李英愛研究

ネットの記事でイ・ヨンエさんに迫ります

韓国の映画

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  キム・ギドク監督の映画「弓(Bow)」を見てきた。平日(金曜日)の昼の上映だったが、観客は数十人で高齢者が多かった。女性ばかりというわけでもなかった。ソウルで映画「時間(Time)」を見た時もやはり数十人の観客で、こちらは若い女性が多かった。恵比寿ガーデンシネマで「うつせみ(3-iron)」を見た時にも思ったが、キム・ギドクの映画は、例えば昔の池袋の「文芸座」とか、ああいう小屋で上映してくれるとありがたい。昔の下北沢の「すずなり」とか、芝居小屋でうずくまって見るのも悪くなさそうだ。しかしこれは今となっては贅沢というものだ。ル・シネマの豪華で落ち着いたホールで映画を堪能した。

  今回見直して、DVDで見た時に見落としたり誤解していることが多いのに気付いた。舞台となる船には名前がないと思っていたが、「インイル(仁一?)」という船名が舳先に書かれていた。また、自分が入手した韓国製のDVDでは色彩が寒々として鮮明ではないように思ったが、大画面で見るとそれほど寒々としていないし、赤・黄・緑の象徴的な三色は割と鮮明だった。仮に、赤が主人公の少女の色、緑が老人の色と捉えると、黄色は誰だろう。青年の色ということになるのか。今回はそのあたりを見極めようと思ったが、やはりよくわからなかった。

  また、人間の目に近い画角が多用されていると思っていたが、そうでもなく、変化に富んでいるように感じた。やはり映画は21インチ程度のディスプレイで見るものではない。現在はテレビでの放映を意識した絵作りの映画が多いし、この監督の作品にはテレビ向きの絵が多いと思うが、映画「春夏秋冬、そして春」やこの作品は大画面向きのようだ。ただし、大画面は俳優の演技には酷である。ことに主人公に台詞がない場合はなおさらだ。今回、とくに少女の表情がやや生硬ではないかという印象を持ってしまった。

  この映画で展開される神話ないし寓話について、未だにはっきりとした言葉にはならない。映画「悪い男」と映画「サマリア」を合わせたような話かな、という程度の単純な理解である。ノドに傷を持つヤクザと警官である父親を合わせると釣り船の老人になるような気がする。ヤクザ、父親、老人のいずれも暴力的で過激な行動をする。映像表現の過激さは順に逓減しているが、彼らの世界の本質は変わらない。愚かで切実で暴力的である。女世界の女子大生、女子高生、少女が性(セックス)を通して男世界と交わる。映画「弓」ではそのことが穏やかに暗示されているだけだが、基本の構図は変わらない。男世界でうまく世渡りできないヤクザ、父親、老人は愚かで切実で暴力的な行動を起こし、日はまた昇り、世の中は動いていく。

  キム・ギドク監督の映画で語られる話は、いわゆる「大学二年生の疑問」のようだなあ、という感慨を新たにした。なんというか、気障な表現をすれば、そんな韓国語があるかどうかわからないが、「セッキイヤギ(悪たれ話)」なのである。大人げない話なのだ。分別のある大人が忘れてしまったか、分別のある大人のふりをしている人が避けている話なのである。キム・ギドクは「韓国のアンファン・テリブル(今年のトロント映画祭のホームページ、映画「時間」の紹介欄より)」なのだ。

  映画「弓」をDVDで見た時にはキム・ギドク監督もややテンションが落ちたのではないかと思った。映像で見せる話というより、観念的に語る話のように思えたからだ。今回、好ましいかたちで見直してもその思いは変わらなかった。しかし、最新作の映画「時間」を見て、映画「悪い男」を見た時の衝撃を思い出した。もちろん、過去の自作を模倣しているとかいう話ではない。台詞が多いにもかかわらず、徹頭徹尾映像で見せる話になっていたからだ。
  

