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ビリー・ホリデイ。彼女の名前を初めて目にしたのは、高校の上級生のころ。田舎道の電柱にくくりつけ

られた映画看板。ふ〜ん。ビリーザキッドの名前はビリー・ホリデイというのか。そういえばOK牧場の決

闘になんとかホリデイとかいたなあ。・・・・・聡明な皆様はすでに御存知と思いますが、この少年の頭

の中には、映画のビリーザキッドと映画のOK牧場が一緒に流れております。そしてビリーザキッドとド

ク・ホリデイが見事に合体し、超有名なウエスタン映画としてインプリンティングされたのです。

 その次に彼女に出くわしたのは、大学1年生1972年のことであります。もういっちょまえに、ジャズを

聴きはじめております。当時はディスコティック全盛期。シュープリームスのストップ・イン・ザ・ネイ

ム・オブ・ラブなんてよくはやっておりました。ダイアナ・ロスの拾い読み。やはり東京は田舎と違っ

て、情報に満ち溢れておりましたな。ビリー・ホリデイ物語主演。んっ??????ジャズ?女性歌手?

史上最高の?レディ・デイ?頭の中のスクリーンにバリバリっと音を立てながら、ひびが入り、がらがら

と音をたてて崩れていったのは言うまでもありません。青春には挫折がつき物なのじゃ。よ〜しビリー・

ホリデイだ〜と叫んでおおよそ100mを12秒を切るくらいの速さで、レコード屋に駆け込み、手にした1

枚。スピリット・オブ・コモドア・ジャズシリーズの「奇妙な果実/ビリー・ホリデイの伝説」Vol.2

もありましたな。(後に1939/4/20、1944/3/25、1944/4/1、1944/4/8の全録音を集めた、The Complete C

ommodore REcordings が世界に先駆けて発売されました。しかも44年録音は、当時の録音音源からダイレ

クトに録音するという偉業でありました。今はこれを聞いてます。)1939年にベイシーやショウから23歳

で独立した彼女は、カフェ・ソサエティというクラブの専属になりました。白人も黒人も同席し、しかも

一緒に出演まで出来るという、当時としては画期的な時代を先取りした素晴しいクラブでありました。バ

ーニー・ジョセフソンというマスターの店でありました。奇妙な果実。この曲は作詞ルイス・アレン(本

名エイベル・ミーアポル)作曲ビリー・ホリデイということになってますが、じつは作曲もルイスだそう

です。原曲名を「Bitter fruit」苦い果実といったそうな。小さな集会とかで、歌い継がれていたのを、

バーニーが聴きおよび彼女に紹介したそうです。あまり気が進まなかったがみんなの勧めもあり歌うこと

にしました。初めてクラブで歌った時のことが、自伝にありました。この歌を歌う私の精神を、皆が理解

してくれるかしら。この歌を皆が嫌うのではないかと心配していました。歌い終わっても一つの拍手さえ

ありません。やはり私の心配が当たったのだわ。そのとき一人の客が狂ったように拍手しました。その後

客全員からおおきな拍手があったそうです。革新的な自由の精神をもった作詞作曲家と、時代を先取りし

たクラブとそのマスター、ひとりの天才歌手。これらの出会いが、名曲を世に送り出しました。世の中よ

り20年ほど早くに、人種差別に抗議したのです。そしてその年39年4月コモドアのセッションで「奇妙な

果実」は録音されました。そしてこの曲は無名だった彼女を、スターにしたばかりでなく、生涯最大のビ

ッグセールスをもたらしました。

 幼少時の不幸な家庭、少女の頃の強姦体験、売春体験、冷たい監獄の暮らし、裏切りの愛、そして憎む

べきジム・クロウチ。それらの体験が彼女の歌唱に現れているはずです。ところが彼女は、独特のフレー

ジング、細かいヴィヴラート、少女のような声、そして聞き人に感じさせるふくよかさという幸せ、淡々

とうたうその姿が見えるようです。ほんとにふくよかなんです。声に艶があって、ゆたかなんです、一声

一声が聴き手の肌や心に、自然としみこんでくるのです。私はあれ以来ビリー・ホリデイが大好きにな

り、たくさんのレコードを買いました。どれもこれもすばらしいです。しかしこのコモドアの記録は彼女

の絶頂期であり、最高のときをしるしていると私は思います。マル・ウォルドロンは、最後まで彼女の伴

奏に付き合いました。彼はこういっています。「彼女はパーフェクトだった。どんなときでも間違った音

