fueブログ プロフィールとトップ画面

尺八・横笛・民謡・三味線・箏をやってられる方のサロン。

全体表示

[ リスト ]

いよいよ明日からNHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が始まります。さっそく西郷隆盛の本をツタヤで買い求めまして、勉強がはじまりました。
せっかくドラマがはじまりますので、予備知識がないといけません。

すべてはペリーによる黒船来航から、長い鎖国時代の夜明けが始まる。
時の幕府はてんやわんや……弱体化している江戸幕府、不満がいっきに様々な場面で爆発して、明治維新となった。西郷どんは、時代に翻弄されて……とうとう士族の不満を一身で引き受ける形で城山で没した。その人間的な魅力にも接したいものだ。
幕末から明治維新での背景にある重要な思想・戦争……尊王攘夷・公武合体・征韓論・西南戦争などをまとめて少しづつ加筆したい。ここいらの背景思想が理解する必要がある。
次の「知ったかの知識」はいろんなところから、疑問のむくままに転載したものです。
どんどん、追加補正をしていきます。

●西郷隆盛(肖像写真が一枚も残されていない。身長約180僂猟洪)
この肖像画は複数の近親者のお墨付きをもらった佐藤均筆。大正10年作成したもの。
[生]文政10(1827).12.7. 鹿児島
[没]1877.9.24. 鹿児島・享年50歳
イメージ 1

薩摩の下級武士の家に生まれ、やがて明治維新の立役者となり、そして最後は賊軍のそしりを受けながら自決した西郷隆盛。薩摩の下級武士から徳川の世を終わらせた。維新回天(時勢を一変させること)の巨星。

 幕末,明治維新の元勲,政治家で軍人。通称吉之助。南洲と号した。薩摩藩下級士族の出身。藩主島津斉彬 (なりあきら) の知遇を受け藩政に参画。島津久光の公武合体論に抗して尊王攘夷運動に奔走。慶応3 (1867) 年 12月9日の王政復古に重要な役割を演じ,新政府参与,戊辰戦争では大総督参謀となった。明治4 (71) 年,参議筆頭となり,廃藩置県に尽力したが,征韓論を唱えて政府にいれられず辞職。帰郷して私学校を経営し,士族授産に尽力した。しかし中央政府との疎隔がはなはだしくなり,部下に擁立されて 1877年,西南戦争を起し,ついに敗れて城山で戦死した。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

●「幕末での歴史の大きな流れ」……
……黒船来航・安政の大獄・尊王攘夷論・公武合体論・坂本龍馬・薩長同盟……

黒船来航で武力を恐れた幕府が港を開くと、アメリカはさらに「日本側の条件悪いけど貿易もしよう」と持ちかけてきます。幕府の重役だった井伊直弼はほぼ独断で貿易を受け入れました。
これが幕府への不満に繋がっていきます。強引な貿易で景気が悪くなると、日本から外国人を追い出そうという攘夷の考えが広まりました。

それに焦った幕府は、攘夷派の活動家たちを厳しく処罰します。これが安政の大獄と呼ばれる事件です。強引な貿易で景気が悪くなると、日本から外国人を追い出そうという攘夷の考えが広まりました。
 それに焦った幕府は、攘夷派の活動家たちを厳しく処罰します。これが安政の大獄と呼ばれる事件だ。取り締まりのリーダーだった井伊直弼は、強い反感を買って暗殺されてしまいます。すると次に幕末の鍵を握ったのは長州と薩摩の2藩でした。

長州藩は簡単に言うと、「天皇様大好き、でも外国人は嫌い」という藩。天皇様に政治をして欲しい、外国人は追っ払う!
これが長州藩の言い分であり、尊王攘夷という考え方だ。
彼らは天皇様のいる京都で、攘夷活動を行った。これが面白くない幕府は、新選組(近藤勇)などの部隊を作って尊王攘夷派を取り締まりました。徐々に力を削がれた長州藩は、京都を追い出されます。

一方薩摩藩。攘夷思想はありますが、幕府と天皇様が協力して政治を行う公武合体が多数派です。幕府への不満はありつつも、逆らいはしません。長州藩への攻撃には薩摩藩も参加してたりするので、当然2つの藩は仲が悪かったんですね。

犬猿の仲の薩長ですが、後に共通点が生まれました。それぞれ外国の部隊と直接争ったのです。結果的にボロ負けした両藩は、攘夷は無理だと悟ります。攘夷ができないとなると、外国に対抗するには日本も国や軍を強くしなければいけません。そのためには、古い考えの幕府を倒して新しい政府を作るべきだ!両藩がそう考えたところで坂本竜馬が登場する。

坂本竜馬が仲介したことで、長州藩と薩摩藩は協力して幕府を倒そうと決めます。こうして薩長同盟が締結された。www.shend-trend.com/post-2791/より抜粋

            
●尊王攘夷(そんのうじょうい)とは?
尊王と攘夷が合体した言葉で、尊王は天皇を尊び政治の中心とするという意味。
攘夷は外国を追い払うという意味。
この2つが合わさって尊王攘夷という言葉が出来ました。
天皇を尊び外的を斥(しりぞ)けようという思想を言葉にした政治的スローガン。
尊王攘夷論者とは、この様な主張を行う人の事を言う。