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  [ハンギョレ新聞](8月31日)に今回のキム・ギドク監督の行動を擁護する記事があった。雑誌『批評と展望』の編集主幹、評論家イ・ミョンウォン氏のコラム[やあ!韓国社会]『キム・ギドクを擁護する』である。筆者は映画評論家ではない。文芸評論を生業とする36歳の気鋭の文学者である。文学者が映画監督を擁護するという、実に韓国的な(?)話である。映画人のコミュニティから今回のキム・ギドク監督の発言について、その言葉尻を捉えた論評や批判はいくつかあるものの、キム・ギドク監督自らが「ごみのようなもの」ときめつけた諸作品を本格的に論じた文章は皆無である。何というか、みんな、臭いものには蓋をして、早く忘れたがっているように自分には思える。

  「最近、映画監督キム・ギドクを取り囲んだ論難を関心を持って見守った」というイ・ミョンウォン氏は、「キム監督のおかげで無茶にもボン・ジュンホ監督の映画〈怪物〉も見た」し、映画批評及び関連記事やネットの掲示板への書き込み、キム監督がパネルで参加したMBCの『100分討論』も真剣に見たという。そしてその過程で浮かび上がってきた疑問は、「いかなる理由で韓国の映画界ではキム監督に対する冷笑が支配的なのかということだった」と、こう語る筆者は、明快なキム・ギドク擁護論を展開する。以下に、氏の擁護論を長めに引用する。

  「〈怪物〉に対する論難を離れて、キム・ギドクの芸術家としての態度に私は全面的に同意する者だ。もちろんその同意の意味は、たとえば評論家ガン・ハンソブ(=『100分討論』に出演)のように映画産業に対する精巧な分析と問題意識に基づいているのではない。反対に、私は討論に登場したスクリーンクオータ擁護論者たちのように、キム・ギドク映画を‘非商業芸術映画’や‘低予算作家主義映画’で固定させて、映画の‘種の多様性’を保護しなければならない、というふうの奇妙な‘恩恵授与的論理’には同意しない。

  私がキム・ギドクを擁護する理由は彼の映画で執拗に変奏される人間社会の野性的生態学、反知識人主義、通念化されたモラルとエートスのアイロニカルな転倒、持続的なスタイルの変奏と革新、侮蔑を通じた極限の自己反省などの諸内容物が韓国映画界ではまことに稀な美徳だと思うからだ。それにキム・ギドクの映画は芸術を通じた極限省察の過程が、実際にどれだけ複雑微妙な気まずさ(不便さ)と苦痛から来るかを観客にいきいきと経験させるという点に注目する。ところで、今のキム・ギドクを取り囲んだ世間の諸論難は、ことごとくそんなキム・ギドクの映画に対する論議とは無関係に、監督の比喩的でアイロニーを伴った発言にだけ傾いている。キム・ギドクの映画に対する論議は全くしないで、ただ監督の口から出た‘発言’にだけこだわる現実は果たして正常か。

  私はキム・ギドクが自分の映画をこれ以上韓国で封切りしないということを語った時本当に残念に感じたが、芸術家にしてはじめてできる発言だと思った。アイルランド文学の巨匠であるジェイムズ・ジョイスを見よ。彼はほとんど一生を亡命者に似た境遇で過ごした。事実、すべての真正な芸術家の内面はこの世界ではボートピープルみたいな心情ではないか。」

  うーむ。これは韓国では極めて少数の意見であろう。長々と紹介したが、この記事はたまたま眼にしたものである。自分は、キム・ギドク監督の行動が正当か不当かなどという話にはあまり興味がない。キム・ギドク監督の今回の行動を正当化したい心理が自分の中で働いたというより、韓国にもこういう評論家がいることがうれしかったのだ。こういう人がいると、とりあえず安心していられるではないか。氏の言う「反知識人主義」は「反アカデミズム」と理解できよう。「反きれい事主義」でもいいだろう。映画の「種の多様性」を保護しようという映画人側の主張に筆者が与しないのは、韓国映画人の言う「種の多様性」が「価値の絶対化」を基盤にしているようにみえるからだろうと自分は理解した。今後求められるのは価値の相対化であって、多様な価値意識を保障することであろう。何が「正しい」かを既成の権威が決めつけるのは、たとえ韓国という国にあってももはや愚かなことなのだ。そして、氏がジョイスを引用しているのを自分は決して大仰な贔屓だとは思わない。

