よねちゃんの車中泊旅行記

4月22日、はてなブログ「よねちゃんの花日記」に移行しました。車中泊旅行記もそちらで継続しています。

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  2006年5月20日
  写真は、上3枚は鳥取城址、一番下は仁風閣です。
  
  鳥取城で最後に戦ったのは吉川経家でした。あの秀吉の兵糧攻めに降参して切腹した武将です。大体、秀吉は余り正面からの戦にはそう強くないようです。水攻め、兵糧攻めなどの位攻めが得意で、ここ和歌山でも、今の和歌山駅の東側にあった太田城が水攻めにあっています。

圧倒的な兵力で、相手が干上がってまいるのを待つ、武士らしくなくて卑怯ではありませんか・・・卑怯だぞ、秀吉君。まあ、そういう問題ではないかもしれません。

  ここにある仁風閣は、明治40年(1907)に建てられたフレンチルネサンス様式の白亜の洋館。時の皇太子(のちの大正天皇)の山陰地方行啓の宿舎に使われました。でも、そのためだけにこんな立派なもの作ったのでしょうか。

実は、隣の島根県にも似たようなものが松江城内にありました。興雲閣です。この建物は、山陰地方に明治天皇をお迎えしようと地元が要望し、その宿泊所とするために明治36年に建設されたとか。しかし、日露戦争が起り、明治天皇は来られませんでしたが、明治40年5月、皇太子殿下(後の大正天皇)の山陰行啓のとき、宿泊所として使われたとあります。

つまり、仁風閣と興雲閣は同じ機能を果たしたのです。興雲閣は二階に回廊を備えた瀟洒な洋風建築です。仁風閣もよく見ると、正面玄関とは反対側にバルコニーがあるのが分かります。

  ところで、明治初めの人たちが江戸時代のものを粗末にしたため、多くの城郭が取り壊され、多くの文化財が壊されたり、海外にたたき売りされました。我が国は、お金に代えられない莫大な財産をを失いました。今にして思えば、何というもったいないことを。

近年、地域興しとかで、自治体が競い合って観光用にまがい物の複製品があちこちで建てているのを見ると、なんとも悲しい気持ちになります。先の大戦で燃えてしまったものは仕方がないですけれどね。

  時がたてば、明治、大正のものもやがて値打ちが出てきます。ぼちぼち、このクラスの建物が重要文化財になっていく年回りになってきましたね。地元のみなさん、こういうものって自分たちの宝ですよ、宝。明治の人たちの轍を踏まないようにしましょう。

問題は、いかにそれに早く気づいて、どれだけ税金から、又は寄付金からそれを保存するための莫大な費用が出せるかです。夕張市のように新たに観光施設を作るのはそれこそ莫大な費用がいります。でも、そんなつくりもの、すぐに飽きられてしまいます。

だから自治体が倒産したりするのです。そうではなくて、明治、大正からあるものを、将来の国民に、自分たちの負担で残していくことが大切です。100年後にはきっと将来の国民に感謝されていることでしょう。

  さて、現実の私は、県立博物館も仁風閣も開場は0900時からで,折からの雨で完全に戦意をなくして待つ気も起こらず、早々に鳥取砂丘へ。こういうときに、後でいつも思うことは、見ておけば良かった、そう何度も来るところではないのに・・・。後悔先に立たず、覆水盆に返らず。知らぬ俺でもないものを・・・・でした。

  今回の鳥取旅行は、明らかに失敗でした、明らかに事前準備不足、情報不足です。県庁所在地に、この歴史ある城下町に、お城と砂丘しかないなんて訳はありませんよね。町並みを訪ねている割にはお粗末で、鳥取市の方には失礼しました。よく研究して出直します。


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