|
自分スタイル♪
[ リスト | 詳細 ]
|
|
昨日はビーズ認定同期の小林さんがやってらっしゃる
自宅サロン&カフェ『利休』さん
へ遊びに行ってきました〜♪
2010年12月にオープンされて はや1年
地元のマダム達の憩いの場になっているご様子で
毎月、月代わりで色々な手仕事アートの展示会ももよおされています。.
。
。
。
利休さんには昨年末以来 久々にお伺いしたのですが
喋る事といえばやっぱりビーズの事。
昨日は最近の私の悩みをエンエンと聞いてもらいました。
その悩みとは…
ビーズのお仕事をするにあたって私が目指しているのは『手芸に見えない完成度の高さ』なのですが、
どうやら 生徒さんやキットを買って下さるお客さまは、そんな完成度の高さを求めていないんじゃないか?ってことでした。
だれもが手軽に始められるビーズだからこそ
『手軽=簡単=垢抜けない』 の方程式を 『手軽=簡単=でもオシャレ』
にかえられるような作品を作ってきたつもりですが、どうも一部の方にしか支持されていないようで、
最近の私の頭の中では・・ナゼ??ナゼ??ナゼ?・・ のクエスチョンマークがうずまいていたんです。
それを小林さんにぶつけたところ「手芸に見えない完成度の高い作品って、せっかく作っても『買った』と思われちゃうのがダメなんじゃない?」と 思ってもみなかった答えが返ってきました。
楽しんで作る=お出かけに付けて行く=友達に「作ったの?!』と絶賛される=嬉しい♥
そうなんだ!
自分で作ったっていうのがお友達にわかるような『手芸感』が残ってないから
大勢に支持されないんだ〜!!
。。眼から鱗。。
手芸に見えることが大事だったのね…
手芸に見えないような作品を作ってきたつもりなので
ある意味 ショッックです。
ガ〜ン
手芸感を消すのは簡単だけど、残すのって難しい。
すんごく難しい課題に直面してしまいました。
さて…
どうするアタイ??
☆ |
|
難しいことを書くつもりはないのですが
このカテゴリーはチッと語っちゃう
・・かも
いえ・・語ります
で、「何でアクセサリーだったんだろう?」ってことですけど、
それはやっぱり「全責任が自分にない」ってことに尽きますな〜 フォッフォッ…ふぉっ〜
前にも別のカテゴリーでチョコっと書いた事があるかと思うんですけど、
私の両親ともに「器用な家系」で その両方のDNAをいただいているので、
いわゆる 指先・家庭科系。。。
包丁にぎっても、ミシン踏んでも、編み針持っても、針糸持っても、、、絵筆持っても、、
得意不得意に関わらず 〜自分的には苦手でも〜
ソコソコ人並みに出来てしまったり… イヤミだねぇ…
あ、和裁は××でした。
それはね、縫うのは上手なんだけど
数字に弱いので 普段使う事のない寸尺 を使いこなせなくて、
出来上がりが信じられないサイズだったり、、
指芸以外の事でダメダメだったのダっ。 oh
だけど そのどれも素材から「自分で組立てていく」っていう
ある意味、出来映えの善し悪しの責任が 全部自分の才能 っていう コワサがあると思う。
それに、どれも一度失敗すると 途中からの手直しに苦労するものばかり。。。
でも、アクセサリーって 素敵な素材をみつけてきて組み合わせればいい っていう
バイヤー力とコーディネイト力が出来映えの半分以上を占めているので、
素材力半分、自分の才能半分、要するに半分の責任でいい! と勝手に思ってます。
そういう意味では ファインジュエリーも同じ。
良い石があれば 半分以上はその石の持っているオーラが素敵な出来映えを持って来てくれる。
デザインの責任は、そのオーラを邪魔しない事だったりするし、
自分で作らないデザイナーの場合は 画がヘタでも デザインがヘボでも
腕のいい職人さんがすべてをカバーしてくれたりもする。
それに私は 色々実験しながら作っていくやり方が好き。
実験には失敗がつきものだけど、
アクセサリー制作の場合は失敗しても、そこからすぐに 気軽に やり直せるのも〜 楽でイイ
そうやって とことん自分の納得がいくまでいじくり倒せるところが
執念深い性格にあってるんじゃないかしらん。 今思えば…
アマアマ根性無しなので、、『責任』が嫌いだったのかも。
う〜ん、責任っていうよか、自分の才能を評価されるのが怖かったのかもね〜
