用ではなく間接引用で書かれている。
  引き続き、観客との間で一問一答が行われ、中国で共演するとしたら誰か、という質問に、「古巨基」、「私は後にきっと中国に来て映画を撮影することができるでしょう。中国の役者となると、よいシナリオがあるならば私は古巨基と一番共演したい思っています」と答えている。この問答の前に人気タレントの古巨基は特に李英愛のために《好想好想》という曲を披露している。よほど素敵な曲だったのだろう。彼女も何か歌ったのだろうと思うが、記事では詳しく触れられていない。あるいは歌わなかったか。また、(結婚問題で)本人の愛情と親の気持ちが対立した時、どのように選択するのか、という質問に対しては、恥ずかしそうに笑って直接答えず、「私の心の中で最も理想的な男の人はミン・ジョンホ(閔大人)のような人です」と答えたそうだ。

  この夜贈呈された30万元のお金は山岳地帯に小学校を建てるために使われるそうだ。その地方の生徒が舞台に出てきて「私は毎日努力して李英愛さんにこたえるように本を読みます」と言うと、李英愛は生徒を引き寄せ、暖かい場面が生まれたそうだ。

  「大長今」一色に染めあげた広州に約20時間滞在して、21日早朝、李英愛は香港へ向かった。


[広州日報]12月21日の報道
[ http://dailynews.dayoo.com/gb/content/2005-12/21/content_2347448.htm ]
[ http://gzdaily.dayoo.com/gb/content/2005-12/21/content_2347720.htm ]
香港[明報]12月22日 古巨基と李英愛のツーショットが出ている。
[ http://www.mingpaonews.com/20051222/mck3.htm ]

ソウルの李英愛

  時間つぶしに『近世風俗志(守貞謾稿)』(岩波文庫)をぱらぱら見ていたら「出雲のお国(お九二)」の話が出てきた、巻之二十四「雑劇」の冒頭に歌舞伎の起源についての諸説が紹介されており、お国のことを次のように要約している。「出雲のお国は専ら巫女と云ひ、たまたま遊女とも云ひ、三右衛門が女と云ふ。山三郎あるひは三左衛門を夫といふ。その説一定ならずといへども、所詮、今の歌舞伎の中興祖なることは勿論なり。けだし[お国が諸国を巡り始めたのが]永禄の末年以後としても、慶長十二年まではおよそ四十年なれば、江戸にて興業の時はすでに五十余、六十歳に近かりけん。」
  上の要約で「巫女(ふじょ)」は辞書をひくと、「神につかえてその託宣を人に告げる女。かんなぎ。みこ。」とある。また、「今」というのは、この書物が書かれた天保年間のことである。「慶長十二年」と限定しているのは、一説につぎのようにあるからだ。「・・・また江戸歌舞伎の始まりも、慶長十二年二月二十日、出雲の巫女お国と云ふ者、大城辺に場を開きてこれを行ふを始原とす。けだし当時は女俳優を専らとし、遊女・傾城(けいせい)の徒これを行ふなり。その女俳優の座頭を字(あざな)して、和尚と云ふなり。元和年中、女歌舞伎禁止あるにより、これに代へ美少年を俳優とす、云々。」
  よく役者を卑しめて「河原乞食」と言うが、上に引用した説には「・・・また初め加茂河原に行ふ故に、かの徒を河原者と云ふのみ。乞丐(こつがい)の類と思ふは非なり。」とある。続けて、「その始め神楽を変じて舞ひ唄ひ、妓女の所為なるが故に、歌舞伎の名あり。けだし当時のかぶきと、今世のかぶき、その俗大いに異なるなり。」とのことである。
  この話を信じると、六十歳に近い女が舞台に立って舞い唄ったか、何かしら興業したようだ。あるいは座頭として女俳優を束ねる立場だったのかもしれないが、算盤だけはじいていたとも思えない。当時この年齢なら曾孫がいてもおかしくない。どういういきさつでこの道に入ったかは諸説あるようだが、その役者根性の物凄さを感じる。一度舞台に立ってしまうと死ぬまでやめられないものなのだろう。

  前置きが物凄く長くなった。で、李英愛が第26回青龍映画祭の主演女優賞をとった。トロフィを手に、良い涙を流していた。

  この夜の衣裳は、噂の通りルイ・ヴィトンではないように見える。黒と銀(灰色?)でまとめられたロングドレスだ。国内のデザイナーの作品のようだ。先日見に行った「ソウル・コレクション」のカン・フィスクの作品か。これ、チマのイメージだろうか。ノリゲのようなものが見える。だとするとベニスの韓服をデザインしたイ・ヨンヒの作品か。それはないか。ともかく、よく似合っている。ただ、黒いショールを着けたままのほうがいいかもしれない。口紅はそれほど濃くしていない。髪型は、一生これでやってほしいと思えるぐらい似合っていると思う。落ち着いた大人の女の美しさだ。ただ、赤ちゃんをおんぶする時の背負い紐が胸で交差しているようなドレスのイメージは、以前どこかの記事で見た覚えがある。あれも同じデザイナーの作品か。

  演技することを天職と自覚してから十余年、これで名実ともに俳優としての立場が確立した(と思う)。今年ベニスでは受賞を逃し、シチェス(シッチェス?)で一応受賞したものの、やはりお膝元で認められなければ始まらない。歴史のある映画祭の賞を得て、これまでの苦労が報われた。

  出雲のお国のように六十近くなっても、いや、死ぬまで女優を続けていただきたい。
  

[スポーツ朝鮮]のトップページ。青龍映画祭の特集がある。ここの写真はみな大きい。
[ http://sports.chosun.com/ ]
青龍映画祭公式サイト
[ http://sports.chosun.com/bluedragon2005/
]

ソウルの方へ

  今日(16日)開催された「ピンクリボン 愛 マラソン大会」ソウル大会に李英愛は参加できなかった。[スポーツ朝鮮]の昼の記事によると、カゼと疲れのため参加を取りやめたそうだ。参加を強行しようと思ったが、家族に引き留められたという。
  今回の「マラソン大会」では警備上の理由から、マラソン自体に参加するのではなく、オープン・セレモニーで広報大使代表としてスピーチをし、他の広報大使といっしょにスタート・ボタンを押すという内容の行事参加であることが事前に報道されていた。
  主催者側に今朝連絡が入ったとのことなので、急な発熱だろうか。あれこれ詮索しても始まらないのは百も承知だがやはり気になる。先日のパリでの写真を見ると、化粧のせいかベニスの時より顔の輪郭が少しすっきりしたかなと思えるが、体調はどうだったのだろう。香港の「クムジャさん」の先行試写会不参加の記事をみて、オヤと思っていた矢先だ。まあ、これはただの後知恵でしかない。
  「大長今」に出演していた頃、徹夜明けでそのままCFの仕事に赴いて、その体力に周りが驚いたなどという記事もあったが、彼女も人の子である。夏の疲れが今になって出てきたのではあるまいか。
  気になって仕方がないのでこんなところにグダグダ書き込んでいる。軟弱な自分が恥ずかしい。しかし風邪は万病の元だ。ゆっくり養生していただきたい。

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