●なぜ尊王攘夷論が登場したのか?
ペリーの黒船が来航して、国内はてんやわんやの大騒ぎ。アメリカから開国を迫られてた。徳川に任せてたら日本は外国にのっとられる。このままじゃ外国にやられるぜ!何とかしないと!そこで、登場したのが、尊王攘夷論だ。黙っていると、日本が欧米の植民地にされてしまうと多くの青年が攘夷思想に目覚めた。
開国に対する不安や不満が増えるにつれて、この尊王攘夷の名の元に、幕府に反対する運動に発展していった。
幕末の時代劇で、尊王攘夷派とそれに反対する人達が戦ったりしている。新撰組とかは、徳川幕府側だ。
新選組の近藤勇・土方歳三等は過激攘夷派を京都で取り締まった。
西郷隆盛、孝明天皇らは過激攘夷派でなく公武合体に好意的な立場。

●島津斉彬・西郷隆盛らの尊王攘夷の考え方
狭義の攘夷にまい進することなく、開国した現状を認めたうえで中央集権国家を作り、富国強兵に励み侵略してくるであろう外敵を武力によって打ち払う考え方。攘夷だけではやがては日本は西欧諸国の植民地になってしまう。開国し、軍備を近代化させなくてはいけない。

●倒幕運動が活発化・・・・・長州藩は、攘夷を掲げ倒幕運動を展開
この倒幕派の先方であった長州藩を倒すことで世間に力をしめそうと考えた徳川幕府は 、各藩に長州討伐を命じ、長州藩を追い込んでいきます。
(犬猿の仲にあった薩摩藩と長州藩の間を、坂本龍馬がとりもって同盟を結んだ)

●公武合体論
幕末期、公(朝廷)と武(幕府)とが一体となって内外の政局に対処しようとした考え方で、ペリーの来航に始まる欧米各国の対日接近は,挙国体制の確立を国内緊急の課題としていたときに構想された。
しかし、現実にはそれによる者たちの立場や利害が複雑にからみあい,ついに有効な打開策とはならなかった。
福井(松平慶永(よしなが)〈春嶽(しゅんがく)〉)、高知(山内豊信(やまうちとよしげ)〈容堂〉)、宇和島(伊達宗城(だてむねなり))、鹿児島(島津久光(しまづひさみつ))、島津斉彬(なりあきら)

●坂本龍馬(1836〜1867)享年31歳 西郷どんよりは9歳ほど若い。
ペリー来航を背景に尊皇攘夷(じょうい)運動が高まる中、坂本龍馬は多くの人士と交流し、攘夷論を超えた国際的視野に立つ日本の未来像を描いた。
「江戸幕府を倒すきっかけを作った人」。当時の幕府は外国の要求を拒絶する力が無く、諸藩をまとめる力も弱体化。しだいに、このような幕府では日本を守れないと考え、幕府を倒して天皇の下に統一された国家が必要だと考える人が現れました。龍馬もその一人でした。
龍馬は幕府を倒すために、まず幕府と対抗できる大きな力を持った薩摩藩と長州藩の同盟を成功させます。平和的な倒幕である大政奉還を土佐藩に提案します。この案は土佐藩から徳川慶喜に進言され、慶喜もこれを受け入れて、形式上は幕府が消滅しました。

●征韓論の背景と台頭
明治維新の大本となる動機は、西欧諸国(特にロシア)、のアジア侵略に対応可能な政治体制に変革しよう、というものであった。
特に恐れられていたのが、近代化に遅れた朝鮮や清が、西欧諸国に侵略され、日本侵略の拠点となってしまうこと
これを防ぐためには、西欧諸国が侵略するまえに日本が侵略してしまい、併せて西欧諸国に対抗しようと考えた。この考え方が征韓論だ
。西郷隆盛が征韓論を唱えた動機としては、単に西欧諸国に対抗するという以外に、明治維新で仕事を失った士族たちの失業対策という側面がありました。


●西南戦争が起こった原因は何ですか??
新政府にいた西郷隆盛が国内の士族(江戸時代に武士だった人たち)の不満を海外で爆発させようとして、韓国に出兵するように主張しました。
イメージ 2
しかし、大久保利通(写真)たちが「まずは国内のインフラ整備が大切だから、海外に派兵する予算が組めない」と猛反対して韓国への派兵はなくなります。
これに怒った西郷隆盛やその手下の政府高官たち・軍人が鹿児島に帰ってしまいました。
西郷が鹿児島に帰ってからというもの、鹿児島県は税金を中央政府に納めなくなりましたし、「私学校」というのをつくって鹿児島県庁のエリートを養成するなど独立国家の様な感じとなった。
これらのことが、中央政府から危険分子とみなされ、士族の不満を一身に背負い西南戦争へと発展していく。最後の激戦地城山で……西郷は「晋どん、もうここいらでよか……」と言って自刃(じじん)した。

この記事に

閉じる コメント(2)

こんにちは。
大河ドラマ、長らく見ていません。
昔は花の生涯とか(古い!)徳川家康とか見てましたが。
今年のは見てみようかと思っています。
そのためには録画予約です!

2018/1/6(土) 午後 9:18 wofuu 返信する

NHK大河ドラマ、毎年みています。10年前(2008年)の大河ドラマ「篤姫」もしっかり見ました。宮崎あおいさんの篤姫、そして篤姫の養父である島津斉彬(しまづなりあきら)役の 高橋 英樹さんなどが、今回の西郷どんにも登場します。配役の顔がダブります。
ところで、西郷さんの肖像画は残されていませんで、いろんな親戚筋の顔写真を複合して作成されたそうです。実際の西郷さんの「お顔」はだれにもわからないそうです。雰囲気はあんな顔でしたのでしょう.

2018/1/7(日) 午前 11:33 shakuhachi_fue 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(0)


.


みんなの更新記事