  このコラムは次のように結ばれる。「“私の映画はごみだ”。こんな発言がなされた時、私は私自身が心の中でいつも繰り返し言って来た“私の評論はごみだ”という考えとの同一性のためすごく驚いた。毎瞬間文を書く度に、私は前に発表された私のすべての原稿をごみと見なして来た。実はすべての芸術作品はその成果が蓄積されるのではなく、ゼロからまた始まる。老いさらばえたランボーの詩を私たちは想像しにくい。キム・ギドクが正しい。」

  …そうだ、キム・ギドクは「正しい」のだ。そして、彼はまだ老いさらばえてはいない。


<9月10日追記>
[文化日報](9月9日)の[フォーラム]『映画'怪物'と'時間'』(シン・ボンスン)という評論。下のイ・ミョンウォン氏と似たような問題意識であるが、キム・ギドク擁護と言うより映画業界批判の文章である。大型マルチプレックス(複合上映館)の登場以降顕著になっているスクリーン独寡占化という「新しい文化権力」の登場によって、映画産業の両極化、ひいては映画芸術の両極化を招くことを危惧している。当然ながら、筆者は映画人ではない。劇作家である。
http://www.munhwa.com/news/view.html?no=20060909010323371910040

[ハンギョレ新聞](8月31日)[やあ!韓国社会]『キム・ギドクを擁護する』(イ・ミョンウォン)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=2006083121473499523&newssetid=517
[ニュース・エン](8月18日)MBCテレビ『100分討論』の様子を伝える記事。
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=20060818105304275e7&newssetid=1352

  ソウルに来て、キム・ギドク監督の映画「時間」を二回見た。十回ぐらい見るつもりで来たのだが、結局、諸般の事情で二回しか見られなかった。一つには、映画自体が自分には重い後味を残すため一日二回以上見ることが出来なかった。また、せりふの量が多く、聞きとりに全感覚の大半の努力を費やさざるを得ず、かなり疲れてしまうということもあった。しかし、語られている台詞の殆どはうまく頭の中に定着していない。にもかかわらず、なぜ重い後味が残ったかといえば、テーマの分かりやすさと(おそらくは)こちらの誤解によって主人公(ソン・ヒョナ−素晴らしい演技を見せる)の気持ちが手に取るように分かったつもりになったからだ。

  恋人(ハ・ジョンウ−存在感がある)が自分に飽き始めたと感じ、現状を打開するために女は整形手術によって顔を別人のものに変えてしまう。そして新たに恋人の前に顔を現し、新たに恋人と関係を結ぶが肝心の恋人は以前の自分のことが忘れられない。こうして、以前の自分に女は嫉妬し、解決不能の袋小路に入ってしまう。そして真相を知った男は自分も整形手術をすることによって今度は自分が迷い込んだ袋小路から抜け出そうとする。映画のおしまいの方では、だれが自分の恋人か分からなくなった女が次々と愚かな行動を繰り返す。見ているほうは簡単に笑うわけにはいかない。静かにじわじわとやるせない気分に満たされていく。

  キム・ギドク監督は、「この映画は12時に始まって12時に終わる映画です」という謎めいた解説をしていた。実はこの言葉どおりの映画であった。映画は重苦しく永久に循環する構造になっており、時間の経過が結局は同義反復にしか至らない。表面的には整形という文化的営みに対する痛烈な批判である。しかし、この映画のポイントはその線を超えてもっと先に飛んでいく。

