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原宿駅の通路にイ・ヨンエのポスターがある…と思ったら吉永小百合のポスターだった。いけない。眠気はないが、あまり熟睡できなかった。曇り空の下、NHKホールをめざす。11時15分に到着すると表の道に行列ができている。入口から200メートル弱ぐらいか。入口で座席券を渡されるからどの位置に並ぼうとかわりはないが、少し気が焦る。11時45分にホールに入った。座席は二階の端であった。
<公開生放送>
約3000名のファンが集まった。8400通の応募があったそうだ。自分は「スタジオパークからこんにちわ」という番組は一回も見たことがないが、こういうかたちで放送するのは初めてだそうだ。拍手や歓迎のハングル「アンニョンハセヨ」を唱和する練習をしてから本番に入った。予想していたよりもあっさりとした練習だった。フロアディレクターが舞台の隅で合図を送ってどっと拍手、などという演出は全くない。そんなことをしなくても客席は静かな熱気に包まれている。
イ・ヨンエは意表をつく登場の仕方をした。自分が座っている席の下方、一階の客席横の出入り口から登場したのだ。濃いクリーム色のチマにピンクのチョゴリ、髪はひっつめではなく粋なまとめかたである。貴婦人の髪型だ。グニョ類(簪)は軽い感じのものだ。次々に客席のファンと握手をしていく。思わず身を乗り出してその姿を追った。花が歩いているようだ。指に赤い糸を巻いているかどうか目を凝らしたがよくわからない。
イ・ヨンエが本当に来日したのだと実感したのは舞台でマイクを握って語り始めてからだ。後ろのスクリーンに放送中の画像が出る。残念ながらこの画面を見ないと二階席では表情がつかめない。自分の周りには双眼鏡を覗く人が何人もいる。自分もどこかに埋もれている古い双眼鏡を部屋中探したが見つからなかったのでそのまま来たのだった。しかし、一階のかぶりつきで見たりしたら平静な気持ちで座っている自信がない。これくらい距離があった方が落ち着いて楽しめるのだと覚悟した。
番組の内容は「大長今」に関する話題のみである。しかも、ほとんどは既知の話だった。これは仕方ない。あれこれ調べて関連記事を読みあさってもいいことはない。変な言い方だが、何も知らないことの大切さを思い知った。ただ、イ・ヨンエが、はじめて打ち明けると言って「大長今」の放送延長にまつわる話をしてくれた。当初50話の予定で作られたドラマであるが、制作サイドはさらに数ヶ月の番組延長を希望した。これに対して心身共に限界に来ていたイ・ヨンエは、監督に泣いて懇願して54話で終わらせてもらったのだそうだ。「監督に泣いて頼んだ」というのがポイントだ。
イ・ヨンエの話しぶりは表情が豊かで、予想したより饒舌だった。控え目なウイットと暖かさを感じさせる。彼女は、ドラマの主人公が韓国の文化や価値意識を伝える力を持っている、チャングムはドラマという枠を超えていろいろな国に伝播し、生き残っていくだろう、というような話をしていた。最近、香港では学校の現場で大長今精神を教育に生かす試みが行われているという話もある。
<ファンミーティング>
30分休憩したあとのファンミーティングの方は、主に「チャングムの誓い」の後半の見所を紹介するかたちで進められた。そうか、結局番組のプロモーションなのか、きっちり管理された番組素材の収録か…。いやいや、何にしてもイ・ヨンエが来日してくれたのだから、文句を言ったらバチが当たる。このファンミーティングの様子は6月24日(土)に特別番組の中で紹介されるそうだ。
こちらはチャングムの声を演じた生田智子がゲストで登場した。この役者さん(?)のお顔は初めて拝見する。目鼻立ちのくっきりした美貌である。イ・ヨンエとは今日初めて対面したのだそうだ。普通にしゃべっているときの声はチャングムのようには聞こえない。やはりその声を演じているのだ。
そしてイ・ヨンエは、舞台上にしつらえられた飾り階段から登場した。スポットライトを浴びたその姿は先ほどとはうってかわったドレス姿である。そのロングドレスはライトのせいで紅く見えるが濃いオレンジ色とのこと。両肩の浅い袖のところと胸元に黒い生地でアクセントを付けている。髪はふんわりと後ろで巻いてまとめ、前は分け目から顔の両側に二筋流している。思わずどよめきが起こる。とりあえずスタンディングオベイションをする。
4月の百想芸術祭の時の写真で見た姿よりほっそり見える。イ・ヨンエはこのドレスは気合いを入れて準備したと語っていた。実際、素晴らしいと思った。黒のアクセントについては意見が分かれるかも知れないが、これが彼女のこだわりなのだ。よしとしなければならない。それにしても華のある女優だ。暫し舞台の上の花に見とれた。