を出したことはなかった。」 暗い過去を背負っていても、毅然としたきっぱりとした態度で歌う彼女を

レディ・デイと呼びました。レスター・ヤングのあとを追うように、同1959年7月17日に亡くなりまし

た。同じように1915年生まれの偉大な歌手に、フランスのエディット・ピアフがいます。彼女は1963年ま

で生きていました。(東京オリンピックの前年です。)ピアフについても、いつかやりたいですね。訪問

していただいた方、ピアフがすきな方がおられましたらどうぞ。

 私はいつもビリーのレコードを離さず持っています。(もちろんほかの人のもありますが)しかしい

くらそばにいても、あの映画をウェスタンと思っていたなんてことは彼女には内緒です。なぜなら私は、

むかし〜っからビリー・ホリデイの「わたしこそ正統派ファンであるという会」の会長だからです。くち

なしの花をさして微笑む彼女の面影は、いつまでもこの胸の中に生きているのです。わかりますね皆さ

ん!シー〜〜〜〜〜っ。

閉じる コメント(7)

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こんばんは♪久々の更新、お疲れ様です。また、お忙しいところ、私のブログへ足を運んでいただき、有難うございましたm(__)m 『ビリーホリデー』全く存知あげませんでした。『チャーリーズエンジェル』のファラー・フォーセットに憧れていた世代なのですが・・・。 明朝のフランスvsブラジル戦が楽しみです。早寝しないと!!

2006/7/1(土) 午後 6:58 ミノカサゴ

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テレビ番組「サウンド・オブ・ジャズ」で歌の間奏でレスター・ヤングを見つめるビリーの優しい顔が素晴らしいです。TBします。

2006/7/1(土) 午後 8:37 bornin195151

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lionfishさん、ありがとうございます。現在イングランドVSポルトガル戦やってますよ。うちの息子も明日試合だそうです。

2006/7/2(日) 午前 0:27 shellstep21

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borninさん、いつもすみません。なんと去年の明日にビリー・ホリデイのことを、書いてたのですね。なんという偶然でしょう。愛と麻薬とお酒が、レスターと彼女を支えていたのでしょうね。ほんとうに4ヶ月かくらいの差で、追いかけたのですから。レディからプレズと呼ばれたレスターも、ワンアンドオンリーな存在で、ミスターオリジナルでした。レスターはパーカーに受け継がれ後のサックスプレイヤー全員に、ビリーは後の歌手全員にそして、カサンドラ・ウイルソンなどに。ジャズの血脈は続いていきます。

2006/7/2(日) 午前 0:49 shellstep21

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「shellstep21」さん、大人でしたネ!私‘77年の頃はヴォーカルなど全然聴いていませんでした。ハード・バップまっしぐらでしたね。

2006/7/10(月) 午後 10:39 [ - ]

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いやいや失礼しました。時代考証がまちがっておりました。私の大学1年生は、1972年のことでした。年齢を5歳も詐称しておりました。これは善良な皆様のそしりを免れないところであります。平にお許しください。

2006/7/12(水) 午後 5:30 shellstep21

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kamityanさん、いつもありがとうございます。私がヴォーカル好きになったのは、巨泉シャバドゥビアというラジオ番組からです。巨泉氏はジャズヴォーカルにおいては、一目おかれる存在だったようです。ダイナ・ワシントンも、その番組からですよ。そのころハードバップはウイントン・ケリーに狂ってましたよ。若いときは、一途ですよね。

2006/7/12(水) 午後 5:36 shellstep21

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