ちょっとお出かけ(ドイツ内)

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ドイツ国内、世界的観光地からマイナーな観光ポイントまで。
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42号線でライン川右岸を北上
ローレライの岩を過ぎると、川に流れは静かになり
ザンクト・ゴアースハウゼンの町です
後方小高い丘に猫城


カッツェンエルンボーゲン(ねこの肘)と言う名の村があり
そこにある丘陵地にはじめ居城が建てられました
この城主は、通行税を目的に対岸(左岸)に
ラインフェルス城http://blogs.yahoo.co.jp/shampoo1105/57291658.html
を建てますが
このエリアの川幅は広すぎたためもう一方の右岸にも関所が必要だと考え
更に建てられたのがこの猫城
元々は。新猫の肘城と言う名前だったそうですが、
長いため 猫城と呼ばれるようになったとか。

1度フランス軍による破壊のため荒れ、取り壊されましたが
1896〜98年に再建されています

現在のオーナーは日本人でしたね

そしてネズミ城

対岸のラインフェルス城が出来た事で不利になったトリアーの大司教選帝侯が
建てた小さい城
当時はペータース・エック城
その後ドイエルン城 と呼ばれていましたが
カッツェンエルンボーゲン家が1371年更に大きな城を建てたため
大司教の城をネズミ城と皮肉ったのです
それ以来この名で呼ばれています

その先には
兄弟同士争いあったシュテレンベルク城

画像では一方の城しか写っていませんが、ここには2つ城が並んでいて
その間には「争いの壁」と呼ばれる高い城壁があるそうです

こんな伝説があります

シュテレンベルク城に生まれた兄弟2人は母親を早く亡くしたので、
世話をする若い女性を雇いました
2人も思いを寄せましたが、結ばれたのは弟。
しかし直ぐに十字軍遠征で城を離れます。
乙女は帰りを待っていましたが、やっと彼が帰ってきた時にはギリシャ人の
妻を伴ってきました。
父親は隣に新しい城リーベンシュタインを建てますが、兄は怒りその城を高い塀でさえぎりました。
ついに兄弟は剣で戦う事になってしまい、仲裁に入った乙女に剣がささり、
兄弟2人と主に死んでしまいました。
父親も驚きのあまり死んでしまいました。  とさ。

本当の所は、神聖ローマ帝国直属の城として1100年頃建てられた物で、
隣のリーベンシュタインはその100年後築城
その100年後に目隠しとして「争いの壁」が建てられたそうです

いまは、一部レストランになっているようです


もう少し北へすすむとブラウバッハの町
高台にはマルクス城

侵略や破壊から守ってくれた守護聖人マルクスにちなんで名づけられています
1150年築城
その後城主が変わるごとに増築が繰り返されています
堅い守備によりフランス軍がライン川の城をことごとく破壊した時も
このマルクス城だけは残ったのです

現在は博物館になっています



とても全ての城を観たり撮影したりは出来ない、
古城のあつまるライン川両岸です
駆け足では有りますが、両岸を往復しながら
歴史と文化と秘められた物語を肌で感じました。

また機会が有れば、訪れていない城の内部も見学したいですね

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リューデスハイムを後にし、42号線を北上 ライン右岸を走ります

リューデスハイムの直ぐ横の高台にはエーレンフェルス城
エーレンフェルス(名誉の砦)の名ではありますが
今は、廃墟となり 外壁だけ


ライン川には、再びねずみ塔が岩礁の中州に見えます

伝説では、
マインツの大司教ハットーがライン川を往来す船から
通行料を巻き上げるために建てたと言われています

しかも、こんな言い伝えまで・・

ハットー大司教は、農民から穀物収穫の10分の1の税金を取り立て
マインツにある米倉に蓄えていました。
ある不作の年、農民が押しかけ懇願したため、大司教は穀物の支給を約束しますが、
農民達を倉の中に閉じ込め、全員焼死させてしまいます。
このとき、ねずみだけが逃げ出し大司教の屋敷を遅い、全ての物を食い尽くしまいました。
大司教は、川の中洲なら安全だろうと思い渡し舟に乗りますが
ネズミの群れが後を追い、大司教を食い殺してしまいました。  とさ。

でも実は、

マインツの選帝侯が通行税を取り立てるために建てた物で、
マウト・トゥルム (関税塔)の名を マウス・トゥルム (ネズミ塔)と
面白おかしく呼んだために、現在もねずみ塔と呼ばれるようになったそうです

信号塔として使われていた時代も有ったようですが
今は、コウモリしか住んでいないそうですよ。

そして、
アンスマンハウゼンを過ぎます

リューデスハイムから出ているリフトで結ばれているニーダーヴァルトの丘から
チェアーリフトでアンスマンハウゼンまで降りてくる事も出来ます



このまま進むとカウプの町 バッハラッハの対岸です
かつては、ライン川の難所を避けるために1度リュー出るハイムで下ろされ
荷馬車で運ばれた荷物は、この辺りで再び船に積み戻されていました

