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2014年11月15日(土)
今、三重県四日市の東海道日永郷土資料館にいます。この資料館の前を旧東海道が通っていました。場所は四日市あすなろう鉄道内部線の追分駅の北約600メートルのところです。
大きな柱時計がありました(写真①)。
学校の備品だったかもしれない大きな算盤です(写真②)。
往時の活版印刷用活字です(写真③)。こういうものを一つ一つ拾って行く作業はとても時間がかかりました。今は活字どころかペーパーレスが当たり前と思っていたら、国会で反対があるそうです。
反対しているのはあの辻元清美と共産党です。理由は、何と印刷物を作る時間がかかるとその分だけ議事妨害をする効果が大きくなるからだそうです。 何とも呆れた化石人間、まあどちらも時代遅れの原理主義者と教条主義者だから付ける薬もありません。こういう国益を損ねる議員は次の選挙で落とすしかないですよ。
往時の鉢や皿です(写真④⑤)。この薄めの藍色が何とも言えない雰囲気を作り出します。
鉄瓶です(写真⑥)。アルミ製では絶対に感じないこの重厚感がいいですね。これで湯を沸かすと微量の鉄分が湯に溶け出し、体にもいいそうです。
これは1960年に発売されたキャノンPというカメラです(写真⑦)。このカメラ、レンジファインダーでレンズ交換式でした。上に付けられているのは電池を使った露出計と思われます。
「P」は大衆、つまり当時の高級品だったライカと比べると圧倒的に安かったのです。マウントはライカと同じだったようです。
性能と価格を追求した日本のカメラ、ブランドに安住してバカ高いカメラを売り続けたライカ、その結果はすぐに現れ、1979年にライカの創業家の社長が死ぬとライカはたちまち時代遅れが露呈して空中分解します。
今もあるライカは昔のライカではなく商標権だけを持った別のライカです。カメラ1台家一軒といわれたライカの時代は永遠に去りました。 これはトプコン35Lです(写真⑧)。1957年に発売されたレンズシャッター式レンジファインダーカメラです。これもライカM3の影響色濃いカメラと言われています。
トプコンは先の大戦まで東京光学といって軍用品を作っていたのですが、戦後は測量機器や医療機器メーカーとして発展を遂げています。そのトプコンが戦後の過渡期に作った傑作です。
110カメラなんてのもありましたね。110フィルム(画面サイズ13×17ミリ)を使うカメラでした。登場したのは1972年ですが、話題になることはありませんでした。 いわゆるトイカメラに近い雑貨扱いだったのです。それでも2010年くらいまでは命脈を保ったと言うから驚きではあります(写真⑨)。
さて、展示が変わりました。どんな人が履いていたか想像したくなるような下駄です(写真⑩)。え?、振り向かないで〜、ですか。
下駄の上に畳を敷いたような感じです。履き心地は最高だったでしょう。鼻緒もお洒落です(写真⑪)。
この深紅の下駄どうですか、ある種の職業の人でないと履くのは難しかったかもしれません。鼻緒もすてきな意匠です(写真⑫)。
これも美しい下駄です(写真⑬)。
こういう下駄は初めて見ました(写真⑭)。
続く
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