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今から28年前、こんな事故(事件)があったのですね。
言葉が出ません……。
──≪引用ここから≫──
1977年9月27日 住宅地に米軍機墜落
1977年9月27日に起きた横浜米軍機墜落事故を知っていますか?
そんなタイトルの集いが17日、横浜市で開かれた。
「憲法行脚の会」が主催した。
事故で娘と2人の孫を亡くした土志田(どしだ)勇さん(80)=同市青葉区=が
当時の様子やその後の経過について講演。
事故を素材にした絵本「パパママバイバイ」の原作者でもある作家の早乙女勝元さん、
評論家の佐高信さんが加わり、教訓を今後にどう生かしていくか話し合った。
当日の模様を報告する。
(小石勝朗)
皆さんにこの事件を通じて、
平和の大切さをいま一度考え直していただけたらという思いです。
米軍のファントムは、厚木基地を飛び立つと同時に火を噴いたそうです。
午後1時20分ごろ、飛び立って約3分後に青葉区(当時は緑区)の荏田町の上空に来たそうです。
墜落の約4キロくらい手前で2人の搭乗員は緊急脱出し、飛行機は無人のまま落ちたわけです。
5軒の家が全半焼し、9人が重軽傷を負いました。
重傷の5人のうち、私の長女和枝の2人の子どもは3歳と1歳。
熱さというか痛さで暴れ、ベッドに縛られて「お水をちょうだい」と言い続けたそうです。
「パパ、ママバイバイ」
2人の子どもは事故の翌日の未明、相次いで息を引き取りました。
体中を包帯でぐるぐる巻かれ、兄の方は「パパ、ママ、バイバイ」と一言残して。
弟も覚えたばかりの「ハトぽっぽ」の歌を口ずさみながら。
和枝は「皮膚移植をするより方法がない。皮膚がたくさん必要」と言われ、
1500人近い方に提供の申し出をいただきました。
移植の後遺症というか、のどに炎症を起こした結果、呼吸困難に陥って、
のどから呼吸をするように管が入れられました。
声が出なくなっちゃいましてね。
かすかな声で「もう一度・・・」
子どもの死は、あの状態では告げることはできないと見守ってきました。
少し回復してきたら「子どもの写真を撮ってきて」「声をテープにとってきて」とせがまれます。
夫は「子どもは元気で頑張っているよ」と言っていましたけど、
そのうちに「納得できない」と言い出し、事故から1年4カ月後に告げることにしました。
「実は翌朝亡くなってしまったんだ」と言いましたら、「うそでしょう」と信じようとしないんですね。
30分くらい泣いていたように感じました。
最後に一言、かすかな声で「2人の子どもを、もう一度しっかり抱きしめたかった」
という言葉が漏れてきました。
その日の日記に「一番悲しいことを聞かされた」と書いてありました。
2人の子どもの名前と死亡時刻を記してありました。
81年に勧めがありまして、精神科単科の病院に転院することになりました。
転院して1カ月後、早く正常に戻そうと、のどの管が抜かれ、その3日後に呼吸困難で亡くなりました。
あれほど苦しんで、ようやく回復に向かったところでしたので、残念でなりません。
私は遺体を引き取る車の中で1人で「これから何をしてやったらいいのかな」と一生懸命考えました。
本で像で福祉で「伝えていこう」
まず事故の経過を本にして残してあげよう。
子どもの死を知らせた時のかすかな声がずっと耳に残っており、
「2人の子どもを抱いた像をつくってあげよう」とも思いました。
たくさんの人に皮膚をいただいて、
「元気になれたら福祉の仕事のお手伝いをしてご恩に報いよう」
と話したことがありました。
福祉の仕事を私が代わってしようという思いも胸にしました。
和枝の葬式の3カ月後に「あふれる愛に」という本を出版することができました。
母子像は「公の事故で亡くなったんだから、せめて公園に置かせてほしい」と横浜市に相談しました。
設置条件が示され、和枝の像ではなくて一つの芸術作品としてつくり、碑文は書いてはいけませんよと。
個人が寄贈する形で市に移管して下さいということで、ほぼその条件をのみ、
85年1月、港の見える丘公園に「愛の母子像」として設置できました。
福祉の仕事は「施設をつくるには広い面積と設置者負担金がいりますよ」という話でした。
横浜市から「小学校の廃校が一つあるので、その跡を施設用地にしてもいい」
ということで、この土地に知的障害者の施設をつくりました。
当初の定員は50人で、今は100人近くが通っています。
このたび、事件の経過を「『あふれる愛』を継いで」という本にして出版しました。
悲惨な事故が二度と起こらないように、平和な世界が保つようにという思いです。
3氏語らい
早乙女勝元氏
この春、沖縄にいる自分の孫の顔を見たさに那覇に行って、沖縄国際大学の跡地を見てきた。
去年の8月、米海兵隊の大型ヘリコプターが墜落、炎上した現場だ。
道路一本隔てて住宅地で、まかり間違えば大惨事になった。
夏休み中で学生たちがいなかったのが不幸中の幸いだった。
うちの孫の頭上にも、いつ落ちてくるかもしれない。
落ちないという保証は絶対にあり得ない。