川の中州に再びプファルツ城 又の名を グラーフェンシュタイン城 を
逆向きに見ます

背後にはグーテンフェルス城
善の岩と言う意味
30年戦争でスウェーデン人とスペイン人の争奪戦が繰り返された末、破壊されてしまいました。
修復された後は、負傷兵の養老院として使われ、
現在はホテルになっています


このまま北上し再びローレライの岩へ


続く

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傾斜地に葡萄畑が広がるリューデスハイム

ラインガウ・ワインの産地として知られるワインの町です
ラインの真珠などと呼ばれることもあるそうで・・

かつては、「ビンゲンの穴」と呼ばれ川幅が狭くなり、岩礁が横たわる
部分(ねずみの塔のある辺り)の危険な航行を避けるため、
船荷をリューデスハイムで一度おろし荷馬車で少し北のロルヒ ROLCH まで
運び再び船に積み込んでいたそうです

この町でよく知られているのは、つぐみ横丁
100m位の細い小道にワイン酒屋やレストランが集まっていて
沢山の観光客でにぎわっています

川岸には、ブロムザー城 現在はワイン博物館になっていますね。
かの作家ゲーテも訪れているそうです
今は、ここから少し離れた所に建っている白い塔 アドラー・トゥルム
城砦の1部でした。

ゴンドラに乗りニーダーヴァルトの丘へ、足元に広がる葡萄畑を見下ろしながら行くと
そこには女神ゲルマニアの像
1871年ドイツ帝国再建を記念して、国民の寄付により建てられた物です。
台座部分には兵士・領主・皇帝ヴィルヘルム1世などなど約200人の
等身大群像のレリーフ
ココからの眺めは最高です。
台座25m+像10.55m で、川や対岸からもその姿が見えます


さて、今度はココから9号線を北上 ライン右岸を行きましょう


続く
 

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ライン川沿いの古城群にはそれぞれに物語があり、皇帝や選帝侯・侯爵間の争い
後世のフランス軍侵攻の歴史を物語っています

ゾーンエック城もその1つ
ライヒェンシュタイン城と同じ僧院が所有する城でした
金持ち貴族とそれを嫌う皇帝館で争いになり焼かれたり
プファルツ公爵とマインツ選帝侯間の争いで
何度か破壊されたり再建されたり・・

ライヒェンシュタイン城は、ライン川沿岸の城の中でも古い物になります
11世紀築城
何度か盗賊の巣となっていた事もあったようです
1282年ライン都市同盟やハプスブルグ家ルドルフによって盗賊騎士団は攻撃を受け、
城は焼き払われました
1899年個人所有になり改築

現在は、1部レストランになっています

ラインシュタイン城
1000年頃には既にこの城は有ったそうですが
1200年頃には、マインツ大司教管轄の裁判所になり、
1282年 ハプスブルグ家ルドルフ帝は
ライヒェンシュタイン城とゾーンエック城の領主に死刑の判決を下し
首吊りの刑にしたとか・・

その後マインツ選帝侯は、ここをプファルツ侯爵に対抗する拠点とし
守護城を呼ばれるようになるも、
1632年には廃墟
1825年 プロイセン、ルードヴィッヒにより再建、ラインシュタイン城と命名

現在城内は公開されています


これらの城を過ぎ

ビンゲンの町に入ります

ローマ時代に、マインツやコブレンツ、トリアーやクロイナッハへ通じる道の
交差する場所に要塞が築かれました

その要塞を土台にクロップ城が建てられ、塔と城壁によって町が固められます
それでもビンゲンは3度も破壊され、遺跡は残っていないとか。

1711年に敵が潜まないよう、マインツの軍によって破壊
1879年再建
現在は市庁舎であり、郷土博物館です

そのクロップ城から川を見下ろすと、中州にねずみ塔が見えますね
この辺りは最も深く「ビンンゲンの穴」と呼ばれているそうですよ

このまま9号線を進むとマインツの町に入りますが

http://blogs.yahoo.co.jp/shampoo1105/45743816.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shampoo1105/45746908.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shampoo1105/45791355.html
http://blogs.yahoo.co.jp/shampoo1105/45809136.html

フェリーに乗ってライン川を横断し、対岸のリューデスハイムに参りましょう


 続く

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ローレライの岩の対岸を過ぎると
オーバーヴェーゼルの町とシェーンブルク城

オーバーヴェーゼルは、中部ライン地方でも最も塔が多く
「塔とワインの町」と呼ばれているようです
そしてその高台にシェーンブルク城 1166年
その姿の美しさにシェーンブルク(美しい城)と命名されたそうです
子供が独立するごとに館や鐘楼を建てたため6つの塔があるそうで、
やはりここもラインの通行税で富を集めた城です


対岸の町カウプとの間の川の中州には、白い税関城のプファルツ城
船のような形をしています
流氷や洪水にもびくともせず、過去650年1度も敵の手に落ちた事は無く
立て直すことも無かったとか。
現在見られる様子も1750年に手を加えたままの状態で
城内の見学も出来ます。


そしてバッハラッハのかわいらしい町
町の直ぐ上には、シュタールエック城

さらに
ヒュールステンベルク城
ゾーンエック城
ライヒェンシュタイン城
ラインシュタイン城  と続き

ビンゲンの町へ向かいます



続く


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