もーちゃんの部屋

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アメリカ大統領選挙はブッシュ氏が再選され、“悪夢の4年間”が続くことが決まったようです。


氏の再選に関しては、テレビ朝日「報道ステーション」や新聞記事(共同通信配信?)などで、米プロテスタントの福音派の厚い支持が指摘されています。


 http://www.tv-asahi.co.jp/hst/contents/special/041028.html


でも、私から見れば、何か違和感を覚えるのですが……。


私が知り、理解しているところでは、こうです。福音派の人々は、聖書はすべて神の言葉であると信じている(まあ、これは当然のことですけれど)。その聖書には、主の再臨について書かれている。再臨前の世の終末には様々な出来事があり、戦争もそのうちの一つである。聖書の預言の成就を促進することは、クリスチャンの義務である。従って、命を掛けてでも戦争をするのは、神の目からは正しいことである。


 この解釈が間違っていればご指摘ください。仮にこの通りだとすると、大変悲しい気持ちになってしまいます。「殺してはならない」というのはキリスト教にとって(また、他の大部分の宗教においても)“基本中の基本”のはずだし、旧約時代の聖戦を現代に適用するのは誤っていませんか?


ちなみに、アメリカのキリスト教会はイラク戦争について、賛否がが真っ二つに分かれていて、ブッシュ氏の所属する教会は、反対の立場をとっていると聞いたことがあります。


 さて、幾つもの国々がイラクからの撤退をし、又決定をする中、日本はいつまでアメリカの“犬”となって付き従っていくのでしょうか?


 「すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。」(テモテへの手紙第一 2:1〜3)


【補足】文中のリンク内(報道STATIONの特集)で“福音派の牧師”というのは、ビリー・グラハム師のことです。師は宣教のために来日したこともあります。20年ほど前でしょうか、関西では日生球場で伝道大会がありました。

セサミストリート

NHK教育TVで放送されていたSESAME STREETが今年の4月3日で打ち切られ、10月からはテレビ東京系で日本版セサミストリートが始まりました。放送終了についてNHKに抗議のメールを送ったところ、次のような返信がありました。


NHKでは今年4月以降も引き続き「セサミストリート」の新シリーズを放送するつもりでいました。ところが昨年夏頃、突然、番組配給元であるアメリカのセサミワークショップ側から一方的に「今後NHKとはセサミストリートの放送契約は結ばない」との連絡がありました。直ちにNHKは、新シリーズの契約更改に向けての話し合いを粘り強くおこないましたが、配給元の考えを覆すには至らず、交渉は不首尾に終わりました。そのため4月3日の放送が最後となり、以後は再放送もできなくなります。─後略─


以前にも一度、テレビの音声多重放送が普及し始めた頃に中断したことがありました(「生の英語に接する機会が多くなったため」という言語道断な理由で。)が、今回は事情が全く異なり、セサミワークショップ各国の事情に合わせた番組(ローカライズ版)を望んでいるようです。


日本でのセサミは1969年に試験放送を、翌70年に本放送を開始し、前述の中断期間を除けば30年以上にわたって続けられてきた人気番組でした。セサミで育った私にとって、日本版セサミには違和感があるのです。セサミはあくまでも英語でないと……。


これは私だけのこだわりかと思っていたらそうでもなかったようで、ある親友は、「英語放送でないから興味がわかないので見ない」と言っているし、我が娘(中1)の話によると、友達も昔のセサミの方が良かったと言っているそうです。


今のところオリジナル版の放送予定はないそうですが、配給元が考えを改め、日本でも再びオリジナル版が見られるようにと、心から願ってやみません

信仰告白…その2

しばらくそんなことが続いているうちに、BCLを通してキリスト教放送局に出会いました。「自分の探していたものがここにはある!」という直感のようなものを感じ、毎日熱心に放送を聴き、聖書も買い求めました。


聖書には、神は“聖書の神”唯一人であり他には存在せず、偶像は神ではないことが明確に示されていて、あの幼い頃の疑問が一気に解けました。また、人は死んでしまえばすべて終わりなのではなく、神を信じる者には“永遠の命”を与えられるという、輝かしい希望があることも分かりました。


聖書の言葉には矛盾がないばかりか、一字一句に説得力があります。そんな教えを、私は何の抵抗もなく信じるようになりました。


1982718日、聖書の言葉が私の心を捉えました。


もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」 (新約聖書 ヨハネの手紙第一 19節)


キリスト教の“罪”という言葉に抵抗を感じる人が多いと聞きますが、私の場合、自分は取るに足りない、不完全な人間だと思っていたので、当然生まれながらに“罪”を持った存在であると認識していました。そんな私を、「自分の罪を言い表す」だけで「その罪を赦し、すべての悪からきよめてくださ」るという神の語りかけに対し、私は従順に従うしかないと思いました。


そして2年後の19841223日、洗礼を受けました。

信仰告白…その1

今日は、私がクリスチャンになるに至るまでの出来事をお話したいと思います。


昔々。私がまだ小学校へ上がる前。家族・親戚で墓参りに行った時のこと。墓に手を合わせるよう祖母に促され、訳も分からず従うと、


「ほーれ、ご先祖さんが喜んではるわ。」と祖母。


「ご先祖さんって、誰? 何で喜んではるの? 何で喜んではるって分かるん???」と、その時私は不思議に思ったものでした。そう思ったものの、誰かに尋ねる訳でもなく、しかし何か釈然としないものが幼心にありました。


中学生になった頃からでしょうか、私は時々不思議な、そして不気味な夢を見るようになりました。一つは、宇宙空間のような真っ暗で何もない所で、巨大なウサギの化け物のようなものに追いかけられている夢。もう一つは、やはり宇宙空間のような所で私の手足がバラバラになって浮かんでいるという夢でした。


その頃の私は、自分自身はこの世に誕生する前はどこでどうしていたのだろうか、また、死後はどこへ行くのだろうかといった、疑問と不安がない交ぜになったようなことを考え続けていたので、これらの夢はそれを象徴していたのでしょうか。

BCLで変えられた人生?!

BCLがきっかけで、私は次の二つの点で人生が変わったと思っています(ちょっと大袈裟かな)。


先ず第一に、英語をはじめとする外国語や海外に対する興味がより一層深くなったことです。もともと“SESAME STREETを毎回欠かさずと言っていいほど熱心に見ていた私でしたが、さらにこのBCLで外国好きに拍車が掛かったようです。


そして第二に、キリスト教に触れ、クリスチャンとなったことです。


日本向け日本語放送の中にはキリスト教放送局が当時から幾つかありましたが、特に私は韓国・済州島から送信されているFEBCをよく聞いていました(番組制作は日本国内で行われています。これは放送法で、宗教団体や政治団体は放送局を持つことが許されていないためです。ただし、録音スタジオを持つことは許されています)。


放送を聴いているうちに、幼い頃から感じていた疑問(→信仰告白…その1をご覧ください。)や、「自分は生まれる前はどこでどうしていて、死後はどうなるのだろうか」という疑問に対する答えがここにあるのではないかと確信し、自ら聖書を買い求め、熱心に読み続けました。そして、FEBCの紹介で教会に通うようになり、受洗するに至りました。

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