  「光よりも早く飛べたら、旅立つ朝に戻りたい」といった感慨は誰しも抱くものであろう。生きられなかった時間、語られなかった時間の誘惑は捨てがたい。しかし、キム監督は、時間の徹底的な一回性を強調したくてあえてこういう循環構造にしたのではないかと思う。この映画では、新たな時間を生きるために整形によって別人に変身したつもりが、それもまた神の見えざる手によって操られた一つの行動であって、身体の予定調和(?)を乱した罰によって女はあのシジフォスのように永久に循環運動をするように定められてしまったように思えた。言葉の真の意味においてこれは地獄なのだ。

  久しぶりに大画面でキム・ギドク・タッチの映像を堪能した。見事な省略と的確なカット割り、絶妙のカメラアングルは健在である。自分はジョンノ(鐘路)のスポンジハウスで2回見た。どちらも数十人の観客であった。キム監督は20万人ぐらい入ればいいなと語っていたが、封切り後一週間で二万名も入っていないのではないかと思う。しかし、前作の映画「弓」よりたくさん入ったことは確実である。今回の封切りに際しては、いろいろスキャンダラスな発言をしていた。「自分の映画はゴミみたいなものです」などという言葉を新聞社へのメールで公開したりした。しかし、これだけは断言できる。キム・ギドクの映画は監督がゴミだと思っても自分には宝石である。自分にとってはこの映画「時間」も、また繰り返し見たくなる映画の一つになった。

旅人たち

  <イ・ヨンエ>
  最近、イ・ヨンエがネットの記事に出てこない。目立った活動をしていないようだ。広告関連の記事で名前が引用されるだけである。で、目新しい話はないかと[dc inside]の'イ・ヨンエ ギャラリー'を覗いてみたら、面白い写真があることはあった。8月9日に「大長今テーマパーク」でビデオ撮影が行われた時のスナップ写真とおぼしきものが2枚投稿されている。一枚は遠景で、あずまやに腰を下ろしてカメラに向かっている。もう一枚は上半身のアップである。あずまやの周りで撮影しているスタッフは黒いTシャツを着ている。確か先月の正官庄イヴェントでビデオ撮影していたチームだと思う。どこかのテレビ局のスタッフかもしれない。あるいは専属の撮影隊なのだろうか。イ・ヨンエの衣裳を見てもどの製品カテゴリの仕事なのか判別がつかない。仕事のような、そうでもないような、よくわからない写真である。

  問題はアップの写真の方である。右手で細長い冊子を持っている。昔の八つ折り本のような、手製の本である。「家内安全」と題名が書かれている。「全」の字は指で隠れている。その横に「洞井」か「調井」とある。作者の名前か雅号か、よくわからない。イ・ヨンエは、左手をあげて何か説明している風情である。しかし、口もとは本に隠れて見えない。左手の薬指には指輪がはめられている。写真の解像度が低いが、これは金の指輪である。そして、イヤリングは銀色である。

  うーむ、…左手の薬指に、金の、指輪か…。今までイ・ヨンエが指輪をする時は人差し指が多かった。眼にした写真の中で左手の薬指に指輪をしているのは高級クリーム「后ファンユゴ」のポスターぐらいしか知らない。それに、あの指輪は金ではなく瑪瑙かなんかではなかっただろうか。それはともかく、いつくるかいつくるかと気が気でなかったが、いよいよその時が来たようだ。こういうものを贈られればそれなりの覚悟で身につけるだろう。隠したりする筋合いのものでもない。まだ何も確かな情報は流れていない。しかし、たかが指輪、されど指輪である。NHKへの出演で来日した時イ・ヨンエは、「女は結婚して子供を産んでこそ本当に美しくなる」と語っていたが、どうか、めいっぱい幸せになっていただきたい。

  <キム・ギドク>
  とうとうやってしまった。批判や論難は放っておけばよいのに、キム・ギドク監督は8月18日、MBC TVの「100分討論」という番組に出演して不用意な発言を重ねてしまった。「不用意な発言」というのはあたらない。「本音」である。ネット上に非難の嵐が起こったようだ。この日の「100分討論」は、ポン・ジュンホ監督の新作SF映画の爆発的な観客動員現象を議論するという内容だったそうだ。[聯合ニュース](8月21日)や[朝鮮日報](日本語版 8月22日)等に、聯合ニュース社宛にキム監督がメールを送って公開謝罪したという記事がある。公開謝罪とは、自分の映画のファンへの謝罪、いままで自分の映画を見てくれた観客への謝罪、ポン監督の映画の観客をけなしたことへの謝罪、そしてこの映画を製作した製作者と監督への謝罪である。