今はね、、もういい歳こいてますし、それなりの修羅場もくぐって来ましたのでね、
責任大丈夫ですし、評価されるのも怖くなくなりましたけど。。
そういえば近年、全責任は私が取りますから! な〜んてカッコ良く言い放ったこともあったな〜
でも、その場合の全責任って何だったんだろう? nazo。。
というわけで 志を持って飛込んだ世界なのに
自覚のなさゆえのヘタレ根性で 早々に尻尾を巻いて逃げ出しはしましたが
それでも『アクセサリー』が性にあっていたんですね。
ファインジュエリーから アクセサリーへ
扱う素材はかわりましたが 好きこそ物の上手なれ! で
ここは根性をもって歩いてきたわけです。
だんだんね。。
誇大妄想から等身大の自分へ…
というオチでございました。
|
|
難しいことを書くつもりはないのですが
このカテゴリーはチッと語っちゃう
・・かも
いえ・・語ります
一番最初にアクセサリーの世界に入ったきっかけは ジュエリーデザイナーになりたかったから。。
じゃあ…
なぜジュエリーなの? お洋服じゃなかったの?
。
。
。
この間部屋を整理していたら 小学生の頃書いた「将来の自分」っていう作文が出て来て
それには「デザイナー」って書いてあったの。
子供の頃の夢は 確か「考古学者」だったと記憶していたけど、
書いた学年からみるとその後になりたいと思ったのがデザイナーっだったらしいのね。
その頃は単純に デザイナー=洋服 だったんだろうけど、
小学生の頃 〜五十路女の小学生時代ですからかれこれ40年前のお話ですナ〜
すでにデザイナーになりたいと思っていたんだ〜
とすっかり忘れていただけに、ちょっとビックリ。
そして時は流れて… 高校時代。
その頃、毎日一緒にいた友人が超のつくオシャレさんで、
それまでアクセサリーとか興味なかったのに 彼女の影響で アクセサリーに開眼したのを覚えてる。。
ちなみにその彼女とは10年位前に犬を通じて再会。。何年たってもオシャレな女で嬉しかったな。
話はもどって… 時代は LAブーム。
サーファーファッションが大流行の兆しを見せ始めた所で、
高校生なりに頑張っていた。。つもり。
なので最初に目覚めたアクセサリーはシルバー&インデアンジュエリー。
ターコイスばかり身につけていたっけ。 〜ターコイスは今でも好き
まわりの友人達もみんなそうだった。
でも、その超がつくオシャレさんは 私達が必死こいてシルバーアクセサリーを買っていた時に
サファイアのプチリングをつけていたり、カルティエの3ゴールドをさりげなくつけていたり、、
ゴールドのロングチェーンを何本も胸にゆらしていたり、、
一歩先行く感じで眩しかった。
ああ、大人っぽくてカッコイイな〜 宝石ってババ臭いと思ってたけど違うんだ〜
と ある意味カルチャーショックを受けていて
自分では気が付かないうちに 興味がジュエリーに向っていたんだと思う。
そんな多感な高校時代を過ごし、短大生になり、父に連れて行ってもらったニューカレドニア。
そこの免税店のショーウインドーに 小さい南洋真珠とルビーを使ってゴールドの枝に小花を咲かせ
ダイアがこぼれ落ちる朝露のようにデザインされたプチネックレスを見付けて 一目ぼれ。
そんな自然をモチーフにした さりげないジュエリーを見たのは生まれて初めてだった。
心が震えた
自分とは違う世界のものに魅せられて、欲しいとは思ったけれど、高級そうで買えるとは思えなくて
値段を聞く事も出来なくて、ただ見惚れているだけで終わったんだけど
「欲しい」が「ああいうアクセサリーを作れるようになりたい」
に変わるのに時間はかからなかった。
その出合いが「ジュエリーデザイナーになりたい」の種だったと思う。
。
。
。 そして…短大生だった私は その旅行の後
「あと2年学校に行かせて欲しい、4年制大学に行ったと思えばいいでしょ!」
と 突然 強引に親にお願いして
学校卒業したら「嫁入り修行でもさせて見合いでもさせんべ」と思っていた親にとっては
青天のへきれきのワガママを言い、全日制の宝石専門学校に入ったわけです。
初めて自分でやってみたい、勉強したい、と思ったことだったから、一生で一番勉強もしましたよ。
おかげで 〜ウソみたいだけど〜 デザインの成績はバツグンに良かった。
制作は××だったけど…
器用なのにナゼ××?と思うでしょ?
