「いのちの食べかた」という映画を知っていますか?
映画の始まりから終わりまで、普段食べている料理の食材が、どうやってできているのかが淡々とスクリーンに映し出されます。牛乳、卵、パン(麦)、塩、パプリカ、白アスパラ、キュウリ、オリーブ、レタス、リンゴ、鮭、鶏肉、牛肉、豚肉、、、ナレーションがなく、観ている人それぞれが自分で意味を考えます。
ここからは僕の感性で咀嚼した理解です。スクリーンに映し出される映像を観ながら、こんな事を考えていました。
何気なく食べているものには、それぞれいのちであること。いのちを作る機械、人が居ること。いままで観たことが無かった屠殺(とさつ)する装置を観ることで、あらためてリアルに感じました。
人は産業革命以降急速に工業化が進み、そのものづくりの技術が進歩する中で機械/装置によって何もかも大量生産をすることができるようになりました。人の生活が豊かになりました。ご多分にもれず食料も農薬や飼料、耕作機械、物流など様々な科学技術が導入され、いのちの大量生産が可能になりました。
野生の動物は、自分が生きていくのに必要な分だけのいのちを食べます。昔の人たちもそうでした。
でも食糧生産の技術が進化するにつれて、潤沢に食糧が確保できるようになり、大量のみこみ消費を考えて食べないいのちも作るようになりました。人と自然との食物連鎖のなかで、歪みが大きくなり、また、経済的に豊かな国と、そうでない国とで歪みが大きくなっています。
日本は食糧自給率が低く、1年間で肉を300万トン食べるそうです。また、日本人が一年で残飯として捨てている食料は全部で11兆円分もあるそうです。
一部の残飯は肥料や飼料として再利用されますが、ほとんどが捨てられます。
日本人はもっとも大きな歪みを作っていると言えます。
確かに、テレビをつければどこかのチャネルでは必ず食事のシーンが出るし、大食い番組や大食いタレントがもてはやされています。年末になるとやたらとラーメンの特番が出たり。メディアもいのちの消費を煽っているといえるでしょう。
食事は必ず取らなければならず、どうせ食べるなら美味しいものが食べたい。そう多くの人が思うでしょう。ご多分に漏れず、僕もその一人です。
あの映画を観てから、自分が口に入れるものがどのような過程でできているのか、食べ物が目に映った瞬間に、ものすごいスピードで巻き戻しされる途中途中の映像がフラッシュバックするようになった。
「いのちの食べかた」
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/
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