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これは、タイトルの講座で配布したテキストをブログにアップしたものです。ブログ記述仕様により、正確にスタイルが再現できていません。後日PDFの文書にリンク出来るよう、研究します。 (次ページに取り合えず、PDF版 掲載出来ました。) NHK文化センター「巨木、銘木を訪ねる」’11-07-13
講師 樹木医 志賀美行 この講座で時々引用する「いわき 樹林のなぞ解き 古内栄一 著) (はましん企画(株)絶版」の中に次の文があります。 ・・・このように眺めてまいりますと、いわきは、スダジイのような常緑広葉樹(じょうりょくこうようじゅ)の林と、ブナやイヌブナのような落葉(らく よう)広葉樹の林が仲よく生育できる地域になっていて、専門的用語で言い表わしますと、「暖帯性植生と温帯性植生の移行地帯である」といいます。移行地帯は両系統の植物が極限の環境に臨(のぞ)んで生きていると同時に両環境の間を縫うように生きるものもある地域なのです。 古内先生のお話ですと、国道289号線沿いは、いわき市内の範囲でこの移行が総て観察できるとの事です。今回は、いわき市保存指定樹 樹林を観ながらこのルートをたどってみます。 シイ・モチノキ林(いわき市指定保存樹林No.4) ![]() 指定年月日 昭和53年3月10日 所在地 いわき市勿来町四沢伊勢林1 管理者 伊勢両宮神社 面積 1,000平方メートル 現地に解説板がありません。保存指定に関する説明は分かりませんが、暖帯性植生(照葉樹林)の指標であるシイと海岸地帯で潮風に耐性のあるモチノキが樹林を構成しているとの事です。東に約600mで太平洋の海岸線です。 カツラ(いわき市指定保存樹No59) 指定年月日 昭和54年3月31日 所在地 田人町旅人字和再松木平 管理者 共有? 樹高11.7m、幹囲3.5m 現地の解説板が新しくなっていました。 ![]() 以上 p1/3 枚目です。以降ページは次投稿 PDF版を参照下さい。 |
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(この文があるまでは、書きかけです)
前の投稿は、題の避難地変更のいきさつを書いている内に、言わずにはいられない気持ちが先立ち、本論に入れずに、投稿を改めました。 ・・・ ところが、この2日間 また無能な行政官が起こした失態に腹立ち 冒頭書かずにはいられません。 福島産牛肉で、放射能規制値を超えた肉の 市場流出です。 特に、浅川町の場合 善良な酪農家が、与えていた飼料を心配して検査を願い出、初めて汚染が発覚したのです。 飼料は、隣接した白河市産の稲藁です。 専門の行政官なら稲藁が飼料に使われ、なぜか原発から遠く離れた白河市 特に隣接の西郷村がホットスポットである事は充分承知していたはずです。 隣接県栃木の那須地区ですら、原発災害以降の牧草は飼料として与えるのをあきらめているのです。 行政が安心です安心ですと繰り返し、善良な研究者が、被爆汚染が阿武隈川沿いに遡上している事を予測公表しているのに、これを議論の俎上に乗せないのです。 こんな情報提供の怠慢、いや 隠ぺいして 酪農家(市民)が、顛末を発想する故もありません。 福島県は、この善良な酪農家に 残っている飼料を与えないように「命令」したそうです。 自分たちの無能無策を恥じ、「申し訳御座いません。情報を隠ぺいしていました。過小評価していました。無策でした。どうぞ我慢して、残った飼料は牛に与えないでください。」と謙虚に反省で出来ないのだろう。・・・どっちみち、市民はもう 為政者や行政官に権威など感じていないのだから! 結果、福島県は県内の牛の全頭出荷停止を決めたものの、福島産どころか国内産牛肉の消費低迷を招いているそうです。 汚染地域の牛の体表全頭検査で、内部被爆が分かりますか! 判らないから、第一原発の復旧作業員の内部被爆検査が進まないで苦労しているでしょうに! 6月21日放送 15:15 - 16:00 NHK総合 ろーかる直送便 直撃インタビュー・被災地の目線で「第1回 田原総一朗 西條剛央」で田原さんが「東北人はもっと怒りを表明しなければいけません。そうでなければ世の中は変わりません」?日本人は・・・だったかな? 通り一遍しか判断できない。・・・無能! ・・・ああ、怒りばかりで、テーマが進まない。 最後に、那須の避難宅からの遠望です。向いの山地は、八溝山系です。 同じところからCASIO EX-ZR100 のアートモードでの撮影です。お遊びです。 次の投稿こそは、怒りを鎮めます。 |