  それだけではない。キム監督は 「今度、観客の皆さんの批判をきっかけとしてじっくりと私の映画と映画作業を振り返ったら、まことに情けなくてエゴイスチックな映画を作ったし、韓国社会の暗くて醜い姿を誇張して観客に強要して、観客たちが不快感を持つようにしたという気がした」と語った。「今回の事態を通して、自分自身が韓国で生きていくにはあまりに深刻な意識障害を持った人間であることがわかった」とし、「自分こそ韓国社会で奇形的に生まれ劣等感を糧に育ってきた怪物のようなもの」と自虐的に表現した。このほかこれまでの自分の作品がすべてゴミのようなものとし、試写会を終えた新作映画『時間』についてもこれを公開したくないと語った。

  自分は、この監督の映画を見て、映画「空き家(うつせみ)」のトークショーに参加し、過去のインタビュー記事をいくつか読んでいるに過ぎない。しかし、これだけは断言できる。こんなに純粋無垢な個性は今時珍しいのだ。<映画ムラの若い衆>のまねなどせずに、韓国の観客からは距離をとり続ければ良かったと思う。器用にきれい事の言える優等生ではないだろう。まあ、今となっては後の祭りである。だが、韓国の映画界に棲む場所がなくても、映画を作る場所はほかにあるはずだ。「韓国映画」とか「韓国の文化」ではなく、「キム・ギドク映画」を作り続けて欲しい。四十代の女房子持ちの人をつかまえてこんな言い方は失礼かもしれないが、どうか、めいっぱい映画バカに徹していただきたい。


  自分にとってかけがえのない二つの個性が新たな旅を始めそうな気配である。自分も、めいっぱいセンチメンタルに、旅に出るとしよう。

   窓は夜露にぬれて 都すでに遠のく
   北へ帰る 旅人ひとり 涙 流れてやまず。

   夢は空しく消えて 今日も闇をさすろう
   遠き想い はかなき望み 恩愛 我を去りぬ。

   今は黙してゆかん 何をまた語るべき さらば祖国 いとしき人…


[dc inside]の'イ・ヨンエ ギャラリー'。8月20日の投稿の中に上の写真がある。
http://kr.dcinside11.imagesearch.yahoo.com/zb40/zboard.php?id=lee0e
[聯合ニュース](8月21日)キム・ギドク監督の謝罪と自虐的反省の記事。
http://www.yonhapnews.co.kr/news/20060821/091201000020060821191522K0.html
[朝鮮日報](日本語版 8月22日)[聯合ニュース]の報道を伝える記事。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/22/20060822000031.html

群衆から遠く離れて

  キム・ギドク監督の発言が波紋を呼んでいる。8月7日に一年ぶりで韓国の言論の前に姿を現した監督は、これまでに伝えられている発言を繰り返しただけなのだが、多くの批判を浴びている。特に大衆から批判されているのは韓国の観客をコケにしたくだりである。昨日(7日)の書き込みでは「国内の観客への失望」というふうにすまして、あえてその発言に触れなかった。これを詳しく見ておこう。

  今後自分の作品を韓国で公開出来なくなるかもしれない、釜山映画祭や国内の映画祭には出品しない、という話の流れで、「これまで13編の作品を作ったが、その大部分についてはほとんどよい思い出がありません。観客数からくる付加価値ではなく、観客の理解という部分での付加価値を感じることができませんでした」と発言している。これは、要するに直接的な観客批判である。
  