それはね… 言い訳になるけれど…
手指、手首を安定させる握力と腕力がないから ヤスリを平均的に真直ぐかけられなかったからなの。糸鋸も上手に引けなかった。。
この二つは致命的な欠点で、何を作ってもきたない物しか出来上がらなかった。。
光を反射する金属は 安定しない手先の欠点をキラキラとあぶり出してくれて
自分でも情けないほどヘタクソ……
こりゃ〜 ジェリー作家にはなれない、とあきらめもついたけど。
数年前その学校の学校案内を見る機会があり びっくりしたのは、
そこに若かりし日の私の写真がいまだに使われていたこと。。
校長とも仲良しで飲みに連れてってもらったっけな〜
何かね、成績よかったから先生受けも良かったんだよね。
それで…
デザインが(学生の割には)上手かったから
ちょっと …だいぶ…相当… 天狗状態のまま就職してしまって、
本当の社会の厳しさにガツンとやられ、
アマアマ根性無しだったからすぐヘコたれて挫折。。
その会社は人気があって2〜3次試験まであり、何人もの人を押しのけて合格したのに。。
辞めるって決めた時は 就職の保証人になってくれたおじちゃまに コンコンと説教され、
それでも…どうしても辞めたかったので 謝りまくって辞めたっけ。
あの時、もう少し根性すえて頑張っていたら今頃私、どうしてたかな?
デザイン室長くらいにはなれていて、部下もいたのかな?
ちゃんと勤め上げていたらもうすぐ定年。。退職金なんてタンマリあったのかもね。。
なんて時々妄想したりもするけど。
とまあ、若気のいたりでグ〜タラ人生に半分足を入れるわけですが、
企業デザイナーとして挫折したからといってジュエリーをすっぱり捨てられたわけではなくて、
ファインがつかないジュエリー。。要するに アクセサリー作り は好きだった。
材料は安価で 作るの簡単だし。。
そんな手軽さが性にあっていたのか 今までずっと続けてこられたんですよね。
そのおかげでブライダル関係のお仕事も出来て、
ティアラ や ネックレス、イヤリング、グローブ とか シュークリップ とかバッグ とか・・・
女子大好き
花嫁さんの介添えでは毎回感動させてもらい、幸せのお裾分けをいただいていた。
それより何より 泣くほど喜んでもらえるのはもっと嬉しかった。。 とっても 。。
けれど、人様の『一生に一度』は それはそれは重く、
根が真面目なので、天使の羽根ほどの軽さの失敗も許されないことがだんだん辛くなるし。。
極度の緊張からくるストレスで 胆石の発作に悩まされ、甲状腺の病気になっちゃうし。。
世間はバブル崩壊でジミ婚時代に突入し 予算は削られるし。。
であえなく敗退。。
やっぱり アマアマ根性無しは常に健在なのでした。
今の私だったら「アナタ、ツメが甘いからそうなるんですよ」としかってやりたいその時の自分。
そうやって ン十年 ずっと、ずっと、ヘタレの根性無しで生きてきたけれど、
そんな私でもずっと続けれこられたのが
やっぱり アクセサリーを作る事。。だったってわけです。
その2へつづく〜
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


