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「すばる」8月号に、文化人類学者・中沢新一と爆笑問題・太田光の対談が掲載されています。題して「憲法九条を世界遺産に」。なんとも直球なタイトルですが、「ああ、いいなぁ」と思った発言が多かったので、長くなりますがいくつか抜粋します。現実主義という名の諦め、小賢しげなニヒリズム、現状追認が跋扈し、理想や夢想を語る人間が容赦ない嘲笑に晒される昨今。もしジョン・レノンがこの世に戻ってきたら、「イマジン」を歌う気力も失せるかもしれません。その中にあって太田は飄々とした皮肉屋のポーズを取りながらも、書生臭い理想論を力強く語る言葉を持った稀有な芸人です。発言のつまらなさが行くところまで行ったビートたけしとは対極にあると言っていいでしょう。
太田 改憲すべきだと言う人が、自分の国の憲法は自分の国で作るべきだとよく言います。でも僕は、日本人だけが作ったものではないからこそ価値があると思う。あのときやってきたアメリカのGHQと、あのときの日本の合作だから価値があると(略)といって、あの憲法をアメリカが持ち帰って自国の憲法にしようとしても、アメリカ人が守れるわけがない。価値があるのは、日本人が曲がりなりにも、いろんな拡大解釈をしてきたことです。あの憲法を見ると日本人もいいなと思えるし、アメリカ人もいいなと思える。すごくいいことじゃないですか/その奇蹟の憲法を、自分の国の憲法は自分で作りましょうという程度の理由で変えたくない。少なくとも僕は、この憲法を変えてしまう時代の一員でありたくない。 太田 僕らお笑いの人間は、面白いか、つまらないかを一つの判断基準にしています。漫才で芸人がどれだけ頑張ってみせても、人が笑わなければ何の価値もない。面白いのか、つまらないのか、そのお笑いの判断基準でいえば、憲法九条を持っている日本のほうが絶対面白いと思うんです。これは確信できます/無茶な憲法だと言われるけれど、無茶なところへ進んでいくほうが、面白いんです(略)憲法九条というのは、ある意味、人間の限界を超える挑戦でしょう。たぶん人間の限界は、九条の下にあるのかもしれない。それでも挑戦していく意味はあるんじゃないか。いまこの時点では絵空事かもしれないけれど、世界中がこの平和憲法を持てば、一歩進んだ人間になる可能性もある。それならこの憲法を持って生きていくのは、なかなかいいもんだと思うんです。 中沢 その意味で言うと、憲法九条は修道院みたいなものなんですね。修道院というのは、けっこう無茶なことをしているでしょう。普通の人間が暮らせない厳しい条件の中で、人間の理想を考えている。修道僧は労働もしないし、そんなもの無駄なような気もしますけれども、人間にとって重要なのは、たとえ無茶な場所であっても地上にそういう場所がある、ということをいつも人々に知らせているというところにあるでしょう。普通に考えたらありえないものが、村はずれの丘の上に建っているというだけで、人の心は堕落しないでいられる。そういうものがあったほうが、人間の世界は間違いに陥らないでいられるんでしょう/チベットの僧院もそんな場所でした。僧侶は労働をしないで、あらゆる生き物に慈悲深い生き方をするにはどうしたらよいか、なんてことを毎日考え抜いている(略)そこで考えたことを誰かがやろうとすると必ずこけるんだけれど、みんなで温かく愛で包んで彼の努力を褒め称えてあげる。そしてまた、先に行こうとするんですね。 太田 憲法九条は、たった一つ日本に残された夢であり理想であり、拠り所なんですよね。どんなに非難されようと、一貫して他国と戦わない。二度と戦争を起こさないという姿勢を貫き通してきたことに、日本人の誇りはあると思うんです。他国からは、弱気、弱腰とか批判されるけれど、その嘲笑される部分にこそ、誇りを感じていいと思います。 太田 (略)でも最後に、ドン・キホーテが正気に返るところで、ええっと思ったんです。サンチョ・パンサが「ご主人様」と言うと、ドン・キホーテがポカンとした顔で「え、何のこと?」と答える。その最後の場面で、僕はすごくがっかりしたんです。この小説、ひどいなと。正気に返って終わりなんて、ものすごくつまんなくなっちゃうじゃないですか。 中沢 夢オチじゃあねぇ。 太田 俺たち読者が今まで長い間楽しんできた物語を、そんな終わらせ方するなんて、ひどいじゃないかと、突き放されたような感じがしたんです。憲法九条の改正問題にも、これと似たような感覚があるんです。九条を改正したら、日本は正気に返ったドン・キホーテになっちゃうんじゃないか。最後の場面で落胆したように、この世界がいきなりつまらないものになってしまう気がするんですね/憲法九条を持ち続けている日本というのは、ドン・キホーテのように滑稽で、しっちゃかめっちゃかに見えるかもしれないけれど、やっぱり面白い。 中沢 (略)太田さんがうまく言ってくれたけれど、日本が世界の中でも珍品国家であるのは、ドン・キホーテのような憲法を持ってきたからです。サンチョ・パンサだけではできていなかった。僕は現実家としてサンチョ・パンサが大好きです。「旦那はそう言うけど、あれば風車ですぜ」と言って現実的な判断をしてくれる人がいることは大事なことです。戦争はこれを永久に放棄すると言っても「ミサイル撃ち込まれたらどうするんですか、旦那」と、言い続ける人たちがいることは必要だと思います/ただただ平和憲法を守れと言っている人たちは、日本がなかなか賢いサンチョ・パンサと一緒に歩んできたのだという事実を忘れてはいけないと思います。そのことを忘れて現実政治をないがしろにしていると「旦那を殺して俺の天下に」と、サンチョ・パンサだけが一人歩きしはじめる危険性がある。日本国憲法というドン・キホーテは、戦前の国家主義的ドン・キホーテよりもずっといい考えをしています。ドン・キホーテ憲法とサンチョ・パンサ現実政治の二人が二人三脚をしてきたゆえに、日本は近代国家の珍品として、生き抜いてこれた。だからこの憲法は、まさに世界遺産なのだと思うのです。 |

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