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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
(ヨハネの福音書3章16節)
『永遠のいのち』とは何であろうか?
昔、中国のある皇帝が不老長寿の妙薬を求めたそうであるが、30才位の若さで永遠に生きられたら幸いなのであろうか?
聖書の言っている『永遠のいのち』とはその様なものでは無さそうである。
聖書が言っている『滅びる』とは人が神との関係において永遠に和解が不可能な事態になることである。
イエス・キリストは『その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。』と父なる神に祈っている。(語りかけている)
天と地を創られ、地球を人の住処として整備し、其処に人を造り、住まわせた真の神(ヤハウェ)と人との間には人の罪による断絶が生じている。そして、現代人はまことの神を畏れなくなっている。
人は切り取られた木の枝のようである。はじめは青々しているがやがて枯れて朽ちて行く。
まことの神の下を離れ自分勝手な生き方をしているからである。
イエス・キリストは人が真の神に返る(原点に戻る、正気に戻る)唯一の道を切り開かれた御方なのである。
どんなに立派に見える人でも神の前では『朽ち果てようとしている切り取られた枝』にすぎない。
この世で『勝組み』と称するグループに属していようとも、明日は枯れる草にすぎないのである。
永遠のいのちとは天地創造の神に(イエス・キリストを復活させた神に)立ち返ることで始まる神との新しい関係と言える。
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