ファンミーティングのはじめに透明ケースに入った8400通の応募はがきの山が紹介された。そんな事しなくても、と思ったが、自分のように、日本にはあまりファンがいないなどと考えているものもいるので、賢明な演出であろう。このケースを運んできた女性はチマ・チョゴリ姿であった。宮廷女官、という演出だろうか。しかし、彼女のオッコルム(胸の結び紐)の結び方が違うことにイ・ヨエンエが気づき、自ら立っていって結び直してあげた。ちょっといい場面だった。
ファンミーティングは、ファンがアンケートに答えた「『大長今』で印象に残る場面」の集計結果が発表され、イ・ヨンエも自分の思い出の場面を紹介するというふうに進んだ。途中、最高尚官になったクミョンにチャングムが「幸せですか」と問いかける場面が紹介された。この時、舞台のスクリーンに出た場面紹介のパネルのハングル文字に誤植があるのにイ・ヨンエが気づいた。「ハンマリ」だったかが「アンマリ」になっている。「ハン」が「アン」になってしまっていた。意外に神経質なのか…。そうではなく、堂々とと間違っていることが不本意だったのだろう。このパネルは急遽消された。
話は進み、イ・ヨンエはファンの質問に答えてくれた。以下、印象に残った話の要点をいくつか記そう。ただし、記憶のみで書くので覚え違いがあると思う。正確には6月24日の放送を参照されたい。
−趣味は何か。
「趣味と言えるものはこれといってないが、自然の中を歩くのが好きだ。森の音や風の音、そういう自然の音を聞くのが好きだ」
−来日は何回しているのか。日本に遊びに来るとしたらどこに行きたいか。
「映画『JSA』と『春の日は過ぎゆく』のプロモーションで2回来た。日本では東京などの大都市ではなく地方都市に行って自分の足で歩いてみたい」
…この後、地方から出てきた人に挙手してもらうと結構多くの人が挙手した。生田智子は、自分も静岡の方に住んでいる、と言って、イ・ヨンエに来てほしいようなそぶりであった。
−両親に教えられたことが何かあるか。
「今日は韓国の『父母の日』なので今朝も電話した…だが出なかった(微笑み)。親には言葉のかたちで教わったというより、その行動でいろいろのことを教えてもらった。人に対する思いやり、気配り、そして耐えることなど…。」
−理想のタイプは。
「正しい考えを持ち、人に対する思いやりのある人」
…この「正しい」は「オルゴットゥン」だったと思うが、自信がない。司会者が、今日の会場には40代50代の殿方もいらっしゃいますが、そういう方でも…、というようにちょっと意地悪く水を向けると、それでもかまわないような優しい返事をしていた。
−生まれ変わったら男がいいか女がいいか。
「女として生まれ変われたらいいと思うが、男にでも女にでも生まれ変われるとしたら、もっと勉強したいし留学もしてみたい」
…確か1998年に演技の仕事を長期間休んだ時、2週間くらい米国に行ったはずだ。あれは短期留学みたいなものかと勝手に想像していたが、そうではなかったようだ。だが、今日のようなミーティング形式だと確かめようもない。
ファンミーティングのおしまいには、今日参加したファンにプレゼントが贈られた。本来は逆だと思うが、こういう形式だから仕方ない。贈り物は特製のノリゲ。チャングムが持っていたもののレプリカだそうだ。それにサイン入りの色紙である。座席券とひきかえである。イ・ヨンエはノリゲを手渡されると手でなでなでしたり頬にすりすりしたりして茶目っ気のあるところを見せていた。この時は自分も思わずポケットの中の座席券を握りしめてしまった。
抽選は、くじ引きで「一階席」をまず決め、次に「座席ブロック」を決め、最後に座席番号の札をひく、という具合に極めて効率的に行われた。一階の当該ブロックに横断幕を用意したファンクラブの方々が座っていた。イ・ヨンエはこのことを気遣い、ファンクラブの方々が座っているブロックを狙ったわけではないというようなことを言った。そんなことは見ている者全員が承知している。さわやかな気配りのイ・ヨンエだ。するとすかさず司会者が、でも、きょうのお客さんはみんなファンクラブですよ、と切り返す。…今日のミーティングは全部こういうフリートークでやっても良かったのにと思う。この司会の女性アナウンサーは「できる」人だった。
65分間のミーティングはそれこそあっという間に終わった。イ・ヨンエは丁寧なしぐさで感謝の気持ちを表しながら舞台の袖に消えた。後ろ髪を引かれているように見えたのは自分の思い過ごしだろうか。
NHKホールを出ると雨がぱらついていた。原宿駅まで戻り、神宮橋で左に折れて、久しぶりに明治神宮の杜を歩いた。石造りの太鼓橋が見える。いつ見ても映画の一場面のように見える。濃い緑に雨脚が次第に速くなる。そして、イ・ヨンエがそこにいるような気がした。
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