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▲周知の通り、今日の竹島問題は1952年1月18日、韓国政府がいわゆる「李(り)承(しょう)晩(ばん)ライン」を設定したことから始まった。だが、日韓の国交正常化交渉の時期(52-65年)と重なったため、両国は「覚書」を通じて互いの主張を繰り返すにとどまった。
▲その覚書による対話も、65年に同問題を「棚上げ」にし、「日韓基本条約」が締結されると、途絶えてしまった。
▲1618年、幕府の許可を得た鳥取藩の米子の大谷、村川両家が漁労活動のため、鬱陵島に渡海した。同島のほか、当時、松島と呼ばれた現在の竹島も日本領と認識していた。 ▲第2次世界大戦後の日本領土を規定した1952年のサンフランシスコ講和条約の発効により、竹島は日本領土として残った。 ▲国連海洋法条約が発効した1994年。新たな「日韓漁業協定」を締結する必要に迫られたことによる。 ▲その際に問題となったのが、排他的経済水域の基点をどこに置くかだった。そこで、韓国は96年、竹島に接岸施設を建設し、実力支配をより確実にしようとした。 ▲一方、日本政府は竹島問題が外交問題化することを避け、竹島問題を棚上げして、99年に新「日韓漁業協定」を締結した。 ▲日本政府のこの棚上げの処置が、今日の竹島・鬱陵島領有権問題に発現している。 竹島は、国境の島という特別な意味を持っており、実際の縮尺よりも大きく拡大され、こうした地図に表記されるという特殊事情がある。通常ならば地図にも表記されることのない、自然状態では人も住めない巨大な二つの岩礁にすぎない。
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