アメリカインディアンたちは、平和で豊かに共存して原始共産的な、自然からの享受を賜って、穏やかな暮らしを満喫していました。
1620年、ピルグリム=ファーザーズ(巡礼始祖102人)が、乗ったメイフラワー号・全長27.5m、180トンで、スウィート=シップと言う、葡萄酒運搬用の貨物船でした。3本マストの帆船で40人の船員と、102人の船客が乗っていました。9月16日、イギリスのプリマス港を出発して、2ヶ月後の12月26日に、現在のマサチューセッツ湾の沿岸に到着、その地を、「プリマス」と名付けました。上陸に際して、互いに協力して植民地を建設する旨を誓った「メイフラワー誓約」が結ばれた、これが、「社会契約説」を実現したものとして有名です。
いよいよ白人の登場です。この当時今のアメリカ合衆国に当たる地域には、約100万あまりのインディアンが住んでいたと云われます。劣勢だったイギリス、フランス、スペインなどの植民者に対して、概ねインディアン達は、友好的な態度で接していましたが、白人達の勢力は急速に大きくなり、インディアンと同盟を結んで戦うようになりました。この事がインディアンの文化や感情に、敵意と憎悪が支配するようになりました。
アメリカ合衆国の独立、初めは政府も各部族を準国家と考えて、それぞれ個別に条約を結んで、土地を譲り受けようとしました。この建前が守られたのは僅かの期間で、7代目大統領ジャクソンは、1830年にインディアン強制移住法を制定して、ミシシッピー川伊東のインディアンを、今のオクラホマの地に移住させました。
1848年、カリフォルニア山中に金鉱が発見され、ゴールドラッシュの時代の幕開け、西部各地で金銀の鉱脈が発見されるようになると、白人達は、インディアンの土地と定められている所にも無断で侵入、侵攻進出し勝手な振る舞いを始めることになります。此に抵抗するインディアンは殺され人口が急減しました。
涙の道・・・強制移住法で、ジョージア・ミシシッピー・アラバマの3州で、白人のプランテーションを拡大するという理由で、インディアンから土地を取り上げなければ、連邦から脱退すると白人が圧力を掛けたために制定された。1838年、強制退去に応じなかった、チェロキー族が軍隊の手でオクラホマまで、40日間歩かされて、14000人の内、4000人が寒気と疲労と餓えで死亡したという。この行程を「涙の道・Trail of Tears」と呼ばれています。これらのことが、現在アメリカの「トラウマ」となって、戦争政策へ突き進むエネルギーとなっています。インディアン虐殺の正当化です。理不尽な白人文化、インディアン文化の破壊へは又明日のお話しとします。
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