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■私の選んだ俳句
元旦光あふれる中に坐る・・・敏正氏
たまたま自分の場所に日が当たっているのに気づいた。そのことが元旦の吉祥のように感じられたのであろう。偶然をとらえて幸運とする能力をセレンディピティというそうだが、ギリシアの哲学者ディオゲネスの逸話も思い出される。(千愚)
■私の俳句
もう増えない賀状は念入りに描く・・・五票
健流氏コメント:
賀状は、遠く離れた友人や親族などと交わす、一年に一度の消息を確かめ合う役割を果たしている。年齢を重ねてゆくと賀状はそれだけ重みを増し、念入りに描きたくなる。誰もが共感することである。
筆者位の年齢になると、毎年友人の親族や自分の親族の逝去によって、賀状を出せなくなる場合が多くなる。「年末年始のご挨拶を控えさせて・・・」などの葉書が来た時、一瞬ドキッとさせられる。
卓上に雪柳のおはします
ひらひらスイートピー年を越えてゆく・・・一票
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俳句
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■私の選んだ特選句
小春日のコップ酒は大吟醸といきます・・・礼子
千愚のコメント:koの頭韻に続く促音+四つの濁音。音の変化が面白い。小春日→コップ酒→飲酒後の温度変化も。大吟醸ー華やかな音である。晩秋の冷たさの中にある柔らかな小春日。空気の清冽さと酒の純度が陽光に輝き炸裂する音。冬を迎えるための意図的高揚か。
■私の俳句
初雪と北の街から聞いた日はその方角を向く
いい雲に誘われて十二月の橋渡る・・・三票
礼子氏のコメント:思わず外へ出たくなるような雲が浮いていたのだろう。「いい雲」がとてもいい。「十二月」の季が動くのは否めないが、十二月の橋に作者の思い入れが窺われる。素直な無駄のない句である。雲に誘われて出かけるというような気持ちの余裕はせめて持っていたいものである。
冬払暁地球という揺りかごにいた・・・三票
田畑剛氏コメント:人間とは何か?人生とは何か?人がこの地球に誕生してよりこの方、それぞれの時代をそれぞれに辿ってきたその先端が現在である。そして今も尚、悲喜こもごもの混沌は続いているものの、それもこれもこの世に生を受けたればこその賜と諾っているのである。
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■私の選んだ特選句
数万個甘味変幻吊るし柿・・恒良氏
数は威力迫力驚愕を表す。助詞を省いた名詞の連射や漢字の連続も。数万個、という数量がまず提示されるが、その正体は句末。大量の柿の連なりの向こうに底抜けの青空すら見える鮮やかなシーン。脳内には均一単純ではない柿の甘みが広がってゆく。
■私の詠んだ俳句
秋沁みる足を踏み出す・・・一票
蕾数えて野牡丹を買うなんて
香辿れば誰かが描いた木犀街・・・二票
邪呑先生評:木犀は中国原産の常緑樹で白色の小花をつける銀木犀、黄赤色の小花をつける金木犀がある。作者は甘い香に誘われとある街角に至った。これはどなたの木犀の香る街の小説の世界だっただろうか。木犀の香に照応して、小説の中の「木犀街」に導かれていく触角はユニーク。
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■私の選んだ特選句
胸中に活断層あり吾亦紅・・・加藤邪呑
腑に落ちた。そういうことだったのか。私も吾亦紅も胸の内に活断層があって、それらがずれて表層に大揺れを起こしたりする。平素は一見何事もないかの如く、その危ない角度でバランスをとりながら茎を伸ばし静物として今目の前に。在りて紅く恋うのだ。
■私の詠んだ俳句
明日(あした)はあの月まで行こうかと風媒花・・・一票
邪呑氏評:「風媒花」とは虫などではなく風によって受粉する松・杉・稲などの花を言う。作者は片雲の風に誘われて、明日はあの月までへも行ってしまおうかという遊子悲しむの心情であろう。
玉すだれ昭和の家の根元にあり
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■私の選んだ特選句
暑い秋風を呑み込んでポスト立つ・・・幸子
ポストが秋風をのみこむ、という発想がいい。残暑見舞いの手紙を出す時にできたのでしょうか。ポストも大変、皆大変、といういたわりが滲んでいる。拷問のような暑さの中、ポストも人間もしっかり務めを果たそうと立っているのだから。
■私の俳句
八月はいつも崖っぷちの女を見る・・・6票
(礼子評)八月十五日が近づくと毎年テレビから、サイパン島のバンザイクリフから飛び降りる女性の姿が流れる。その映像の句かという評もあったが、毎年八月になると甦ってくる抜き差しならなかった突き放した表現で詠んだことで女の崖っぷちがリアルになった。
(田端剛評)二時間ドラマの崖っぷちではなく、この女の崖っぷちは進退窮まった崖っぷちのことである。そう見立てると八月と崖っぷちの女が、響き合って絶妙である。
権利なんて降ってきやしない夏の空・・・4票
(冨樫黒牡丹評)権利とは戦い血を流して獲得するものなのだろう。手を拱いてボケーっと誰かがプレゼントでもしてくれるように最近の日本人は思っていやしないだろうか。
(稲葉建流評)人間は生まれてきさえすれば平等に権利を得たり、義務を負ったりすることができる、と言われている。しかし、現在この通りにいかなくなってきている。大震災後の復興支援策に期待していた人々は、その条件が厳しかったりして、落胆している人が多いと言われている。生きていく上での権利を獲得するため、日夜奮闘を強いられている。
たがためになんのために瑠璃球薊
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