  もう一つ、監督が長話を始める前に短答式で受け答えをしている際に、昨年釜山で"一千万観客時代が悲しく感じられる"という発言をしたことと関連づけて「連日興行新記録を出している『怪物』に対してどう思うのか」という質問が出た。監督は、「昨日(6日)から、一番恐ろしい質問がこれだと思っていました。韓国映画の水準と韓国観客の水準がよく合ったのだと思います。この表現を否定的に解釈しても、肯定的に解釈しても、聞く人によって差があるでしょうが…」と評した。

  これらの発言に対して、「自分の映画が支持されないからといって観客を批判するのはお門違いだ」、「韓国で小さな映画が経験する難しさに対する嘆きはわからないでもないが、大衆に対する脅迫ないし強要は論外だ」、「監督の映画を評価する少数の観客とその他多数の観客を一緒にするのは間違っているし、監督自身がもっと観客と意思疎通を図るべきだ」等々のまっとうな批判が掲示板やブログの書き込みに出ている。一般大衆・映画ファンの書き込みで監督の発言を支持する意見はほとんど見なかった。

  一方、民主労働党は8月8日、ブリーフィングを発表して、「スクリーンクオーターの中のスクリーンクオーターの必要性」について見解を明らかにした。曰く、「キム・ギドク監督がこれから国内映画祭に出品しないと宣言した。映画『怪物』の興行に対する話が多い。民主労動党としては『怪物』の監督が熱誠党員であるボン・ジュンホ監督でもあり興行成功を祝いたいところだが、別の側面では低予算・独立映画などがハナから上映機会さえ持つことができないというやや苦い側面があることをよく理解している。このようになるとスクリーンクオーターを維持しようという理由としてあげている韓国映画と文化的多様性を守るという意味が喪失されるかもしれない。したがってスクリーンクオーター制度内に独立採算映画などに対するスクリーンクオーター制度を置く法案や一定数以上の上映観客が入るような独立映画・芸術映画を支援する基金を設立する制度などの法案の用意が必要である」([ニュースワイア]8月8日)

  これは<映画人ムラ>の強い味方、チョン・ヨンセ議員の発案である。[CNBNEWS](8月8日)によると、チョン議員側はキム・ギドク監督の発言に対して「観客の好き嫌いによって(映画が)当たらないことも事実だが、これまで政府と映画界が観客開発をまともにしてこなかったからだ」と言い、今後これに対する補完が後に従わなければならないと説明した。また、チョン議員側は「キム監督の発言どおり映画市場で配給社と映画館が作品性より興行にかたよって、マーケティングに過ぎるほど寄り掛かる現象も正しくない」と、今後の映画の多様性を保護するように法案を用意することにしたとのこと。キム・ギドク監督はあちこちでダシに使われる。

  ところで、この提案は、新作SF映画がバカ当たりしているポン・ジュノ(ジュンホ?)監督が7日午前、KBS1ラジオの生放送に出演して「マイナー映画クオーター」の必要性を申し立てたことと軌を一にしている。まず、興行的には10万名しか集まらず失敗だった「フランダースの犬(吠える犬はかまない)」や500万名動員するのに100日ぐらいかかった「殺人の追憶」と比べて、9日ぐらいで500万名集めた新作SFの動員力は予想しなかったことだとポン監督は語った。また、「配給状況とか規模というのがわずか数年の間にたくさん変わったということを感じた。もちろん製作社や配給社で『怪物』を配給しながら何らかの不公正プレーをするとか横暴な手段を使ったということは全然ないのが分かっている」と強調した。

  そして、韓国の全スクリーンの約三分の一(620)をこの映画が独占している事実によってスクリーンクオータ縮小に反対する意味が希薄にならないか、という質問に対して「マイノリティクオーター」の話が出てきた。ポン監督は「マイノリティークオーターとして、多様な少数志向の映画たちに対して保護することができる装置がなければならないと前から映画人たちが主張して来た。全体的にスクリーンクォータ制を保護する脈絡のもと、その部分も一緒に成り立ったら良いだろう」と語った。