現実にアメリカの基地があって、訓練が毎日のように繰り返されているわけだから。
横浜で起きた米軍機墜落事件を思い起こした。
死んでいった幼子たちは、いま生きているとすると30歳前後になるはずだ。
うちの孫も1歳足らず。
改めてむごたらしさが迫ってくる気がした。
その時だけの事件ではないと思う。
米軍基地が沖縄にも日本本土にも、独立国のはずなのにこれだけびっしりと連なっている以上、
いつでもどこでも起こりうる。
決してひとごとではないことを、伝えていかなければならない。
佐高信氏
77年9月27日には、教師を辞めて経済誌の編集者をやっていた。
社会的意識みたいなのを眠らせて、日々過ごしていた時代だ。
贖罪(しょくざい)の気持ちで母子像に行ったり、
去年の9月27日の集会に参加したりして「あふれる愛に」という本を手に入れた。
この本を復刻して、いつ同じことが起こっても不思議ではない状況であることと、
日米安全保障条約がむしろ私たちの生活を壊している実例として訴えていきたいと思った。
早乙女氏
2人の搭乗員は火を噴いた瞬間に、機体がどこへ落ちるかくらいは十分わかったはずだ。
にもかかわらず、途中でパラシュートで降りてしまった。
この1機で積んでいたジェット燃料はドラム缶65本分だったと伝えられている。
それが街中に落ちればどういうことになるか、容易に想像がつくことではないか。
間髪入れずに自衛隊の救難ヘリが飛んで来た。
2人の米兵を乗せて、そのままさっさと基地へ戻った。
空中から来たのだから地上のことはよく見えていたはずだ。
重傷の2人の幼子をすぐ病院へ運んでいたら、何とかなったのではなかろうか。
佐高氏
沖縄国際大の事故の時、沖縄の二つの新聞が土志田さんの取材に見えたそうだ。
彼らにとっては他人事ではない。
土志田勇氏
私はその記者たちに
「あれから二十数年もたっているのだから対応がどう変わったのか」と逆に質問した。
話を聞いて、全く同じだなと、互いに同感だった。
佐高氏
いわゆる当局とのやりとりは?
土志田氏
米軍当局からは直接何もない。
和枝が亡くなった後、事故を起こしたパイロットの気持ちを聞きたいので、
手紙を出す住所を教えてほしいと頼んだ。
かなり長い時間がかかった後に回答が来た。
「軍籍を離れた者の居所は不明」という返事だった。いまだに理解できない。
早乙女氏
控室で土志田さんと、いつまでも忘れずに語り伝えていくためには、
未来世代にきちんと残していくべき常設のセンターがあったらいいですね、
という話をした。
私どもの東京大空襲・戦災資料センターは、民間募金で民立民営だ。
開館時にいらした土志田さんは
「和枝がいっぱい資料を残しているので、できれば和枝資料館めいたものがあれば」と。
これは土志田さんの夢なのかもしれないが、一歩が大事だろう。
横浜・米軍機墜落事故
77年9月27日午後1時すぎ、厚木基地を飛び立った
米軍のファントム偵察機が横浜市緑区(現・青葉区)の住宅地に墜落した。
土志田勇さんの娘、和枝さん(当時26)の息子の裕一郎君(3)と康弘君(1)が
翌日未明に相次いで死亡。
和枝さんも重度のやけどを負い、闘病生活の末、4年4カ月後に亡くなった。
勇さんは、和枝さんの遺志を継いで社会福祉法人を設立。
「和枝園」と名付けたハーブ園も開くなど「社会への恩返し」を続けている。
米軍機による県内の最近の事故(県まとめ)
89年9月 大和市にヘリコプターが不時着、植木を破損
92年4月 藤沢市に部品落下、屋根が損壊
6月 相模原市に部品落下、屋根が損壊
93年10月 座間市にヘリコプターが不時着
12月 海老名市に軽飛行機が不時着
94年1月 平塚市にヘリコプターが不時着
95年4月 鎌倉市にヘリコプターが不時着
97年6月 大和市で落下傘訓練中に住宅地に着地、家屋の一部が破損
12月 座間市に部品落下
98年6月 厚木市にヘリコプターが不時着
9月 平塚市にヘリコプターが不時着
02年9月 藤沢市に部品落下、屋根が破損
03年3月 相模湾上に部品落下
5月 秦野市にヘリコプターが不時着
04年7月 横浜市泉区にヘリコプターから銃弾が落下
8月 横浜市中区にヘリコプターが不時着
12月 藤沢市に部品落下、屋根が破損
05年2月 伊勢原市にヘリコプターが不時着
4月 2機が相次いで部品を落とす
7月 藤沢市にヘリコプターが不時着
米軍機による国内の最近の重大事故
(防衛施設庁まとめ、領海外の近海を含む)
00年11月 北海道沖で戦闘機2機が空中衝突し墜落、乗員1人が死亡
01年4月 青森県沖で戦闘機がエンジントラブルを起こし墜落
02年4月 青森県沖で戦闘機がエンジントラブルを起こし墜落
8月 沖縄南方の海上で戦闘機が墜落
04年8月 東京都・北硫黄島に夜間訓練中の偵察機が墜落、乗員4人が死亡
同 沖縄県の沖縄国際大学構内にヘリコプターが墜落
05年1月 神奈川県南東の海上で戦闘攻撃機が空母への着艦訓練中に海中に転落
asahi.com神奈川(9/22)
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