自然に生かされる人間

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このブログについて

昨年、訪れた沖縄の慶良間諸島(けらましょとう)は本当に美しかった。那覇から船で少し行くだけで、
こんなに美しい自然を見ることができる。
幸せだと感じた。慶良間(けらま)の自然の中で沖縄の人たちと話をしているだけで、
夢のような時間が過ごせる。
心はかすかに聞こえてくる波の音のように穏やかになれる。
この慶良間の自然が永遠のものであって欲しいと、
そして、多くの人たちがここを訪れて幸せな時間を過ごして欲しいと思う。

しかし、私には最高に美しく見えた慶良間の景色も以前よりは美しくないと
島人(しまんちゅ)(沖縄の地元の人たちは自分たちをこう呼ぶ)は言う。

それは、自然の決まりに鈍感になってしまった現代の人間がその場所を訪れ、
自然が壊れていくことに、あまりに無神経で無知であることが理由なのだ。

私たちと自然は切り離しができない。そもそも、人間も自然の一部として生かされているのである。
美しい海を見ていれば、人間の心は洗われていく。
山を見ていれば、大きな勇気を授かることができる。
人間の奥深くに潜んでいる本能がそういう感覚を呼び戻して正常にしてくれる。
そんな風に感じるのは私だけではないはずだ。
その生かされている空間を自分たちで壊すことなく、よりすばらしいものにしていくために、
私たちは自分たちができることをしていかなくては...そういう思いが私の中に強く残った。

「スタバではショートを買え!」

このタイトルを見て、あれ?なんかおかしいなと思った方。
そう。今ベストセラーとして書店で売られている本の名前と似ています。

本来の本の名前は「スタバではグランデを買え!」です。

本の中身に出てくるスタバの例はほんの一部ですが、気になるので。

グランデを買うと、スタバにとっても買う人にとっても得だという話。

一杯のコーヒーの原価は、ほとんどが場所の賃貸や人件費などで、コーヒーやその他の材料費が占める割合が低い。だから、単価が高くてなるべく量を消費する=仕入れ量を増やして仕入れ価格を下げる方が、コーヒーショップに取ってコーヒー一杯の原価が下がって利益が上がることになる。

ショートサイズに比べて、グランデは量が二倍であるにも関わらず、100円しか価格が変わらないことから、消費者にとっても量/価格がお得ということです。

ざっくりですが、たしかこんな感じで「グランデを買うのはwin winの関係だ」というロジックだと思います。このロジックは他の外食でも言えることです。

なるほどな。へーと思います。取引コスト、ものの原価、規模の経済ってやつ。

でも、ちょっと待って。

グランデは本当に必要でしょうか。そんな量を飲んだり食べたりする必要が果たしてあるでしょうか?

大量消費の見込みにあわせて、生産者もいのちの大量生産をする。もちろん、見込み生産なので、見込み違いのいのちは食べられることなく、捨てられていく。また見込み通り生産しても賞味期限だなんだで多くのいのちが捨てられる。

ファブリケーター(食材を使って料理して販売する人たち)は、古くさい資本主義のゲームにのっかって、本来必要ないいのちを消費している。

それを当然正しいことだというのは、「企業は利潤の追求にその存在意義がある」という資本主義の印籠を偏った形で理解している人たちだと思います。

当然会社は利益が無ければ存続できません。でも利潤=利益=粗利益!という図式は古くさい価値観で、利潤とは社会的責任やモラル/倫理観の上にある。

消費者を正しい方向へ導くのも、企業として大変重要な要素だと思います。

また、消費者も必要の無いものは買わない。食べない。

「スタバではショートを買え!」

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「いのちの食べかた」という映画を知っていますか?

映画の始まりから終わりまで、普段食べている料理の食材が、どうやってできているのかが淡々とスクリーンに映し出されます。牛乳、卵、パン(麦)、塩、パプリカ、白アスパラ、キュウリ、オリーブ、レタス、リンゴ、鮭、鶏肉、牛肉、豚肉、、、ナレーションがなく、観ている人それぞれが自分で意味を考えます。

ここからは僕の感性で咀嚼した理解です。スクリーンに映し出される映像を観ながら、こんな事を考えていました。

何気なく食べているものには、それぞれいのちであること。いのちを作る機械、人が居ること。いままで観たことが無かった屠殺(とさつ)する装置を観ることで、あらためてリアルに感じました。

人は産業革命以降急速に工業化が進み、そのものづくりの技術が進歩する中で機械/装置によって何もかも大量生産をすることができるようになりました。人の生活が豊かになりました。ご多分にもれず食料も農薬や飼料、耕作機械、物流など様々な科学技術が導入され、いのちの大量生産が可能になりました。

野生の動物は、自分が生きていくのに必要な分だけのいのちを食べます。昔の人たちもそうでした。

でも食糧生産の技術が進化するにつれて、潤沢に食糧が確保できるようになり、大量のみこみ消費を考えて食べないいのちも作るようになりました。人と自然との食物連鎖のなかで、歪みが大きくなり、また、経済的に豊かな国と、そうでない国とで歪みが大きくなっています。

日本は食糧自給率が低く、1年間で肉を300万トン食べるそうです。また、日本人が一年で残飯として捨てている食料は全部で11兆円分もあるそうです。

一部の残飯は肥料や飼料として再利用されますが、ほとんどが捨てられます。

日本人はもっとも大きな歪みを作っていると言えます。

確かに、テレビをつければどこかのチャネルでは必ず食事のシーンが出るし、大食い番組や大食いタレントがもてはやされています。年末になるとやたらとラーメンの特番が出たり。メディアもいのちの消費を煽っているといえるでしょう。

食事は必ず取らなければならず、どうせ食べるなら美味しいものが食べたい。そう多くの人が思うでしょう。ご多分に漏れず、僕もその一人です。

あの映画を観てから、自分が口に入れるものがどのような過程でできているのか、食べ物が目に映った瞬間に、ものすごいスピードで巻き戻しされる途中途中の映像がフラッシュバックするようになった。

「いのちの食べかた」
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

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