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shi**_zと家族の避難生活(主に原発災害)続き の報告です。 茨城県笠間市友部の避難所から、お知り合いのご好意でお借りした別荘への避難先引っ越しの経緯(いきさつ)、顛末です。
友部の避難先は、健康に心配のある方 あるいは幼児のおられる方の付添を含めた避難先でした。 4月11日の大きな余震の前後に、茨城県に出向いていた福島県職員が、友部の避難所に度々出向いては、特にいわき市の者に「安全だから戻るように」と言い始めました。 福島第一原発の水素爆発発生時から、メルトダウンまで心配されると、知り合いから情報を得ていた私たちは、この説得に全く納得がいきませんでした。 オムツの取れない赤ちゃんが居る家族にまで、暗に「税金が掛かっているのだから」と言い、戻るように圧力をかけるのです。 原発の水素爆発から3ヶ月以降、小出しに メルトダウンまで、あるいはメルトスルーまで認めざるをえなくなった現実を知って、この説得に当たった行政官(県職員)は、私たちを目の前にしたら、「安全」と言い放った事をどのように取り繕うのでしょう。 ・・・知らなかったとは言わせません。私たちは「現実としてメルトダウンまで心配されるはずだ」と主張したのですから。 これに聞く耳を持たずに「安全だ」と説得したのは、「原発は安全だ」との原子力村の主張と同じです。 ・・・原子力については、総てを安全神話として片づけるのではなく、あらゆる疑義に真摯に討論していれば、このような結果にはなっていなかったはずです。 疑義の証拠に、危険を論じた論文はちゃんと発表されていたのです。 とにかく、議論を封じる権力、勢力にはうんざりします。 時代が変わるまで、為政者、行政官は、全く信じません。 ・・・行政官は個々には心ある人が多いのだから、為政者に埋没してはいけません。 書き出すと、怒りが収まらず、長々と書き込んでしまいます。 大震災、避難シリーズを書き始めるに当たり、引用した投稿に「それ以降の報告ブログですが 震災 原発被害等 それ自体にはあまり触れません。このブログのテーマに沿った報告です」 と書いたので、以降はテーマに戻ります。 最後に、次の避難先 お借りした那須の写真を添えて、次の投稿に顛末を続けます。 |
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いわき市地方でサクラの咲く頃 わが家で 自宅に居たのは自分だけでした。 現在は母もいわき市の自宅に戻っていますが サクラの咲く頃は まだ茨城県笠間市友部町の避難所でした。 わが家のシダレザクラは 自宅を建設した際の作庭時に植栽しました。 サクラは植栽されたばかりはなかなか花を多くつけません。 このサクラを調達した亡き父の話では、「三春のシダレザクラ」(福島県の国天然記念物)のDNAを引き継ぐとの事です(実生)。 もう植栽後25年は過ぎるのですが、引き継いだDNAのせいも有るのか、有る程度花を持ち始めたのは2年ほど前からです。 そして今年 ほぼ全枝に花を付けたのに 原発災害の為 家族で愛でたのは 私一人でした。 「ホントに、このサクラは 花を着けないのだから」と今まで評されていたのに。 シダレザクラに気の毒なので、皆さんに見ていただき 少し慰めてあげたいのです。 2011年4月11日の撮影です。 道路からの姿」 「私の居室からの姿」 花に近接」 |
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shi**_zと家族の避難生活(主に原発災害)続き の報告です。 友部での避難所の報告は こらが最終です。(の予定です)
笠間市友部町での避難所 茨城県教育研修センター の近くには「北山公園」が有ります。
射撃場施設が近くにあり 頻繁に銃声がするのは残念ですが 自然環境を大切に残し 素敵な公園です。 長女が高校生時代 参加していた生物部の顧問の先生に ここを紹介頂き 2度ほど遊びに来た事が有りました。 私は 業務と 地域自治会の役職の都合もあり 3月22日にはいわき市自宅に戻り 賃稼ぎ生活に復帰しました。 余震 予断を許さない原発災害もあり 友部の避難所には籍を置いたまま 一時帰宅し 週末は避難所に戻る生活としました。 以下は 週末避難所に戻った3月27日(日曜日) 北山公園を散策した際 見かけた 報告です。 公園の下の方に有る池の散策路をあるいている際 マガモ?とアヒル?(・・・白いからアヒルと思うのですが)亀3頭が 沈みかけた倒木に乗り 日向ぼっこをしていました。 写真と動画を下に掲載掲載しますが マガモ?はアヒル?との混血?と思えるほど 白い部分が多かったのです。 ・・・写真では判りませんかね? |