  うーむ。<ムラの若大将>と民主労働党の見事な連繋プレーである。もっとも、ポン監督は根っからの民主労働党員だから当然の話ではある。今回のスクリーンクオータ縮小が決まった際に文化観光部が提示した映画産業振興策の話などなかったかのように「小さな映画」への保護策を提案している。さすがに彼らは政治家である。カン・ウソク監督やポン・ジュノ監督の映画が相次いで大当たりして市場を独占している最近の情勢に関しては、スクリーンクオータ死守への悪影響を懸念する議論もネットに出ている。それらに対する<ムラ>と政治圏の公式の回答である。

  これまでスクリーンクオータ死守闘争についていろいろ見てきた自分としては、この問題に関する映画人の画一的な主張に少々あきれていたので、文化的な「偏り現象」については驚きもしない。韓国はまだそういう社会なのだ。作ったり批評したりする方があれだけガチガチの<ムラ社会>を構成しているのだから、多様な作品系列を守れなどと上流から掛け声をかけてもアリバイ作りにしか見えない。それでも、映画好きのマニアや自立志向の女性達に支えられて「小さな映画」の命脈は保たれている。こういう話は政治圏や運動圏で音頭をとってもうまくいかないと思う。たかが映画、されど映画、である。観客が本当に見たい映画を見る、見続ける、これしかない。それでもスター主義と絨毯爆撃型マーケティング主義による映画配給を韓国の多くの観客がよしとして満足するなら、それはそれで仕方ない。

  <余計な付け足し>
  [ハンギョレ新聞]と[Film2.0]にも今回の記者懇談会の記事が出たが、この二つの記事は面白い同調を見せている。キム・ギドク監督が新作「時間」の期待観客数を20万人と示したところである。[Film2.0]ではいきなり20万人という数字が出てきてそれで終わりである。[ハンギョレ新聞]では「他の映画の国外封切り成績のように」という文言が一応ついてはいる。ところが、昨日(7日)の書き込みで確認したように、この数字の根拠として監督はこれまでの作品の海外での動員数を詳しく挙げている。せめて海外並にお客が入ってくれればいいな、というのがその心だと思う。それに対して上の二つの記事の心は、「時間」という映画の海外動員数ではないのだから意味がない、というところであろうか。[ハンギョレ新聞]は[シネ21]の親会社である。この二つの媒体がおそらく<映画人ムラ>を代弁するものであることを考え合わせると、海外の動員数など出しても意味がない、というのがその心かもしれない。

  韓国映画の有名監督が欧米の映画賞で華々しく受賞した作品はどれも欧米での動員数はパッとしない。韓国国内でヒットした映画でまともに欧米でヒットした作品もほとんどない。「海外」を「日本」と限定すればヒット作がいくつかあることはある。しかし、海外、とくに米国ではいまだに商売にならない。最近の作品では、鳴り物入りで封切りした「台風(TYPHOON)」は24の劇場で公開されたが35日間で打ち切られた。$139,059の興行収入であった。また、4月28日に封切られ、最後の上映地サンディエゴで7月28日に公開された「親切なクムジャさん」は、15の劇場に拡大されたものの8月3日の段階で$194,976の興行収入である。最近は一週間で4千数百ドルの成績である。多目に見積もって週に5〜6百人しか入っていない。この映画が日本で公開された時と似たような状況だろう。


[シネ21のブログ]キム・ギドク監督の発言に対する批判的な書き込みの例。
http://blog.cine21.com/zimmani/38722
[ニュースワイア](8月8日)民主労動党懸案ブリーフィング
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=20060808120111297b3&newssetid=1352
[CNBNEWS](8月8日)チョン・ヨンセ議員の話。
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=20060808140613681e1&newssetid=1352
[ハンギョレ新聞](8月7日)キム・ギドク監督の発言についての記事。
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=2006080722285890323&newssetid=1352
[Film2.0](8月7日)キム・ギドク監督の発言と映画「時間」についての記事。
http://www.film2.co.kr/news/news_final.asp?mkey=10194
[聯合ニュース](8月7日)ポン・ジュノ監督の話。
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=16&articleid=2006080711293583101&newssetid=83


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